ヰ99 収束
2階への階段を駆け昇る設楽居海人は、
愛・不穏で乙女淹れの位置を確認した後、躊躇いがちに妹へ電話をかけてみようとした。
………。
………いや、やっぱりやめておこう。むつは丁度、音出しの最中かもしれないし……。
海人は、乙女淹れに並ぶ行列を見て、すぐにそこに妹の姿がないことを確認していた。
さて。じゃあここで待つとするか。……それにしても女性の方は凄い行列なんだな。
これが噂に聞く男女ン音入れ格差というやつか……。
睦美も大変だな。
……それにしても……まあ、なんだ。こういった待ち時間の不平等を解消する為に、何か建設的なプランはないものなのかな……。
いつしか設楽居海人は、壁によりかかって腕を組み、つらつらとそんなことを考え始めていた。
……列に並ぶ人数から見て、単純に女子音入れの数を増やすという解決策だけでは、無理がある気がする。商業施設側も、売場面積を縮小して女子音入れの面積を増やすことにメリットは少ないと思われるしな。
ああ、だから海外では有料音入れが多いのかな?でもあれはすこぶる評判が悪いと聞く。入場料に関しては言わずもがな、音入れットペーパーでさえ販売機で購入しなければならない国もあると聞く。
海人は顔を上げ、
海外から来た観光客達が、鈍器法廷の品揃えに驚きながら買い物をしている姿を見て、
あることを思い付いていた。
……そうだ。いっそ海外観光客向けに、日本の最新音入れを体験出来るテーマパークを作ってみたらどうだろう……。各メーカーの最新型を試せるだけでなく、試作品や、……過去の音入れの歴史を体験出来るスペースも設けたら面白いんじゃないか?
そうなってくると色々な展示が考えられるぞ……縄文時代の音入れ。江戸時代の音入れ。農村の音入れ。キッズスペースでは可愛らしいおまるを貸し出して、記念撮影なんかをするのも盛り上がりそうだな……携帯音入れの移り変わりみたいなものも面白そうだ……。
ならいっそのことお互いの性別の理解を深める為、展示スペースで、男子音入れ、女子音入れを両方見て回れるようにしたらいいんじゃないかな。
アハハ…これは、日本が誇る音入れ文化を発信する、話題のスポットになりそうだぞ……。だったら世界の音入れコーナーもあっていいかもな……アハハ……
……て、格差の話はどこへ行ったんだ……。まあ、音入れに対する人々の理解が深まれば、より女子音入れの行列問題にも皆が真剣に取り組むようになるのではないだろうか?
その間、設楽居海人は、考えごとに夢中になっている時の癖で、
声にならない無言の言葉で、ぶつぶつと唇を動かして喋っていた。
………。
……。
…。
「おにいさん。……今のお話、とても感銘を受けました……」
「はい??!」海人はビックリして危うく飛び上がるところだった。
いつの間にか彼の目の前には、ピンクロリータ服に身を固めた小柄な少女が立っている。
「……失礼ながら唇を読ませていただきました。…音入れ博物館ですか……その発想はなかった……。さすが救世主候補。なるほど。ネルネ様が貴方を欲しがる理由が何となく分かりました。貴方は卓越した金儲けの才もお持ちのようですね……しかし、その根っこにあったのは、あくまで女子を助けようという博愛精神。今の計画は我が主も、興味を惹かれることでしょう。」
「ちょ、ちょっと待って!唇を読んだって……君は忍者かなにかか?!」
「……お見逸れいたしました……そこまで見抜かれているとは……。ただし、最終試験は行わせていただきます。念のためです。悪く思わないでください。」
ピンク忍者、五十嵐葉南は海人の前に立つと、
……ドピュッと、両手で包装されたチョコレートを突き出した。
「はい??!」と海人が大きな声を出す。
「……好きです。お兄さん!ボク、まだ小学生だけど、……付き合ってくダサい!!」
「What?!」
海人は目を白黒させて、「Are you serious?」と叫んだ。
海人は一瞬、差し出されたチョコを受け取ろうと手を伸ばしたが……「いやいや、待て待て待て……」と言って腕を引っ込めた。
葉南の目が光る。
「ちょっと待って……意味がわからないよ。なんで見ず知らずの君がいきなり僕にチョコをくれるんだ?……きみ、初対面、だよね?」
「いいえ。前に一度お会いしたことがありますよ。……いつぞやは、風邪で熱を出して倒れたボクを、貴方は介抱してくださいました。ボクはあの時の全能研の小学生です。」
「なんと??!」と海人は仰け反って一歩後ろへ下がった。
「……あの時の……?!いやあ、心配してたよ。で、でも、まあ、なんて言うの?あの時は真面目な優等生風だったけど、……今は、その…凄くお洒落な格好だね………」
