ヰ51 認定試験
「お兄さんの、それって、凄く大きいんですね。」
と、下に着ていた白いTシャツを脱ぎ捨て、上半身に2つ並んだ、小さなスナップボタンをこちらに見せながら、小柄な男の子が言った。「もう少し見せてくれません?」
「ん?ああ、これ?」と設楽居海人がきまり悪そうに笑う。
彼は少し照れながら大きな長財布をロッカーから再び出した。
「……大人っぽい…」と男の子が顔を赤らめながら言う。
「ハハハ……大人っぽいかな?ちょっと輩っぽいし、何より厨二っぽいって知り合いには言われたけどね。…こういうの最近持ってるやついないよね。」と言いながら海人は「使い古してるし…ここなんかもう剥けちゃってるし…。去年くらいから表面が段々黒ずんできちゃってさ。ほら、縁の輪郭の部分、擦り過ぎてテカってるだろ?そろそろ買い替え時かなあ。」と海人が茶色い長財布を手で弄りながら言った。
「ちょっと赤くなってますね。」と男の子が言う。
「いや、そうまじまじと見られると恥ずかしいな。こういうものって洗うものじゃないしね、…臭くない?垢とか溜まってんのかもな……」
「洗ってないんですか……」
「え?普通そうだよ。三年くらいは洗ってないかな。……そう考えるとこれ、汚いな……。」
五十嵐葉南は、……めいずちゃん……今の言葉をアナタにも聞かせたかったわ……これが男というもの……。不潔過ぎて、同じ生物とは思えないわ。……まあ、だからこそ変装し甲斐があるのだけどね……。と考えていた。
……それにしても、この男、流石救世主候補だけあるわね。日本人男性の3割に満たない上澄み層…。他の男とは違う王裸を感じるわ……。謙虚さの中に隠れた、この落ち着きと自信……中学生(たぶん?)にしてすでに、ビッシリと毛の生え揃った心臓を持っているのが、ここからでもハッキリ見て取れる。そしてギラギラとした剥き身の刀のような、鍛え抜かれた肉体。さっきの高校生達と比べても、この男の凄さが分かるわ……。
海人は、目の前にいる小柄な男の子が、タオルを使っておへその下を隠しているのを見て、自分も首に掛けていたタオルを体の前にあてがった。
「じゃ、入ろっか。…君は戸成町に済んでるの?今日はお父さんかお母さんは一緒じゃないの?」と海人が言う。
「いえ、父も母も今日は来ていません。」
「そう。君のお目当てはなに?プール?それともダンスかな?」と海人は言いながら、横開きの曇りガラスをスライドし、疑似温泉で有名な、エッサイムの大浴場に足を踏み入れた。
葉南は素早く室内の状況を確認する。……よし…うまいことに誰もいない。
「まず、俺、髪から洗うことにしてるんだ。君も先に洗う?」と海人が言う。
葉南はミントグリーンのお風呂椅子に座り、怪しまれないように、お腹の下線ぎりぎりまで白いタオルをずらして「ボクも髪から洗います」と言った。
目を閉じて、柔らかい髪をわしゃわしゃと泡立てる海人を横目に見て、
葉南は…そおっと、濡れて肌に張り付いたタオルを、太ももの上で膝側へずらしていった。
すでに水分を含んだ白いタオルは、所々、肌の色を透けさせていて、一部、形の判別出来てしまう箇所もあった。
葉南は、僅かに脚を開き、隣で髪を洗う設楽居海人の橫顔を見守っていた。
……う~ん。ちょっとシチュエーションが微妙ね……。もっと効果的なやり方はないかしら…。いわゆるラッキースケベってやつがいいと思うのよね。
…現状、更衣室に誰かがいる気配もない……。
葉南は、忍びの鋭敏な感覚で、ガラス戸の外の様子も把握していた。
ん?待って、これは……チャンスかも……。
「お兄さん?ボクちょっと音入れに行ってくるね」
「ん?そういうのは先に行っておきなよ。……確かロッカールームの左奥にあったと思うよ。」「ありがと」
そう言うと葉南は、しゅたっ、とふくらはぎの筋肉をバネにして飛び上がると、タオルを捨てて走り出していた。
そして素早く音入れに侵入すると、掃除用具置き場に直行し、一瞬探しものをするように左右を見、
…すぐにお目当てのものを見つけて、それを掴むと、そのまま流れるような動作で、1秒も無駄にせず、
更衣室の入り口近くまで走っていった。
…防犯カメラは……2台。
入り口の柱の陰から、禅羅の少女が外を伺っている。
……ここのやつは、首を振るタイプを使用しているのよね…。そのせいで3回に1回の割合で、交差するカメラの視野の間に、死角が2秒だけ生まれる。
今だ!
