ヰ84 セキュリティ・ハウス
「あら?帰っていたの?」
床に置いたゲーム機の画面に対し、背中を丸めて覗き込んでいた五十嵐葉南は、
急に声をかけられたせいでビクッとして、あぐらをかいていた脚に、慌てて部屋着のシャツの裾を被せた。
「……あなた、今なにやってたの……?」
葉南の母親、花音が、娘の正面に回って見下ろしてくる。
葉南はゲーム画面を見せて「あ、圧漏りのアプデ……」と小さな声で答えた。
「あら………そう。………あなた、その為に帰ってきたの?」「うん。」「………」
短い沈黙の後、花音は「……今日、夕御飯は一緒に食べる?」と尋ね、
「…うん」と言う娘の返事を聞くと、「わかった」と言って台所の方へ静かに去っていった。
………。
ふう……。
やれやれ……。
危なかったわ……。
いつもの悠々自適な隠密暮らしの癖で、油断していたわ。あの人は人の背後を取るのが得意だったのを忘れていた。
気を付けないと……。
ボクが圧漏りの画面上で、
…実はゲームそっちのけで、越智くんちで遊んでいたことがバレずに本当に良かった……。
葉南は、今日偶然みつけた、この「越智くんち遊び」に……、家に帰ってからも夢中になっていたのだ。帰り道で思い付いたあるアイデアを実行すべく、
帰ってくるなり葉南は、昔おばあちゃんの使っていた部屋のタンスから、事務用の指サックを探し出してきていた。
その中から更に色褪せて淡いオレンジ色になったゴムを選別し、
葉南が考える、もっともイメージに近い色のものを、絆創膏よりも水濡れに強い『怪我パワーパッド』を使ってお腹の下に貼り付けていた。
指サックの先端には、カッターで小さな切れ込みが入れてあり、その上から更に(リアルさを追求する為に)、伸縮性に優れた半透明の『怪我パワーパッド』を、バナナの皮状に根元から被せてある。
その先端を内側に折り曲げ、葉南は、餃子の皮のようにそこを襞状に折り込んで、花の蕾の形に整えていた。
………こ、これは、凄い発明かもしれない、
おばあちゃんの代から、道具は進化しつつも、基本的な使用方法は変わっていなかった、この形代に、ボクは今、
革命をもたらしたのでは……。
そう。雨傘の例を考えてみればわかる。
江戸時代から傘というものの構造は大して変わらず、今も人は不自由な傘を持ち歩き、同じように片手を犠牲にして雨を避けている。
…つまり、それはこの形代だって同じことだ。
不便であることは理解しているが、他に方法がなかったせいで、ボクら『くノ一』は音入れを立ったままする為にこれを使用し続けていた。
だが今、この瞬間から、ボクは五十嵐流忍術の新しい扉を開いてしまったのかもしれない……。今まで男に擬態が必要な時はハンカチを丸めて詰めていただけだったし、…それに比べればこれはえらい進歩よ。
更に、この発明により救世主への少年試験も、ボク自身の手によって行うことが可能になる。
葉南は、携帯モードにしたニテイルケド不一致2の、圧漏りの画面を開いたまま、あぐらをかいた脚の間で、
そっとグレーのスウェットパンツのゴムを引っ張った。
そしてもう片方の手にスマホを構えると、無音アプリでお腹を撮影する。
葉南は改めてアルバムを開くと、写ったものをじっくり確認し始めた。
……拡大しても大丈夫だ。画面上では、ほぼ本物に見えるわ。
……あ、そうだ!この方法、明日、めいずちゃんにも教えてあげよう。これでお雛祭り問題も解決できるのではないかしら……。
脚の間に異物がある違和感に慣れる為、葉南は立ち上がってしばらく部屋の中を行ったり来たりして歩いてみた。
……後は催し物が開催されるのを待つだけね。実際に指サックを通して放出してみることで、その使用感を確認し、より多くの試験を重ねることで、将来的には更に精度は高くしていくことが出来るだろう…。
さあ、ご飯中、お茶をイッパイ飲むぞぉ!!
