ヰ90 散策日和
癖っ毛のカウガール乃望楓は、つば広の帽子にヴィンテージ風のベスト、青いミニスカートという出で立ちで、
当時としてもレトロな革のバッグを肩から提げ、国道沿いの歩道を歩いていた。
バスがなかなか来ないことに痺れを切らした楓は、歩いて大学を目指すことにしたのだが、
元々歩くのが好きな彼女は、それでも上機嫌に見えた。
今日は天気もいい。履き慣れたブーツで軽快にアスファルトを踏みしめながら、楓は上機嫌で空を見上げると、鼻唄を歌いながらずんずんと進んでいく。
……彼女のバッグの中にはドロップインハウスに在籍する中学1年生以下、総勢27名分のNYO検査の封筒が入っていた。……そして、それらは液体のせいだろうか、一つ一つの量のわりに意外に重たく感じられる。
さっきからバッグの下の方で、PHSが鳴り続けていたが、
満載された荷物に吸収され、楓の耳には全く届いていなかった。
国道の脇は自動車の行き交う音もうるさく、排気ガスの臭いも気になった為、
楓は1本脇の道に入り、
『こもれびロード』と書かれた遊歩道を歩き始めていた。
……車の音が、樹木や葉や土に吸収され、急に現代社会から隔絶されたような静けさに充たされ、
気持ちのいい空気が楓の鼻腔をくすぐる。
湿った土の匂い。
小鳥のさえずり。
虫なのか、植物の綿毛なのか、はっきり区別のつかない何かが、ふわふわと道の先に漂っているのが見える……。
へぇ……。孔雀の通っている校舎の方って……結構いいとこなのね……。いつかハウスの子供達を連れて、散歩したら楽しいかもね。そういえば、ここら辺って桜で有名よね。
……お花見もいいかも。
楓は、微かに青白い白目の中にある薄ブラウンの瞳を眩しそうに細め、
小さなコンパクトを開いて一旦帽子を取ると、
左側のはねた髪をしばらく撫でていた。
ふと顔を上げると数メートル先に丁度よい大きさの切り株が見える。
楓は、肩に食い込んできたバッグを一度下ろそうと、そこへ移動した。
歩くと少し汗ばむくらいの陽気だった為、彼女はカウボーイハットでパタパタと自分の顔をあおぎ、……よっこらしょ、と切り株の上にベージュ色のバッグを下ろした。
そして握っていた右手を肩紐から離そうと、…力を抜いた丁度その時だった。
バサッ!
突如、頭上に広がる木々の中から、目の前に黒い人影が落ちてきて、物凄い勢いで楓の腕からバッグを奪っていった。
え?!?
思わず声にならない叫びを上げた楓は 、一瞬茫然とした後すぐに
「ド、ドロボー!?!」と大声を出した。
バッグを奪った黒い人影は、そのまま走り出すと、木立ちをすり抜けるようにして、あっという間に遠ざかっていく。
我に返った楓は、柔らかい土に足を取られながら、葉っぱまみれになって、その影を追いかけ始めた。
黒い影は軽い身のこなしで、横倒しになった倒木を飛び越え、頭上の木の枝に首を竦め、
……大声を上げながら追いかけてくる追跡者との距離をぐんぐん離していく。
…もう十分だろう……黒い影が若干スピードを落とし、後ろを振り返ろうと、走りながら首を捻った瞬間だった。
脇腹に強烈なタックルを浴びせられて、黒い影は横に吹っ飛んだ。
…気が付くと、迷彩服を着て頭にバンダナを巻いた男が、黒い人影の上に馬乗りになっていた。
そのまま迷彩服の男は、近くにあった石を掴み、黒い人影めがけて一気に振り下ろした。
全身黒ずくめの男は、体を横に回転させ、間一髪のところで強烈な打撃を避ける。と同時に足を蹴り上げ、相手の股間を潰そうとしたが、
バッ!と勢いをつけて逆立ちした迷彩服の男は、その一撃を避け、くるっと一回転すると距離を取った場所で地面に着地した。
そこで、息を切らせて走ってきた楓が追い付いてくる。
彼女は乱闘している2人の男を見つけ、驚きながら離れた所で立ち止まった。
……バッグが半分草むらに埋まった状態で落ちているのが見える。
楓の存在に気を取られた迷彩服の男が、顔をそちら側に向ける……。その隙を突き、全身黒ずくめの男が一瞬で姿勢を低くすると、砂ぼこりを上げながら回転蹴りを繰り出してくる。
即ジャンプして攻撃をかわした迷彩服の男は、まだ手に持っていた石を、相手の顔面に向かって投げつけた。
黒服の男が避けようとして体勢を崩したところで、
迷彩服の男は一気に距離を詰めてきた。
「五十嵐流忍法!」
と石を投げた迷彩服の男が叫んだ。
「決割り烈波、尻子玉抜き!!」
シャキーン!と彼の袖に収納されていた鉤爪が前方に飛び出し、周囲の草を撒き散らしながら、黒ずくめの男のズボンの後ろを切り裂いた。
そのまま目にも止まらぬ早業で、手のひらをスクリューのように捻ったかと思うと、
次の瞬間、
シュポー--ン………と、
楓の頭上をキラキラと輝く白い玉が、飛沫を散らしながら背後の草むらへ飛んでいくのが見えた。
「う……」と黒服の男は呻きながら腰砕けになり、地面にバタムと倒れる。
「……他愛もない…」
鉤爪を袖に収納しながら、迷彩服の埃をパッパッと、はたいた男は、
何事もなかったような顔をして、斜めに埋まったバッグを回収し始めた。
「あ、ありがとうございます……」
と楓は言って、男に近付いていく。