葉南はその2秒を狙って、手に持っていた『清掃中』と書かれた札を、男子更衣室の入り口にかけた。
浴場を出てから、ここまでで45秒。葉南はロッカーに戻り、手首に巻いた鍵と暗証番号で扉を開けると、縛っていた髪をほどき、前髪を100均の錆びないクリップで留めて、おでこを出した。
……よし。出来上がり。これで、ボクはどこからどう見ても、真面目な七三分け少女。
葉南は、…この少女は眼鏡を外しているせいで、視界がぼんやりとしてよく見えないという設定を加え、目を細めた。
ふふふ。覚悟しなさいよ、設楽居兄。救世主でないのなら、アナタは終わりよ。
小柄な光学年迷彩女子が、空間の歪みから徐々に、その姿を現してくる。
…シンブルなヘアクリップで前髪を挟み、丸いおでこを汗で白く光らせた生真面目な顔付き。
あばら骨の浮き出した痩せた上半身…。その下にある、薄い膜の張った蛙のようなすべすべの丸いお腹をもろ出しにして、
少女は前がよく見えないのか、覚束ない足取りで、ガラガラガラ……と大浴場のガラス戸を橫に開いて入ってきた。
「やあ、おかえり」とまだ髪を洗いながら目を閉じたままの海人が言う。そして片手でシャワーを掴み、お湯を勢いよく頭の上からかけた。
湯気に包まれた海人が顔を上げると……、
そこには、
禅羅の少女が立っていた。
海人は、ん?と目をぱちぱちとさせ、もう一度、目の前にいる白い陶器のお人形さんを、上から下まで念入りに眺めた。
「あ、あの、ここ、女湯ですよね……」と消え入るような声で少女が呟くのが聞こえた。
少女は近眼なのか、目を細めてこちらのことを見ている。
「うぎゃ
あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ……………」
海人は立ち上がって逃げ出そうとして、
その拍子に膝で蹴り上げて落ちた石鹸に足を取られ…、
……その場で仰向けに転倒すると、浴場のタイル張りの床で頭を打って気絶した。
「あ、大丈夫ですか……」と葉南が駆け寄ってくる。……マズい、驚かせ過ぎたかしら……。死んでないわよね……。
……憐れ設楽居海人は、前を隠していたタオルを遠くに飛ばし、仰向けにひっくり返ったまま、ピクリとも動かなくなっていた。
葉南は、急いでプラスチックの風呂桶一杯に冷水を汲み、
一気にそれを海人の顔に浴びせかけた。
「ぶはっ!冷たっ!!」と言って海人が上半身を跳ね起こす。そして顔の前にあるものを見て、
「……逆向きの二等辺三角形か…頂角の二等分線が底辺を垂直に2等分している……」と言ったところで、ザバーーーッと二度目の冷水がかけられた。
彼の顔の橫で片膝を付いた禅羅の少女が「……まあ、あれね。アナタが救世主かどうかは、ともかくとして……昆虫ではなさそうね……。」と言い、
「は?」と言って海人が頭を左右に振る。
意識がハッキリしてくると、海人は1人で大浴場の真ん中で尻餅をついている自分に気が付いた。
……あれ?今のは……夢?……幻覚?……て言うか俺は……なんというヤバい幻覚を見てしまったんだ……。
ガララララ……
「お兄さん、お待たせ」
音入れに行っていた少年が帰ってくる。
「お兄さん、ボク、少し感心しちゃいました。」
「な、なにが……?」と海人は言いながら、少年のお行儀の良いタオルさばきにならって、離れた所に落ちていたタオルを拾いに行き、恥ずかしそうに前にあてがった。
海人はブルッと震え、「なんか体が冷えたし、湯船に浸かろうか。」と言うと、「うん」と少年もついてくる。
「あ、湯船の中にタオルは入れちゃダメだよ。これはマナーだから。」と海人が言う。
「じゃあ、ボク、お兄さんとちょっと離れて入るね。」と少年は言って、お湯にざぶんと浸かりながら、タオルをたたんで頭の上に乗せた。
かっぽーーん……
しばらく無言の間が続いた後、少年が「ねえ、お兄さん?ちょっと聞いていい?」と大きな声を出して聞いてきた。「今後のために、ボク聞いておきたいんだ。」
「なあに?言ってごらん?」と海人は湯気に覆われた天井を見上げながら言う。タオルを一度お湯に浸けてから搾り直し、再度頭に乗せると、後頭部に出来たたんこぶが痛んだ。
「ボクね、実はまだ蒙古斑が消えてないんだ。」「そ、そうなの?」
「お兄さんは何歳くらいに消えました?」
「いや、覚えてないかな……あんまり自分のそこに注目したことがないし……多分2、3年生…かな?言われてみれば、そんなのが小さい頃あったような気がする…っていうレベルの話かな……」
少年が後ろ向きで、ザバーーッと立ち上がり、シリウスをこちらに突き出してくる。
「どうですか?ボクの。」
海人は、少年のシリウスから背中にかけて青あざが発現しているのを見て、「ホントだ。まだ結構残ってるね。」と言った。
「こういうこと相談するの、お兄さんが初めてなんですけど、……その……蒙古斑とはまた別な話なんですけど……お兄さんは…いつ脱皮しましたか?お兄さんは蒙古斑が消えたどろか、すでに完全変態してるじゃないですか?」と、後ろ向きの少年が首だけ振り返りながら言う。
