ヰ94 それぞれの決意
「お早う!」
意気揚々とした様子の設楽居海人が、妹の顔を見て笑う。
軽く化粧をして、若干失敗したような眉の睦美が、ポッと頬を赤らめて「お兄ちゃん……」と可愛い声を出した。
「いよいよ今日の日を迎え、我々は封印を解く時が来た!」と海人は言い、自分の愛・不穏をスチャッと取り出した。
「さあ!ここ最近全くログインしていなかったから、施設の狼人は全員孤独死してる頃だぞ……。あいつらを転生させたらどれだけ強くなることか……。未払い年金も溜まっているだろうから、ガチャも引けるぞ!さあて楽しくなってきたな!睦美、お前のガチャ運に頼らせてもらうぞ!宜しくな!」
「……ま、任せて」と睦美は言い、幸せそうにニッコリと微笑みを返した。
「なになに~、なんのお話し~?ママちゃんにも教えてー」と、彼らの母、設楽居花織が元祖ピコちゃんスマイルをしながら首を突っ込んでくる。
「…お母さんはいいの!あっち行ってて!!今日は1日お兄ちゃんとデートなの!!お母さんは、お父さんとデートでもしてて!折角のバレンタインでしょ?!どーぞ、どーぞ、夫婦仲良くお出掛けでも、自宅監禁でも、お好きなようにしてください!おじゃま虫は消えますので!」と睦美が勝ちほこったように叫ぶと、
花織は「……ちぇ~~、むーちゃんのイジワル~、海人くんはママを仲間外れにしないよねー??」と息子の肩に甘えてきた。
「…いや、ごめん、母さん。今日はちょっと……。睦美と新宿に行く約束をしてるから……」と海人がすまなそうに答える。
「はい、残念でしたあ~」と睦美が嬉しそうに言い、「はい、向こう行ってくださーい」と手でしっしっ、とやる。
「むーちゃん!!ママ怒るわよ!」と花織は腕を立派なお無念の前で組み、プンプン!と頬を膨らませて見せた。
「……むーちゃんがそういうつもりなら……ママにだって考えがあります!」「な、なによ?」
「ジャジャーン!今年最初のチョコはママがあげま~~す!海人くんの“初めて"を、ママちゃんゲットだぜーー!」「あ、ズル~い!!」
咄嗟の睦美の妨害も虚しく、息子の目の前に両手でドビュッ!と突き出されたハート型のチョコを、海人は「あ、ありがとう……」と言って受け取った。
「……て、これホントに心臓型なんだな……静脈はミントチョコ、動脈はラズベリーチョコ、心臓本体はストロベリーかな?かなりリアルだね」
「でしょでしょ?これ心房や心室もあるのよ?海人くん、こーいうの好きでしょ。」
「ああ、好きだよ。ありがとう母さん。嬉しいよ。」
オッホッホ……と花織は頬に手の甲を立てながら、流し目で娘のことを見下すように見つめた。
「……クッ」と睦美は悔しそうに唇を噛み、
「見てなさいよ………今日のオオトリは私。1日の最後に目にもの見せてくれるわ……」と呟いた。
その時、『ピンポーン』と玄関でチャイムが鳴り、
「は~~い」と、エプロンの紐を後ろでほどきながら花織が、トタトタトタ……とスリッパを軽く引き摺りながらダイニングを出ていく。
感心したようにピンク色の心臓を眺める海人を苛々としながら見つめる睦美は、
「むーちゃ~ん、お友達よぉ~」という声を聞いて「なによ?」と不機嫌そうに立ち上がった。
海人も「ん?」と反応し、妹を見上げる。
「……おい、むつ?ひょ、ひょっとして、学校の男の子からアタックしに来たんじゃないか??」
睦美は一瞬キョトン、とした顔をして、……次に急にニマァ~~と笑うと
「あら、兄上??それはもしかすると嫉妬かしら??おほほ……ダイジョーブよお兄ちゃん?冷静になって……バレンタインデーは女の子からあげるものよ。男子からアタックするものではないわ……あの転校生や謎の相撲男子なんて、私の眼中にはないから安心して!もーー!嫉妬深い兄を持つと大変だわ~」
と、上機嫌になった睦美は、ルンルン♪と下手くそなスキップをしながら廊下へ出ていった。
……玄関には、白いコートを着た少女が立っていて、
睦美の顔を見ると、恥ずかしそうに「お早う」とだけ言った。
「あら?ウタ?お早う、どったの?こんなに朝早く。」
声をかけられた三浦詩は、お出掛けお洒落をした睦美を眩しそうに見つめ、……ダサい虹色のイヤリングと、太めに引かれた眉毛を見て……解釈一致だわあ……と心の中で考えていた。
「あ、あの……ハ、ハッピーバレンタイン!!」と詩は微かに上ずった声で言い、手に持っていた紙袋を、手袋をした手でドピュッと差し出した。
