ヰ82 発現
不信者、山神仁花は、無表情で目の前にいる忍びの少女を見つめていた。
大浴場の湿気と湯気の中で霞む視界。
山神は浴室内にもかかわらずコートを着たままだった為、
髪の生え際から汗が垂れてくるのが分かってはいたが、少女から一瞬たりとも目を離さなかった。
山神のお腹の中はいまだ熱く火照り、
力の漲る月又間は、いまや痛いくらいで、
若干身動きするのが不自由にすら思えた。
この動きの鈍さを弱点として突かれる可能性はある……。
山神は、今の自分が負けるはずはないと思いつつも、
今目の前にいる少女は、ただの子供ではないということを、よく理解してもいた。
この少女は、駅前の高周波音入れに生息していたあの強力な、はぐれ不信者を倒しているのだ。
運が良かったとは言え、油断は禁物だ。
さっき見た忍び術の『印』も、小学生(?)とは思えないほど型が正確だった。
『小手先』と言ってバカにしたが……正直、うまくやられると、こちらの結界を全て破られる可能性すらある。
……『免・装・隷・タム』だと?笑わせやがる。切れ味が鋭すぎて、思わず吹き出してしまいそうだったぞ。顔も結界も綻びが出てしまったじゃないか…。
山神は、正面に立つ泡だらけの少女に動きがないことに警戒しつつ、
「さあ。早くそのシリコンボールを渡すんだ。…君がそれを持っていても仕方がないだろう?」と優しく声をかけた。
五十嵐葉南は、緑色のプラスチックの手酌の中にあるしりこ玉を、ゴロゴロと音を立てて転がしながら、
……ここはお風呂だというのに、相手は完全武装をしている。…コート、背広、肌着、スラックス、そして白いブリーフ…。それらを解除して奴のしりこ玉に到達するのはほぼ不可能。……どうする?葉南?こういう時、あの人ならどうする?…と考えていた。
……チャンスがあるとすれば、
さっきみたいに奴がしりこ玉を体内に取り入れようとする瞬間だ。逆に装備が薄くなり、そこが狙い目になるだろう…
思わず放送コードを気にして、泡のビキニを作ることに集中してしまったけど……。
今思えばあれは千載一遇のチャンスだった。
だとしたら、今ボクの手中にあるこれを、わざと山神に与えて隙を作るべきなのか……。いや、どうだろう?危険すぎるか……?
葉南は、山神から目を離さず、流れる汗を額から拭い終わると、
静かに片手で印を結び始めた。
そのタイミングで、すかさず山神が動き出し、目にも止まらぬ早さで、葉南との距離を詰めてくる。
驚いた葉南は動作を中断し、手桶を胸に庇いながら後方へジャンプした。そのまま足を滑らせて、受け身を取りながら背中から倒れると、
襲いかかってきた山神の腕を、間一髪のところでよけて、
スナップを効かせた足を思い切り前へ蹴り出して、ツルッとした床を背中で滑って遠退いていった。
滑っていく途中、右手に掴んだ固形石鹸を敵の顔面に向かって投げつける。
山神は手刀で、飛んできたミルク色の豆乳石鹸を一刀両断にした。が、その2つに割れた石鹸の破片の中心を貫通するように、
狙いすましたもうひとつの硬い石鹸が飛んできて、ゴツッ、と山神の鼻を直撃する。
「ウッ」と仰け反った山神は、血が出ていないかを確かめようと指で鼻を触ったが、その瞬間、
葉南が後方に泡を飛び散らせながら駆け込んできて、
ジャンプしながら立てた膝を不信者の月又間に食い込むように叩き込んだ。
☆★☆☆★!!?
「イタぁッ!!な、な!?なによこれ??硬った!」と言って葉南は膝を押さえ、苦しそうに膝の皿に手をあて、床をゴロゴロと転がった。……それと同時に緑色の柄杓がくるくると回転しながら床を滑っていく。
「アハハハハ……」と、山神は笑い、「僕のここが弱点だと思ったかい?残念だったね」と楽しそうに言った。
「今の僕はね?ここが一番の凶器なんだよ?まあ、あれか、子供の君には分からないか。」
アハハ……と再び山神は笑い、ゆっくりと緑色の柄杓の方に歩いていく。
痛みに耐え、涙を滲ませる葉南は、
両手がフリーになった自分に気付き、…すかさず「相!」「弗($)!」「喝!」「慟!」と両手の指を組んで、素早く印を結んだ。
Spank!!
