ヰ87 侵入者
「見てごらんなさい。」
金髪のカタツムリを、夜の街明かりに照らされて、メジ子は窓の下を指差した。
緑色のベレー帽を被った難波鶴子が、ロングヘアーを邪魔にならないようにコートの内側に収納しながら、
壁に背中をつけ、斜め橫から窓を開けて道路を見下ろす。
道路には暗い色のコートを着た人だかりが出来ていて、スマホを上に構えながらこちらを見上げていた。
「メ(旧ツイスター)で拡散されてるわよ。」と、メジ子が言う。
「このビルで自木又しようとしている美女がいるって。」
メジ子は怒りを隠さない顔をして、道路に集まった男共の姿を見下ろした。
「野次馬共め……警察が来るまで待機ね。多分、突入時に彼らが扉を無理矢理開けてくれるから。まあ、そう時間はかからないでしょう。ただ、その後の事情聴取で拘束される恐れがあるわね……。ねえ002?警察が来たら貴女はクローゼットに隠れなさい。1人で隙をみて脱出して?…メを見る限り、今のところ飛び降りようとしている美女は1人、ってことになってるから。」
メジ子は再びベッドに座ると、「さて、ミス汁婆仁は何を企んでいるのかしら……」と言って、「…警察に見つかると厄介だから、これは貴女が持っていなさい。」と、太ももからリボルバーを引き抜いて、鶴子の手に押し付けた。
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「……おつうは何処?」
豊子キッズビルの自習室に首を覗かせた、ふんわりボブカット黒髪少女が、キョロキョロとしながら言う。
「……さあ、見かけてませんけど」
と、生徒の1人が顔を上げて答える。
「あ、そう。」とネルネは言って、サスマタ杖を脇に挟んで、ヒョコヒョコと廊下を戻っていった。
暗めの照明に照らされたコンクリート壁の廊下を、白いロリータ服を来たネルネが進んでいく。
先に見える、ひときわ明るい光が漏れているドアを目指して、彼女はリズムをつけながら床を杖で叩いて歩いていった。
「ねえ、おジャガ?」
橫開きの扉を開けるなり、ネルネは金髪プリンの男子に声をかけた。
「おつうを見なかった?珍しく電話に出ないのよ。圏外にいるみたい。……て言うか、もしかして逆かしら?私の愛・不穏が圏外なのか……。」
「え?ちょっと待って。あれ?ホントだ。俺のも圏外になってる…」修復した退魔ブレスレットを手首の上で触り、ジャガーはスマホを天井の方に挙げて振ってみた。
「なあ、ネルネ?最近葉南ちゃん来ないよな。そろそろあの子にセキュリティを一度見直してもらわないと。いくつかファイヤーウォールが突破されそうになった形跡があるぞ。」と言いながらジャガーは席を立ち、ネルネを迎えにいく。
「……そうね。」とネルネは言って、紫色のアラビアン姫マスクを、クイッと鼻の上にあげた。
「ところでおジャガ?今日おつうからメールを貰って、…プログラミング・セッションの講師を社割で紹介してもらえるって聞いてたんだけど……肝心のおつうが見当たらないのよ。」
ネルネは机の上に置いたタブレットを開き、そのメールをジャガーに見せた。
『ダウンコーディングラボ:初めてのアプリ体験』
「え、それ倫護カンパニーのセミナーだろ?大丈夫なのか??」とジャガーが不安そうに言う。
「おつうの紹介だから大丈夫でしょ。それに今うちは資金面で苦しいの。こういう教育的な娯楽をタダ同然で体験出来るなら、利用させてもらわない手はないわ!大丈夫よ。おつうがうちに潜入してるのは、愛・不穏の転売が疑われてるからでしょ?うちはシロだから大丈夫。まあ、他の転売はしてますけど……」
「でもさ、大企業だし。なんか怖いな」とジャガーが言う。
「心配性ね?倫護カンパニーのサービスが社割で使えるなら、こっちには得しかないわよ!…どうやらね、このセミナー、評判の美人女性講師が来るらしいのよ。で、この講座はフレンドリーでインスピレーションに溢れ、サイエンスデザインされたイノベーションに満ちたリソースライブラリーなんですって!!
