ヰ58 法の外
「めいずちゃん、もっと腰を前に出して。」
髪を後ろでサムライ結びにした少年五十嵐葉南は、ジャージの前で腕を組みながら厳しい口調で言った。
「ほら、よく見て?足はこのくらいに開くの。……そうね、そんな感じ…かな?う~ん、もう少し腰を下に落とせる?重心を低くするイメージ。うん!そうそう!そんな感じ!はい、その体勢を10秒キープして!
…上手、上手!ヤダ、めいずちゃん、初めてとは思えないよ!この感じ、よく覚えておいて。
…後はね、本番の時は立ったままだと感覚が普段と違うから、思っているよりなかなか出せないものなの。だからリラックスして!肩の力を抜いてね。
めいずちゃんは、バレエをやってたって言ってたよね?手はアン・バーの位置。形代は下からしっかり支えて!」興奮してきた少年は、半分女言葉になりながら叫んでいた。
ジャージ姿の五十嵐葉南と飛鳥めいずは、スポーツクラブ『エッサイム』のダンスルームを貸し切りにして、壁に貼られた全身鏡の前で、繰り返し姿勢の練習をしていた。
「うん。なかなかスジがいいわ。」と葉南は、めいずの美しい腰まわりから、お腹の下にかけて、キュッと食い込んだジャージのラインを見つめながら言った。
めいずはさっきからずっと赤面して、鏡に映る自分の全身像を見つめている。
「……じゃあ、次はもう少し実践に近付けられるよう、身体の前に的を置いてみるね。」と葉南は言って、用具倉庫に入っていくと、数十秒後に、小さめの『逆上がり補助板』を押して出てきた。
葉南は、その海老反りした器具の前にしゃがみ込むと、慣れた手付きで、カラフルな見た目の補助板の角度を垂直近くまで立ち上げていく。
「こんな感じかな。」と葉南は手の埃をはたきながら言った。
「めいずちゃんは現物を見たことがある?この形が一番見かけるタイプ。もっとも難易度が低いものだよ。足元まで受け皿がついているから、狙いを外しにくいのが利点。その反面、これに慣れ過ぎると、他のタイプに遭遇した時に困ることになるの。
……慣れたてきたら、壁の途中に浮いているタイプにもチャレンジしてみて。基礎がきっちり出来ていれば、前の方に飛ばせるようになっているはずだから。うまくやれると思うよ。
……まあ、ボクくらいなると、わざと狙いを外して足元の床をびちゃびちゃにしておくっていう技もあるけどね。男子生徒淹れの、あの臭さ、あれは全て、辺り構わず飛び散らされたものが、こびりついて乾いた臭いなんだ。吐きそうになるキモさだよね?でもね?考えてもみてよ、男になるってことは、キモさを与える側になるということでもあるの。女ってのは大抵、どう転んでも可愛いものでしょ?それがキモさを与えられる存在になるのって、…ちょっと凄くない?
