ヰ4 箱の中の彼女
ヒト型ロボット少女、設楽居睦美は、母親に新しく出してもらった青いパジャマに着替えて、頭には猫耳のタオルキャップを被り、
実の兄、設楽居海人のベッドに腰掛けていた。
兄、海人は、すでに一階のリビングのソファに毛布を用意し、部屋の明かりを消して静かに横になっている。
睦美は、落ち着かない様子で兄の部屋を見渡し、本棚に並んだサッカー漫画の背表紙を眺めていた。
小さい頃は、よくこの部屋に入って、勉強しているお兄ちゃんの横で、ベッドに寝転んで漫画を読んだものよね。
……いまやその漫画も30巻を越え、いまさら話の展開についていくのも面倒になってしまった。
睦美は立ち上がって、その本を引き出そうとしたが、……もう、どこまで読んだかも思い出せず、途中まで傾けた単行本をそっと元の位置に戻した。
振り返って、兄のベッドに戻る。もう寝ようと、睦美が上にかかっていたタオルケットを捲り上げると、
……その上に無造作に置かれた黒い鉄の板に気付いた。
これは……、お兄ちゃんの愛・不穏……。
胸部の内側で、伸縮ポンプがとくとくと痙攣の速度を早め出す。
湿った手で、兄のスマホを掴み、画面を見つめる。
画面ロック……。4桁に設定されている……。
睦美は少し迷った後、自分の誕生日の数字を打ち込んでみた。
私達が小さい頃、お母さんは、お兄ちゃんと私の銀行の暗証番号を、兄妹お互いの誕生日にした……。だから未だに私も、自分のスマホのロック数字はお兄ちゃんの誕生日にしている。
……あ、解除できた。
兄の携帯のロックが、自分の誕生日であることが嬉しくて、睦美はベッドにダイブすると、タオルケットを顔に近付けながら抱き締めた。
……さて。妹として……、少なくとも、電話帳と、luinの履歴と、アルバムと、アプリと、ダウンロードした画像と、購入履歴くらいは確認しておかないとね……。
しかし画面上のアイコンを見て、すぐに睦美の顔が強張る。
『呆痴彼女』
こ、これは………。web広告で良く出てくる、あの謎のゲーム。あ、兄上……。好奇心を我慢出来ず、下ろしてしまったのね………。気持ちは分かるけど……気持ちは分かるけど……気持ちわ、るいわ……。
まあ、でも、一応、一応ね?確認してみないとね?ゲームの内容を何も知らない人間が、印象だけで勝手に判断し、偏見を持って断罪するのは良くないわ。
睦美はアプリを開き、
……いきなり怒アップで映し出された、『MEGAネ母音☆ケモ耳少女』に驚き、思わず愛・不穏を床に落としそうになった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
『呆痴彼女』
……ここは人里離れた山奥にある、優良介護狼人ホーム。
隔離された生活を余儀なくされた、社会から忌み嫌われる狼少女達のヘルパーに、ひょんなことから就任することになった主人公(男)は、
数々のタイプの女の子と交流しながら、毎日の生活面でのお世話に…上を下への大騒ぎをする、という……大人気美少女介護ゲームだ。
しかも出てくる全ての狼少女は、この種族の特性で、最年少でもゆうに100歳を越える炉ンリーババアときている。
スプーンにボールを乗せるレクリエーションや、手拍子リズムアクションのミニゲーム。
部屋に灯るナースコールシグナルを見逃さず、あちこちの部屋に駆け付けなければいけない主人公は、おちおち寝る暇もなく、上よりも…どちらかと言うと、下のお世話に大忙し。
とぼけた美少女達のリアクションに癒され、……フライパンでの蒸れ蒸れオムレツ作り、ドキドキ付き添いニューヨーク風呂ードウェイタイム、眠り姫の床れず防止、夜の俳句徊……、とイベントも盛りだくさん。
…………。
これ……、なんか面白いかも………。
………、ちょっと待って…。
この、口下手で、シッパイ続き、心配性で、つヨガって…、す(具)じまんするところが玉に瑕な、寂しがり屋惨の、おさないもうと系彼女、……全然攻略されてないじゃない……。
なんかムカつくわ……。
『トントントン』
「ひゃ?!」急なノックに睦美は飛び上がった。
「ごめん。むつ、起きてる?」
睦美は慌てて、パジャマのズボンに、はみ出していたインナーを突っ込み、猫耳タオルキャップに髪を収納し直すと「オホン」と咳払いをして、
扉の横の鏡を 見ながら、目やにを取った。
……あれ。マズい。……今の私、ケモ耳じゃん……。兄上の彼女趣味レーションに怒ストLikeでは………?