更に今回は女子限定!女性講師だし安心ね!
10歳以上なら参加出来るってことよ。面白そうじゃない。」
「…で、今日いきなり開催するのか?」とジャガーが聞く。
「そうよ!メールからリンクを開いたら30秒以内にQRコードを読み取って予約しないと、先着順で締め切っちゃうらしくて……慌てて予約したわ。で、今日しか空いてないんだって。」
「そ、そうか。それならしょうがないか……まあ、そもそも男は参加出来ないなら、俺には関係ないか。」
「じゃ、おジャガ?この教室を使うから出てって。」
「…へいへい」
ジャガーは机の上に置かれた参考書を纏めると、頭を掻いてから立ち上がった。
ジャガーが教室から出ていくのと入れ違いに、何名かの女子生徒達が中に入ってくる。
彼女らは、…何故かいつもネルネの側にいる、この腰巾着男子のことを冷たい目で一瞥し、
挨拶をしてきたジャガーをほぼ無視して「あ、ネルネちゃん、今日は女子だけの集まりなんだよね!楽しみ~~」などと口々に話しながら、ボスの周りに集まっていった。
ジャガーは挨拶をする為に挙げた片腕を、寂しそうに下ろし、
参考書を脇に抱え直すとトボトボと廊下を歩き出した。
ふと顔を上げると、
正面から赤いコートを着た、銀髪の女性が歩いてくるのが見える。
ジャガーは立ち止まり、廊下のど真ん中を闊歩する女性に道を譲る為に、壁際によけた。
カツカツカツカツ………
ハイヒールの踵を鳴らし、背中にベージュ色のキャリーバッグを従えた女性は、ジャガーのことなど目に入っていないように、
銀色の髪を靡かせて通り過ぎていった。
ローズに似た、みずみずしく甘いフローラルな香りが鼻をくすぐる。
……今のが倫護カンパニーの人かな。
ジャガーは振り返って遠ざかる女性の背中を目で追い、……大人の女性って、…綺麗だけど、なんか怖いな…と考えていた。
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ミス汁婆仁は、鋭い目付きを隠す為に、若干タレ目気味に引いた目尻をコンパクトで確かめ、
ぎこちない笑顔を浮かべると、教室の扉をノックした。
「どうぞ!」と中から声が聞こえ、シルバージンは、遠慮なくガラリと扉を開けた。
……さあて。
ここが豊子キッズの中枢ね。あそこにいるのはリーダーの三船るね。通称ネルネ。
乃望竹千代と最も近い所にいると推測される子供。
豊子キッズは竹千代から援助を受け、今も数々の転売行為に関与していると思われる。
本社が先に潜入させていた002は、何の成果も上げず、無駄に時間だけが経過している。
また、豊子キッズの前身である、新宿ドロップインハウスの元代表、乃望楓と密接な繋がりのあった、闇医者無頼孔雀の元には、日本支部で最も優秀(笑)と評判の、
メジ子が潜入している……。
彼女も何の成果も上げていない。
直近のカンパニーのセミナーの妨害活動を見て、いよいよ本社も痺れを切らし、
私を送り込むことを決定した。
………。
…あのね?私はまどろっこしいことはしないわよ。直接踏み込んで、ネルネとかいう子を洗脳、陥落させ、竹千代に繋がる有益な情報を根こそぎ回収してやるわ。
もしくは、セミナーで撮った、未加工無修正の写真をネットにばら蒔くと脅迫し、竹千代の居場所を吐かせるというのもアリね。
まあ、私の手にかかれば、女子中学生なんてイチコロよ。愛・不穏の魅力に抗える女子は、この日本には存在しないのよ!!
