ヰ65 フィールドワーク
冬の早朝。
三浦詩は、自室の一角にある実験スペースで、机の上に深めのコーヒーカップを乗せると、淵にフィルターを被せて、横に置いていた保冷剤を手に取った。
詩は慎重に、保冷剤の袋をハサミを使って切り取り、中に入っていた高吸水性ポリマーを取り出す。そしてそれをフィルターの中に移し変えていった。
時計の針は、5時を差している。
詩は、卓上ライトの薄明かりによって顔を不気味に照らされながら、
小匙を使って少量の塩を容器の中に加え、そのままカチャカチャと音を立てて混ぜ合わせていった。
高吸水性ポリマーから水分が抜けていく様子を見つめながら詩は、
……あとは、これを1日乾燥させたら、粉末が得られるはずだわ…。と考えていた。
後日それを再び水で濡らし、各社保冷剤の内部にあるポリマーの吸収力の比較を行う。
まあ、こういった実験は趣味の範囲を出るものではないけれどね……、
……私は将来、オム(レ)ツ開発の第一人者になるつもりなの。これはその為の勉強。
そして同時に、私は人々のオムレツ使用に対する心理的障壁を取り去り、
老若男女、誰でも気軽にオムレツを利用出来るような時代を作り上げてみせるわ……。
災害時や電車内での突然のお腹の急降下、はたまた映画館で、音入れに離席して一番面白いシーンを見逃さない為……、皆、もっとオムレツをじゃんじゃん利用すればいいのよ。
そう、これは人類の意識革命に繋がる重要なターニングポイントになるはず…。
勿論、私も今回の受験中、何の不安もなく解答用紙に向かうことが出来たわ。
逆にオムレツをしていることで、120%の実力が出せたと言っても過言ではない。
詩は一旦、実験道具を脇にずらし、
ノートに『課題:自然分解可能な吸水ポリマーの開発』と書き込んだ。
残念ながら現状、世に出回っている吸水ポリマーの殆どは生分解されない石油系の化学物質になっている。
ポリアクリル酸ナトリウムは自然環境下では、マイクロプラスチックとして残留してしまうのだ。
……確かにデンプンやペクチンなどを使った生分解性ポリマーが研究開発されてはいるが、これは高価だし、正直、SAPほどの“漏れない安心感”がない。
流石に家庭では生分解性ポリマーの抽出は出来ないから、それは、私が大学の研究施設を利用出来る日まで待つことにして……。詩はノートの前の方のページを開いて、
去年の夏の研究結果を見返していた。
『自然素材で制作するオムレツ』
綿:吸水性に優れる。
麻:吸水性に優れる。ただし肌触りは最悪。
新聞紙:吸水性に優れる。肌触りは最悪。
オシリスが黒くなる。
段ボール:吸水性に優れる。調達が容易。
これは簡易乙女淹れとしても利用可能。
内側に保水性の高い腐葉土などを入れ、
そのまま腰に装着。
サスペンダーを付け、肩から吊ってみたが、
ロボットのような見た目になる(笑)。
腐葉土には消臭効果が期待出来る。
ピピピピピピ………
6時を知らせるアラームが鳴り、詩は、ガラケーを開くと、近藤夢子にメールを打った。
『起きてる?』
すぐに向こうから返事が返ってくる。『今起きた』
同時に5年生の土田優茉からもメールが入り、『ツチダは本当に今日は行かなくて大丈夫ですか??』との文章を見て、
詩は『今日は一旦様子見だから。あまり大人数で動かない方がいいわ』と送り返した。
****************
…あれから、近藤夢子と2人でC班の通学路チェックについては綿密に話し合っていた。
まず、犬の散歩がどのくらいの件数と頻度で行われているかを調べる為、周辺の家の『犬』シールの確認から始め、
…冬は暖かい時刻、だいたい昼から夕方にかけて散歩が集中して行われているらしいことも判明した。
前もって通学路をざっと見た限りでは、放置されたフン、またはツチノコを見つけることが出来ず、
散歩している飼い主も、愛犬による縄張りへのマーキングはペットボトルに入れた水で洗い流し、フンもコンビニ袋に入れて持ち帰っているようだった。
「あの写真そのものがフェイクである可能性はあるかしら?」と詩が夢子に向かって言う。
「確かに最近のAIは現実と区別がつかないからねぇ…」と夢子が言った。
それくらいに、C班の通学路はキレイで、ゴミ一つ落ちていなかった。
そこで夢子が、『でもさ、もしかして飼い主は人目を気にして、お行儀良くしているだけなんじゃないの…?実際は誰も見てない時間には、それこそ犬の自由にやらせているのでは…』と言ったことにより、念のためこうして、朝の早い時間に通学路を巡回することになったのだった。
