新訳 軽装歩兵アランワールド フリーダムガールエピソード0
獣人族・人魚族『ナチュレ』が人類に迫害されてから1000年以上が経過した1778年、貴族のゴリラ怪人ブルムバッハが『ナチュレ』のリーダーに就任、後に貴族主導の経済統制システム、『貴族主義型管理経済』が導入された。
このシステムは平民の私有財産の保有禁止、貨幣や自由市場経済システムが徹底的に排除され、現物取引・自給自足を強要するもので、平民には貢納の義務が課されたある意味奴隷制を進化させたものである。
密造酒の製造が禁止され、人類との親密な交流を固く禁じられ、掟を破った場合には極刑が待っている。
そして人類の怨念を法典化した「密造酒を製造した人類は3日以内から殺害しても罪に問われない」という掟は、『ナチュレ』平民だけでなく、人類までも恐怖した。
財産も富もない、人類とのつながりのない、『ナチュレ』地下社会は文字通り物理的にも心理的にも静止した薄闇そのものであった。
過去には自由主義者の平民シオンが打ち出した自由市場経済・人類社会統合計画『シェルフリープラン』も存在していた。
この『シェルフリープラン』は貴族制度の廃止や人類との和解を全面に打ち出した革新的な政策であったが、貴族からの反発が凄まじく、ある日シオンは下級貴族フォークによって銃殺されてしまう。
そして、自由は暴力によって死んだ。
ブルムバッハは反対勢力を極刑の適用など、暴力的手法で弾圧し、誰も彼に逆らえなかった。
人類も何度か手を差し伸べたが、ブルムバッハの怒りは凄まじく爆破テロの実行、レジスタンス運動に協力した人類を地下で公開処刑するという鬼畜の所業に人類は恐れ、『ナチュレ』地下社会への干渉を断念した。
まさに閉鎖された薄闇であった。
そして、この薄闇は多くの餓死者や病気による衰弱や自殺など、多数の死者を出し、1816年を迎える。
地下の空気は息苦しい。
常に湿気を帯び、石炭の匂いと獣の体臭が混じり合っている。
米国・テキサス州のコミュニティ、『ギークランド』。
バラックで構成された地下居住空間、ネコ族の平民リナの耳には地上の風の音も届かない。
1816年8月のある日、リナにとって貢納の日であった。
彼女は夜通し縫い上げた粗末な麻布の衣類を重い木箱に詰めた。
本来、リナは刺繍が好きで、本当はいくつか作品を作りたかった。
しかし、この地下社会ではそんなことは許されず、彼女の創意と技術を貴族たちは認めなかった。
『ナチュレ』地下社会はブルムバッハを中心に、各コミュニティに貴族が任命するコミュニティの長が派遣される。
長は貴族だけでなく、平民も登用されることもあるが、実際は貴族の命令に従う名ばかりリーダーという見方もできる。
『ギークランド』は貴族が支配しており、ブルムバッハの甥っ子クロヴィスが統治している。
恐怖と統制、貴族が平民に支給したのは必要最低限度の食事・水・飲み物・衛生用品だけで、それらはコミュニティでシェアしながら慎ましく使用せざるを得なかった。
リナも歯がゆい思いを抱いていた。
だが貴族に楯突けば罪人扱いされ、その場で処刑が待っている。
それも『ナチュレ』憲兵による処刑は容赦のない複数人によるダブルバレルショットガンの一斉射撃が基本となっており、最悪自分がミンチになって下水に死体を投棄される可能性がある。
「これを納めれば配給は先月より増える。ただそれだけだ」
リナは歯がゆい思いを胸にしまって呟いた。
ブルムバッハにとって『富』の追求は『強欲』である。
ここには貨幣なんて便利なものもなく、貢納の労力と時間がかかる現物取引と貢納が基本になる経済システムがある。
リナにとって、貴族の巨大な胃袋を満たすために平民は存在しているようなものだった。
ー貢納所ー
貢納所もまた静止した薄闇のようだった。
やつれた『ナチュレ』の獣人・人魚たちが列をなしている。
誰もが虚ろな目をしており、未来を見ていない。
リナも貢納所にいる誰もが薄々感じていた。
貴族たちが常に無駄な調度品・嗜好品を要求しているが、それは地下経済の利益につながらず、『貴族の階級安定化』という腐敗した目的のために厳しい統制を強いていることを。
「なぜ我らは貨幣を持つことを許されないのか?」
リナの隣にいたウサギ族のおじいさんは抑えた声で嘆いた。
「もし貨幣があれば、地上のパンも買えた。衣類も自由に交換できた。だが貴族様は私有財産を『罪』だと断じた」
リナも内心思っていたことだが「おじいさん、憲兵が見ていますよ!」と小声で忠告した。
こんな発言、憲兵に知られたら、ダブルバレルショットガンの一斉射撃で鎮圧されてしまう。
でも本当はおじいさんの思いと同じであった。
個人の努力、ささやかな夢を根こそぎ奪う『貴族主義型管理経済』、自分の稼ぎで家を持つことも、子供に新しい絵本を買うことも、『個人の動機』という経済を動かす炎を彼は消した。
平民が貨幣を持ち、財産を築き、自由な交換によって力を得てしまうことを恐れたのかもしれない。
恐らくクロヴィスもそうだろう。
ブルムバッハもクロヴィスも、暴力によってトップに君臨している。
『レッセフェール(自由放任主義)』をガンと断じて、「人類との親密な交易を極刑」と定め、「人類が密造酒を製造していた場合、3日以内ならその人類を殺害しても罪に問われない」という怨念と蔑視に満ちた血の掟を正当化した。
地下の支配は、経済の非効率な運営と階級の分裂、純粋な暴力で塗り固められ、光のないディストピアだ。
この暗く、湿った貢納の列の先に光が見えるのだろうか?
静止した薄闇の中で「『ナチュレ』を救う」と謳ったブルムバッハの言葉には希望を感じられなかった。
いつか『ナチュレ』は人類ではなく、食料供給の行き詰まりと貴族の腐敗で、誰もがこの暗いシェルターから出ることはないかもしれない。
もしも同じネコ族のシオンが生きていたら・・・・・・。
リナにとって彼は希望の光であった。
地下政府の廃止、貨幣経済の移行、人類社会の統合、貴族制度の廃止、どれもが共感できた素晴らしい政策であった。
自由市場経済での暮らし、縫い師としての才能が正当に評価される社会、ダブルバレルショットガンの一斉射撃による悲劇とは無縁の富と希望が経済を動かす世界。
銃声が響いた。
だがそれは憲兵のダブルバレルショットガンによる一斉射撃ではなく、一発のマスケット銃らしき銃の音であった。
おじいさんはため息を吐いた。
「自由主義ゲリラか・・・・・・。憲兵に捕まりかけたのか・・・・・・。憲兵に殺されるくらいなら自決は懸命な判断かもしれんな」
リナは貢納の品が入った重い木箱を強く握りしめた。
銃声の響かない平和で開かれた世界に足を踏み入れることができる日を信じて。
リナは密かに『自由への想い』という私有財産を心の中に隠し持つことにした。
この日リナは、貢納品を納め、ナマズのペースト・ネズミ肉のペースト・有り合わせの食用キノコを最低1日分、飲み水を 1日分が支給された。
そして彼女は寝所へと戻る。
『ナチュレ』平民の寝所は共有部屋となっており、狭い箱のような寝所がずらりと並んでおり、仕切りのない開放的な粗末な造りであった。
食事を取りながらリナは祈る。
いつかブルムバッハの支配が終わり、自由と安全が約束される社会が来ますように・・・・・・。




