ヰ57 身代わりの器
忍者の末裔である少女、五十嵐葉南は、布団に寝そべって天井を見上げながら、救世主について考えていた。
…彼は……多分、ロリ昆虫ではない……。あの夜、無防備なJSを前にして、彼はなんと身体の心配だけをするという、常軌を逸した聖人ぶりを発揮していた…。
彼こそは豊子キッズの子供達を安心して任せられる本当の教育者……。
…………。
………。
……いや、そう簡単に言い切ってしまっていいものかしら……。
彼が、もし、もしもよ?昆虫ではないとしても…少女に反応しないということは……あの…恐るべき、もう一つの可能性がある…。
そう、それは☆
/▪ヰ▪愛。
彼が聖職者なら…、全然あり得るわ……。どちらかと言うとそっちの可能性の方が高いくらい。
…豊子キッズの少年達をバ痴漢の性食者の毒牙に晒すわけにはいかないわよね??
……やはりネルネ様には、前回の救世主との遭遇はまだ伏せておきましょう。
ナンバーツーも、あの男がまさか救世主であるとは気付いていないでしょうし。
ロリ昆虫ではないという調査結果を、安易に知らせてしまうと、ネルネ様達は判断を過ってキッズ内に危険な野獣を招いてしまうことになる。
そうね……風邪もすっかり治ったことだし。もう一度、ボクが危険を冒してさくら町へ調査に向かわないといけないようね。
葉南は、口に咥えた黒い輪ゴムを使って、肩までの長さの髪を首の後ろでサムライ結びにした。そして横目でスマホの画面を見ながら、下ろした前髪を、大きめの黒い髪挟みで横に流して留める。
ボクはやんちゃな男の子……。
葉南は、着ていたジャージのお腹を捲り、ボリボリと赤くなるまで掻いた後、素早くその手を後ろに回し、
社会の常識に中指を這わせた。
それを鼻に持っていくと、癖になるあの臭いを嗅ぐ。
男子になりきった葉南は、その指で鼻をほじりながらスマホの画面に注目していた。
ん……?
☆『子供わんぱく相撲大会』☆
2月1日、日曜日。AM10時から、しいのみ子供広場にて開催。おとこのこの部、おんなのこの部あり。寒空に負けない元気なちびっこの皆さま!奮ってご参加ください。
まわしは、当日レンタル出来ます。飛び入り参加もオーケーです!
例年どおり、私立櫻中等教育学校の生徒さん達は9時に集まって設営をお願いします。子供会の方は8時45分までにお集まりください。
………。
私立櫻中等教育学校……。さくら町の中高一貫の進学校。もう調べはついている。そこは設楽居睦美の兄、設楽居海人の通う学校だ。
子供わんぱく相撲か……。これは救世主の聖癖を調べる絶好の機会かもしれないわ。
よし!決めた。ボクはこの大会に参加する。
ボクが男の子として潜入することで、奴の秘密を暴くことが出来るはずだわ。
…待ってなさいよ?聖人君主面したアナタの化けの皮、余すことなくキレイに剥いでやるから!
…まあ、そんな皮が救世主様に余っているかは知らないけどね!
でもね、聖癖の証拠を叩きつけられて怯え…、縮こまった彼が、少しでも皮を被っているようなら、容赦なく剥いてやるからね!覚悟しなさい?!