葉南はその場で何度か跳びはねたり、屈伸運動を繰り返し、その度にスウェットパンツのゴムを引っ張って、中で指サックが剥がれたり、ずれたりしていないかを確認した。
うん、完璧!
結果に満足した葉南は、ニコニコしながら廊下を進み、
昭和風のビニール床に食卓と食器棚が並んだ、黄色い蛍光灯に照らされたダイニングに足を踏み入れていった。
………。
……。
…。
……葉南は立ち止まり、椅子に座った母親の姿と、食卓の上に乗せられた物を見て……、
一気に顔を強ばらせた。
「葉南?」
「はい?」
「これはなあに?」
「ええっと………」
花音は、テーブルの上に乗せた丸い乳白色の玉を見つめ、もう一度、娘の顔を見ると、
「これはなあに?」と同じことを尋ねた。
「ええっと……しりこ……玉かしら?」
エヘッと葉南は笑い、そのまま回れ右して部屋から出ようとする。
「逃がさないわよ!」と花音が娘の手首を掴んだ。
「……ごめんなさい!!」と即座に葉南が謝る。
「……なんで謝るのよ?」「へ?」
「あなた、これ、かなり強力な不信者から抜いたでしょ?」
「え?ま、まあそうかも……」
葉南は、まだ警戒しながら母親の顔を見る。
「……お母さん?手、離してもらっていい?……ボク逃げないから……」
「ああ、ごめんなさい。だってあなた、一回気配を消しちゃうとなかなか捕まらないじゃない?」そう言いながら花音は手を離し、
「……あなたがちゃんと真剣に、地域の安全に取り組んでくれて、お母さん嬉しいわ!」と笑顔で言った。
「ど、どういたしまして……」と葉南は答える。「……ところでさ…ついでだから聞くけど……こういうのの処分……お母さんはどうしてるの?」と言いながら葉南は椅子に腰掛ける。
「あら、教えなかったっけ?」と花音が涼しげな顔で答えた。「しりこ玉は水に溶かしたり、燃やしたりすると環境汚染の恐れがあるから、基本は処分しないで取っておくのよ。」「え……じゃあどうするの?……そのままにしておいたら、不信者が取り返しに来たりしない?」
「勿論そのままにはしておかないわ。」と花音が言う。
「しりこ玉はね、同じくらいの大きさの物を高速でぶつけると……消えるのよ。」
「消える……?そ、そうなの………?」
「だからしばらくは取っておいてね、同じ大きさのが手に入ったら、一列に並べて一気に消せばいいのよ。思い切りぶつると、連鎖して消えてキモチイわよ……まあ今回、葉南が持ってきたみたいに大きいやつになると、…なかなか同じような物はないでしょうけどね。……だから、これを消す為に、隣町とかに大物の不信者を狩りにいくってのもアリよね。」
「……娘のことが心配じゃないの……?」
「そりゃ心配よ。あなたが力の加減を間違えて、前科者にでもならないか……これでもお母さん、心配してるのよ?」「そっち?!」
花音は、葉南がまだ幼い頃、癇癪を起こしてリミッターが外れ、辺りの壁一面を異世界に変えたことを思い出していた。
……この子のオシリスの痣、そろそろ薄くなったかしら……。中学生になる頃には消えてくれるわよね……きっと。
「ところでお母さん?」「ん?なあに?」
「……女の子がしりこ玉を入れると……少しの間、男になれるってホント?」
「ええ。ホントよ。あ、でも不信者のシリコンボールは駄目よ?あくまで普通の男性のしりこ玉じゃなきゃ効果はないわ。……まあ、でも一般男性から無理矢理しりこ玉を抜いたら、それは犯罪だけどね。」
それを聞いた葉南は、預言者との相撲対決で、美少年のしりこ玉を抜かなくて良かった…と考えていた。「…で、お母さんは、しりこ玉を試したことあるの?」「…う」と言って花音はたじろいだ。