男は、彼女の方を振り返り、「……お嬢さん。貴女のような若い女性が、こんな危険な物を持ち歩くものではありませんよ。」と静かな声で言った。
「……危険……、でしょうか?」と言いながら楓は、バッグを受け取ろうと手を伸ばす。
「……申し訳ございませんが……こちらをお返しすることは出来ません。」「え?」
「ここに入っている黄蜜情報は、とある大富豪が、喉から手が出るほど欲しがっているものなのです。私はその男に雇われた忍び。貴女に恨みはありませんが……このバッグは私が戴きます。」
「え?ちょっ?な、何か勘違いされてませんか??そ、そこに入っているのは私のPHSとお財布。それと子供たちのチッチですよ?」
「申し訳ございません。まあ、でもどのみちこれは、また別の恋態の手に渡るというだけ……これが貴女の依頼主に渡ろうと、私の依頼主に渡ろうと、大した違いはありませんよ……。」
「いやいや、困ります!盗まれたなんて言ったら、私、怒られちゃいます!!」と楓が叫ぶ。「返してください!!」……よく見ると、迷彩服の男は、楓とそんなに歳が変わらないようにも見えた。
「……また子供達に出してもらえば宜しいんじゃないですか?いくらでも出るでしょ……」と男は言ってバッグを肩にかけると背中を向けた。「お財布とPHSはお返しします。」
ポイッ、と肩越しにそれらが放り投げられ、
楓が「あ」と言ってそれを空中で掴もうとすると……、
……もう男の姿は消えていた。
そこに迷彩服の男が立っていた形跡は、跡形もなく消えてなくなっていた。
やだ………どうしよう……。
気が付くと、地面に倒れていた男の姿も消えていて、僅かに人が倒れていた形跡だけが地面に残っている。
楓はPHSを確認し、
『今どこにいる?』『無事か?』『荷物を狙っている者がいるらしい』『気を付けて』というメールと、孔雀からの着信履歴を見つめていた。
楓は慌てて電話をかけようとしたが、…ここは圏外だということに気付く。
どうしよう……。
孔雀がせっかく、子供達の為に世界的な名医に診てもらえる機会を作ってくれたのに……。お母さんにも怒られるわ……。子供達にも何て説明しよう……。
それにしても、あのドロボーは何を勘違いしていたのかしら……。だいたいあれを盗んでいってどうするつもりよ?
う~~ん、意味わかんない……
…なんか腹が立ってきたわ……。
いっそ、勘違いしたまんま、あの男が言ってた大富豪とやらに、子供達のを全部ぶっかけてやればいいのに!!
楓は、拳の中に親指を握って、ムカつくムカつくムカつく!!!と地面をダンダンと蹴り続けた。
「楓!!」
と背後で声がして、汗をかいた無頼孔雀が駆け寄ってきた。
「大丈夫か!?怪我はないか??」
「く、孔雀?どうしてここに……ごめんなさい、孔雀……私、メールを見てなくて……」
「じゃ、じゃあ、もしかして……もう奪われてしまったのか??」
「……ええ。でもなんで?あれが盗まれる意味が分からないわ……みんな何か思い違いしてない?」と楓は言い、「…本当にごめんなさい…」と項垂れた。
「いや、それはもういいんだ…。俺が危機感なく、楓に荷の運搬を任せてしまったばかりに…危険な目に合わせてしまったようだ。こっちこそゴメン。本当に怪我はないか?」
「ねえ孔雀?実際のところ、なんで子供達の検査は盗まれてしまったのよ??ホント意味が分からないわ。」と楓が言う。
「……それが俺にもはっきりとした理由は分からないんだが、」と孔雀が答えた。
「難病に苦しむ子供達を救おうという先生の研究は、世界中の研究者から注目を集めているんだ。そして、そこには当然、多くの利権が渦巻いている……。今回のNYO検査に限ってどんな重要性があるかは知らないが、先生が発見、発表を行うことを快く思わない連中がいて、そいつらが妨害をしてきたのではないかと、俺は睨んでいる。」
「そういうわけだったのね……。じゃあ子供達から提出してもらった検査は、他の研究者の手に渡るのかしら……。それなら検査結果だけでも教えてほしいわね……。でも孔雀って、そんな凄い先生のとこで学んでたの?世界的な名医とは聞いていたけど、……私…、自分がまさかこんな国際的陰謀に巻き込まれるとは思わなかったわ……なんかね、とある大富豪が絡んでいたらしいわよ……」
そう言い終わると、楓は急にクスクスと笑い出した。
「な、なんだよ楓?笑いごとじゃないだろ?」と孔雀が眉をしかめながら言うと、
より一層楓は肩を揺らして笑い出し、
最終的に苦しそうに涙を流して孔雀の体に寄りかかってきた。
「あはは…、あはは………」
「どうしたんだよ楓?子供らのNYO検査が奪われたんだぞ?なにがおかしいんだよ??」
「……あははは……だって、あはは、……怖かったのよ……あはは……私、すんごく怖かったのよ……」
孔雀はハッとして、
そっと楓の肩を手で支える。
「ゴメン楓……。次は責任持って俺が運ぶから……」
鼻の頭にしわを寄せてヒイヒイと笑いながら涙を流す楓を抱き止めて、
孔雀は、樹木の香りの中に混ざった、彼女の古着から漂う海外の柔軟剤の薫りを嗅いでいた。
『It's a perfect day for a walk.』




