ヰ6 陰キャと陽キャ
「おはよ。」
あくびをしながら通学路を歩く設楽居海人は、声をかけられた方向に、ゆっくりと振り返った。
「よお、オハヨ。」と海人が言うと、
「どうしたの?そんな眠そうな顔して?」
と、体操着姿のクラスメイト木下藤子が、健康そうな笑顔で話しかけてくる。
木下藤子。
……漆黒のポニーテールを左右に揺らしながら歩く色白の痩せた少女。細い眉と長い睫毛が、白い肌に黒々と目立ち、大きめな瞳と相まって……、決して毛深いわけではないのに、艶やかな黒い毛髪が肌に対して際立って見えていた。
ダボっとした緑色の体操着から細い手首を覗かせ、学校指定の巨大な黒いリュックの肩紐を握り、
藤子は、悪戯そうに笑った。
「また、あの変なゲームやってたんでしょ?」
「は?やってないよ。昨日は一度もログインしてない。」
「そうなの?」
「……ああ。あれはログインしないで、孤独死させると、転生して強くなるシステムだから……、俺はあと1ヶ月はログインしないつもりだ。」
「ふうん……。まあ、……あのゲームをやらないっていうんなら……許してあげよっかな。」
「許すって、何をだよ?どこから目線だよ??」海人はそう言うと、何気なく愛・不穏を取り出して、電池の残量を確認した。
「……学校に預けてる間に、先生、充電しといてくんないかな。」
「どれどれ…」と藤子が横から覗き込み、「2%!……カイト?!あなた、ほんとにゲームで遊んでない??」と言った。
「…私、モバイルバッテリー持ってるわよ。貸してあげよっか?」
「お、いいのか?」
「はい、どうぞ。」
と言いながら藤子が取り出したバッテリーを見て、海人が「これ、純正品か?なんか怪しげな見た目してるけど……」と言う。
「失礼ね!純正かどうかは知らないけど、怪しいものじゃないわ!」
「ホントか?……なんか凄く火照ってるみたいだけど……。大丈夫か?これ?」
と海人は言いながら、丸みのあるすべすべのボディをひっくり返し、楕円形の窪みを覗き込んだ。
「埃が詰まってるぞ。」
「そんなの、ふーってやっちゃえばいいじゃん。」
「おいおい、唾が入ったらダメだろ。なあ木下?なんか綿棒みたいなのないか?」
藤子は、リュックを体の前に持ってきて、サイドポケットから小さなポシェットを取り出すと、
簡単な化粧道具に混ざった綿棒を引き出し、「はい。」と言って海人に手渡した。
「サンキュ。」と海人は受け取り、USBポートの内側のひだを、優しくなぞるように綿棒を動かし始めた。
「……女子って、意外とこういうところズボラだよな。」
「な、なによ。」と言って藤子が顔を赤らめる。海人は念入りに、彼女のモバイルバッテリーの穴の中で、綿棒を擦るように出し入れした。そして、綿の先端に付いた汚れを藤子に見せると、「次からは自分でやれよな」と言った。
「ま、こんな感じでいいだろ。……ケーブルはどこ?」「はい、これ。……大事に使ってよ?」
「なんだよ、それを言うんだったら、俺の方がよっぽど大事に使えてるんじゃないか?こういう所はいつもキレイにしとけよ?