山神は、ピンク色の衝撃波に足元を掬われ、笑いながら濡れた床にびしゃぁぁぁぁぁぁぁ…………と横滑りにふっとんでいく。
くそ!と山神は壁に頭を打ち付けながら手桶の方を見やり、
……横になった視界の中を、葉南が石鹸の上に足を乗せ、スピードスケートのように腕をぶんぶん降りながら、滑っていく様子を見ていた。
ほとんど減速することなく、左手を床に擦りつけながら葉南はカーブを曲がりきり、
そのまま緑の柄杓の柄を掴むと、
摩擦で発生した石鹸の泡を再び身体に纏い直しながら、山神から一定の距離を取って急停止した。
アドレナリンが切れた葉南は、戻ってきた膝の痛みに顔をしかめながら、
……クッ!あの異様なペニシリンの硬さ……。普通の人間のものではないわ……、と考えていた。
山神は濡れたカシミヤのコートを気にしながら立ち上がり、
「流石だね。五十嵐葉南くん。」と言って手を叩き始める。
パチパチパチパチ………
「まさに五十嵐流忍術の真髄……、卓越した親父虐のセンス……。父親譲りの忍法の才能。いやあ畏れ入ったよ。」
葉南がギョッとした表情で、山神のことを睨む。
「どういうこと?何故、お前がお父さんのことを知っているの?!」
「ハハハ……知っているもなにも…、僕は君のお父さんに教えを受けた唯一の不信者だからね。君のお父さんは素晴らしい人だった。
……あの方こそ、この地域全ての不信者の始祖と言っても過言ではないよ。数々の独創的な変態行為。君のようなヤバい変異体が生まれたのも、お父さんの危脳丸な負霊の産物なのではないかな?
元を辿れば、君も僕も同じ穴のムジナ。同類だよ。……君のお父さんは今頃刑務所で、あのはぐれ不信者と仲良く遊んでいるんじゃないかな…?ハハハ……ハ?」
山神は軽口を叩きながら、徐々に少女の気配が変化していることに気付き、戸惑ったように、段々と声を小さくしていった。ははは……
白い泡を身に纏った五十嵐葉南は…、
俯きながら、その小さな身体をぶるぶると震わせて、拳をぎゅうぅぅっ…と握り絞めていた。
ゴトン!と、柄杓が床に落ち、
中からコロコロコロ………と、2つのしりこ玉が転がり出してくる。
「あ、あれ?…は、葉南ちゃん?しりこ玉落としましたよ?あれ?いいの?僕、拾っちゃうけど?あれ?いいのかなぁ~~……」
山神が猫背になって、「では遠慮なく……」と言ってしりこ玉を拾おうと、一歩前へ足を踏み出す。
「ほら?もう取ったよ?いいのかな?2つとも、ほら入れちゃうよ?」
しりこ玉を拾った山神は、チラッと葉南を見て、「お~~い、もう入れるよー、聞こえてるー?」と言った。
「……るな…」
「え?」
「……するな……」
「え?なにか言った?ごめん、よく聞こえなかった……」
山神が戸惑いのあまり半笑いになりながら、耳に手をあてて近寄ってくる。
「お父さんを、バカにするな。」
「はい?」
すぐ近くに迫ってきていた山神の腕を、葉南がいきなりガシッと強く掴んだ。
その腕力の強さに山神は驚き、思わず手に握っていたしりこ玉を落としそうになる。
「ちょ、ちょっと、葉南…ちゃん?い、痛いんだけど…さ…」
「お父さんは不信者なんかじゃない……取り消せ。今すぐ。」
「え?な、なんか怒っちゃった?」と、山神は言い、「でも、君のお父さんは刑務所にいるだろ……?」と小さな声で付け加えた。
「……ふ、ざ、け、る、な………」
葉南の震えた声が室温を急激に下げ、それと共に、彼女の背中の青い蒙古斑が、
……瞬く間に全身に広がっていくのが見えた。
その痣は早回しで育つ植物の蔦のように、渦を巻きながらお腹の方まで伸びていき、
どこかの部族の入れ墨のように、身体の大切な部分を囲いながら範囲を拡大していった。
それと同時に身体を覆っていた泡は、溶けて流れ落ちていき、代わりに痣が手足の先端に向かって、弥生土器の紋様のような形で伸びていく。
驚いた表情を隠さずに、その様子を眺めている山神の前で、葉南はまだ未発達な骨盤に沿って、子官と腎臓の断面図に似た痣を、
丸い腹に浮き出させていった。
肋骨を覆うカラスの羽に似た痣。
ピンク色の2つの豆の周囲にペイズリー柄の円が回転しながら発現し、
最後に少女の身体の中心に真っ直ぐに通った、すうじの1の左右に、漏斗の紋章が花開いていった。
同時に首から頬のところまで広がった青痣が、忍びのマスクの形となって顔を覆い、
葉南は鬼の形相でこちらを睨んでくる。
「あ、あれえ?葉南ちゃん、ど、どうしたのかな?怒った?怒っちゃった?おじさん参ったなあ…アハ、あは、」と山神は焦りながら2つのしりこ玉を、急いで自分のズボンの後ろに突っ込み、ジタバタしながらそれをクイッと上に突き上げる。
「……オ父さンを侮辱シたコト……イマスグ取り消セ…さもないと…コウカイスルゾ……」
葉南は野人のように肩をいからせ、股を開きながら姿勢を低くすると、『グルルルル……』と唾を含んだ息を、口の端から吐き出した。
しりこ玉の取り込みが完了した山神は、
「アハハハハ……感じるぞ!!ち(ん)からが膨張して、破裂しそうだ!!……ああ、なるほど!そういうことか五十嵐葉南!…僕もお前も化け物の子だと言うことだ!!お前が男でなくて残念だよ!
