ヰ71 洗脳
漆黒のポニーテールを揺らす、陽キャ優等生少女、木下藤子は、
2月第2週の土曜日、
倫護カンパニー主宰の、とあるセミナーに参加していた。
藤子は以前、設楽居海人に言われて以来、愛・不穏周辺の、小まめな掃除を行ってきたのだが、
……ここ最近になって、スマホカバーの目立った汚れが気になってきていた。
そんなことを考えていたある日に、近場の都市で、倫護カンパニーの講師を招いて、愛・不穏カバーのデコ講習が開催されると聞いて、
藤子はざっと資料に目を通すと、早速それに申し込むことにした。
講義内容には、デコだけでなく、スマホケースの素材別の汚れの落とし方、という項目があり、
それが彼女の興味を惹いたのだった。それらをカンパニーから派遣された女性講師が懇切丁寧に教えてくれるとのことらしい。
藤子は、今自分がスマホケースに使っているミソジニーマウスのデコレーションが気に入っていた為、新しいものに変える気はなかったが、本格的な掃除のやり方を学びたいとは考えていた。
海人にだらしないところを見せない為に、きちんとスマホを清潔に保てるレディにならなければ……。
藤子はそう考えると、親指の腹でディスプレイを擦り、曇った画面を拭き取っていった。
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その頃、とあるビルの一室にある待機室で、倫護カンパニー諜報員、銀髪のクールビューティー、ミス汁婆仁は
不健康そうな青いアイシャドウを塗り、黒っぽい口紅を薄い唇に塗っていた。
彼氏いない歴=年齢の美女、ミス汁婆仁は、この世への無念の大きさ(小ささ)を悟られないよう、いつも装備しているシークレット憮裸の位置を確認、修正し、肩パットの入ったグレーのジャケットを羽織った。
……昨日の夜に、急にカンパニーから連絡が入り、セミナーの講師に欠員が出たとのことで、急遽私に白羽の矢が立ったらしい。
…聞くところによると、この任務は愛・不穏ケース拡販のイベントで、相当注目を集めるものだったとのこと。
……それが当日を待たずして、エージェントがストレスから任務の遂行が出来なくなってしまったという。
この状況に臨機応変に対応出来るエージェントとして、カンパニーは、この私を指名してきたというわけね……。
………。
まあ、私はただ上から言われた通りに、本セミナーを完遂させるだけだけどね。
ミス汁婆仁は、
鏡の前で、今回の変装の参考にさせてもらった同期の諜報員、“メジ子”の発声方法を試してみて、
殊の外うまくいったので、今日はこの喋り方でいくことに決めた。
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「はい。午前中みんなに体験してもらった通り……裸陰ストーンに、ビーズ。アクリルチャーム、キャラクターもの。
マス禁グテープ、凡々シール、デコパージュ。などなど……。スマホをデコる材料は、それこそ色々あるってことは理解出来たわよね?」
と銀髪の冷たい雰囲気の女性講師が言う。
彼女は、この講習会場に集まった、女子中高生達のグループに打ち解けることなく、
淡々と説明を続けていた。
「…パーツの接着とコートを両方行う手段としては、UVレジン液が有効です。…これは100円ショップで売られているようなものでなく、画材店にある高価なものを使用しましょう。安いものはすぐにダメになってしまいます。
このレジンを使ってドライフラワーやラメを、琥珀のように封入するのもお洒落ですね。」
キャ、キャ、と楽しそうにスマホケースを制作する女子達の中で、
木下藤子は、教わったことを一言一句もらさずメモすることも怠らなかった。
「……さて。」
と“いかず後家”風20代後半の美人講師がスライドを準備しながら言う。
長い銀髪を背中まで垂らしたミス汁婆仁は、天井の蛍光灯が一瞬、ジジジ……とちらついたのを見て……次にPCの画面を見つめた。
多分、この部屋の様子を撮影しようという輩が外にいるのだろう。だが、ここのセキュリティは万全なはずだ。
この講義内容はライバル企業にいっさい洩れてはいけないものだから……。
……とにかく私がこの講義を行う間、部屋の様子を録音、撮影されないように注意しろ、とだけ言われている。それだけ今回の講義は危険なものなのだ……。
木下藤子は、隣の席に座る同い年くらいの女子とおしゃべりをしていたが、
講師の女性が「さて……」と言ったのを聞いて、背すじを伸ばして正面を向いた。
「……ここからはスマホカバーの汚れの落とし方をレクチャーします。…はい、皆さん、今自分が使っているスマホを出してください。」
少女達がガタガタと椅子を動かし、各々のスマートフォンを取り出す。
彼女らが持っているのは、もちろん全て愛・不穏だった。
「では早速、スマホケースを外してください。」
少女達は恥ずかしそうにお互いの顔を見てるだけで、誰もカバーを外そうとしない。
