8 カタリナ/クロビス
* **カタリナ視点***
廊下に追い出されて、私は扉の前に立っていた。
隣にいるセシリアも、同じように立ち止まっている。
──待ってるのはお兄さまじゃなくて、クロビスでしょうに。
クロビス。
強請ればなんでも買ってくれる婚約者。財布としては悪くないわ。
けど、リチャードと違って、私の芝居はちっとも通じない。
涙声でセシリアの悪口を並べても、「そうか」と頷くだけで、信じなかった。
顔は嫌いじゃない。けど、あの全部を見抜いてる灰色の目が、気に入らない。
甘えても、微笑み一つくれない。手だって握らない。
──無愛想で、つまらない男。
でも金持ちだからいいの。恋愛はリチャードとすればいい話。
……そう割り切っていた。
なのに突然「婚約破棄」だなんて。
ツケで買ったって同じでしょう? どうせ私のお金になるのに。
まあ、いいわ。婚約なんてなくなっても痛くない。リチャードがいるんだから。
そのリチャードを奪った憎らしいセシリア。うるさいだけの女。
──消してやろうと、ずっと思ってた。
毒も手に入れた。けど、セシリアはもう追い出される。殺す手間なんていらない。
本当に消すべきはクロビスだった。
突然死に見せかける薬を入れてやった。
今ごろ、毒入りコーヒーで心臓が悲鳴を上げてる頃よ。
……なのに、セシリアは着飾って得意げに立ってる。
その姿が、余計に腹立たしい。
──クロビスを誘惑したんでしょう?
でも、残念ね。
もうすぐ貴女のクロビスはいなくなるのよ、セシリア。
昨夜はリチャードに睡眠薬を盛って、私のもとに戻らせた。
あなたは実家に帰ればいいわ。命だけは残してあげる。
……それにしても、早く立ち去らなきゃ。
リチャード、何をぐずぐずしているのよ。
焦りを隠しながら、私は閉じられた扉をじっと睨み続けた。
** クロビス視点**
愚かだ。
リチャード……君は本当に愚かだ。
私が最初に心を奪われたのはセシリアだった。
ビルア男爵家の店は父が長く贔屓にしていた。
たまたま店先で彼女を見かけた私は、セシリアをカタリナだと勘違いしたのだ。
「──あのご令嬢は誰だ?」
あの日、部下に尋ねた。
「ご令嬢?……ああ、ビルア男爵家のカタリナ嬢でございましょう」
そう告げられた瞬間、私は恋に落ちた。紅い髪の、活発そうな令嬢に。
だが現れたのは、十八の幼さを隠しきれないカタリナだった。
部下は間違っていなかった。セシリアは既婚の身、男爵夫人だったのだから。
悔やんでも仕方ない。親の願いで身を固めようと思っていた私は、彼女の姪なら問題はないと考えた。
そのうえで、改めてビルア家を調査した。
結果──ビルア家の内情は散々だった。
カタリナに至っては叔父に執着し、恋人から毒を入手しようとするほどの危険な娘だった。
あのとき決意した。セシリアを守る、と。
だからこそ、問題を抱えたカタリナと婚約した。
あの日の雨を、忘れない。
濡れたセシリアを見つけ、毛布をかけたとき。
――やっと守れたと、胸をなで下ろした。
……そして今に至る。
ビルア男爵家に求める賠償金は、普通なら莫大な額だ。
でも伯爵家にとっては……些細な金額にすぎない。
項垂れるリチャード、もう崩れるのは時間の問題だ。
「リチャード殿。婚約破棄の同意書にサインを」
ペンを差し出した。
「……っ」
唸るような声。だが抵抗はない。追い詰められた男の呼吸音だけが響いた。
やがて震える手で署名する。
──だが、本題はここからだ。
「貴方にチャンスを差し上げよう」
「……チャンス?」
「ええ。セシリアとの婚姻を終わらせる。それだけでいい」
差し出した離縁状にリチャードの顔が苦痛に歪み……彼は椅子を蹴り立ち上がった。
「ふざけるな! 俺は悪くない! 全部、セシリアとお前のせいだ!」
荒い息で怒鳴りだす。
「離縁だと? 勝手なこと言うな! セシリアは……セシリアは、俺の妻なんだぞ!」
「妻、ですか……ならば、なぜ姪を抱いた」
リチャードの顔が真っ赤に染まり、口をぱくぱくと動かす。
言い訳を探しているが、何一つ出てこない。
「だ、黙れ! お前が……お前がセシリアを誘惑したんだ! 夜ごと密会して、俺を裏切っていたんだろう!」
「証拠を」私は一言で遮った。
「ぐっ……」
声が詰まった。
荒々しい息だけが、部屋に響く。
やがて彼は崩れるように椅子に戻り、震える手でペンを握った。
「離婚だ……もういい……!」
ペン先が紙を走る音。
夫という──最大の障害が、消えた。
「言っておきますが、彼女とはそういう仲ではありません」
「貴様っ! 今さら信じられるか!」
「嘘ではない。ただ、欲が無かったと言えば嘘になる。だが夫人は関係ない。……ずっと、私の片思いだった」
リチャードは唇を噛み、強く握った拳を震わせた。
「慰謝料は請求しない。ただ、カタリナ嬢がツケで散財した分は返していただきたい」
「はぁ? 慰謝料をもらうのはこっちだ! お互い様だろう!」
彼は子どものようにわめく。
私は確認済みの書類を重ね、冷静に告げた。
「そう思うなら、確かな証拠を揃えてから言うことですね」
そして、冷めきったコーヒーに手を伸ばした。
――すべては計画通りに。
読んで頂いて有難うございました。