シルバージンは、教室の机に人数分のタブレットが行き渡るのを見渡し、
着席した女子全員が愛・不穏持ちであることも確認していた。
「さて、皆さん。本日はお招きいただき誠にありがとうございます。
見たところこの教室には、JCの方が多いようですが、まずは初めての人も多いでしょう。ですから……、
今回のプログラミング体験には、JSを使おうと思います。これなら愛・不穏でも簡単にwebサイト作成等が出来ますので。じゃ、JSの皆さん?こちらに来て並んでください。」
「ちょっと待ってください!」
シルバージンは、ん?と首を傾げ…声がした方を向いた。
「あのー、そこらへんのプログラミングは、ここにいるみんなはすでに履修済みですので……出来れば他のことを教えていただけませんか?」
白いロリータ服の少女ネルネが偉そうに椅子にふんぞり返りながら、ギプスをしていない方の手を挙げていた。
「JCで思い出しましたが、JとC言語はどちらを学ぶのがいいんですか?可能でしたら、そういったお話を伺いたいのですが。」
シルバージンは、はい?と言った顔をして、ネルネの顔を見つめた。
……いやいや、そういうことじゃないのよ。JSとかJCは、もっと頭カラッポな質問をしてちょうだいよ??これじゃ常識改変セミナーが進まないでしょ?なんなのよアナタ……。
「オホン……え~っと、そこのアナタ?あなたの言っているジャバと、今回のジャバ・スクリプトは別物ね?愛・不穏はジャバには対応していません。今はWebサイト用のジャバ・スクリプトの話をしています。」
「え?そうだったの?」と白ロリ少女が驚いたような目をして言う。……眼帯にマスクをしているので、片目だけで表情が伝わるほどのオーバーリアクションだ……。
「ついでに言いますが、C言語はハードウェアとOS開発向き、ジャバはWebアプリや、それこそアンドロイド開発用の言語ですからね!うちは倫護カンパニー。やめてよね?!
でもC言語は手動のメモリ管理が必要で難しいから。アナタ達には無理よ?まあ、でもジャバはJVMでOSに依存せず、メモリ管理が自動で安全だから……つ、ま、り!…ジャバ~って垂れ流すか、ちゃんとCって出せるかどうかってこと。お分かり?」
シルバージンがまだ喋っている途中でネルネが「あ、ジャバ・スクリプトの脆弱性についての記事を何処かで読んだ気がするんだけど、センセー、そこのところはどうなんでしょうか?」と発言した。
「え?ライブラリの脆弱性のことを言ってるの?」とシルバージンが眉を寄せる。
ネルネの目線は、シルバージンの上半身をじーーっと見つめ、片方が不自然に凹んでいることに気付いていた。
……この講師、美人だけどお無念が無いわね……そして裸いブラりを使ってサイトの改竄をしてるわね……。
「先生!質問です!ジャバ・スクリプトを無効にしておいてはダメですか?」と、別な女子生徒が手を挙げて発言する。
「え?そんなことしたら、ほとんどのWebサイトが正常に見られなくなるわよ?最新バージョンへの定期的な更新で、セキュリティは充分よ。何言ってんのよ、アナタ?」とシルバージンが苛々した様子で答えた。
……なんなのよ、この子達は……。
意識高くない?
女子小中学生ってのは、こう、なんて言うか…、もっと頭パッパラパーなものでしょ??
SNSに夢中で、自己承認欲求の化け物で、騙されやすくて、暴走してす~ぐ露出の高い格好とかでフォロワーを増やそうとするものでしょ?!
