ヰ45 スマホ真法
ここは、とある雑居ビルの屋上。昨日の夜遅く降った雨が水溜まりとして残り、長年置き放しにされたバケツの内側にも黒い水が溜まっている。
電子タバコを口に咥えた金髪の女性が、パンプスの裏を、ジャリジャリしたコンクリートに擦りつけながら、苛々とした口調で喋っていた。
「……はい。わかっております。EUでの調査結果だけでは、まだ不確定要素が多いことは承知しております。……今年の12月に日本でも施行されると噂される、スマホ真法……。ご存知の通り結局それは、我々、倫護カンパニーには何もダメージを与えない可能性は高いです。
ただ、ここ日本では、まだ情勢がどう転ぶか分からないということですよね?愛・不穏一強の牙城が崩され、林檎税の税収が減ることは考えにくいですが……、私としてはカンパニーの信者達を守ってきた、強力なファイアウォールとしての自分達の役目を愚弄されたようで…正直、いい気分は致しません。」
「……はい。個人の感情は関係ないことは分かっております。でも私、『あっぷっぷストア』が古巣なものですから……冷静ではいられなくて……。何が競争の促進よ……。無知な赤ちゃん達を危険なウィルスに晒すことになるというのに……。」
無頼孔雀が外出している間、金色のエスカルゴヘアの助手メジ子は、カンパニーの構成員だけが所持する、愛・不穏19での通信を終え、ピンク色のカバーを荒っぽく閉じた。
……乃望竹千代は、最近目立った動きを見せていない。というか、ほぼ完全に消息が掴めなくなった。表面上は豊子キッズへの送金もストップしている状態のように見える。
先日、ネルネちゃんのお部屋に行った時には、教科書の一杯入った段ボール箱を発見したが、送り先はいつもの沖縄の住所。
あれはダミーだということはすでに判明している。
…ネルネちゃんが大切に首に付けていたネックレスは、引き出しの奥にしまわれていた日記帳のものだった。
開けてみると、そこには暗号と思われるミミズ文字がびっしり……。全てカメラで撮影しておいたが……倫護カンパニー本社のコンピューターでも、未だ解読出来ていない……。ていうか、あれホントに文字?最新のAI曰く、あの文字は試験勉強中に居眠りした学生が、ノートの上で鉛筆を這わせながらヨダレを垂らして滲んだもの、とのこと……。
んな訳ないでしょ!!あれだけ大切に保管しているんだから……。
………。
………何故か豊子キッズの建物内に仕掛けられた盗聴装置は、悉く無効化されてしまうのよね……。誰か相当手練れのセキュリティ担当がいるはず……。
メジ子は腕にした細いパールピンクの時計を見、そろそろ先生が帰ってくる時間なのを確認すると、
冷凍庫から冷凍スパゲッティを取り出した。先生は海老アレルギーの為、メジ子がオマール海老パスタを選択する。
……先生はいつものナポリタン、と。
いやあ、最近立て続けに入ったオペ、すんっごく、大変だったわあ……。でも流石先生。最後は3人の手術を同時に行ったあの手腕……。一人は完全に鬼匿状態の重症患者だったというのに……お見事だったわ。
これで彼らは全国ツアーに戻ったり、ハリウッドに戻ったりできるのよね……。
でも先生が表立って感謝されることはない。
治療費はしこたま請求するけど、……もっと先生は感謝されてもいいはずよね。
「ただいまー」
と入り口で声がして、コートの肩を白くした無頼孔雀が、無精髭の間の肌を赤くさせて戻ってくる。
「おい、メジ子!雪だぞ!あーやれやれ、お腹がすいた…」
「お帰りなさい、先生。ナポリタンがもうすぐ出来ますよ。」
「お、ありがとう、メジ子。コーヒー入れるけど、飲むか?あ、お湯は沸いてる?」
「沸いてますよ。お疲れ様です。先生は座っていてください。今すぐ入れますから。」と言ってメジ子はインスタントコーヒーを、粉チーズのように直接カップに適量落とし、熱々のお湯をポットから注いだ。
……スマホ真法施行の混乱に乗じて、危険アプリが増える可能性は高い。我々、倫護カンパニーのエージェントがその処理にリソースを奪われているうちに、何かしらカンパニーの目を盗んで頭のおかしい輩が活動を開始するやも知れない。
警戒することに関しては、アンドロイド陣営もそれは同じ。
今回はもっと小さな団体の動きを警戒しなければならない。
……乃望竹千代…。
学生時代、お前はすでに、手作りの愛・不穏ケースをフリマサイトで販売し、荒稼ぎをしていたと聞く。安いモバイルバッテリーを大量輸入し、それらが法改正で違法となる前に売りさばき、多額の利益を得たとの噂もある。危険アプリ、または詐欺アプリの開発に関しては未確認だが、……最後の足取りでは、彼女は何かの投資、…7桁ほどの発注を、ソフト開発者にしていたとのこと。
気になるのは、闇のブローカーが、有名壊死「腐乱ちゃん」と有名墓過労people「ブラック桔梗」が同時期に全ての仕事を断っていたと言っていたこと……。何か水面下でよからぬことが進行しつつあるのでは……。
ああ、もどかしい。誰か未来を見通せる者でもいたらいいのに……。
「お~いメジ子~、ボンヤリしてるからご飯の用意、全部出来たぞー。コーヒーも入った。さ、食べよう。」と隣の部屋から無頼孔雀の声がした。
「あ、先生!ごめんなさい!私としたことが!ミルクどこにあるか分かりました?この前、間違えて『ポチっと鍋』を入れて大騒ぎしてましたよね?!」
「アハハ……大丈夫だよ。それにあれは意外と旨かった。キムチ味のコーヒー…」
「……先生こそ、空気ドロップ舐めて、味が分からなくなってるんじゃないんですか?」
メジ子は席に付き、スマホで惚けもんを視聴しながらスパゲッティを啜る無頼孔雀を見て、
……先生は今もまだ乃望竹千代を探している。手懸かりは豊子キッズ。いっそ先生と協力して乃望竹千代を捜索したいが、まだその時ではないのだろう。
先生には独自に動いてもらって、可能性を分散させておいた方が、現時点では得策だ……。
と考えていた。
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………ちょっと待って……。
このスマホ真法ってなんのこと?