「恥ずかしがらないで。ここにいるのは同世代の女の子だけよ。ほら、カバーを外してください。」とミス汁婆仁がもう一度言う。
藤子は、隣に座る少女に「ね、一緒に外さない?」と声をかけ、
「……せーっの!」と言いながら2人同時にカバーを取り外した。
それを見た他の女子達も躊躇いながらも、柔らかいケースを裏返すようにして捲り上げていく。
ミス汁婆仁は、少女達がスマホカバーを捲り上げている姿を目を細めて確認し、
「やっばりみんな結構汚れているわね。」と言った。
「まあ一番気になるのは表面の黄ばみよね……。」
ミス汁婆仁は、彼女らのうち1人の髪の短い少女に近付き、彼女の裏返しになった白いシリコン製のスマホケースを指差して
「皆さん、これをご覧ください。」と言った。
その言葉を合図に集まってきた少女達は、彼女のケースの黄ばんだ部分に溜まった、垢や黒ずみを確認した。
髪の短い少女は真っ赤になって項垂れている。
「恥ずかしがることはないわよ。女の子のここは、みんな汚れるものなの。」とミス汁婆仁は言う。
「あなた、ひょっとしてお家にペットがいる?内側に猫の毛が一杯付いてるわよ?こういう毛はガムテープで取るといいわよ。」
「え……ガムテープでですか……?」と少女が恥ずかしさのあまり涙目になりながら言う。
「コロコロクリーナーでもいいわよ。まとめて一気に取れるから。」
「い、痛そう……」と、後ろにいた藤子が思わず呟く。
ミス汁婆仁が声のした方を見やり、
漆黒のポニーテールと濃いうなじの少女を見つけ、
「確かに……あなたのような濃いタイプは木工ボンドを使う方が効率的なようね。その方が痛くないし。」と言った。
「木工ボンド…ですか?」
「ええ、そうよ。木工用ボンドで固めてからゆっくり剥がすといいわよ。毛が根こそぎ綺麗に取れるから。」
「いえ…わ、私は別に…そこは自然のままでいいと思ってますから……それよりも……黄ばみを綺麗にしたいです。」と藤子が言う。
「綺麗に出来るかどうかは、黄ばんだ理由にもよるわね。」とミス汁婆仁が答え、発言してきたポニーテールの少女に近付いていき、……彼女の柔らかいシリコンカバーを捲らせてもらった。
「…プラスチックの劣化による変色は綺麗に出来ないわよ。新しいものに変えるしかないわ。でもレジンと同じで、それが紫外線による変色だとしたら…まだ手はあるわよ。」
「ぜ、是非教えてください」と藤子が言う。
ミス汁婆仁は、前任者が準備していたスライドの画像を先に送り、写真を見せながら
「酸素系漂白剤の水溶液に浸けておくのよ。」と説明した。
「…なるほど」と、藤子は、メモを取り、自分の黄ばんだスマホケースをじっと見つめる。
ミス汁婆仁は、ふと冷静になり、
……部屋にいる10名以上の少女達が、自分の黄変したシリコンカバーを、講師に向けて捲り上げながら、
各々のスマホ本体の端子を、…その内側にある襞まで剥き出しにして、椅子の上で身体をこちら側に向けて並んでいる様を見つめていた。
……ふふふ。これが、日本のアンドロイド陣営が、喉から手が出るほど欲しがっている、愛・不穏の女子中高生への精神支配というやつよ。……正直今の愛・不穏が有する侮濫奴力を持ってすれば、少女達の常識壊変など容易いこと………。
「ねえ、みんな、聞いて。」とミス汁婆仁が、…シリコンを裏返し、黄ばんだカバーをこちらに見せながら頬を赤くしている少女達一人一人の、顔を見つめながら言った。
「知ってる?スマホの画面は、亻更器の表面よりも汚いのよ。聞いたことあるでしょ?…これは科学的に証明された事実なの。
多くの研究によって、あなた達がいつも指で触っているスマホの表面には、……多くの細菌や微生物が繁殖していることが確認されているわ。
つまりね?あなた達は毎日素手でつんこや才シ⺍コを触っているようなものなの。……つまり愛・不穏はあなた達の乙女淹れと同じなのよ?……言っている意味がわかる?
…さ、この場ですぐにでも愛・不穏を正しく利用しなさい?愛・不穏7以降は全てIP68、防塵防水仕様になっているから大丈夫よ。ほら、どうぞ?」
そうミス汁婆仁が言うと、……ぼんやりとした顔の何人かの女子が、体の前に置かれたスマホを、音を立てながら直接冷却し始めた。
「スマホはバイ菌でいっぱいよ!」と銀髪の女性講師が笑いながら彼女らの肩を優しく叩き、「…これからも愛・不穏をいーっぱい、いいっぱい使ってあげてねー?倫護カンパニーはね?あなた達のような可愛い日本の女子中高生の味方だからね~。」と言って、髪を撫でてやった。
木下藤子は一瞬、疑問に思ったが、…隣にいた少女が楽しそうに「こういう使い方あるの知らなかったあ」と言うのを聞いて、
自分も愛・不穏を正しく利用し始めた。
満足そうに部屋を見渡したミス汁婆仁はポケットから自分のスマホを取り出すと、まだ笑いながらカシャカシャカシャカシャ……と正面から少女達の写真を撮り始めるのだった。
『Say No! !』




