ヰ48 非現実化する世界
スポーツクラブ『エッサイム』。
関東圏に展開する、スポーツジムの大型チェーン店。
戸成町の駅前にあるスーパーに隣接する、6階建てのビルに入っているこの施設には、
ジム、疑似温泉とサウナ、プール、ダンススタジオ等が入っている。
『エッサイム』は一度会員になると、思い付いた時にいつでも自由に利用できるシステムとなっている為、夕方になると仕事帰りのサラリーマン達が、一汗流した後の銭湯替わりとしてここを訪れることが多かった。
戸成町の忍者道場の娘、五十嵐葉南は、
長い期間この施設を利用していなかったが、まだ会員登録だけは残っていて、年会費も支払われ続けていたのを知っていた為、この場所を今回の会合に使うことに決めていた。
「あら、葉南くん、お久し振りね。」
と、受け付けの若い女性が言う。
「一年振りくらい?少し大きくなった?またレッスン始めるの?」とスタッフの女性が言う。
「あ、ううん。ボク、レッスンはもうやんないよ。」と葉南は、年頃の男子らしく、わざとぶっきらぼうに答えた。「久々にちょっとプールだけ使おうと思って。」と葉南は言い、再発行してもらった仮会員証を受け取ると首から提げ、慣れた様子で男子更衣室の方へ向かっていった。
ここのシステムでは、更衣室に入る前にスマートフォンは受付に預けなければいけないので、その前に葉南は一旦入り口近くのソファに座り、
今日二度目の、飛鳥めいずからのluinを開いていた。
葉南は真剣な表情で文章を読み返す。
……要約すると、それはこんな感じだった。
『五十嵐さん!聞いてください!
…私は、もうおしまいです!
あれから五十嵐さんに教えてもらったことをヒントに、私なりに男っぽい格好をして学校に行くことにしたんです!
五十嵐さんはその日学校をお休みしていたみたいでしたので、ご存知ないかとは思いますが…、
大変な騒ぎになってしまったのです!!』
葉南は、スマホの画面から一度顔を上げ、何となく癖で防犯カメラの位置と視野を再確認した後、めいずのluinに目を戻した。
『私が考える、《女を感じさせない、ガチ男子》の服装で教室に入ったところ……あちこちで女子の悲鳴が上がりました。それは、それはもう大騒ぎで……。なにやら私は、男装の麗人とかに見えたらしくて……
その日のうちに机と下駄箱が女子からのラブレターで一杯になるという、予測不能の事態となってしまいました……。』
……下駄箱にラブレターって…。その風習、まだ生きてたのね…。と葉南は思ったが、……やれやれ、飛鳥さん、これは悪手だったわね……と静かに考えていた。
『私、あんなに悪目立ちしてしまって……もう明日から学校に行けません(涙)。数年かけて培ってきた、地味道を、1日にして台無しにしてしまいました!!私は何て愚かだったのでしょう!………助けて、尾尾わん犬野ー比ー。あなただけが頼りです。恥を忍んで…何卒、お願いいたします。五十嵐さんの力をお貸しください。私、今すぐ学校での自分の気配を消してしまいたいのです!背に腹は代えられません!Help me!!』
luinを受け取った時、葉南はすぐに返信し、戸成町のスポーツクラブ『エッサイム』に来るよう、めいずに伝えていた。
さてと。
飛鳥さんが来るまで、まだ時間がありそうね。
……ひと泳ぎしてこようかしら。
葉南は、ヨッコイショと立ち上がり、イキった男子のようにだるそうに靴の裏を床に擦りながら歩き、受付のお姉さんにスマホを預けた。
そしてクラブのロゴの入ったボストンバッグを背中に背負い、テクテクと男子更衣室に入っていく。
あら……誰もいないわね。
ロッカーの前に立った葉南はリラックスした様子で、素早く服を脱いでいき、最終的に、
海パン1枚の姿になっていた。
葉南は、腕を頭の上で交差させながら組むと、目を閉じて肩と背中のストレッチを始める。
痩せた肋骨が、体を捻る度に脇に浮かび上がり、息を吸い込むと横に膨らむ。続けて葉南は、う~ん、と背骨を伸ばした。
…正面の姿鏡に映った少年は、髪の毛を纏めると、サイズの小さい水泳帽の中にそれを収納する。前髪のなくなった五十嵐葉南の顔は、幼いながらもなかなかに整った綺麗な顔立ちをしていた。
………。
ん?……プール室の方から…人の気配……。近付いてくるわ。足音は一人…小学生…かしらね。
葉南は海パンの前に手を突っ込み、サポーター部分のメッシュの内側に、特殊な形をしたジェルパッドを差し込んで、腰紐を締め直した。
ガララッと横開きの扉がスライドし、一瞬、広いプール側の空間に満ちた音が、ザワザワと反響しながら、更衣室にまで流れ込んできて、
ビタン!と閉じるとまた静かになる。
「お?葉南じゃん?珍しくない?」と体格のいい男子が、体から水を滴らせながら現れ、ペタペタと足音を立てながらこちらに近付いてきた。「ちょー久し振りじゃん?転校して以来じゃん。え、葉南、また戻ってきたのかよ?」
「いや、ちょっと懐かしくて遊びにきただけだよ。」と葉南が言う。
「おい葉南?相変わらず、お前、痩せてんな~。ちゃんと鍛えてるか?ほら俺を見ろ!」と言って少年は日焼けした腕を直角に折り、筋肉のこぶを見せつけてくる。
「凄いね、西村。体もデカくなったじゃん。」と葉南が言う。
「そうだろ?」と言って、西村と呼ばれた少年は得意そうに笑った。
筋肉質だが、どちらかと言えば太っている西村は、陥没した自分の知究備を爪でポリポリと掻き、