「ありがとうございます。これはロリータファッションと言います。フリフリでロリロリなボクに……すりすりしたいですか、恋態?」と少女は、無理矢理大きく見開いたくりくりの瞳をこちらに向けてきた。
「い、いや、別に……。で、君はあれかい?あの時のお礼か何かのつもりでチョコを僕にくれようとしてるのかな?……それなら、全然気を遣わなくていいんだよ。僕は年長者として当然のことをしたまでだから。……まあ、でもあれだな……女の子ってのは服装だけでこうも印象が変わるものなんだね。正直驚いたよ。
………ところで、さっきから君、自分のことを『ボク』って言ってるけどさ……その、君は女の子で間違いないんだよね……あ、ゴメン。最近そういうのデリケートだから、……念のため。」
葉南は心の中で『……来た!』と思い、すかさず「おにいさん。ボク今困っているんです。」と言った。
「な、なんだい?」
「…実はボク、俗に言う『男の娘』なんです!」
「…………」
「お兄さん?相談があります!ボクは男子音入れと、女子音入れ、どっちを使った方がいいと思いますか??」
「……それ、俺に聞いてどうするの……。」
****************
その少し前、
向井蓮は、いったん設楽居海人を追おうと、2階への階段を登りかけたが、
やはり思い直して鈍器の出口の方へ向かっていた。
…豊子キッズの動きが気になる。
……正直悪い予感がする。キッズと設楽居海人さんを接触させてはいけない気がする。
蓮は、愛・不穏をポケットから取り出すと、赤穂時雨に電話をかけ始めた。
『………おかけになった電話番号は、電源が入っていないか…電波の届かないところにおります……』
あれ?圏外?この新宿のど真ん中で?
蓮は発信を切ると、鈍器法廷裏の道に入り、すぐ横にある豊子キッズビルを見上げていた。彼は1人で、うんと頷くと、
エントランスに入っていく。…すると急激にスマホの電波が弱くなるのが確認出来た。
……ここか。
どうやら時雨ちゃんは何かの理由でここに入っていったようだな。
……と、いうことは睦美ちゃんもここにいるのかな?
蓮はシミ一つない白い顔を、更に蒼冷めさせながら、オートロックの操作盤を睨んだ。
…と、ぶ厚いガラス戸に遮られたエレベーターホール側から空気の振動する気配を感じ、
ガタン。と機械の停止する音と共に、ベージュ色の昇降機の扉が開いていくのが見えた。
蓮は咄嗟に、消火器の置かれた廊下の角に身を隠した。
……中からどやどやと人の群れが出てくる。
最初に出てきたのは金髪プリンの革ジャン男で、彼は左右を注意深く見渡すと扉を押さえ、
すぐに後ろから出てきた白ロリータ服のねりけしちゃんをエスコートした。
彼女は蛇の巻き付いた派手な松葉杖を突いていて、次にその後ろから時雨が現れる。……何だか不機嫌そうだ。
蓮は、睦美の姿を確認しようと、物陰から首を伸ばした。
ん?………んんん??
最後にエレベーターから現れたのは、水色のカツラを被った女子。
彼女は、チアリーダーのようなノースリーブのシェルトップを着ていて、Vネック部分の赤いストライプ辺りで、肩に掛けた白いマントを指で掴んでいる。
下はピチピチの短パン。
股部分の布は、黄色いビキニのようなデザインになっており、
彼女はしきりにそこを隠すように、もう片方の手でマントの裾を前に引っ張っていた。
む、む、む、むつみちゃん?!??
蓮は驚きを通り越して、口をぽかあんと開けたまま彼女のコスプレ姿を見つめていた。
「お前!そこで何をしている!!」
鋭い声がして、あっと言う間に蓮は後ろから腕を捻り上げられて、
ネルネ達の前に連行されていた。
「……あら、ゴキげんよー。誰かと思ったら預言者ボーイじゃない?どうしたの??」と、ネルネが偉そうに言う。
ネルネの足元に跪かされた蓮は、首を後ろから押さえられながら、豊子キッズのボスを睨み上げた。
「おつう?もういいわ、そろそろ離してあげなさい。」ネルネはそう言うと、「苦しゅうない」とでも言うように杖の先端で、鶴子の手をそっと叩き、
美少年を立たせた。
振り返った蓮が、鶴子の姿を見て目を見開く。
「お、お、尾刀水鳥??お、お前、実在したのか??」
……次に蓮は時雨の後ろに隠れた設楽居睦美に向かって「えーっと睦美ちゃん?………ソレ、ダレかな……?」と呟いた。
「は?白徒州 霊紋でしょうが……」と睦美が答える。
「ええ?!いや、た、確かに。その格好は白徒州 霊紋だ……間違いない。し、しかし、その垢抜けない(褒め言葉)感じは……本当に白徒州 霊紋か?それ……」
ぶわっはっはっは………と、ネルネが大笑いし、
時雨が、「さ、蓮くん?もう行きましょ?用は済んだわ。早くデートの続きをしましょ?」と、興味なさそうな顔で言った。
時雨がそのままビルの外に出ようと歩き出すと、