「……あ、そっか。毎年アリガト。ああ、そう言えば今年のバレンタインは土曜日だったもんね。月曜日でも良かったのに……。ウタごめんね。あなたの分は今日のお出掛けで買う予定だったの。帰りに寄るわ。」
……多分、兄上は特典欲しさに、複数個買うだろうから、チョコは大量に余ることが期待されるのよね……そこからウタとめいずちゃんの分を渡せばオーケーなはず。……私のほぼ全財産は、兄上へのチョコに費やしてしまったわ……。後は今日の行き帰りの電車賃しか残っていないのよ……。
「そう。じゃあ睦美、楽しみにしてるわね!」と言って、詩は帰っていった。
睦美はダイニングに戻ってくると、テーブルの上に紙袋を置き、すぐに海人の方へ向き直った。
「さ、お兄ちゃん!早く朝ごはんを食べて出掛けましょ!アプリは電車の中でゆぅっっくり遊びましょ!」
「ああ、そうだな。」
「今日は待ちに待った新宿鈍器法廷の呆痴決起!思う存分、呆痴彼女の限定チョコを買い占めましょ!リアルでお兄ちゃんにチョコをくれる人はお母さんと私だけだもんね~。」
……にしし…と、睦美は口を押さえて笑い、「おにーちゃん、かわいそーー」と涙を流した。
海人はふと、木下藤子の顔が、一瞬脳裏をよぎったが……、
……いや、去年もくれなかったしな。木下とはそういうんじゃないよな……、と考えていた。
「お兄ちゃんのおかげで小テストはばっちりだったし、今日は思いっきり楽しめるね!」と睦美が言う。
「……ああ、むつは、よく頑張ったよ。うちの定期テストはあと少し先だけど…今日くらいは羽を伸ばしてもバチは当たらないよな!」「あ~~楽しみ!!新宿の鈍器って言えば、豊子キッズとか見れるかもしれないね!」
「あんまり、ジロジロ見たりするなよ……目的はチョコだからな……」
設楽居海人はそう言うと、パンを牛乳で流し込んだ。
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駅前のファッチンで待ち合わせをしていた向井蓮と赤穂時雨は、朝食を一緒に取りながら、今日1日の計画を立てていた。
「時雨ちゃん、今日はね。」と蓮が言う。
「鈍器法廷に行きたいんだ。」「ええ、いいわよ。」と時雨がニコニコしながら答える。
「ときに時雨ちゃん?」「なあに?」と韓流から逆輸入したY2Kファッションを巧みに着こなした…と思われる…シヴァ神の腹の上で踊る破壊神カーリーヘアの少女は、微笑みながらテーブルに肘をついた。
「最近もねりけしちゃんと連絡を取り合ってるの?」と、美少年蓮が長い睫毛の影を、頬に落としながら言う。
「えーー蓮くんはどーしてそーかな~、私というガールフレンドを目の前にして、躊躇なく他の女の子の話をするんだから~。今日は蓮くんと私のバレンタインデート!蓮くんクラスならチョコを100個くらい貰えるのかも知れないけどさ……だいたいデートに誘ってくれたのは蓮くんの方なんだからね?!」
「あ、いや、ごめんね。……豊子キッズのことが気になってさ。ほら、憶えてる?あの金髪の革ジャン男とか、時雨ちゃんに色目を使ってただろ。」
時雨が、パア~~~と満面の笑みで嬉しそうな顔をして、「え?え?気になる?私が他の男に声をかけられたりしたら気になる??」と、ウキウキした様子で前のめりに近寄ってきた。ボーダーのセーターにクロップド丈のパンツ。厚底ブーツ、カラフルなコーディネイト。
「まあ、そうだね。……うん、気になるかな。豊子キッズが、少しでも僕らに関わってくるのは……、正直気に食わないな。」
「そーですか、そーですか!」時雨がうふふと笑う。「あの金髪とか、しょーじき木又しちゃっていーから!!」
「おいおい…物騒だな……。」と蓮は言い、「……で、ねりけしちゃんとは連絡取ってるの?」ともう一度聞いた。
「たまにね。」と時雨が答える。「なんか向こうから何度か向井くんのことを聞いてきたことがあるよ。あの子、年上みたいだけど、向井くんの魅力には抵抗出来ないようね。安心して!ちゃんと私が恋人であることをアピールしておいてあげたから!」
「……そりゃどうも……。でも僕らは恋人じゃないだろ?」
「……まあ、残念ながら今はそうね。……でも今日はバレンタインよ!今日が終わるまでに蓮くんは私になびくような気がしてるの!」
「そ、そうかい……?僕が睦美ちゃんのこと好きなの知ってる……?」
