3 セシリア・追放
クロビス様から渡された外出記録をたどり、私は馬車で街外れに出た。
目的地は小さなカフェ。庶民的で、騒がしい。貴族令嬢が一人で訪れるような場所ではない。
中を覗いた瞬間、心臓が大きく跳ねた。
――いた。カタリナ。
向かいに座っているのは、派手な服を着た若い遊び人風の男。
彼女の指先に、ためらいなく口づけを落としている。
私は帽子を深くかぶり、息を殺して耳を澄ませた。
「……やっぱり、兄さまは私だけのもの。クロビス様はお財布。可愛い私を愛してるから、何をしても許してくれるの」
子どものように甘ったるい声。
だがその掌に押し込んでいるのは、金貨の詰まった包み。
「これで例の品を。あの女……いつまでも兄さまの奥さんにしておかないわ」
頭の芯が痺れる。
私に向けられた敵意。クロビス様を裏切る言葉。
事実はすべて、ここにある。
――でも、夫に話して信じてもらえるだろうか。
あの人は、姪の涙しか信じないのに。
店を離れようとしたとき、背後から声がした。
「……見ましたか?」
振り向くと、やはりクロビス様が立っていた。無表情で。
「これで、あなたも覚悟が決まったはずです」
「……ええ。夫に話します」
「信じてもらえると、いいですね」
それは、リチャードはあなたの味方にはならない――そう告げているようだった。
別れ際、彼は一歩近づき、囁いた。
「夫人はご存じですか。この国では――叔姪婚が認められていることを」
その言葉は呪いのように私の耳にこびりついた。
夫が「無邪気」と呼ぶ姪の瞳は、もう大人の女の目だ。
「例の品」とは何か。
――いつか私は、カタリナに命を奪われるかもしれない。そんな恐怖が胸に渦巻いた。
夜。寝室で夫を待つ。
暖炉がパチッと音を立て、火の粉が弾ける。
その静けさの中、リチャードが帰ってきた。
「まだ寝ていなかったのか?」
疲れた顔でベッドに腰を下ろす。
「あなたに……話があります」
私はクロビス様から渡された外出記録と、密会相手の姿絵をベッドの上に置いた。
リチャードの眉がぴくりと動いた。
「これは……?」
「カタリナが、婚約者以外の男と会っていました。しかも、私を貶める品を買わせて――」
言い終える前に、彼の手が書類を乱暴に掴む。
「……君は、どこまで冷酷なんだ」
「冷酷……?」
「カタリナを追い詰めて、何になる? こんな偽装、君が嫉妬から仕組んだことだろう!」
偽装? 嫉妬? この人は……私の何を見てきたのだろう。
「私は真実を――」
「黙れ!」
怒鳴り声が寝室を震わせた。
「カタリナはずっと苦しんでいるんだ。クロビスに虐げられ、耐えている。君はそれを嘘だと言うのか?」
「ええ、その証拠がここに――」
「嘘をつくな!」
リチャードは紙を握りつぶし、暖炉の炎に放り込んだ。
真実は、灰になった。
それは同時に、夫婦の絆までも焼き尽くした。
「今は……お前の顔すら見たくない」
その一言で、私の心は凍りついた。
そして彼は寝室を出て行った。行き先は――カタリナの部屋だろう。
私はただ、声もなく涙を流した。
結婚して以来、初めての涙だった。
そして深く悟った。――もう、私たち夫婦は終わりなのだと。
* * *
数日後。
外は雨、重たい空気が屋敷を覆っていた。
あれ以来、夫とは一言も交わしていない。
カタリナだけが微笑み、私は憂鬱な日を過ごしていた。
夕暮れ。エントランスが騒がしくなり、泣き声が響く。
――カタリナだ。
「兄さま……お願い、もう限界なの……!」
覗くと、リチャードの胸にすがりつく彼女の姿。
赤く腫れた頬。震える肩。
「義姉さまが……私の悪口をクロビス様に言いふらしたの。それでクロビス様が怒って、私を殴ったの……」
私は一言も悪口など言っていない。
けれど夫は、姪の涙だけを信じる人だ。
「セシリア!」
呼ばれ、姿を現した瞬間、夫の手が私の頬を打った。
「これは当然の罰だ!」
衝撃に言葉を失う。
「リチャード、私は――」
「もういい! 今すぐこの家から出て行け!」
カタリナが彼に抱きつき、安堵の息をもらす。
その姿に、夫は優しく腕を回した。
私がかつて愛した人は、もうどこにもいなかった。
「どこへ行けと……?」
「実家に戻れ。頭を冷やすんだ」
「離婚ですか?」
「それも視野に入れておけ。悪いのはお前だ!」
その言葉を最後に、私は雨の中へと追い出された。
――こうして、私は何もかも失った。
愛も、家も、信頼も。
残ったのは、カタリナの勝ち誇った笑みだけだった。
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