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ヰ93 さようなら


乃望(のぼう)豊子(とよこ)が病気に倒れた後も、

新宿ドロップインハウスは、娘の(かえで)の頑張りで営業が続けられていた。


乃望豊子の病気を見抜けなかった若き無頼孔雀(ブライクジャク)は、

今までよりも、一層ユーリ内藤(ないとう)教授の元での研究に打ち込み、その給料の殆どをハウスの為に使うような生活を送っていた。


「…孔雀くん。君の通っている新宿の施設だけどさ……」と、内藤教授が手に持った資料を棚に戻しながら言う。

「はい、なんでしょうか。」と孔雀が顔を上げながら答える。

「……何だか経営が苦しいようだね。この前、雑誌のルポで読んだよ。乃望豊子さんが病気で倒れてから大変らしいね。」

「……はい。豊子さんの治療には多くのお金がかかりますし、……先生もご存知の通り、あの病気を専門的に診てもらえる病院は、ここ日本にはありません。」

「そうだね。あの病気はシルボンヌのマクガイア先生が専門だね。」

「……先生……」と、孔雀が真剣な、それでいて辛そうな顔をする。「僕は…そこへ行きたいんです。……乃望豊子さんを助けたい。……恩を仇で返すことは百も承知です。……でも先生、僕をマクガイア先生に推薦しては貰えないでしょうか。」


ユーリ内藤は、黙って教え子の顔を見つめ返し、

しばらく考え込むような顔をした後、おもむろに棚の方に向き直ると、

背中を向けながら孔雀にこう言った。

「……うん。考えておくよ。それで、ちょっと気になったんだが……乃望豊子さんには娘さんがいたよね?」「え?ああ、はい。」

「君は考えたことがある?豊子さんの病気は遺伝の可能性があるということを。」「そ、そうなんですか?!自分はその可能性は低いと理解していましたが??」と、孔雀が焦ったように早口で言う。


「いや、万が一ということがある。……それでね……孔雀くん。その娘さんをここへ連れてきたまえ。その子も遺伝的に病気の可能性がないか診てあげよう。」


「………」


「……あ、いや孔雀くん、ダメならいいん…」「それは大変助かります!」「ん?あ?ああ、そう?」「(かえで)に言ってみます。その際は宜しくお願い致します!」


「……ふうん、じゃ、ついでに聞こうかな?」と内藤教授が言う。

「はい、どのようなことでしょう。」


「ほら、君、憶えてるかな?一度、小学生達をここに招いて検査したことがあっただろ?」「え?ああ、そんなこともありましたね。その節は大変お世話になりました。」

「…いや、いいんだ。それでね?その時、蓮台(れんだい)風花(ふうか)ちゃんって子がいたでしょ。」「ああ、はい。いました。今はもう中学生ですよ。それがどうかしました?」


「……あの時、あの子、どうしても検体を出せなかったみたいで。結局あの子だけNYO(エヌワイオー)検査が出来なくてね。それが心残りで…」

内藤教授は遠い目をして、しみじみとした口調で語った。


「はあ。そうでしたか。」と孔雀が戸惑ったような表情をして言う。「先生、あの子達は自治体でNYO(エヌワイオー)検査していますので大丈夫かと。」


「いやいや、孔雀くん。彼女には私の専門的な検査を一度受けさせてあげたいんだよ。」「まあ、そんなにおっしゃるなら……本人に聞いてみます。」

「……ねえ、孔雀くん?」「はい」

「……風花くんの今の写真とかある?」「え。まあ…、はい。携帯電話にあると思いますが……。何故ですか?」


「オホン。いや、ちょっとね。見せてもらえない?あの子小学生の時から……、その、

オホン、結構…ヵヮィヵったでしょ?(小声)」

「はい?何か言いました?」「いや。その、検査をしていなかったのが、本当にその子だったかどうか、私の記憶が正しいかを確認しておきたくてね。」

「……ああ、なるほど。そういうことでしたか。」

と、孔雀は折り畳み携帯を(ひら)き、中学生になった風花と一緒に写した写真を見せた。


「……ほお。ふむ……なるほど……これは……なかなか……」と、内藤教授は年甲斐もなく頬を赤らめ、「いいね。」

と一言発した。

「孔雀くん。……この子をここへ連れてきてくれたら、それ相応のお礼はするよ。」

「と、言いますと?」


「臨時でボーナスを出そう。それにいつか君をマクガイア教授にも紹介してあげるよ。ああ、そうそう……ついでに乃望さんの娘さんも診てあげなきゃね。いやあ、君が居てくれて本当に良かったよ。君が子供達と繋がりがあるおかげで、本当に助かる。」