通りから正面玄関に人影が進み出てきて、彼女とぶつかりそうになる。
「おおっと……」と背の高い人影が叫び、素早く脇によけた。
「あら、お帰り。葉南?その人が救世主なの?」とネルネが言う。
いつの間にかネルネの横に跪いていたピンクロリータ少女が、「……はい。おそらくそうかと。先ほど2人で仲良く立証してまいりましたが、戸惑いはあれど、彼側には特に生体反応等はありませんでした。」と言った。
「え?それホント?!あなた達、私が出題したコラッツ予想を証明出来たの??ウソでしょ??後で教えて!」とネルネが驚いて叫ぶ。
「……ん?」と設楽居海人が蓮の顔を見つけて「お、おい?!そこの少年??何故ここにいる??順番取りはどうしたんだ?」と言った。「あ、マズイ」「て、言うか……こっちの音入れに睦美がいると聞いたから来てみれば……そこにいるのはむつか??な、なんなんだその格好は?!お前いつから白徒州 霊紋推しになったんだ?!」
「さすがお兄ちゃん、分かる?私どっからどー見ても霊紋ちゃんよね!…さすおに!スサノオ、ヤマタノオロチ!!」「……その言い回し、水鳥のだから………」
そう言いながら海人は、ある一点を見据えると、
あわわわわわ………と口をモゴモゴとさせた。
「お、お、お、尾刀水鳥……!?お、お前、実在してたのか??」
「私も実在してるよ、お兄ちゃん♡」
海人は妹を無視して、わなわなと肩を震わせながら、コスプレをした難波鶴子に近付いていった。
その様子を見ていたネルネが、
「気に入った?その子、豊子キッズのナンバーツーよ?その母音な見た目から想像出来るように、勉強はからっきしダメだから、救世主?貴方がつきっきりで手トリス足トリス教えてあげてね!」と言い、無事な方の右手で、
PON!と海人の肩を叩いた。
……… その瞬間………
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
向井蓮の前で、真っ白な光が弾けた。
そのまま蓮は暗闇の中を落ちていき、
天と地がどちらかわからない無音の空間を、体に風だけを受けながら、きりもみしながら空に向かって落下していった。
そして果てしない時間が流れ、
一瞬の記憶が、永遠に忘れ去られ、
思い出は未来になり、復習は予習になり、予習は復習になった………。
ガタン!!
蓮はお尻から固い板の上に落ち、
ハッと目を覚ますと、見慣れた教室の風景と黒板を見ていた。
………。
ここは………、
6年2組の教室…………か?
あれ?さっきまで僕は新宿の豊子キッズビルにいたはずじゃ……。
意識がハッキリとしてくると、蓮は自分が窓際の一番後ろの席に座っていることに気付く。
あれ、ヤバ、ここ時雨ちゃんの席だ………。
ん?
んん?
机の中に手を入れて、触れたものを見ると、それは蓮の筆箱だった。
待って、どういうこと?……時雨ちゃんはどこだ??
蓮は教室を見回し、時雨らしい生徒が何処にもいないことに気付く。
え?睦美ちゃんは?!
ハッとして、蓮は前の方の席を見、背中を丸めた設楽居睦美がボンヤリと虚空を睨んでいる姿を捉えた。
まさか……まさか…………。この教室は……僕は………そうだ……僕はここを知っている。この景色は………1周目の世界だ……。
……れ、歴史改変が修正された??
まさか、元通りの歴史に戻されたというのか??
そんな……バカな………。
「センセー!!」と、女子生徒の1人が発言を求めて手を挙げる。
「橋本さんが才ツッ⊃モラ=/ちゃいましたー」
「え?また?あなた達いい加減にしなさいよ??」と担任の廣川満里奈が苛々としながら呟いた。
三浦詩が、隣に座る近藤夢子に向かって「バカね……意地を張らずに科特部の闇オムレツを購入しておけば、こんなことにはならなかったのに……」と言うと、斜め前で俯く女子生徒を顎で差し示し、馬鹿にしたようにフンと笑った。
……そ、そうか……思い出したぞ……この世界線では、睦美ちゃんのテロにより、女子音入れは全て詰まらされて壊滅状態。
それにより男子音入れが女子にも解放されて、地獄のSDGsが実現されていたんだった……。
当然、女子の多くは音入れを使用するのを躊躇い、こうやって毎週のように誰かが授業中にモラ=/ていたのだ。
……なんてことだ……。
設楽居海人と豊子キッズを接触させてしまったばかりに……。全てが水の泡だ………。
前方の席に座る女子の足元に出来た水溜まりは、その中央が微かに泡立っているように見えた。
そして向井蓮は、机の上で拳をギュッと握り、……クソ!すぐにでも新宿に戻り、睦美ちゃんのお兄さんを奪還しなければ!!
と、血が滲むまで唇を強く噛み、机をドン!と叩いた。
『convergence』




