第1話 唐揚げと白猫
人生に悩む瞬間ってありますよね?
誰かに話を聞いてもらいたい時や今の現状を打開したい。
そんな方々におすすめの作品となっております。
じとりと汗が滴りそうな夏の静かな夜、洗濯機の緩やかな回転音だけが夜のコインランドリーに響き渡っていた。鳴り始めは騒々しい。けれど、徐々に耳が慣れてくれば心地良くも感じる。不思議なものだ。
一人の女性がドアを無造作に開け放つ。
襟周りが伸びきった白のシャツに、ダメージとは言い難い穴だらけの黒の短パン。クロックスのサンダルを無造作に脱ぎ捨て、肩まで伸びた黒髪をサワサワとかき上げながら、ドラム式洗濯機の中で衣類が踊り狂う様を何となく眺めていた。チカチカと見るからに古びた掲示板には『残り15分』と表示されている。
「早く来すぎた」と独りごちながら舌打ちする。備え付けの椅子に腰を下ろせば、気だるさが身体の芯から滲み出てくる。
「はぁ」
時計は深夜二時を回っており、酔っ払いすらも帰り切った時間。その静けさは暗闇と街灯も相まって、少しホラー要素を帯びている。時折チカチカと点滅する街灯の明かりの中で外を眺める澪には、もう怖さも感じなくなっていた。
「はぁ……」
女性は再び、ドラム式の中をぐるぐると駆け回る衣類を見て、誰に言うでもなく悲しみまじりに独りごちた。
「……何やってるんだろ、私」
当然、洗濯しに来た。それは間違いない。だが心の奥底から滲み出る鬱屈とした何かが溢れてくる。そんな感情に、つい言葉を発してしまった。
仕事をやめて一週間が経つ。たったの一週間。
初日と二日目は仕事から解放されたせいか穏やかに過ごしていたと思う。
でも三日目の朝、目を覚ますとなぜか体がだるかった。二日酔いのせいかとも思った。けれどその日は結局ベッドの上で終わった。
それからというもの、朝は基本的に寝て昼に起床し、夜は缶ビール片手にスマホで動画をザッピングする毎日を送るようになった。
時折、貯金残高を確認するためにネット銀行アプリを開き、徐々に減っていく数字を見ては頭を掻きむしりながら二本目、三本目と缶ビールを開けていく。
最後に人と話したのもずっと昔のよう……。いや、コンビニ店員と話したかな。最後に心から笑ったのもいつだっただろうか。忘れた。
女性は先ほどコンビニで買った鶏唐揚げの一つを口にした。美味しいが、普段から食べ慣れてるせいで特別感動もない。
ただ茫然と、目の前のドラムが回るのを見続けるのみ。
「なに洗いに来たんや?」
うわ……。
背後から中年男性の声が聞こえたと同時に、身体中が拒否反応を示した。男は全員嫌いだ。特に相手のことも考えずにズカズカと距離を詰めてくる男は尚更嫌い。他人だよ? どうせ職場や隣人から持ち上げられて自分はすごい人間なんだ、頼られる存在なんだと勘違いしている痛い害悪。
「おいおい、無視かいな」
「ちッ」
声量が先ほどよりも大きく感じられ、相手に聞こえるように舌打ちをしたが、すぐに冷静さを取り戻す。こんなんでも多少の社会性は残っていたよう。
どんなに気が立っていようと、男に本気を出されたらたまったもんじゃない。
女性は一言二言喋ってとっとと帰ろうと決め、意を決して振り返る。
「あれ?」
誰もいなかった。
同時に、ぶるると全身に悪寒が走る。
「うそでしょ、確かに声が……ん?」
幽霊なんているわけない。そんな子供じみた言い訳を脳内で反芻すると同時に、乾燥機の上に、まんまるとしたお腹を見せる白猫がこちらを見つめていた。
いや、見覚えがある。確かこの辺りをうろうろしてるのを見た記憶がある。金色の鈴がついた首輪を見て、尚更確信を得た。
「なんでこんなところに……てか、いつ入ったんだろう」
私がここに入ったと同時に? にしても気づかないもの? のらりくらりにも程があるでしょ。あぁでも、その前に……。
先ほどまでの恐怖が一気に薄れ、今度は室内に猫を入れてしまったことへの対処に頭を悩ませた。流石にまずいよね。
と理性ではわかっていても、目の前の癒しに肩の荷が下りたような感覚も覚えた。この何を考えてるのかわからない表情、時折見せる伸びの動作には虜になる。触ってもいいかな?
「可愛い……」
先ほどまでの鬱屈とした感情とは違う。愛くるしくも凛々しい表情。「あ、手舐めてる」「あ、お腹掻いてる」まるまる太った体型に『お父さん系』の文字が頭に浮かんだ。
「ずっと見てたで」
「ん、なぁに猫ちゃ……ん?」
お父さん……ではなく。突然、乾燥機の上に丸くなった白い猫が喋りかけてくる。喋る?
「あんたやあんた! 服か、体か、心か。なにを洗いに来たんや言うとるんや」
え?
気づけば、女性は腰を抜かし、床にへたり込んでいた。猫って喋るんだっけ?
白猫は重たそうに伸びをして、体型とは似つかわしくない軽やかな足取りで乾燥機から飛び降り、目の前に音もなく着地して座った。
「おいおい、大丈夫かぁ?」
この中年男性みたいな声は、先ほど背後から聞こえたものと同じだった。
「ね、猫が……」
体に力が入らない。化け猫かなんか!?
腰が完全に抜けた女性を嘲笑うかのように、白猫は目の前で再び重たそうに伸びをする。
「で、どうしたいんや?」
恐怖に慄く女性を尻目に、白猫は淡々と話し続けるのだった。
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