「欠陥品と呼ばれた令嬢の加護は、真実の愛にだけ反応する
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視点A――イゾルデ
夜会が始まる一時間前、イゾルデ・ランツは鏡の前で微笑む。
完璧だ。
髪も、ドレスも、今夜の段取りも。何一つ、狂いはない。
扇を開きながら、窓の外を見る。馬車が次々と正門をくぐっていく。あの中のどこかに、アリア・ヴェスナーが乗っている。三年間、ずっと邪魔だった女が。
三年前。カイ・ノルトがあの女に最初の文を送った日、イゾルデは侍従から報告を受けた。内容は他愛もない辺境の近況だった。それでも、カイが誰かに文を書いたのはその日が初めてだった。だからイゾルデは侍従を買収した。文の内容も、頻度も、全部把握するために。
扇の骨を指先でなぞる。懐の布袋が、かすかに重い。エルナに渡した分と合わせて二つ。エルナには「近くに置くだけでいい、お姉様の加護が反応しないところを皆に見せてやればいい」とだけ伝えた。それ以上は教えなかった。知らない方が、自然に動ける。あの娘の嫉妬は、三年前から育てておいた。
「カイ・ノルト様がすでにご到着されております」
侍女の声に、扇を閉じる。
予定より早い。
ただそれだけだ、とイゾルデは自分に言い聞かせる。カイがどこにいようと、今夜の結末は変わらない。変わるはずがない。アリアの加護は、三年間一度も反応しなかった。今夜も反応しない。そういう女だ。
廊下に出る前に、もう一度だけ鏡を見る。
笑顔は、完璧だ。
視点B――アリア
馬車が揺れる。アリアはずっと窓の外を見る。
今夜で何かが終わる。そういう予感がある。
ヴァルター・シュタイン様との縁談は、家同士の都合で決まったものだ。加護が一度も反応しないことで家族の視線が冷たくなっているが、今さら傷つくほどのことでもない。慣れた、ということかもしれない。
会場に足を踏み入れた瞬間、何かが鼻をかすめる。
花の香りの奥に、別の何かがある。
正体はわからない。ただ、おかしい、とだけ思う。そのまま広間へ進む。
ヴァルター様が近づいてきて、私の前に立つ。
「アリア。お前との婚約は、今夜限りで終わりだ」
広間が静まり返る。
「二十年間、一度も加護が反応しないなど、欠陥以外の何でもない。シュタイン家に役立たずの居場所はない」
怒りでも悲しみでもない。ただ処理をしている声だ。
妹のエルナが、唇を噛んで笑いを堪える。その顔を、私は正面から見る。
泣かない。
泣く理由が、ない。
視点A――イゾルデ
柱の陰から、イゾルデは扇越しにアリアを見る。
泣かない。
舌打ちしたくなるのを堪える。泣いてくれた方が絵になるのに。構わない。次の段階に進む。
エルナが動けば、石が反応する。計画通りに——
視線が、動く。
カイ・ノルトが、柱の陰から姿を現す。
イゾルデの扇が、止まる。
なぜあの位置に。入口で挨拶を交わすのを確認した。あの位置に移動する隙が、どこにある。
計算が、一つ狂う。
小さな狂いだ、とイゾルデは自分に言い聞かせる。カイがどこにいようと、アリアの加護は反応しない。三年間の記録がそれを証明している。
エルナが掌に炎を灯す。
イゾルデは扇を開く。これで終わる。
視点B――アリア
隣に、人が立つ。
声もなく、ただ気配だけが来る。振り返らなくても、わかる。
「カイ様」
「ああ」
それだけだ。それだけで、胸の奥の何かがほんの少し緩む。三年間、季節ごとに届いた文のことを思う。加護のことも、婚約のことも、一度も触れなかった文たちを。辺境の風景だけを書いた、不思議な文たちを。
エルナの炎の色が、おかしい。
赤ではない。黒紫だ。
「止められない——!」
炎が天井へ伸び、シャンデリアを飲み込む。悲鳴が上がり、招待客が出口へ殺到する。誰かが「瘴気石だ」と叫ぶ。
カイ様の手が、私の腕を引く。
その瞬間ではない。
温もりが全身に広がって、三年分の文の言葉が一気に胸に落ちてくる——その瞬間に。
光が、溢れる。
炎が、白くなる。
会場が、静まり返る。
視点A――イゾルデ
全てが白くなっていくのを、イゾルデは見る。
扇が、手から落ちる。
拾えない。
「エルナ嬢。この石はどこで手に入れた」
調査官の声が広間に響く。
「イゾルデ様から……近くに置くだけでいいって、そう言われたから……!」
視線が、一斉にこちらへ向く。
微笑もうとする。
できない。初めて、できない。
「イゾルデ・ランツ嬢。禁制品の不正使用、公共の場における重大危険行為。同行を願います」
足が、その場に縫い付けられる。
三年間。全部、見られていた。カイは最初からあの位置にいた。侍従のことも、石のことも、エルナのことも——どこまで知っていた。
いつから。
どこから。
扇は床に落ちたまま、拾えない自分の手を、イゾルデはただ見る。
視点B――アリア
ヴァルター様が近づいてくる。
「アリア、待ってくれ。加護が覚醒したなら、婚約の件は——話し合いで——」
振り返る。真正面から、その目を見る。
「加護が覚醒したから、撤回するのですね」
「だから俺は本気で——」
「では加護がなければ、あなたの言葉は正しかったということですか」
口が、開いたまま閉じない。
「答えなくて結構です。あなたは今夜、大勢の前で私を欠陥品と呼びました。それは事実として残ります」
背を向ける。それだけだ。
父が何か言いかける声が聞こえる。聞こえなかったふりをする。
数日後、花束と一緒に手紙が届く。
差出人を見る前から、わかる。
『加護が覚醒する前から、あなたに伝えたいことがあった。会いに行っていいか』
短い文だ。三年間届き続けた文の中で、一番短い。
会いに来たカイ様に、そう聞く。
「本当に、私でいいんですか」
「あなたじゃないと意味がない」
迷いは、一つもない。
その言葉に、ずっと抱えてきた孤独が、音もなく溶ける。




