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「欠陥品と呼ばれた令嬢の加護は、真実の愛にだけ反応する

作者: 夏目優希
掲載日:2026/08/12



---


視点A――イゾルデ


夜会が始まる一時間前、イゾルデ・ランツは鏡の前で微笑む。


完璧だ。


髪も、ドレスも、今夜の段取りも。何一つ、狂いはない。


扇を開きながら、窓の外を見る。馬車が次々と正門をくぐっていく。あの中のどこかに、アリア・ヴェスナーが乗っている。三年間、ずっと邪魔だった女が。


三年前。カイ・ノルトがあの女に最初の文を送った日、イゾルデは侍従から報告を受けた。内容は他愛もない辺境の近況だった。それでも、カイが誰かに文を書いたのはその日が初めてだった。だからイゾルデは侍従を買収した。文の内容も、頻度も、全部把握するために。


扇の骨を指先でなぞる。懐の布袋が、かすかに重い。エルナに渡した分と合わせて二つ。エルナには「近くに置くだけでいい、お姉様の加護が反応しないところを皆に見せてやればいい」とだけ伝えた。それ以上は教えなかった。知らない方が、自然に動ける。あの娘の嫉妬は、三年前から育てておいた。


「カイ・ノルト様がすでにご到着されております」


侍女の声に、扇を閉じる。


予定より早い。


ただそれだけだ、とイゾルデは自分に言い聞かせる。カイがどこにいようと、今夜の結末は変わらない。変わるはずがない。アリアの加護は、三年間一度も反応しなかった。今夜も反応しない。そういう女だ。


廊下に出る前に、もう一度だけ鏡を見る。


笑顔は、完璧だ。


視点B――アリア


馬車が揺れる。アリアはずっと窓の外を見る。


今夜で何かが終わる。そういう予感がある。


ヴァルター・シュタイン様との縁談は、家同士の都合で決まったものだ。加護が一度も反応しないことで家族の視線が冷たくなっているが、今さら傷つくほどのことでもない。慣れた、ということかもしれない。


会場に足を踏み入れた瞬間、何かが鼻をかすめる。


花の香りの奥に、別の何かがある。


正体はわからない。ただ、おかしい、とだけ思う。そのまま広間へ進む。


ヴァルター様が近づいてきて、私の前に立つ。


「アリア。お前との婚約は、今夜限りで終わりだ」


広間が静まり返る。


「二十年間、一度も加護が反応しないなど、欠陥以外の何でもない。シュタイン家に役立たずの居場所はない」


怒りでも悲しみでもない。ただ処理をしている声だ。


妹のエルナが、唇を噛んで笑いを堪える。その顔を、私は正面から見る。


泣かない。


泣く理由が、ない。


視点A――イゾルデ


柱の陰から、イゾルデは扇越しにアリアを見る。


泣かない。


舌打ちしたくなるのを堪える。泣いてくれた方が絵になるのに。構わない。次の段階に進む。


エルナが動けば、石が反応する。計画通りに——


視線が、動く。


カイ・ノルトが、柱の陰から姿を現す。


イゾルデの扇が、止まる。


なぜあの位置に。入口で挨拶を交わすのを確認した。あの位置に移動する隙が、どこにある。


計算が、一つ狂う。


小さな狂いだ、とイゾルデは自分に言い聞かせる。カイがどこにいようと、アリアの加護は反応しない。三年間の記録がそれを証明している。


エルナが掌に炎を灯す。


イゾルデは扇を開く。これで終わる。


視点B――アリア


隣に、人が立つ。


声もなく、ただ気配だけが来る。振り返らなくても、わかる。


「カイ様」


「ああ」


それだけだ。それだけで、胸の奥の何かがほんの少し緩む。三年間、季節ごとに届いた文のことを思う。加護のことも、婚約のことも、一度も触れなかった文たちを。辺境の風景だけを書いた、不思議な文たちを。


エルナの炎の色が、おかしい。


赤ではない。黒紫だ。


「止められない——!」


炎が天井へ伸び、シャンデリアを飲み込む。悲鳴が上がり、招待客が出口へ殺到する。誰かが「瘴気石だ」と叫ぶ。


カイ様の手が、私の腕を引く。


その瞬間ではない。


温もりが全身に広がって、三年分の文の言葉が一気に胸に落ちてくる——その瞬間に。


光が、溢れる。


炎が、白くなる。


会場が、静まり返る。


視点A――イゾルデ


全てが白くなっていくのを、イゾルデは見る。


扇が、手から落ちる。


拾えない。


「エルナ嬢。この石はどこで手に入れた」


調査官の声が広間に響く。


「イゾルデ様から……近くに置くだけでいいって、そう言われたから……!」


視線が、一斉にこちらへ向く。


微笑もうとする。


できない。初めて、できない。


「イゾルデ・ランツ嬢。禁制品の不正使用、公共の場における重大危険行為。同行を願います」


足が、その場に縫い付けられる。


三年間。全部、見られていた。カイは最初からあの位置にいた。侍従のことも、石のことも、エルナのことも——どこまで知っていた。


いつから。


どこから。


扇は床に落ちたまま、拾えない自分の手を、イゾルデはただ見る。


視点B――アリア


ヴァルター様が近づいてくる。


「アリア、待ってくれ。加護が覚醒したなら、婚約の件は——話し合いで——」


振り返る。真正面から、その目を見る。


「加護が覚醒したから、撤回するのですね」


「だから俺は本気で——」


「では加護がなければ、あなたの言葉は正しかったということですか」


口が、開いたまま閉じない。


「答えなくて結構です。あなたは今夜、大勢の前で私を欠陥品と呼びました。それは事実として残ります」


背を向ける。それだけだ。


父が何か言いかける声が聞こえる。聞こえなかったふりをする。


数日後、花束と一緒に手紙が届く。


差出人を見る前から、わかる。


『加護が覚醒する前から、あなたに伝えたいことがあった。会いに行っていいか』


短い文だ。三年間届き続けた文の中で、一番短い。


会いに来たカイ様に、そう聞く。


「本当に、私でいいんですか」


「あなたじゃないと意味がない」


迷いは、一つもない。


その言葉に、ずっと抱えてきた孤独が、音もなく溶ける。

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