五十嵐葉南は、鼻息荒く立ち上がり、手刀で仮想敵の化けの皮を剥ぐ練習を何度か繰り返し、
次にスマホを使って相撲のルールを確認し始めた。
なるほど……基本的に相手のまわしを取ることが攻防になるわけね。腰の横や後ろを狙って、まわしを取る…と。
まわしを取られた相手は、
阝云▪口阝を露出し、その場で『不浄負け』となる。ふむふむ。これはなかりリスキーなスポーツね。まあ、でも大丈夫でしょう。何と言ったってボクは本当は女子だから。前に邪魔なモノがない分、まわしの締まりは良く、そう簡単には外れないはず…。
……にしても、これは子供一人で締められないわね…。そこでバレないように充分に気を付けないと。
ふ、ふ、ふ、ふ……これは忍者としての腕の見せどころね…。勿論、前は見せないけど……。
救世主の目的は、十中八九、少年達の不浄負けを見にくること。そうに違いない。まさに不潔だわ。
なになに…相手の腕よりも外側でまわしを取るのが『上手』、内側で取る場合が『下手』。
そして一番強力なのが『もろ差し』。
もろ差し……なんて恐ろしいネーミングなの……。
もしも、ボクがそれを仕掛けられたとしたら……。公衆の面前でもろ出しにされ、ボクが女の子だということが、バレてしまう。
……それは屈辱だ。
でもね……。
ボクは忍者なんだ。……正直こういうシチュエーションには…逆に凄く燃えるのよ。
例え土俵上で禅羅にされたとしても、ボクには木の葉隠れの術だってある。葉っぱ1枚あれば何とか誤魔化す自信はある……。いざとなったら、吹っ切れて、観衆が目を覆うようなことをして、この世から消えてしまえばいいんだしね。
例えばガニ股でダブルピースしながら、カニ歩きピスするとか………。
まあ、幸い大会規約には『子供達の撮影は禁止します。』って書いてあるから大丈夫ね。
ああ、でも……さすがのボクでも武者震えがしてきたわ……。
よおし。救世主の目の前で、対戦相手の少年達を一人残らず、もろ差しにしてみせるわ。その時がアナタの終わりの時よ……。もろ差しされた男の子達を見て、果たしてアナタは冷静でいられるかしら??
五十嵐葉南は、戦いに向けた興奮で、喜びに震え、カラカラに渇いた口で微笑みながら、握った拳にかいた汗を服の側面で拭いた。
そして、エッサイムの浴場で見た、あの痩せているのに逞しい身体つきの救世主が………、負けた少年を優しく抱き締めている姿を想像し……、
急に胸の鼓動が激しくなるのを止めることが出来なくなっていた。
葉南はスマホ内でロックされたギャラリーを開き、
ネルネから貰った、転生タイムトラベラーの美少年、『予言者』の画像を表示させた。
向井蓮。少年の皮を被った、実は恐るべき妨害者。
彼が全ての鍵を握っていると、ネルネ様は言っていた……。
救世主の持つ厳つい見た目の大きな鍵と、予言者の細く小さな鍵。
男子達はお互いのそれを握り合って、見つめ合い、やがて救世主は予言者の頭を抱いて胸の中に引き寄せた。そして、少年のカールした柔らかい髪を長い指で、梳かすように撫でつける。
そして救世主は少年に背中に回り、頭を下げさせる…。
知識はある……。
だが、まだ実際に募金している男性をこの目で見たことはない。
葉南はうっすらと靄のかかった意識の中で、救世主と予言者が、鍵を鍵穴に差し込む姿を想像し、
顔は無表情のまま、自分でもおかしいと思うくらい赤面していた。
……ああ、なんてボクはツイてないんだろう。
忍者の家に女として生まれるなんて。本当にツイてない。
もし、ボクがツイていたら……もっと色々なことが出来るのに……。
葉南は居ても立ってもいられなくなり、フリースのジャンパーを羽織ると、黒いリュックを背負って外出の準備を始めた。
……今日、救世主はさくら町のエッサイムに来ているかな……。そうであれば先に、わんぱく相撲大会のことを何か聞き出せるかもしれない。
葉南はポケットに手を突っ込み、顔を伏せると、豊子キッズビルの自室をあとにした。
あの男、偽善者ぶって、熱を出した女の子を介抱したりしていたけど……ちゃんと募金とか献血とか、してるのかしら……。見たところ毛チンボな感じだったし。
はっ?!
