ヰ8 テロリスト
「怒、怒、怒、怒、どういうこと?!」
朝の会が終わった瞬間に、長い黒髪の白装束少女、三浦詩が、駆け寄ってきて、アンドロイド少女、設楽居睦美に詰め寄る。
睦美は、デニムジーンズの小さなポケットに親指を引っ掛けるように突っ込みつつ、
「……私、知らないわよ?あんな奴。」と言った。
「……そう……なの?じゃあなんで、あの男、睦美の名前を知ってるのよ!」
………まったく……あんまり驚いて、履いてきた夜用夢眠に、ちょっと、にょ漏にょ漏…しちゃったじゃない……。危なかったあ……今日は素ナプキンだけじゃなくて良かったわあ……。
詩は、クラスの女子達に囲まれた転校生をちらっと見て、すぐに睦美の方に視線を戻した。
……やば、なんかアンモナイト臭がするわね……。いつも私の夢眠ちゃんは嫌な臭いをカットしてくれるはずなのに。睦美にバレると、さすがに恥ずいわ……。
詩に見つめられた睦美は、逆に居心地が悪そうに体をもぞもぞとさせていた。
……まずいわ……。この臭い……ファブリセッシュ効果が切れてきたかも……。
「ちょ、ちょっと私、御手洗いに行ってくる……。」
睦美はそう言うと、ササササ………と少し、がに股横歩きのような変な歩き方で、教室を出ていってしまった。
その様子に気付いた転校生、向井蓮が机から立ち上がる。
……彼は、背こそ高くないが、体のプロポーションが全体的に整っていた。その王子様然とした佇まいを強調する、袖の膨らんだ白襟シャツに風をはらませながら、細い脚に履いた紫のサテンのスラックスの残像を自分の席に残して……彼は素早く歩き出した。
そのまま急ぎ足で、三浦詩の橫を通り過ぎようとしたところで、
「待ちなさい。どこへ行くつもり?」と声がかかり、彼の目の前に詩が立ちはだかった。
気付けば後ろからも吊り目少女、赤穂時雨がやってきて、グリーンのフード付きパーカーから覗かせたボーダーのTシャツの前で腕を組んで「……向井君?あなた、設楽居さんと知り合いなの?」と聞いてきた。
その言葉に被せるようにして、詩が「設楽居は、あなたのことなんか知らないって言ってたわよ?」と言う。
間髪入れず時雨も「向井君?……あんなアンドロイド女、やめておきなさいよ。」と口を挟む。「ところで向井君は、スマホはなに使ってるの?」
そこで初めて、この美少年は顔を上げ、「え?…ああ、愛・不穏を使ってるよ?」 と言ってニッコリと笑った。
「じゃあ尚更なんでよ??……設楽居さんのどこがいいって言うのよ?あんな、ニコリともしないロボット女……」
「ちょっとアンタ??言わせておけば…」と、詩がムキ~~!となって時雨に掴みかかる。
「でも睦美ちゃんが笑わないのは……」
と、急に美少年、蓮が話し始めたので、2人の女子はお互いの髪の毛を引っ張った姿勢のまま、振り返って固まった。
「……歯の矯正を始めたからだよね。歯を見せて笑わないのは、サイボーグ化してる口内を人に見られたくないからだったよね。」
「あ、あなた、何故それを知ってるの??そ、そのことを知っているのは、睦美の家族と私だけよ!!」と、詩が叫ぶ。
「ふふふ。」と、蓮がまた笑った。
「睦美のことを、そこまで知っているなんて……あなたホントに何者なの?」と詩が呟く。
「君のことも憶えているよ。……三浦詩ちゃんだったよね?