めいずちゃんもさ?可愛いだけの存在なんて、つまらない…って思ってるクチでしょ?言わなくても分かるよ。
……おっと、話が逸れた。あ、でもめいずちゃんは、まだ逸らさないようにね?アハハ。
あとね?ヤバめの男子は高学年になっても、ズボンを足首まで下ろして誤用を果たしているんだけど、そういう男子は高確率で、あそこが朝顔の蕾状態ね。
どうやら、その状態だと男子は狙いが定まらないらしいの。(葉南はそこで、逆上がり補助板の中央辺りを手のひらで触りながら)…だから外に飛び散らせないよう、壁面になるべく腰を近付けて、こう…お腹を突き出すわけ。」そう言うと、葉南はジャージ越しに自分のお腹を補助板に接するくらいに迫り出させた。
「ボクも一人の時はそのやり方をしているんだけどね。……でも大抵は、隣に誰かいることが多いから、……その場合、ズボンの前は最低限、これくらいしか開くことが出来ないわけ。」葉南はそう言うと人差し指1本分を自分のお腹の下にあてがった。
「……なるほど。可愛さだけの存在から脱却する為に男装する……今のは少し納得出来るお話でした。」と、めいずが言う。「でも葉南さん…いえ、葉南くん、実は私、男子生徒淹れについては余り詳しくありませんし、正直、興味もございません。また、音入れに関しましては、特に好みはありませんが、敢えて言わせていただきますと、ニーハオ音入れにはもう戻らないつもりです。」
「ニーハオ……、なにそれ?」と葉南は言い、「まあ、いいでしょう。」と役目を終えた逆上がり補助板を、ガラガラと片付け始めた。
葉南が戻ってくると、めいずは「…申し訳ございません……せっかく準備していただいたのに…」と言って俯いていた。
「あー気にしないで」と葉南が笑う。「ボクもどっちかって言うと、めいずちゃんと同じだと思うから。ほら、ボクも建物内でするより、何処かそこらへんで1人でやる方が好きだから…。
ああホントさ、男子ってそういうところ気楽でいいよね~。思い立ったら、すぐその場でやれるフットワークの軽さが魅力。」
「そ、それは軽犯罪なのでは……」
「自転車の2人乗りや信号無視も軽犯罪だよ。」と葉南が言う。「めいずちゃんは信号無視したことないの?」
「と、とにかく。」とめいずが、オホン、と呼吸を整えながら言う。「この形代?…は、一応いただいておきます。ほら、その、何かの役に立たないとは限りませんから…。ただ…すぐに試すつもりはありません。お雛祭りまでには何とか…男装を完成させるつもりです………あ、あの…でも、本当にありがとうございます!私のこと、色々と気にかけていただき……深く感謝申し上げます。
あの……、逆にこんな私でも、何かのお役に立てることがございましたら、何なりとおっしゃってくださいね?」
と、めいずは、軽く紙の人形の匂いを嗅ぎ、無臭であることにホッとしながら言った。
「あ、それなら。」と葉南が言う。
「2月1日の子供わんぱく相撲大会、まわしを付けるのを手伝ってほしいな。あ、ごめん、めいずちゃんは出場するの?やっぱり女の子の部?……流石にまだ、男の子の部には出ないよね?」
「子供わんぱく……何ですって?」と、めいずが困惑した様子で聞き返した。
「子供わんぱく相撲。」と葉南が言う。「まあ、めいずちゃんが出ないなら丁度いいかな。あ、ちょっと待ってて。」と言って、葉南は再び用具倉庫に向かっていき、よいしょ、よいしょ、と体操用マットを引き摺って戻ってきた。
そして、部屋の隅に置いていたリュックを持ってくると、中から、帯状の布とA4プリントを1枚取り出してめいずに見せながら「これ、慌てて出がけにネットで調べて準備してみたんだけどさ…」と言った。
「まわしって、1人で付けるの大変そうなんだよね。かと言って当日、大人に手伝ってもらうと、身バレしそうで不安に思っていたところなんだけど…」
はい、とプリントを手渡されためいずは、静かにそれに目を通し始めた。
「…………。」
●カンタン♡赤ちゃんへの布おつむのつけ方♪
「こ、これって……」と言いながら、めいずは、葉南がリュックの底から、おつむカバーを取り出すのを見ていた。
「ちょっと可愛すぎたかな?」と葉南は、うさぎさんとワンちゃんが描かれたパステルブルーのカバーを恥ずかしそうに手に持って言った。