そもそも少年とか少女とか、そういう話ではなく、彼は文字通りインポータントな人物なのではないかしら。だとしたら色々な事に納得がいく気もする。
インポータントと、/ヰ愛。この、両方の路線からの検証が必要ね。
葉南は新宿発の電車に乗り、座席の端に腰掛けながら考え込んでいた。
……インポータントな人間は、代償行為で暴力に向かいやすいと聞いたことがある。米、元プロファイラーが、出スカぶりーチャンネルでそんなことを言っていたような、いなかったような……。まあ、犯罪大国アメリカの人がそう言うんなら、間違いないでしょ、多分。
凶悪事件の殆どはインポータント・ピーポーが起こすらしいじゃない。……うそ、怖っ…。
豊子キッズビルが血の海になる未来が見えるわ。
そして今、それを食い止められるのは、このボクだけしかいない…。
葉南はさくら町のある駅に降り立つと、真っ直ぐスポーツクラブ『エッサイム』に向かっていた。
丁度今の時刻は、中学校が終わる頃合い。
葉南は、深緑色の絨毯が敷かれたロビーで、床に印字された金色の『エッサイム』のロゴを眺めながら、来るか分からない救世主を待つことにした。
………50分後。
葉南は横長のソファの脇に置かれた、ボディビルダーの雑誌に目を落としながら、注意深く入り口を見張っていた。
………今日はもう来ないか。
諦めかけたその時だった。
見知った顔が入り口に現れる。
チェックのネルシャツを、ケミカルウォッシュのジーンズにオールインし、黒いキャップを被った下で、長い黒髪を後ろ1本に縛った、黒マスクの不審者が、
キョロキョロと辺りを見回しながら入ってくるのが見える。
……タメね。男の長髪はもっと汚いボサボサでないと。
と葉南は微笑みながら、いにしえのオタクファッションに身を包んだ飛鳥めいずの姿を観察していた。
そのまま受付に行く前に、めいずは入り口近くの待合室に体を滑り込ませると、数分後、マスクとキャップを取って髪をほどいた天然韓国風美少女となって、颯爽と出てきた。
「めいずちゃん」
と、そこで葉南が声をかける。
ビクっとしてめいずが立ち止まり、
「……は、葉南…さん?」と顔を覗き込んできた。
「あ、今日は葉南くんて呼んでね。」「あ、申し訳ございません。」
「どう?その後はうまくやってる?」と葉南がソファの上で腰をずらし、
めいずが隣に腰掛ける。
「なかなか難しいですね。キモ男になるのは。」
「アハハ、男はみんな基本的にキモいものだから。難しく考えずに、基本的なところからチャレンジしてみるといいよ。」と葉南が偉そうに背もたれに深く沈み込みながら言う。
「基本的とは?」
「そうね、めいずちゃんは男と女の生活習慣で一番違うところは何処だと思う?」と葉南が尋ねた。
めいずはしばらく考えてから「さあ。前におっしゃっていた、手を洗わないこと…とかですか?」と言った。
「それも勿論そうなんだけど……、やっぱり何と言っても、『立ってするか、座ってするか』の違いが一番大きいよね。」と葉南が言う。「だからね?立ってするだけで、一気に男のメンタルを獲得出来るから、めいずちゃんも試しに一人の時にやってみるといいよ。ほら、道具は何枚かあげるから。」
そう言って、葉南はリュックから、真ん中に折り目のついた白い形代(♀←このような形の紙)を5枚ほど取り出した。
「この道具は、女子の身体の構造と機能性を追究した結果、長い時間をかけてこの形にたどり着いたの。
…そう、これは昔から人の罪や穢れ、災厄等の身代わりに使われてきた、紙の人形と同じ形。…おばあちゃんから教えてもらったんだけどね、形代は古来から川に流したり、焼いたりすることで、ここに乗り移らせた人間の不浄を清める効果があったの。
まさにご不浄にぴったりでしょ?前にも説明した通りね、これを身体の下にあてがって、腰をちょっと前に出すの。あ、慣れないうちは脚を伝ったりするから気を付けてね。
あ、そうそう、あと、この形代の風習は、お雛祭りの原型になったとされているんだよ。」
「お雛祭りって……。あの、日本にしかない、奇祭の一つですよね……」とめいずが顔を青ざめさせながら言う。「女児のみが行う、通称、『女の子の節句』と聞いています。」
「そう。男子禁制。女子だけで執り行う秘密のお節句。めいずちゃんは中国帰りだから、お雛祭りやったことないんだっけ?だけど元々は中国の風習でしょ、こういうのって。」
「はい……。でも日本独自の進化を遂げているようです。」
「じゃあ今年の3月3日が、めいずちゃんの初絶句だね。」
葉南はそう言うと、怯えた表情のめいずの肩を叩き、「大丈夫よ。当日は子供でもお酒を飲むことが許されているから、……記憶がなくなるまで飲んで、1日をやり過ごすといいよ。」と言い、
「ボクだってそんなのごめんだから、毎年お雛祭りの日は男装して過ごすことにしているよ。めいずちゃんも嫌だったら、それまでに男装を完璧にしておかないとね?」と片目を瞑ってみせた。
「はい……」とめいずは震える声で返事をし、「師匠……宜しくお願い…いたします……」と言って、震える手で形代を受け取った。
『substitute amulet』