「あ、ありがとうございます。僕も先生の研究のお役に立てて嬉しいです。僕も先生の理想とする、子供達が笑顔で生きられる世界を実現するお手伝いがしたいんです。あの……さっきおっしゃった…マクガイア教授の件、……是非宜しくお願い致します。」

孔雀は深く頭を下げると、リュックを掴み、「……今日はこれで失礼致します。ハウスに寄りたいので……」と言って退出していった。


無頼孔雀は、大学の構内をスケートボードで走りながら、ポケットに手を入れて考え事をしていた。

彼の好みで、かなり緩めたスケートボードの前輪部を自在にグラインドさせて、推進力を増した孔雀が、他の生徒達をよけて進んでいく。


…と、孔雀は重心を傾けると、板の後ろを地面に(こす)りつけながら急停止した。

……財布を忘れた……。

孔雀は、間抜けな自分への苛立ちを誤魔化すように、スケボー板を意味なく足の裏で半回転させ、トリックをきめると、着地間際に左足で地面を蹴って来た道を引き返していった。


階段を2段抜かしで駆け上がる孔雀。


研究室の扉を開け、さっきまで作業していたテーブルに置かれたトレイの中から、紫色の財布を拾う。


そのまま(きびす)を返し、出ていこうとする孔雀だったが、やはり内藤教授に挨拶してから帰ろうと思い直し、奥の部屋へ歩いていった。


……そこには教授はいなく、孔雀は何気なく、更に奥にあるレントゲン室の扉を見やった。

使用中のランプは点いていない。

だが、中に人の気配がするような気がした。


「……教授?」


孔雀は静かに重い扉をスライドし、レントゲン室の中を覗き込んだ。


中央に置かれたベッドの上に座った内藤教授が、ビクッと背中を震わせ、慌てたように手で、ベッドに散らばった本を掻き集める。


「……教授?」


孔雀は、彼が腕に抱え込もうとしたそれらの本を見て、ギョッとなって1歩後ろへ下がった。


……内藤教授が手にしていたのは、

沢山の海外の児童書だった。


『不思議の国のアリス』『小公女』『人魚姫』『秘密の花園』『赤毛のアン』

……今となっては信じられないことだが、これらは、当時は普通に書店で買うことの出来た児童書の数々だった。

この時代(▪▪▪▪)では、これらはまだ違法ではなかったが、数年後に法律が改正された後は、単純所持だけで逮捕される可能性のあるもので、特にこのような女児向けの児童書の存在は、孔雀が若い時でもかなりグレーゾーンなものであった。

よく見ると『赤ずきん』や『おやゆびひめ』とようなかなり幼児向けの物もあり、それらに混じって『竹取物語』のような日本の物もある。


「……せ、先生?そ、それはいったい……」

と孔雀は言い、自分の声が震えていることに気付いた。


「く、孔雀くん?!戻ってきたのかね??いや、これは、違うんだ。ほら、君も私も子供達が好きだろう?だから……そういうんじゃないんだ……美しいものを愛でるのは、人間として当然のことで……」

「し、しかし教授??そ、それは児童書ではないですか?先生のような立派な方が何故そのようなものを??」

「いや、孔雀くん!こ、これは違法なものではないよ!フツーに書店で売ってるし~。ほら、あれだよ!国内外問わず、大昔から需要があるものなんだよ!じ、児童書は芸術だよ!」内藤教授はそう言い終わると、肩を落とし