「うはっ?!は、はっきりそう言われるとショックだけど………、蓮くん?正直、向こうはあなたに興味ないみたいよ?」と時雨は言い、「だから私にもチャンスはあると思うの。」とこちらを真っ直ぐ見つめてきた。
「まあ、いいや。そもそも君は1周目にはいなかったし……。正直、君がここに存在しているという事実そのものが、前回と違う未来への切符のような気もしてきたからね。」と蓮が呟くと、
「そ、それ実質プロポーズ??!」と頭からボフン!と湯気を出した時雨が、わちゃわちゃと顔の前で手を振りながら叫んだ。
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その頃、木下藤子と伏木亜理沙は、お互いの愛・不穏で通話をしていた。
藤子はポニーテールを作りながらハンズフリーで、…亜理沙の方はクラッカーを食べる時のように、口の前で愛・不穏を水平に構え、
表面1平方センチメートルあたり約15,000個の細菌が付着した、高周波音入れ並みに汚いスマホ画面に唾を飛ばしながらおしゃべりをしていた。
今では失われてしまったぎょう虫検査の技術を使って、…スマホの表面には片面粘着のシールが貼られている。
かつて検査シールを製造していた企業は、スマホ保護フィルムを作ることで今も生き残っているのだった。
「あ~緊張してきた……」
と、藤子が努めて明るい声で言う。
「頑張ってね」と亜理沙が答える。
「チョコに藤子ちゃんのイ吏用シ斉/ヽ゜ソ〒ィを添えれば完璧なはずよ……」
「うん。わかってる。あれからさ……」と藤子は口にくわえた、サカモトオリジナルのゴムを、ポニーテールの根元に巻いてキュッと縛りながら言った。
「海人がそういうの好きだと思うから…整理整頓の時以外は、自分の部屋を掃かないでいるんだ。
……今日もそうしてるけど、不潔だって思われないかな。」
「え?でもちゃんと拭いてるんでしょ?」
「それはもちろん……でもさ、亜理沙ちゃんはどうしてるの?ほら、亜理沙ちゃんはスマホフィルム付けてないの?」
「そりゃモチロン。劣化する度にマメに付け変えてるよお。」
「え?おマメに?剥がす時痛くない?」と藤子が言う。
亜理沙が「え、平気だよ……私もさ……海人くんの言ったことを聞いてからなるべく、女王アリで過ごすことにしてるのよ……あ、勘違いしないで!海人くんを狙ってるとか、そういうんじゃないの。ただ単に共感したって言うか…私もそういう考え方、嫌いじゃないって言うか……。その…つまり自然なままがいいな、って私も思ったの。」と言った。
「……うん」と藤子が頬を染めて返事をする。
「でもやっぱ、人に覗かれたりするかもって思うと不安じゃん?」そう言いながら亜理沙は電話の向こうで、自分のその部分を確認していた。そこは、シロアリの女王の腹のように、ぷにぷにとしていて、薄い肌が段々になっていた。
「……ここってさ、覗き見防止のスマホフィルムを貼っておかないと、やっぱ不安よね…。
だいたい防水って言ってもさ、そのまま使い続けると剥がれてきちゃうじゃん?だから三回に一回は貼り替えてるわよ。」
「三回に一回かあ……。お金かかるよね…」と藤子が言う。「…でもこれさ、貼る時に気泡が入っちゃうよね?キレイに貼るの難しくない?」と、彼女も自分のものを確認しながら言った。その場所には、透明のフィルムシールが貼られており、まるで青白い肌の中に潰れた蟻の群れが、黒々と密集しているように見えた。
「え~藤子ちゃん、気泡くらいイイよ?ヒドイのはさあ、シートも貼らずあそこを割れたままにしてる人!たまにいるじゃん?結構ギャルみたいな見た目で、ファッションに気を遣ってそうなのに、割れ目を気にしないでそのままにしている人!電車の中であんなもの見せて恥ずかしくないのかな?常識を疑うよね?!」
「……確かに。あれは同性として嫌だよね……やめてほしい。」
「あれ?何の話だったっけ?」
「バレンタインだよ。バレンタイン。」
「あ、そっか。海人くんが帰ってくるのは夕方だったっけ?……藤子ちゃん、頑張ってね。私、応援してるから。」
「うん、アリガト。」
そう言うと 藤子は苦しそうに胸を押さえて、ゴクリと唾を呑み込み、「私、頑張る……」と、自分に言い聞かせるように呟くのだった。
『Each person's determination』
さあ、いよいよ始まりました怒涛のバレンタイン編!次回もお楽しみに