……若い頃……お布団の上で旦那のしりこ玉を入れて、仲良く遊んだことを思い出し、
……花音は軽い眩暈と、重い吐き気を感じた。
「…ぃぇ……試したことはないわ。ま、まあ、あれよ!忍者の一般常識よ……。あ!そうそう、ア、不信者の件だったわよね!…えーっと、これをね、女性が入れるとね……、
…生王里が止まるの。
昔のくノ一は、この性質を利用して、戦の前になんかに入れていたらしいけどね。…結果ホルモンバランスが崩れたり、体に合わない時は髪が抜けたり、ニキビが多くなったりしたそうだから、今は試そうという人はなかなかいないと思うわ。」
……旦那とのしりこ玉ごっこのすぐ後に、妊娠がわかり、その後葉南が生まれた……。
まあ、因果関係は不明だけど……。この秘密は墓場まで持っていこう………。
「まあ、とにかくこのしりこ玉は地下室にしまっておきましょう。来週くらいまでに、お母さん、これと同じ大きさの物を探してみるわ。」「了解」と言って葉南は「ゴハンはまだ?」と聞いた。
「……アナタ、突然帰ってくるから…。今、冷蔵庫見たら大したものが作れなさそうだし、出前でも取りましょうか?鰻にでもする?」「やった!」と葉南は叫んで小躍りし、「じゃ、それまで部屋で待ってるね。」と言って椅子から立ち上がった。
そして「……いやあ、鰻が食べられるなら、今後も不信者を刈ろうしら?」と呟く。
「あ、葉南?しりこ玉抜きはあくまで最終手段にしときなさいよ?普通はカメラ撮影と通報で奴らを十分に封じることが出来るんだからね?あと、形代も使ってね?あれを使って誘導しておけば、奴らを勝手にドブ川とかに落としてしまえるから。」
「はーい、わかってまーす。」葉南はそう言うと、
……あ、形代で思い出したわ。早くこのお腹の指サックを試してみたいわ。
…と考えていた。
葉南はダイニングを後にすると、いったん母屋を出て、裏口から旧道場の方へ回っていった。
五十嵐邸は、外に厠があり、昔ながらの禾口式一つと、
縦型の⌋|⌊イ更器が並んで立つ構造になっている。
さすがに今は水洗だが、たった20年前までは汲み取り式だったと聞く。
かつて、五十嵐家に敵が侵入した時、禾口式の穴の中に酢吐が潜み、下からしりこ玉を抜こうとしてきたことがあったそうだ。その時はおじいちゃんの機転で事なきを得たそうだが、
賢明なお父さんは、すぐに厠を水洗に改装し、万一を考えて防犯カメラを個室内にも取り付けた。
まあ、今はお母さんによってカメラは取り外されているけど、今の五十嵐家はセキュリティが万全だから……部外者が侵入することは、まず不可能でしょ……。
第一、今の五十嵐家には男が1人もいないから、「変貝者をいっさい中に入れない」という意味で、男の侵入は、敷地内に入る前に全て阻止されるはずよ。鰻を持ってくるのも、元看板娘のおばちゃんだしね。
万一、この厠に男が侵入してきたことが分かれば、何かしらのセンサーが発動して、撃退する仕組みになっていると聞いたような気がするわ……。
葉南は縦型⌋|⌊イ更器の前に立ち、グレーのスウェットパンツを足首まで下ろした。
……途端に、ピピピピ……と電子音が響き、赤いレーザーが、葉南の身体の前を走査する。
次の瞬間、シュパン!!
という風圧と共にイ更器内にギロチン刃が落ちてきて
……気が付くと、葉南のお腹の下に飛び出した越智くんちは半分に切断されて、先端部が床に落ちているのが見えた。
『security house』