「え?君いくつ?まだ気にするの早いんじゃない?」と海人が言う。
「12です。」
「そっか。俺は14歳…ちなみに君はまだ…全然なの?」と海人が聞く。(思ったよりも大きい子だったな……)
「はい。」と言って少年は再び肩までお湯に浸かった。
「まあ、まだ気にすることはないよ。こういうのは個人差があるからね。だいたい日本人の7割は内((ま))気なままだって言うよ?でも大事なのは募金時に勇気等がきちんと出せるかってことなんだ。それが出せれば問題はないはずだよ。
こういうのは金額でもないし、ようは気持ちの問題だよね。募金を入れてもらうのを待つ普通の女の子は、男のそんなことまで気にしてないと思うけどな。」
「……いや、ボクがもし女なら嫌ですけど……。あ、あとついでに聞いていいですか?お兄さんはどういう時に募金します?街頭に制服を着た可愛い学生なんかが並んでいる時ですか?それとも小銭が溜まって邪魔な時、レジ橫のに適当に入れます?…つまり……週に何回くらい、同じようにーして募金してますか?」
「おっと……急に深いところを突いてくるね……まあ、君くらいの年の男の子なら気になるのかも知れないけど……それは男として正常な証拠だから……もし、君が気にしているようなら、気に病むことはないよ……」
ちっ、かわされたか……、
と葉南は考えていた。
…この機会に男装に役立つ有益な情報が仕入れられると思ったのに……意外にこの男、ガードが固い……。
だってさ、女の子は同じようにーしないから、ボク、聞きたかったんだもん……。
「お兄さんは……女の子が好きですか?」
海人は困ったような表情で彼を見つめた。
……なんだよ、さっきからこの少年……。正義の目覚めか……。まあ年長者に相談したい気持ちは分かるけど……初対面なのに、やけにグイグイ来るな…。
「そりゃ好きだけど…」と海人が言う。
「じゃあ、お兄さんは、結婚するならどのくらいの年の差までオーケーですか?」
「え?唐突だな。……そうだな……年上なら2歳くらい……年下なら4歳下くらいかな……。丁度うちの両親が4歳差だし。」
ふふ……やっぱりね。救世主が聞いて呆れるわ。14歳の4歳下。つまり10歳までがストライクゾーンということね。この男もただの変態。まあ、少しは?骨があるみたいだけど?
……さて、聞くことは聞けたわ。そろそろ清掃中のお札の効力も薄れてきている頃だし、他の人間が入ってこないうちに外へ出ましょう。念のため、ボクの体を見て、反応しないかどうかは、もう一度試してみた方がいいかしらね。ネルネ様には正確な報告を上げないといけないでしょうから。
まあ、当然、大人っぽいめいずちゃんのような女子には反応するだろうけど、
こういう時、ボクの姿は炉ール射ッハテストに丁度いいのよ。
葉南は、静かに波音を立てずに、海人のいる方へ近付いていった。「ここのお風呂広くて楽しいね。」そう言うと途中からうつ伏せになり「誰もいないし、…いいよね!」と言って平泳ぎの体勢になる。
「おいおい、それもマナー違反だよ?」と海人が笑いながら言って、自分の体の回りをぐるぐると泳ぐ少年の、青あざが残る背中と丸いシリウスを何気なく見ていた。
まさに蛙のように膨らんだ下半身から骨張った脚が飛び出していて、それがお湯を蹴ろうと開く度に、
アナーキーな悪戯心が見え隠れする。
海人はそこに微妙な違和感を感じて、ん?と身を乗り出した。
ガララララ……
「なんだよ、やっぱり清掃中じゃないじゃん?」
などと言いながら、タオルを腰の前に下げた男性の団体が中に入ってくる。
葉南は素早くタオルを手に取り、慌てて浴槽の中で立ち上がった。
海人がクスクスと笑いながら「泳ぐならプールにしなよ。」と言って、……気のせいかな……と自分も前を押さえて立ち上がった。
ロビーに戻ると、設楽居海人は、めいずに顔を合わせないようにサササ…とエッサイムを後にし、
めいずと合流した葉南は、「とりあえず明日からは、男装する際には、今回の理論を踏まえて算数的に、きちんと法則に乗っ取って行うこと。」と今日の要点を伝えた。「特に下半身の形状は正方形であることをイメージしてくださいね。これだけで、男として、引いては生物として、ずっと空気になりやすいし、特に女子達からは存在自体が認知されにくくなりますから。」「はい。わかりました。頑張ってみます。」「じゃ、また」「はい、葉南ちゃん。また明日学校でお会いしましょう。」
「いえ、ボク、明日からちょっと休むかも。」「何故ですか?」
「忍び案件で……」「そうですか。お気を付けくださいませ。」「アリガト」
そう言うと五十嵐葉南は、蛙に乗った忍者のように、片手でエンガチョの形に陰を結ぶと、怒炉ん、と煙と共に姿を消した。
『certification exam』
奥さん、聞いてくださいよ!どうやらこの連載、10人くらいしか読んでないみたいなんですよ!いやですわねえ……
…もっと界隈を盛り上げたいと思う方がおりましたら、是非とも高評価をお願いいたします!




