7 リチャード/ セシリア(クロビスの想い)
初めてセシリアに出会ったのは、ガラス工房だった。
彼女は動きやすいシンプルなドレス姿で、赤毛をひとまとめにして、化粧っ気もなく……ただひたすらにガラス細工づくりに没頭していた。
──その姿に惹かれたんだった。
結婚してからも、そのシンプルな姿が当たり前だと思っていた。
当たり前すぎて、俺は何も見えていなかった。
「セシリア……」
妻なのに。俺が守るはずだったのに。
どうして今、こんなにも遠くに見えるんだ。
「なーんだ、そういうこと!」
唐突にカタリナが声を張り上げ、クロビスを指さした。
「不貞を犯したのはクロビス様も同じだったんだわ。二人は付き合ってたんでしょ!」
「そんな事実はない」
「じゃあ、なんでセシリアがここにいるのよ! 綺麗に着飾って、不倫してたんでしょう!」
クロビスとセシリアが一瞬視線を交わしただけで、嫉妬なのか怒りなのか、胸の奥が焼けるように熱くなった。
「まさか……そうなのか? セシリア、おまえ……俺を裏切っていたのか?」
「そうやって、いつまでもカタリナの言葉を鵜呑みにして……だからあなたは破滅したのよ」
一瞬で熱くなっていた胸が冷えた。
「そうだ……すまない……かつて俺は、間違ってた。でも何で、おまえはここにいるんだよ?」
彼女に近づこうとすると、背後からカタリナが俺の上着を掴んで引き留める。
「リチャード兄さまは、私と結婚するの。昨夜は、私たち結ばれたんだから!」
部屋の空気が凍りついた。
セシリアの目が見開かれる。
沈黙を破ったのはクロビスだった。
「リチャード殿。……二人だけで話しましょう」
そう言って、セシリアとカタリナは部屋から出された。
扉の向こうで、カタリナの声が響いている。
「いやよ! 帰るんだから、離してよ!」
もう「後悔」なんて言葉で片づけられる状況じゃなかった。
──大丈夫だ、カタリナ。お前を守る。
このとき、やっと俺は冷静さを取り戻した。
店を潰す訳にはいかない。家族の生活も俺にかかっている。
クロビス、今、決着をつけてやる。
* * *
廊下に出た途端、甲高い声が私の耳を刺す──カタリナだ。
「大人しそうな顔して、まさか不倫してたなんてね!」
「違うわ。雨の中で放り出されて、伯爵に拾われただけ。リチャードは探しにも来なかった。それに、あなたも同じ。嘘ばかりついて……なんて非情な家族なのかしら」
「家族? 初めからあんたを家族だなんて思ったことないわ。ただの、都合のいい無給の使用人よ」
──もういい。
本当は言いたいことが山ほどある。けれど、何をぶつけても、届く気がしなかった。
不倫などしていない。だけど、クロビス様への思いは、もはや言葉で説明できないほど複雑だ。
──今朝のことを思い出す。
彼が私に差し出した一枚の紙。
離婚届。
「リチャードがこれに同意すれば、貴女の望みを……叶えます」
「……どういう意味ですか? 遊びのつもりなんですか?」
「いえ、セシリア、私は……」
彼は口をつぐみ、表情は相変わらず無機質だ。
「伯爵さま、続きをお聞かせください」
「……私は幼いころから、感情が欠落していると言われて育ちました」
「そんなこと、ないと思います」
確かに顔に感情を出さないけれど、だからといって本当に欠落しているとは思えない。
「思いやりも、愛も、無縁でした。でも、問題なく生きてこられた」
「カタリナに求婚したじゃないですか。愛があったんですよね?」
「全くありません」
クロビス様は、きっぱりと否定した。
「じゃあ……どうして」
「努力はした。でも無理だった。だから、これしか方法が思いつかなかった」
「……その方法が、離婚届ですか? 私の望みを叶えるために?」
「そうです。あの日、貴女を見かけてから……自分が分からなくなった」
彼の声には熱がこもり、感情のない人間のものとは思えなかった。
「わ……私は、リチャードの妻です」
「分かっています。でも、これだけは……私は彼よりも、貴女を幸福にできます」
──その言葉は、紛れもない愛の告白だった。
「リチャード殿を呼び寄せました。セシリア、よく考えてください」
それから、どうすればいいのか、ずっと悩んでいる。
クロビス様とリチャードは今、どんな話をしているのだろう。
夫は離婚に応じたのか。
隣では、カタリナでさえ祈るように扉を見つめ、その顔には焦りが滲む。
「お待ちする間、あちらのお部屋へどうぞ」
執事の声が聞こえても、鎖に絡まれたように体は動かなかった。
読んで頂いて有難うございました。