……繋ぐぞ?ホントにいいんだな?……無料で使わせてもらうぞ?」と海人が言うと、
藤子は「……いいよ。」と小さな声で言った。
海人が黒いケーブルの先端を掴んで、思い切り突き上げようとすると、
藤子が、「待って!」と小さく叫んだ。
「なんだよ?」
「……あのね、勘違いしないでほしいの……。」
「なにをだよ?」
「こういうことするの、カイトに対してだけだからね?他の人には……充電させてあげたりしないから……。誤解しないでね?私……、そんな女の子じゃない。」
「…分かってるよ。木下はそんな軽々しく人に充電させたりしない……。……ん?でも、ならなんで俺には充電させてくれるんだ?」
「ばか。」
藤子はそう言うと「もう!早くして!学校に遅刻しちゃうでしょ!」と呟き、プイッと横を向いてしまった。
「お、おう。じゃあ、遠慮なく使わせてもらうぞ……。」
海人は、改めてケーブルを摘まむと、USBポートに向けて、固い端子をグイっと下から強く突き挿した。
愛・不穏が手の中でブルッと震える。
「なあ、木下?やっぱ……、大丈夫か?」
そう言われた藤子が心配そうに顔を近付けてくる。
「なあ木下?ちょっとこれ触ってみ?」
恐る恐る、藤子が、黒いバッテリーの上に、……静脈が薄く透けた白い手のひらを乗せると……、
「……熱い。」と藤子が頬を赤らめながら呟いた。「……これって、こんなに熱くなるんだ。……なんか、私……こわい……。なんだか……いまにも破裂しちゃいそう………そう言えばネットで見たかも……。
リちウムイオんデんちが膨らんで……酸っぱい臭いのする液が漏れてきて……、最後は……女の子の皮膚が焼け爛れてしまったって……。」
「やっぱり、やめよう。」と海人は真剣な顔をして、ポートから端子を引き抜いた。「別に今すぐ必要ってわけじゃないんだ。これは危険をおかしてまで、することじゃない。……まだ俺らは学生なんだ。焦ってする必要はないよ。一時の感情で突っ走ったら、後で後悔することになると思う。……木下、お前の気持ちは嬉しいけど……。スマホを充電するのは……もっと後でいいと思う……。」
「カイト……」と言って藤子は少し涙目になって彼の顔を見つめた。
「カイトはいつもそう……。自分のことより人のことを優先して……。ズルいよ……、私、カイトに……、まだ、なんにもお返しが出来てない……。ズルいよ………。」
「……ん?なんか、俺、木下にお返ししてもらうようなこと、あったか??」と海人が、スマホをリュックにしまいながら言う。
「……気にしないで。今のは私の独り言……。さ、遅れちゃうよ!早く行こ!」と藤子は言うと、泣いていたことがばれないように、顔を心持ち上に向けて、鼻をすんっとすすると、足早に歩き始めていた。
***************
木下藤子は小学生の時、目立たない少女だった。
痩せっぽっちで、髪も短く、眼鏡をかけていて、特別目立つ特徴もなく、……そして友達も少なかった。
真面目だが、すごく勉強が出来るわけでもなく、かと言って、偏差値が低いわけでもなく、他になにか得意なことがあるわけでもなく……、
強いて言えば、漠然と女の子らしい、可愛らしいことが好きだったが、料理やお裁縫やお花が好き、といったことはなく、インドア派だが……マンガを読むことすら億劫で、趣味らしい趣味も持っていないという有り様だった。
だが藤子は、いわゆる『中学デビュー』を果たした。
地元にある私立に進学し、小学生の時の人間関係を清算することが出来たのだ。
入学までに徐々に伸ばしていた黒髪と、コンタクトレンズ。そして……、親に頼み込んで買ってもらった愛・不穏を武器に、藤子は一夜にして美少女に生まれ変わった自分を、新しいクラスにお披露目した。
……こんなにも世界は変わるんだ。
クラスメイト達は、藤子が持つ最新の愛・不穏に群がり、インスタントぐらしやチックタック、ツイスターの話題に花を咲かせた。
藤子の周りに集まってきたのは女子だけではない。小学生の時は殆ど話すことさえ出来なかった、男子も近寄ってきた。
ある日、得意気な顔をした木下藤子は、
隣の席に座る設楽居海人という男子に話しかけた。
「ねえ、設楽居くん?あなた、あんまりクラスの人と喋ってないみたいだけど、……お友達紹介してあげよっか?設楽居くん、愛・不穏みたいだし、すぐに友達出来るよ。」
「ん?きのした……?だっけ?……木下……だよな?……お前、小学校の時と随分印象変わったな。」
「え」
「……ほら、覚えてない?俺、4年生の時、同じクラスだった…」
……そこから先は、目の前が真っ白になり、藤子は、彼の喋る声が聞こえなくなってしまった。
……あの頃の私を知る人がいる……。野暮ったくて、ダサくて、ネクラ、陰キャの私を。……ある日勇気を振り絞って付けていった、波浪☆う寒ちゃんの髪留めを、誰からもコメントされず、その後は一回も付けずに宝物箱のこやしにした、モブ中のモブ子の最底辺女子の私を……。
みるみるうちに、藤子の顔は赤くなり、背中を嫌な汗が伝うのを感じた。「そ、それ、だ、だ、誰にも言ってないよね?!」と彼女は言い、机にバン!と手をついた。
……それを見た海人は、ふと一度だけ見た木下藤子のウサギの髪留めを、急に思い出して、……あのキャラ、なんて名前だったかな……と考えていたのだった。
**************
次の日は、
定期テストの初日だった。
藤子は教室に着いてからも、設楽居海人と顔を合わせないようにして、首をずっと一方向に向けながら自分の席まで辿り着いた。
……ようやく手に入れた陽キャのポジション。手放してなるものか……。
藤子は、設楽居海人の存在を意識から消し去り、いつものように余裕の笑顔を浮かべて、ペンケースの中のものを取り出し始めた。
………あれ?