美少年、向井蓮はスマホでネットニュースを眺めながら、優雅にコーヒー牛乳を飲んでいた手を止めた。
……今年の12月から施行?EUでは同様の法律がすでに施行済み?
……エロドロがアンドロイドでも出来るようになる?それなら睦美ちゃんがお兄さんのスマホ使わなくてもエロドロ出来るってことじゃないか。
正史では、睦美ちゃんのお兄さんが愛・不穏を家に残し、豊子キッズにドロップ☆インしたことで、勝手に持ち出したはず……。
待って待って??……まさか、歴史が自らの軌道のズレを修正しようとしている??これは…歴史に備わった一種の『自己回復力』が発動しているのでは……?マズいぞ、これは非常にマズい。
…………。
睦美ちゃんの未来に待ち受ける一周目の悲劇……。その未来から僕は君を救いにやってきた。
でも現状、睦美ちゃんは一周目の時のように、世間を恨むような感情に陥っていないようにも見える。
一周目の不幸の全ては、まず何と言っても睦美ちゃんのお兄さんのスマホゲームへの課金から始まった。その後の家のお金の遣い込み……、そして家出。豊子キッズへの転落。
そのことで睦美ちゃんは荒れ、全ての元凶であるスマホアプリ『呆痴彼女』を提供していた『あっぷっぷストア』を逆怨みした。
それにとどまらず、睦美ちゃんは元々、気に食わなかった愛・不穏自体を憎み、まず手始めにエロドロ画像をクラスの女子達に投下する。
それによって何名かの女子が、仕組みをよく分かっていない親により機種変更を勧められ、実際に何名かを改宗させることに成功した。
味をしめた睦美ちゃんは、校外でも二度三度とエロドロを行う。
その頃、転校してきたばかりの僕は、飛鳥めいずの毒牙にかかりながら、…世間からアンドロイドということで虐げられる睦美ちゃんの、レジスタンスでディスタンスな魅力に気付いてくる。
まだ睦美ちゃんの犯罪を知らない僕は、睦美ちゃんの運命に逆らう反抗的な態度に癒され、心のどこかで、彼女こそ理想の女の子だと気付くようになる。そこからしばらくストーカーすることで、彼女が犯罪に手を染めている事実に気付いていった。
そんな時、和風乙女淹れ改装の報せが入り、睦美ちゃんが、洋風乙女淹れを全て詰まらせるという暴挙に出た。
……それによって校内では低学年の女子達に、授業中の出勤者が続出。見かねたPTA、教師陣が男子音入れを解放。地獄のSDGsが実現された。
そんな中、睦美ちゃん率いる科学特捜部は、闇オムレツの販売を行い、裏サイトを使って学校での支配力を高めていく。
僕は幾度となく、科学特捜部に入部を希望したが、この見た目から、少数的弱者であることを信じてもらえなかった。
僕と睦美ちゃんのファーストコンタクトは、まだ先の事件を待たねばならない。次こそはしくじらないようにしなければ……。
そうこうしているうちに一周目の科学特捜部は、細かい悪事を繰り返すことでボロを出し、確実な証拠を掴んだ当校の一軍部隊、秘密少年探偵団に半殺しの目に合い、無事卒業……。
首謀者だった睦美ちゃんは中学でも、反愛・不穏過激派になり、地元でプチ不良化♡
中2の夏に仲間を売って一斉補導。地元コミュニティの復讐の手から逃れる為に、兄を探して豊子キッズに接触。
その頃丁度豊子キッズ内でも内ゲバが発生し、そんなどさくさの中、睦美ちゃんは
何故か倫護カンパニーに捕えられたらしい…、との風の噂が僕の耳に入ってきたのだ……。
哀れ睦美ちゃんは、そこで拷問を受け、改造人間にされて帰国した……。
一変して愛・不穏女子に変貌した睦美ちゃんは……、
かつての素朴な反逆精神を失い……、何処にでもいる女子として社会に取り込まれていったのだった……ぐすん、泣きそう……。
……まあ、今見ている感じ、ひとっつも歴史を繰り返してないはず……。それに僕だって僕自身を救わなきゃいけない訳だしね。
スマホ真法か。
と、とにかく、事の始まりである睦美さんのお兄さんと豊子キッズの出会いは阻止しなければ……。
蓮は、スマホのページを指で送り、……ん?と動作を止めた。
『永田町、霞ヶ関!そして今年は新宿で214事件!鈍器法廷が贈る、呆痴彼女のバレンタインでバ連帯保証人キャンペーン♡♡青年将校の諸君は、いざ集結!』
おおっと……。これ大丈夫か?!討伐が必要ではありませぬか??
睦美ちゃんのお兄さん……平気だよね……?
『Act on Promotion of Competition for Specified Smartphone Software』