「そのプリントを見てもらいながら試しに付けてみたいと思うんだ。…あ、めいずちゃん、力を入れて腰まわりにきっちり巻かないと、激しく動くと外れてしまうから、きつめにお願いね?」
と言って葉南は体操マットの上に腰を下ろすと、脚を開いた。
「まずはジャージの上からでいいから。めいずちゃん、よろしく。」と言って、葉南は自分の腰の下に帯状の布を敷き、背中をつけて仰向けに横になった。
「ま、まわしって、お相撲で付けるあれですよね?」とめいずがプリントを見ながら言う。「私、日本の風習に疎いものですから……でも……こ、これって、本当に合ってます??」
「それを確かめるためにお願いしてるんじゃない。何言ってんの?」と葉南が言って、両方の腕を頭の横に開くと、拳を軽く握って「罵侮~」と口から不満を洩らした。
「カ、カバーを付けている力士は見たことがないかも…しれません。」と言って、めいずは赤面しながら、仰向けに寝転がる葉南の腰の下に手を回し、床に置いたプリントに書かれた通りにまわしを装着していった。
「え?こんなに緩いの?めいずちゃん、ダメだよ。もっとキツく締めてくれないと。」
「ちょっと待って」と葉南は言うなり、上半身をぴょこんと起こすと、緩んだまわしを片手で外し、「あ」と驚くめいずを無視して、ジャージの下を脱ぎ捨てていった。
「は、葉南く……さん……下……ホントに何も履いてない…………んですね……」
めいずは手のひらを目にあてがって、ブイの字に開いた指の間から、見てはならない女子の部位を見て、(葉南さん…まだスーベニア女ダルなんだ……)と静かに黙祷していた。
「めいずちゃん、そっちを引っ張って。」と葉南が言い、言われるままにめいずは体重をかけて帯を強く引っ張った。
「………うん。こんな、感じ…かな?」と葉南は、おつむカバーを引っ張って、中でキツく結ばれたまわしを確認する。
「よし。」と葉南は立ち上がり、ジャージの上側も一気に脱ぎ捨てると、おつむカバー1枚の姿になった。
「キャ?!」とめいずが交差させた両手をパーの形に開きながら目を覆い、
指の隙間から、葉南の小さな棟にある、わずかな備蓄を確認していた。
葉南はマットの上で裸足になり、何となく見よう見まねの雰囲気で、腰を低く落としてみた。
「うん、これなら大丈夫そう。そう簡単には外れないかな。」と身体を捻ったりしてみる。
「あ、そうだ、めいずちゃん。ちょっと試しに、今からボク、シコふんでみていい?」と葉南が言った。
「シコ……ですか?」
「うん。シコをふんでも弛まないか試してみるね。」「は、はい……」
葉南は脚を開き、直角に曲げた膝に手を置くと、「じゃ、いくね?」と小さな声で呟き、「ん」と喘ぐと、
おつむの中に温かいシコをふみ始めていた。
しゅわあぁぁぁぁぁぁ……………
…………
………
……。
葉南はツン、と、そっけないような、無愛想な態度で…上半身にびっしり鳥肌を立てながら、しばらくシコをふみ続けていた。
ぶるるっ、
と身体が震える。
シコをふむ葉南をじっと見ていためいずは、やがて乾いた汗に似たキツい臭いを感じ始め、静かにマスクを取り出して装着した。
「う~ん……」と葉南が唸る。
「やっぱり、シコをふんじゃうと、まわしが緩むみたいだね。」
「あ」とめいずはが葉南のお腹を指差し、葉南が「ん?」と俯くと、脚の付け根から一筋の流れが、
太ももの内側を伝っていくのが見えた。
「やっぱりダメみたいね。」と葉南は言っておつむカバーだけを外し、それで脚を拭いた。
葉南は、鏡に映った自分の姿を確認し、「ああ、まわしのこういう感じ、テレビで見たことあるかも。」と言って、くるっと回ってみせた。「土と汗で斑に黄ばんだ臭そうなまわし。まさにそんな雰囲気。いやあ、稽古しました…て感じ。」
「ちょっとアナタ達!!ダンスルーム貸し切りの時間、終わってるわよ!?いつまで使う気よ??」
と、急に怒鳴り声がして、2人は入り口の方を振り返った。
扉を開けて、イライラとした様子で立ってこちらを見ていたのは……、
バレエの練習着を着たカーリーヘアの少女、赤穂時雨だった。
「ん?!なによ、アンタ、飛鳥めいずじゃない??で、そこにいる男子は誰よ??