でも、私、母音じゃなくて子音ちゃんだけど………。
しぃぃぃん………。
「むつ?起きてる?電気ついてるけど、開けていい?」
「待って待って!今、開けるから!」と言って睦美は、自分の息が、もうケロッピ臭くないか 《はあああ……》と確かめてから、扉を薄く開けた。
「……なに?」
「そう、怖い顔するなって……。だいたいここ、俺の部屋だし……。」
「やっぱり一緒に寝たくなった?」
「だ、か、ら!中2と小6の兄妹は一緒に寝ないの!」と睦美の兄、海人は両親が起きないように、小さな声で怒鳴った。
「……お兄ちゃん?それ、俗に言う中2病ってやつ?妹と一緒に寝れないとか……。これがお兄ちゃんの黒歴史にならないことを祈るわ……。」
「逆だろ!妹と添い寝した方が黒歴史だろうが?!」
「カイト~、まだ起きてるのー?早く寝なさーい……」
隣の部屋から母親の寝ぼけたような声がする。
「ほら、お兄ちゃん?母上もああ言ってるし、早く一緒に寝よ?」
「そんなこと言ってないだろ!……俺がここに来たのは……、
なあ、むつ?そこに俺のスマホなかった?」
「え?」
「スマホだよ。」
「スマホって……、つまりスマートフォン?」
「他に何があるんだよ?俺の愛・不穏だよ!」と海人がイライラとした口調で答える。
「……お兄ちゃん……。愛・不穏にあまり依存し過ぎるのも良くないわよ……。」
「何言ってるんだよ?むつ、多分ベッドの上にあると思うんだけど?ちょっと部屋に入れてくれないか?」
「え………今まで頑なに入ろうとしなかったのに、急に押し入ろうなんて……倫護カンパニーの洗脳は本当に恐ろしいわね…」
そう言われて海人は……、無理に部屋に入ろうとはせず、辛抱強く廊下で待つことにした。
「……なあ、むつ。俺、明日の二限が何の授業だったかを確かめたいんだ……。だからスマホを返してくれよ……。後はもう、お前の睡眠の邪魔はしないからさ……」
……二次元の力、恐るべし……。お兄ちゃんはもう、呆痴彼女の虜。逃れることが出来ないのね………。
「わかったわ……私はもう何も言いません……でもね?あんまり夜更かししちゃダメよ……」睦美はそう言いながら、兄の携帯を扉の隙間から差し出した。
「やっぱお前、持ってたんじゃないか。そしてどこから目線だよ、その言い方?」と海人は言いながら自分の携帯を受け取った。
「お兄ちゃん?本っ当に、私と一緒に寝なくていいのね?……今ならまだ……引き返せるかもしれないわよ?」
「だから俺は引き返すんだよ。なに言ってんだ?ところでお前さ……、ほら、これリビングに忘れてたぞ。」
海人がそう言いながら、睦美のアンドロイド携帯を差し出した。
「ひょえっ???」
扉を勢い良く開き、睦美が顔を真っ赤にして、兄の手からスマホを奪い取る。
「み、み、み、見てないでしょうね?!」
「だって画面ロックされてるだろ?見るわけないじゃん。」
「見ようとしたの?!」
「見てないよ!どこの世界に妹の携帯を盗み見る兄がいるっていうんだよ??」
「…………。」
「……念のため聞くけど……、お前、俺のスマホ、開いてないよな?」
「……画面ロックされてるから、……見れるわけないでしょ。」
海人は、スマホ解除の暗証番号が妹の誕生日のままになっていたことを思い出し、じぃぃぃ……と睦美の顔を見つめた。
「……そんなに見つめないでよ……。」
睦美はそう言いながら、自分の猫耳を恥ずかしそうに触った。
「ねえお兄さま?」
「な、なんだよ?」
「私、MEGAネ、……かけた方がいいかな?」
「は?むつは、視力いいだろ?」
「ファッションとして、よ。」と睦美が上目遣いで言う。
「……う~ん。むつは、そのままの方がカワイイと思うぞ。なんだ、お前、好きな男でも出来たか?急にお洒落に目覚めて……、て、おい??なんだその顔は?えーっと……?その表情は………、な、なんの感情を表しているんだ?とても女の子がするような顔じゃないぞ。
……なんか怖いんだけど……。いいから早く寝ろ!俺はもう眠いんだ。お、やっぱり明日の二限は合同体育か……。しまったな……ここにきて靴が壊れたのが痛い……。でもこれ以上3組の連中を調子に乗らせるのは嫌だしな……。明日はなんとしてでも勝たねば……。」と言って、海人はスマホを覗き込みながら階段を降りていってしまった。
…………。
……わざとらしい。どうせ呆痴彼女と遊びたかっただけでしょ……。
睦美は、アンドロイド携帯を右手に握ったまま、ぼふん、とうつ伏せにベッドに倒れると、……すうぅぅっ……と勢いよく枕のにおいを嗅いだ。
……まあ、でも、あれよね。
どこの馬の骨ともしれない、クラスの女やなんかと、luinのやりとりをするよりも……、
アプリのAI彼女と遊んでる方が、よっぽど健全よね……。そこはちょっと安心。
……ただ、こんなに身近にいるアンドロイドAI少女に気付いてない(?)のは、ちょっとどうかと思うけど…。
しかし、兄上がまさか、あんなぼういんぼうしょくMEGAネ☆ケモ耳少女が好みだとは……。もしや脂肪好き……?よく食べてよく眠る子が好きなのかしら……?私…もっとピクルス食べようかしら……おえっ……。まずい、まずい。……また嘔吐メーションが作動しちゃうわ。
ところで、あの呆痴娘、なんて名前だったかしら。……確か、尾刀 水鳥 (122)。あー言われてみれば聞いたことあるかも……。結構有名キャラよね。首にカウベルを付けて薙刀を持って戦うんじゃなかったかしら……。狼なのに牛って……いったいどういう設定のゲームよ……。
つらつらとそんなことを考えながら、アンドロイド少女設楽居睦美は、まぶたを半分ずつ下ろしていき……やがて呼吸が段々ゆっくりになっていくと……広い広い……牧草地を跳ねる……、
……電気羊の夢を見始めるのだった………グウ………。
『Girlfriend in the box』