あれ?あれ?
………ない、ない、ない。消しゴムがない!!
……そんなことってある??ない、ないよ、消しゴムが、どこにもない!!
藤子は必死に布のペンケースを覗き込み、中にあるものを全部出して、何度も確認した。
……どうしよう?!もうすぐ試験が始まっちゃうよ。
どうしよう?!
そうこうしている間に……生徒達の席に、裏返しになったプリントが配られていく。
え?試験本番に、消しゴムがないなんて!?……それって、イチモンも間違いを犯せないってこと?!
至急、中に出された問題を確認しないと……、このままじゃ赤点は不可避………。
そうだ!!あそこは??
シャーペンを出す穴……。て、そっちは違うでしょ……!!もうひとつの穴の方でしょ!そう、入れる方の穴に、小さな消しゴムが付いていたはず……。
…………。
ダメだ……、こっちのはいつの間にか折れてなくなっているわ……。
((おい。))
((おい。))
((ん?))
((お前、消しゴム忘れたのか?))
((……な、なによ??!))
((こういうの、女の方から言いづらいと思うけど……、))
((ほら))と言って、隣の席に座る設楽居海人が、
……きちんと根元までカバーが装着された消しゴムを差し出してきた。
((ないとマズいだろ?))
((でも……。))と藤子が、周りの目を気にして背を丸める。
((いいから。))と言って、海人は、他の生徒に気付かれないように、変な具合に腕をひねって、机の下から指で摘まんだ消しゴムを付き出してきた。((ほら、この体勢……、俺……、もう我慢できないから……。早く……))
((……設楽居くん……。なんで??私のために……そこまで……。))そう言いながらも藤子は…、結局は海人の手から消しゴムを受け取った。
((なに言ってんだ。男として当然だろ。))
((で、でも設楽居くんは大丈夫なの?))
((アハハ、そりゃ俺だって消しゴムなしで全問イケたら気持ちがいいとは思うよ。……でもさ、……心配すんな、ほら。))と言って海人は予備の消しゴムを取り出して笑顔を見せた。
それは、いかにかも中学生の男子らしい、半分以上カバーのかかった、まだあまり使われていなさそうな見た目のものだった……。
((ウフフ……))と藤子が笑う。
((なんだよ?笑うなよ。))と海人が言う。
2人はそのまま目を逸らすと、先生の合図と共に配られた答案用紙に集中し、カリカリカリカリ……。と0.03㎜のHの芯を、凄い早さで紙に擦りつけ始めたのだった……。
*************
後日発表された試験結果は、
設楽居海人が学年トップ。木下藤子が3位だった。
「設楽居くん……」と藤子が伏し目がちに声をかける。
「この前はありがと……。ごめんね……あれから、なかなか話しかけられなくて……。」
「いいよ、別に。」と海人が言う。
「消しゴム、……返すね。」
「返さなくていいよ。……いらないなら捨てて構わないから。」
「え?捨てるのはちょっと……。あ、そうだ…学年トップおめでと。」
「ああ、木下も3位だろ?でもお前、小学生の時そんなに勉強得意だったっけ?」
「ちょ、ちょっ!昔の話はやめて!!」
「まあ、でもそれだけ努力したってことだろ?」
「……それ、トップの人に言われても、嫌味にしか聞こえないんですけど……。」
「そうか?出来ない人が出来るようになることの方が、努力量も半端ないし、シンプルに凄いと思うけどな?」
「…………。設楽居くん?あなたって天然?もしかして天然のたらし……?」
「なに言ってんだよ。あと、設楽居くん、って呼ぶのやめてくんないかな?むず痒い。呼び捨てでいいよ。」
「じゃあカイト!」「……いきなり、下の名前呼びかよ……まあ、別にいいけど……。」
「私のことも藤子って呼んで構わないわよ!」
「え、お前の名前、『とうこ』って言うの?『ふじこ』じゃなかったんだ??」
………それが2人の出会いだった。実際は小学生の時に出会っていたのだが、……少なくとも藤子にとっては……、これが本当の意味での、男子とのファーストコンタクトとなった。
時は戻り、ここは中学2年の教室。
通学路での海人と藤子のイチャイチャを見せつけられたクラスメイト達は……、
……モバ充爆発しろ!!
と、心の底から思うのだった……。
『Wallflower and social butterfly』