目の前にいる旧友の胸にある、二つの円の輪郭を何気なく見ていた。
「いいな、お前のはちゃんと飛び出てて。」
「なんだよ、西村がそんなこと気にするなんて意外だな。」「ま、まあな。変か?」「まあ、変ではないけど。」
「あ、でもさ!俺…、」と西村が嬉しそうに頬を赤くしながら言う。そして彼は葉南の方に体を近付けてきて、耳許で囁くように言った。
「……俺さ、もう生えてきたんだ!!」
「…………なにが?」
「永久歯が。」
「……へえ……すごいじゃん……。」 と葉南が言う。
「見るか?」
「…いや、いいよ。」
「まあ、そう言うなって……。」西村はそう言うと、有無を言わさず口を大きく開け、自分のものを見せびらかしてきた。
「ホントだ。」と無表情の葉南が言う。
西村は、まだ生えかけの部分を指差して見せながら、…プールから出たばかりで縮こまった…、赤ちゃんのようにしぼんだ喉ちんこを葉南にもよく見えるように近付けてきた。
「……なんだよ、葉南、その余裕の表情は……もしや。お前も生えたのか?」
「いや……まだ生えてないよ。」
「そうか?」「西村、もうしまいなよ……それ。」
西村はまだ声がわりしていない小さな喉ちんこを葉南に見せながら「なんか、投げ槍な態度だな……ん?お、おい、お前、もしかして……」と西村が耳を真っ赤にして言う。「…俺より先にむけたハムか?」
「んなわけないだろ」と葉南が即座に否定する。
西村は、「おい、否定するのが早いな?!ほ、ほんとか??お前、生えてないし、むけてもいないんだな??」
「うん。」
「……見せてみろよ」
「え?」
「いやさ、生えてもないし、むけてもないんなら、いいだろ?見せてみろよ。俺ばっかり見せてズルいじゃん。」
「いや、西村が勝手に見せてきたんだろ?ボクのは小さいし、恥ずかしいからいいよ。ほら、西村のみたいにデカくないし……。」
「て言うか、お前、昔からいつもそんなこと言うよな。俺のってそんなにデカいか?…どちらかと言うと小さいような……(涙)。……よく考えたらさ、俺さ、お前の喉ちんこ、一度も見たことないかも?」
「西村?……お前はホモサピエンスか?男の裸見て、ホモエレクトスか?」と葉南が素早く切り返す。
「ち、ちげーよ!そ、そーいう、お前こそ女かよ!なよなよしてさ!いっつも喉ちんこ見せねーけど、お前、ホントは喉ちんこ付いてねーんじゃね??」
葉南は溜め息をつくと、「ねえ、西村?」と呆れた様子で声をかけた。
「なんだよ」と西村が言い返す。
「西村って妹とかいる?」「は?いねーよ。」「じゃあお姉ちゃんは?」「なんだよ?いねーよ。弟二人の三人兄弟だよ。」
「そっか。」と葉南は言って、…まだ喉ちんこを出したままのバカな西村のことを、上から下までジロジロと見つめていた。
バカな男子は嫌いじゃないけど……もう相手するのも疲れたから、……今すぐボクの存在をこの場から消させてもらおうかな。
五十嵐流奥義……、非現実化……。
葉南は心の中でそう唱えると、右手で水泳帽を、左手に自分の海パンの紐を掴み……、
一気に帽子を投げ捨てながら海パンを足元までずり下ろした。
そのまま葉南の両腕は、何も隠すことなく腰の横に添えられると、お腹をこちらに突き出して、
クロスワードの縦の数字のヒントを全部もろ出しにした。
?!??!
……12年間……、生きてきて一度も目にしたことのない、同世代の少女の禅羅の姿が…、西村少年の目の前にいきなり現れた瞬間、それら全ては非現実過ぎるものとなり、彼の意識と、視界の中から、すぱんっ…とかき消されてしまった。
……気付けば、さっきまで一緒にいたはずの五十嵐葉南の姿は消えていて、西村少年はキョロキョロと辺りを見回していた。
離れたところに立つ禅羅の葉南は、
透明人間と同じ原理で、何も身に付けていないからこそ、誰にも見ることの出来ない存在と化していた。
今の葉南が靴を履いたなら、きっと靴だけが歩いて見えることであろう。
そんな中、プール側の扉が開き、次々と逆三角形の体型をした男子高校生の集団がどやどやと入ってくる。
彼らはバカ笑いしながら、ヨテレの女児向けアニメ『秘密少女探偵スージー』の話に花を咲かせる反面、目の前にいる本物の禅羅の少女の方は非現実過ぎて、脳が認識することを出来ないまま、全く気付く様子もなく通り過ぎていった。
彼らは葉南の前でふざけ合いながら海パンを脱いでシャワー室に入っていく。
……日本人男性の約7割が、呆けいもんファンであるとの仮説を、葉南は実地で確認しながら、この知識が今後の忍術の役に立つかどうかを考えていた。
……あ、そろそろ飛鳥さんが来る頃ね。なんか結局泳げなかったけど、ロビーに戻るとしましょう。
更衣室が空になるのを見計らって、葉南はボストンバッグに入れていた男装セットを再び取り出し、黒のパーカーとコーデュロイの長ズボンを着直した。
ロビーに出たところで『エッサイム』の制服を着た30代くらいの女性スタッフが「あら、葉南くん、ドリンクコーナーでお友達が待ってるわよ。5分くらい前に着て、あなたを探してるって言うから、今呼びにいこうと思ってたの。」と声をかけてくる。「もしかして彼女さん?」と女性スタッフがニヤニヤしながら言う。
「違いますよ…」と葉南は答え、……さて、どうしたものか…と考えながら言われた場所へ向かっていった。
『An unreal process has crashed.』