「あ、今やってるプログラミングでちょっと聞きたいことがあるんですが?」
小学生くらいに見えるまた別の女子が、自前のタブレットの画面を見せながらシルバージンに近付いてくる。
「え?なに?まだ講習を始めてもいないわよ?勝手に質問の時間を始めないでよ…」
「こんな感じでエラーが出るんですが…」
「……ん?これ、全角スペースが入ってない?セミコロンを付け忘れてない?もー、なによ、アンタ達??」
「先生ー!私のエラーも見てください!」
「ん?どれどれ……は?アナタ、ちゃんと見なさいよ?!引数が不足してるわよ?何その素人間違いは?!……て、アンタら素人か……」
生徒達に囲まれる、銀髪の美人講師を遠目に見つめながら、
ネルネは満足そうにマスクの下で微笑んでいた。
「はいはい!ちょっとアナタ達、順番に並びなさい!!エラーの発生は学びの機会よ!原因を安易にAIで検索せず、色々と自分で試してみなさい!!クソッ!話が違うわ!こいつら頭が良すぎるわ!(小声)……こいつらの月又を開かせるには、より高度な学習指導要領が必要かもしれない!(心の声)……チッ計画の練り直しだわ…」
「ちょっといいかしら……」
いつの間にか真横に立っていた白ロリ少女が、ツンツン…、とサスマタの先でシルバージンの二の腕をつついてくる。
「な、なによ??」
と、シルバージンが鬼の形相で振り返ると、
ネルネが「……あなた、気に入ったわ。次回も…講師をお願いしてもいいかしら?」と言った。
「は?なに言っ……あ、いや、ちょっと待って……。ぜ、是非……私からもお願いしたいわ……」とシルバージンは言って、
……まだ次回がある……少しずつこいつらの牙城を切り崩していけばいいのよ……と考えていた。
その日の講習会は大盛況のうちに終わり、
自習室に戻ったネルネは、即席で作ったWebページの動画で遊びながら、……目の前の気配に気付いて顔をあげた。
「……あら、おつう?今まで何処に行ってたの?」
「は!申し訳御座いませんでした!」と言って、鶴子は片膝をついて傅き、
「外部の講師の侵入を防げなかったこと、誠に申し訳御座いません!」と震える声で続けた。
「え?あなたの紹介じゃなかったの?」とネルネが言う。
眼帯マスクの白ロリ少女は、しばし考え込み、「…まあ、いいわ。」と言った。
「早乙女慈留葉さん……素敵なお名前の講師だったわね。更にさらさらの銀髪も綺麗だったしね。私、あの講師気に入ったわ。…なんと言うか…教育に熱意を感じた。次回もお願いすることにしたから……引き続き社割でよろしくね。」
鶴子は訝しげにネルネの様子を見つめ、「変なことをされませんでしたか?」と聞いた。
「変なことって?」とネルネがキョトンとした顔を向けてくる。
その夜、鶴子はメジ子からの通信で、どうやらミス汁婆仁が作戦に失敗したらしい、との情報を得た。今回の件は、本社からの指示を拡大解釈した汁婆仁の独断で行われたものだったとのこと。
身内の諜報員を閉じ込めたことは、厳重注意のみで、それ以上のお咎めはなし。
「あの女、私達を欺いて……どうしてくれようかしら…」と、声に怒りを滲ませるメジ子に対して、
鶴子は「……あの少しお待ち頂けませんか?私に少し考えがあります。」と言った。「ミス汁婆仁の暴走……、この豊子キッズ内で活動させることによって、逆に告発、失脚させる機会を得ることが出来るやも知れません。…ネルネ様は平気そうですし、もう少し泳がせてみてはいかがでしょうか?」
「……わかったわ」とメジ子が言う。「私達も汁婆仁に騙されたことは気付いていない振りをしましょう。…キッズ内に危険分子が入ったことで、逆に乃望竹千代が動き出す可能性もあるしね。
あっ、そうだ002?貸しておいたリボルバーを使うなら気を付けてね?アナタはまだ若いから。…決して衝動的に引き金を引いたりしないようにね?」
そう言うとメジ子は通信を切り、
警察から貰った自木又相談ダイヤルの紙を破り捨てた。
『intruder』