ねえ?僕、さっき言ったよね?……僕が睦美ちゃんの未来に待ち受ける不幸から、彼女を救うって……。それなら僕と君、利害は一致してるんじゃないかな?……違う?」
「な、なに戯れ言を言ってるのよ?!私にはあなたこそが睦美の不幸の源に見えるわ!……この変態ストーカー!!」
「お、なんか今、変態の話してる?」
と、言ってグラマー系コケシ風女子、近藤夢子が顔を出す。
「もう!アンタが出てくると、ますますややこしくなるから!向こう行って!」と詩が、時雨の髪から手を離し、しっしっ、と手のひらで宙をあおぐ。
「アハハ、懐かしいな。……君、近藤夢子ちゃんだろ。お久しぶり。」
「はあ?はじめましてでしょ?アンタなんか知らないわ。
……ところでアンタさ、知ってる?うちのクラスの女子達が、アンタのことエロい目で見てるわよ。気を付けなさい?」と夢子が言う。
「うん、ありがとう。気を付けるよ。」と蓮が言った。
「え?じゃ、じゃあ、向井君?……わ、私のことは憶えてる?」と赤穂時雨が前のめりに、蓮の正面に飛び出してきた。
「………。」
「………。」
「…ああ、勿論憶えているよ。」
……これ、絶対覚えていないやつだ……。と詩と夢子が顔を見合わせる。
時雨は嬉しそうに顔を赤らめ、「お久しぶり!」と言うと、蓮と無理矢理握手をしていた。
**************
……その頃、アンドロイド少女、設楽居睦美は、御手洗いにある、お気に入りのジャパニメーション・ルームで、身体の外装パーツを解除していた。
……ふう。
やっぱり、今日これを装着してくるのは無理があったわね……。琥珀色の記憶に封じ込められた、アンモナイトの面影が、……ファブリセッシュの薫りを超えて……、なんか、かなり臭ってくるわ……。
…………。
……まあね。今日はズボンだし……。ばれやしないわよね……。
睦美はそう思うと、黄変した下部パーツを完全に解除した状態のまま、青いデニムに脚を通し始めた。
よし、と。
で?この汚れたパーツ、どうしようかしら……。いったん洗いたいわね……。それも石鹸で。
睦美はそれを恐る恐る指で摘まみながら、もう片方の手で自分の鼻を摘まんでいた。
……これぞ、本当のお花摘み……。
いけないわ、睦美。
いくら人間であることを捨てた私でも、オヤジギャグで、女の子であることを捨ててはいけないわ……。
私は少女型アンドロイド、コードネーム:ライム。
………さてと、っと。
今、これを外の洗面所で洗うのは危険過ぎるかしら……。その後は、よく搾るとしても、どうやって乾かそう……?びちょびちょのまま……??
……やっぱり、このプランはダメね。……このまま持ち帰ることにしましょう。
……そうなると……、なにかこれを入れるための…密閉出来るビニール袋が必要よね。
……確か、この御手洗いの掃除用具置き場に、ゴミ箱用の替えのビニール袋が置いてあった気がする。……それを一枚拝借しましょう。そして、後でランドセルに移し替える……。うん、完璧だわ。
睦美は、アンドロイド格納庫の扉を薄く開け、御手洗いに誰もいないことを確認すると、
急いで角にある清掃用具置き場のパーティションの方へ移動し、目にも止まらない速度で、備品入れからビニール袋を一枚失敬すると、
瞬時に、その中にパーツを突っ込み、口をギュッと縛った。
ライムセンサーが、入り口に人の気配を感じ……、直後にお喋りしながら連れだって入ってくる女子と顔を合わせる寸前に、
……睦美は再び個室に体を滑り込ませた。
……ふう。
やり遂げたわ……。
臭いも感じない。成功ね……。
………。
…………。
……………。
さて、このビニール袋、どうしましょう。
睦美は格納内を見渡し……、ふと水洗タンクに目を止めた。
睦美はそのまま、音を立てないように、重いタンクの蓋をずらしていき、
……密閉したビニール袋を、その隙間から、ポチョン……と下に落とした。
……よし。これでいいわ。放課後ランドセルを持ってここに戻ってきて回収する、と……。完璧だわ。この個室、何故か人気ないから、基本的に誰も使ってないし、ばれる可能性は限りなくゼロに近い……。
その間ずっと、睦美はある重大なことに気付いていなかった。
色々なことに気を取られ過ぎた彼女は、あろうことか、
デニムジーンズのチャックを閉め忘れていたのだ!