「……孔雀くん……君、何が望みだ?」とポツリと言った。


「……い、いえ、僕、混乱してしまって……た、確かにそういうもの(▪▪▪▪▪▪)は違法ではありませんが……ほ、褒められた趣味ではないと思います………。す、すみません。……教授……、(かえで)風花(ふうか)ちゃんの検査の件は忘れてください……し、しかし本当ですか教授?……児童書集めがご趣味だったんですか??」


「………」


「……君をシルボンヌ大学の研究室に推薦しよう。」と、内藤教授は静かに言った。「マクガイア教授にも今すぐ連絡を取る。……君の望む進路は約束しよう……。」

「は、はい……」と孔雀はベッドの上に散らばった児童書を見つめながら言った。


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「孔雀……」


と、乃望(のぼう)(かえで)は足元を 見つめながら震える声で(つぶや)いた。


「本当に行くのね。」


「ああ。

……必ず豊子さんを、いい先生に紹介して、最高の治療を受けられるようにする。」


「……お母さんは……正直もう駄目だと思うの……」


「そんなこと言うな。」


「……………あのね、孔雀?」


「ん?」


「……私、縁談があるの」


「は?」


「……ハウスはもう駄目。このままじゃ続けられない。」

「い、いくら必要なんだ?」と孔雀は言いながら、頭の中で児童書に囲まれたユーリ内藤教授の姿を思い出していた。

「あなたには無理よ。」

「待て。じ、実は内藤教授の……援助がもらえるかも知れないんだ……」

「やめて。私、あの人嫌い。子供達の治療とかいう大義名分をかざしているけど、……最近のあの人の本を読むと、選民思想が透けて見えるわ。ブスは生きる価値がない…とか。」

「君はブスじゃないだろ…」

「そういうことじゃないの。何か気持ち悪い。…私はあの人のお金は受け取らないわ。」


「……じゃあどうしろと?」


「……私……この縁談ね……、受けようかと思っているの。」


「なっ……?!」


「孔雀?私は縁談を(▪▪▪▪▪)受けようと思って(▪▪▪▪▪▪▪▪)いるの(▪▪▪)。」


「な、ちょっと待っ………いや……そうか…わかった。」と孔雀は小さな声で答えた。


「孔雀?」


「……君がそうしたいのなら、そうするといい。だが僕は……(あきら)めない。必ず豊子(とよこ)さんを救ってみせる。君は……君の信じる道を行けばいい。」

「違うの孔雀、おねが……」何かを言いかけた楓は、途中で思い直し、

「……わかったわ……」と言った。


唇を噛んだ孔雀は、もう顔を上げることが出来ず、……楓がどんな表情をしているかも確認することが出来なかった。

「もう行く」と孔雀は呟き、そのまま顔を上げずに歩き去っていった。

表情を失った楓は、しばらく同じ場所に立ちすくんでいて、

「楓姉ちゃん?」と後ろから制服姿の絵美理に声をかけられるまで、ポロポロと頬に涙をこぼし続けていた。


……思い出話はこれでおしまい。


無頼孔雀は、再び真っ白な雪に覆われた窓を見つめている自分に気付き、

心配そうにこちらを伺っているメジ子を振り返った。

「今夜はここに泊まりになりそうですね。」

とメジ子が言う。


「……すまないがメジ子、雪がこれ以上酷くなる前に、ネルネくん達の様子を見に行ってもらっては駄目かな?」

「はい、先生わかりました。ついでに鈍器法廷で菓子パンでも買って帰ってきますよ。」

そう言うとメジ子は早速、立ち上がりコートを羽織り出した。

「明日の朝は雪かきかな……」と無頼孔雀が言う。「でもさ、なんか凄いよな。」

「何がですか?」

「予報が出るか出ないかの一週間前の段階でシャベルの買い占めがあったらしくてさ、鈍器では全部売り切れていたんだってね。……まあネルネくんがすぐ手配してくれたけど、……見たらフリマサイトで倍以上の値段で取り引きされてたみたいだね……」


メジ子は「そうでしたか」とだけ言い、……豊子キッズと乃望(のぼう)竹千代(たけちよ)は、どの程度まで転売活動で連携しているのだろう……と考えていた。


『goodbye』

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