…ははあ~ん、向井くんを諦めて、そいつに乗り換えたのね。感心感心……」
赤穂時雨は上機嫌で、こちらに歩いてきて、「なにコイツ?わんぱく相撲に出るの?
う……くっさ……。すんごく汗臭……よくこんな奴と一緒にいられるわね?」と言った。
「向井って、あの向井蓮のこと?」と、まわしをつけた少年が時雨に詰め寄ってくる。
「ちょっと??こっち来ないでよ。」と時雨があからさまに嫌な顔をして鼻をつまんだ。
わんぱく少年が、めいずを振り返り「めいずちゃんって向井蓮と知り合いだったの?」と聞いてくる。
「あ、はい。お話ししませんでしたっけ……向井様は私の許嫁です。」
「なあに?飛鳥めいず?コイツと二股かけてんの?」と時雨が馬鹿にしたような表情で言う。
そこで、まわしの少年が真剣な顔をして、
「向井蓮は……、わんぱく相撲に出るの?」と聞いてきた。
時雨は一瞬怯み、「向井くんが……わんぱく相撲に……?!おっとぉ、それは考えてなかったわ…槃羅の向井くん……」と小さく呟いた後、
「あ、あなた、もしかして、飛鳥めいずを賭けて、わんぱく相撲で勝負しようとか考えてんの!?」と仰け反りながら叫んだ。
「…でもいいわね、それ。」と時雨がカンブレから戻りながら言う。
「……わんぱく少年?あなた、なんかさ、死ぬ気で練習してるみたいだし……、飛鳥めいずはあげるわ、勝っていいわよ。」と時雨は、血と汗と涙が染み込んだまわしを付けた少年を薄目で睨みながら言った。
「勝手なこと言わないでくださいますか?」とめいずが言う。「誰がなんと言おうと向井様は私の許嫁です。」「は?アンタ、わかってる?向井くんはアンタを嫌がってんのよ??」
……ふうん。
葉南はまわし一つの男らしい姿で、腕を胸の前で組み、「なるほど。そこのお二人は向井蓮を取り合っているんだね?」と興味深そうにめいずのことを眺めて言う。
「なんだ、めいずちゃんてば、意外に✕ス……。これはお雛祭り参加は不可避かもね……。まあいいや。それなら、そこのお二人さんも、わんぱく相撲で勝負したら?」と葉南は言った。
「「はあ??」」と、時雨とめいずが同時に叫ぶ。
「馬鹿言うんじゃないわよ??なんで私がそんな格好しなきゃいけないのよ?!」
「わ、私暴力は嫌いです……」
葉南はそんな二人の少女の顔を代わる代わる見比べて…「わかった。」と静かに言った。
「そもそもボクがめいずちゃんと付き合うとかは誤解だから。じゃあこうしない?
……ボクが勝ったら、向井蓮はめいずちゃんのもの。向井蓮が勝ったら、めいずちゃんは身を引く。向井蓮は嫌がってんでしょ?そこの、あなた?誰か知らないけど、そうなったら向井蓮はあなたのものよ。……これでどう?」
「ちょっと何言ってんのよ?あなた?!」「葉南くん??どうしてそうなるんですか?!確かに向井様は何故か私を嫌っているようですが……」
……ハナンって…どっかで聞いた名前な気がするけど、誰だっけ?と時雨は考え、いやいや、それよりも今の申し出、どうしようか……と悩み始めていた。
……まあ、どっちでもいいんだけど。と葉南は考えていた。
……これで予言者をわんぱく相撲に引き摺り出せれば、救世主へのハニートラップの精度が高まるわ。さて……。カードは出揃ってきたわね。
……それにしても、このまわしってやつ、肌に張り付く蒸れた感じがクセになるわね……。どうやら一度湿らせることで、時間が経過すると逆に締まってくるようだし…。
と、新しい必勝法の発見に、葉南は少年らしい真っ直ぐな胸を踊らせるのだった。
『out of the law-li』