意気揚々と、廊下を歩く設楽居睦美は、10歩に一回の割合で、ジーンズの前のファスナー部を、
パカパカと微かに開きながら、……若干、得意気な顔をして教室に戻ってきた。
そこで予鈴が鳴り、睦美は真っ直ぐ自分の席に向かう。
その後ろ姿を、夢子、蓮が目で追いながら、
「とにかく……、あなたは睦美に近付かないで!」と詩が、苛々とした声で言うのを聞いていた。
蓮は最初、なにも答えなかったが、やがて「……ねえ詩ちゃん?僕を科学特捜部に入れてくれないかな?」と言った。
「は?なんでアナタに『詩ちゃん』呼ばわりされなきゃいけないよ?!やめてよ、キモチワルイ!!」と真っ赤な顔をした詩が言う。
「科特部は女子しか入れないの!近藤夢子とあと1人、設楽居が入部したら、定員オーバーよ!だいたい、あなた愛・不穏持ちじゃない!ダメダメ!!」
向井蓮は、うふふ、と笑うと「やっぱり二周目でもダメかあ……。まあいいや、とりあえず…卒業まで宜しくね!」と言って、自分の席に向かっていった。
「あ、向井くん?あなたの席はね……」
と廣川先生が大きな声を出す。
「知ってます。ここですよね?」と言って、蓮は窓際の一番後ろの席に座った。
「………そこ、私の席……」と言って、ウェーブヘアの吊り目少女、赤穂時雨が、いつの間にか机の橫に立って、ぽっ、と頬を赤らめながら…潤んだ瞳を蓮に向けていた。
蓮が慌てて立ち上がると同時に、時雨が
「私達……、間接お尻相撲しちゃったね♪」と耳元で囁いた。
「……な?!」と言って、蓮は思わず自分のお尻を両手で押さえる。
……あれれ?……なんか歴史が変わってる??僕、主人公席じゃないの??
蓮は改めて案内された、真ん中の列の、前から5番目の席に座りながら、
……まあ、これはこれでいいのか…。だいたい二周目なんだから、色々変わってくれなければ困る。でも……、望まない方向に変わってしまうのは嫌だな……。と考えていた。
……そうか、でもよく考えたら失敗した場合、もっと悪い未来になる可能性だってあり得るんだ。気を付けないと。
……僕のチート能力は、この容姿だ。
でも正直これは諸刃の剣だし、なんなら実際、子供時代を通してあんまり役に立った記憶はない。
……それにしても、あのエロドロップ爆弾……。このタイミングで、あの画像を投下するんで良かったんだよね?
実はこれは…一周目の人生、すなわち 正史では、
約1ヶ月後に、睦美ちゃんがお兄さんの愛・不穏を使って仕掛けることになる、倫護カンパニー支配に抵抗する為の無差別テロだった。
今回は先回りして、僕がテロを行ってしまったから、クラスの女子達は設定を変更して、今後はエロドロップを受け取れなくするに違いない。更に美少年の僕の登場と時期を合わせることで、限りなくエロドロップの衝撃を薄めることが出来たはずだ。
……これで睦美ちゃんが最初の犯罪に手を染めるのは阻止出来たわけだけど……。同じ画像にする必要はあったかな………。
……まだ今の段階で睦美ちゃん自身は、反愛・不穏過激派である科特部に在籍していないようだし………。いやあ、まだまだ油断は出来ないよなあ。
……あまり過去を変え過ぎると、予測不可能性理論にあるように、逆に未来をコントロール出来なくなる可能性がある。
未来は変えられる………。
そう信じてやっていくしかない。
向井蓮は斜め前の席に座る設楽居睦美が、
寝不足のせいで、こっくりこっくり居眠りをしている後ろ姿をじっと見つめて……
(今度こそ君を救ってみせるからね……)と、決意を新たにするのだった。
『The Errorists 』