「お早う。」と、丈の長いコート風の白いジャンパーを着た詩が、まだ眠そうな夢子に声をかける。
夢子は毛糸のボンボンがついたカラシ色のニット帽を被っていて、まるで褞袍のようにモコモコのジャンパーを羽織っていた。
夢子は白い息を吐きながら、ポケットから使い捨てカイロを出し、指先だけが空いた手袋の中でモミモミと揉みつつ、
「ふわあぁぁぁ……。夏だったら早朝は犬の散歩にはベストな時間だけどねえ。冬の朝の場合は、そうでもないのかもね…」と夢子が言う。
「かと言って夜は子供だけだと出歩きづらいしね。どうしようかしら?」と詩が手を擦り合わせながら言う。
「まあ、まずは朝の見回りを終えてから考えましょ。」と、ようやく目が覚めてきた様子の夢子が言った。そしてまだ薄暗い前方を、彼女は手に持った懐中電灯で照らした。
「ねえ、夢子?」「なあに?」
「不信者は大丈夫かしら?」と詩が、不安そうに夢子に体を近寄せながら聞いてくる。
「……大丈夫だとは思うわ。」と夢子が答える。
「不信者が出現するのは、主に学生の登下校時間帯よ。そして特に、下校時間である14時から17時頃に目撃情報が集中しているの。あとは登校時間である朝の7時から8時までの目撃も多いわね。
不信者ってのは子供が一人になる時間帯に姿を現すものなのよ。」と、夢子はタブレットで学区内の『無神論者ドットコム』のページを、詩に見せながら説明した。そこには、不信者の出現した日、時間、場所が分類された表が出ていて、
地図上には目撃された時の姿形がアイコンになって表示されていた。
「でも、これを見て。」と夢子は手袋から出た指先で、画面をスライドしながら言う。「興味深いことに、土田が持ってきたツチノコの写真が撮られていたであろう推測位置と、
不信者の出現位置がだいたい重なるのよ……。」
「と、いうことは?」と詩が口の前に白い煙を出しながら言う。
「そうね。不信者が犬の散歩をしているのかしらね。」
「……マジですか、それ……。」と詩が立ち止まりながら言った。「なんで、それをもっと早く言わないのよ。」
「いや、私も今朝出がけに気付いたのよ。おっと、写真に写っていた第一ポイントに到着したわよ。」と夢子は言いながら、懐中電灯で草むらを照らした。「不信者はね、黒いコートを着て、短髪、小太りの男性の姿に擬態していて、20代から40代くらいまでの年齢を行き来する能力があるらしいの。遭遇した人間の証言によると、人語を理解する個体は、音入れの場所を聞いてきたり、知性を持たない個体は、液状の何かを浴びせてきたりするらしいわね。」
そう言いながら夢子は、懐中電灯の光の先に照らされた物体を見つけて、「いたわ。」と呟いた。
「え?!」と詩は驚いて、思わず夢子の後ろに隠れた。
「ほら、ツチノコ……」と言って夢子が草むらを指差す。「なんだ、そっち?」と詩は、高吸水性ポリマーに微かなおちびちゃんを吸収させながら、クラスメイトの背中から顔を出した。
「死んでるわね……。数日は経っていそう。」と言って夢子は、拾った枝でツチノコの死体をつついた。
「まあ、いわゆるワンちゃんの落とし物ね。」
「……」
詩はしばらく沈黙した後、「本当にそうかしら?」と言った。
「どういうこと?」と夢子がツチノコの乾いた体を分断しながら言う。
「今、ちょっと恐ろしい可能性を考えていたの……。もし…、もしもよ?それがワンちゃんのものでなかったら………。」と詩が震える声で言い、「それが不信者が残していったものだとしたら……」
「おおっと??!それはヤバいわね。」
「とにかく。」と詩はガラケーで検体の写真を撮ろうとし、暗すぎて諦めると、立ち上がってスカートのしわを伸ばしながら言った。「もっと新鮮な検体が必要ね……。前に何かで見たことがあるの。業者にKen&Benの個人申し込みが出来るサイトがあるのよ。そこから検査キットを取り寄せておいて、郵送で検体を送ることで、……少なくともそれが犬のものか、それとも別な何かのものかを判断出来るんじゃないかしら。」
「…わかったわ。わかったけど、新鮮な検体を手に入れるには、不信者が最も活動的になる危険な時間帯に、フィールドワークに出なければならなくなるわよ?」と夢子が言う。
「仕方ないわ……。地球防衛部としては、睦美にこれらの危険が及ぶ可能性がある限り、看過はできないわ…。」と詩は唇を噛みしめ、
……そもそも新聞部に写真を送ったのは誰??……キダルト?一体何が目的なの?と考えていた。
近藤夢子は、タブレットに『ツチ○コ』と打ち込み……、検索候補のトップに出てきた『ツチ○コでムラおこし』という文章に、1人笑いを堪えていた。
『fieldwork』