男ならすぐにしりこ玉を抜かせてもらうのにな!」と、山神が言葉を言い終わるか、言い終わらないうちに、青い類人猿のように、
ダッ!と葉南が両手をついた姿勢で突っ込んできて、
シュタッ!と目の前で跳躍すると、
僅かに開いた漏斗の紋章を山神の顔に押し付けながら、首にしがみついてきた。
山神はよろけながら、葉南の背中に爪を立て、血が出るまで引っ掻く。
すぐさま葉南は、山神の頭頂に噛み付き、
ブチブチブチ………と艶のある髪の毛を100本単位で引きちぎっていった。
「何をする?!」と、山神がくぐもった声で叫び、……河童のように禿げてしまった頭頂部を両手で触る。
その瞬間、野獣の唸り声を上げた葉南は、山神の耳を掴みながら両足で、彼の肩を蹴り、その勢いで頭の上に倒立した。
…そのまま弓なりにブリッジをした葉南の遠心力に引っ張られ、山神は背中から浴室の固い床に倒される。
ガッ、ポーン!
辺り一面に洗面桶と、風呂椅子が散らばった。身体中にシマウマのような青痣を発現させた葉南は、オシリスの蕾をこちらに向けて腹を内側に丸めると、反動で背骨にスナップを効かせて飛び起き、
まだ脳震盪で立ち上がれない山神のスラックスを「ガルルルルル……」と言いながら足首まで引き摺り下ろした。
葉南は、目線の先にある尖ったトランクスの中心を無視し、
この不信者の体をひっくり返すと、背中にピッチリと食い込んだブリーフのゴムを鷲掴みにして一気に太ももまで剥き取った。
****************
……。
……目を覚ますと、
山神仁花は、自分がコートを着たまま、
下だけ脱がされていることに気付いた。……そして頭のてっぺんがスースーとする。
周囲には3人の禅羅の男達が転がり、彼らも首や頭を押さえながら体を起こし、
何が起きたか分からない様子で辺りを見回していた。
山神は恐る恐る、自身のオシリスに手を回すと、
……しりこ玉が抜き去られていることを確認した。
………。
……。
…クソ……あのアマ……。
****************
……意識が戻った五十嵐葉南は、月几巴の身体を剥き出しにして、
体育座りで壁の窪みに収まっている自分に気付いていた。
全身に広がっていた痣は、今は消え、引っ掻き傷だらけの背中とオシリスにある蒙古斑だけの姿に戻っている。
無意識に防犯カメラの死角を選んで隠れていた葉南は、山神との会話を思い出そうとし、
……こめかみを押さえて、眉をしかめた。
膝と膝の間に、
乳白色の玉がひとつ挟まっている……。
それは角度を変えると、色を変えながら虹色に光り、
……葉南はボンヤリとその様子を眺めていた。……綺麗……………
……はっ!!
思い出したわ。これ、山神のしりこ玉だわ…!
やだこれ、どうしましょ。
………。う~ん。
まあ、今はいいわ。とりあえず持って帰りましょう。今後何かの役に立つかもしれないし……。
葉南は、立ち上がると、周辺の防犯カメラの位置を改めて確認した。
……よし。
再び忍び少女は完全に自分の気配を消すと、飛鳥めいずの待つコインランドリーへと、シュパッと走り去っていった。
『expression』




