ヰ38 美男美女
朱色のチャイナドレスに身を包んだマダム、飛鳥 紅花は、
目尻に臉譜を彩った顔をこちらに向けて、
「めいずさん、ちょっとこちらにいらっしゃい。」と手招きをした。
「はい。何でしょうかお母様。」
と言って、自宅では変装を解いている飛鳥めいずが、緩やかな部屋着のスカートを揺らしながらしずしずと歩いてくる。
若干言葉のイントネーションに中国訛りの残る紅花は、
「あなたに大切なお話しがあるの。」と言って、目の前の椅子に、娘を座るように促した。
めいずが、おしとやかに脚を横に重ねて、手のひらをひざの辺りに置く。
紅花は「……いよいよ、あなたの許嫁とお会いする段取りが整いました。」と言った。
「そうなのですね。私、てっきりもっと先のお話だと思っていましたので、…少し驚いております。」
「確かに、小学校を卒業するまでには、一度お会いすることになってはいたのですが、…向こう様の家から、『めいずさんも早いうちに会って、慣れておくことも必要でしょう』とのお心遣いがあり、春を待たずに、会合が開かれることとなりました。」
「かしこまりました。」とめいずが言う。
「緊張することはないですよ。」と紅花が微笑みながら言った。「春の庭園会で、初めてお顔合わせするよりは、ずっと気持ちは楽になるはずです。きっと砕けた雰囲気の集まりになるでしょうから。」
「今回は向こうのご家族以外に、宍戸家の方は同席されるんですか?」とめいずが尋ねる。
「いいえ。宍戸家の方とお会いするのは、庭園会の時と、年末の舞踏会の時だけです。」
「……それでしたら、あまり堅苦しく考えなくても大丈夫そうですね。」
「めいずさん。舞踏会では、お披露目も兼ねて、ワルツを踊ることになりますからね。早めに向こうの方とお会いして、息を合わせておく必要がありますよ。」と紅花が言う。
めいずが恥ずかしそうに「あの……教えていただいて宜しければ、向こうの方は、お名前は何とおっしゃるのでしょうか?」と聞いてくる。
紅花は、「ええ。向こうの方は、向井さんとおっしゃいます。」
「向井さん、ですか。」とめいずが少し顔を曇らせながら言った。
「聞いたことのないお家ですね。」
「ええ。勿論、宍戸家の方がお選びくださった家系ですから立派な所なのでしょうが…正直、私もあまり存じ上げておりませんでした。何やら海外から最近こちらに戻られたとのことで、ご子息も、すでに同じ小学校に転校してきているようです。」
「そうでしたか……。でしたらもうお会いしているかもしれませんね。」と、めいずは言い、向井……向井……と記憶を探っていた。
「向こう様は、向井蓮というお名前です。宍戸様がおっしゃるには、とても容姿の整った方のようですよ。お似合いだとおっしゃっていました。」と、紅花が嬉しそうに胸の前で手を合わせて言った。
やがて紅花は「めいずさん?」と、言って真剣な顔をして娘の手を握った。「今までは宍戸様にならって、飛鳥家も普通の公立小学校で学んできましたが……、来年からはいよいよ由緒正しい学校に進学するのですよ……いつまでも地味を装うような、変なお遊びはおやめくださいね?向井様にもご迷惑がかかりますから……。」
飛鳥めいずは、「はい。お母様。」と返事をしたが、心の中では……向井蓮さんというお方は、どれだけ華やかなご容姿なんでしょうかね……。横に並ぶだけで、私が相対的に地味に見えるくらい派手だと良いのですが……。
と、考えていたのだった。
***************
……とうとうこの日が来てしまった。
許嫁、飛鳥めいずが、僕の人生に登場する。
そう。一周目の人生で、僕はまんまと騙されたのだ。
両家揃った会合の前に、あの忌まわしき飛鳥めいずが、僕にコンタクトを取ってくる。
そこで、彼女は、自分がいかに地味であるかを僕にアピールし……、僕の心を捉えることに成功した。そして最終的には、あろうことか僕にも地味な人生を生きることを進めてきたのだ。
一周目の人生の時は、この麗しい容姿のせいで僕は、大人達の慰みものとなり…、バ痴漢の聖虐待を受けて、身も心ももボロボロになっていった。(まあ、勿論二周目は意地でもそれを回避するつもりだけどね!!…もう僕はかつての何も知らない少年ではないんだから。なんなら大人達を罠にかけて人生を終了させることだって出来るんだ!!)
……メラメラメラ。
と、とにかく。一周目の時の僕は、繊細な心の傷に付け込まれて……、飛鳥めいずに言われるまま、将来は地味~な人生を、許嫁と歩むことに決めたていたのだった。
そして成人した後、『二人揃って地味な顔に整形しようね』と飛鳥めいずに約束させられた……。
ところがどっこい!あの女、僕だけを整形させておいて、自分はしなかった!!挙げ句の果てに婚約破棄までさせられ、そこからの人生、僕は死ぬまでどんどん転がるように落ちていくばかりだった!!
許さんぞ、飛鳥めいず!!
二周目の人生、僕はあの女を退け、今度こそ睦美ちゃんと結ばれるんだ!
……まあ、睦美ちゃんとはまだ友達ですらないけど…。
「どうしたの、向井君?そんな怖い顔して。」
「ん?ああ、ゴメンゴメン。顔に出てた?」
クラス姪トの赤穂時雨に話しかけられ、
蓮は決まり悪そうに微笑んだ。
そうこうしているうちに、教室の後ろの方で、設楽居睦美が、「あ、めいずちゃん?どったの?」と言う声が聞こえてきた。
「あら、設楽居さん。ハムちゃんはお元気ですか?」とめいず・地味形態が言う。
「は?ああ、ハムちゃん?あ、いやもう亡くなったの……水に落ちて…事故だったの……」
「まあ、それは…お悔やみ申し上げます…」めいずは悲しそうにそう言うと、キョロキョロと2組の教室を見渡していた。
「誰か探してる?」と睦美が言った。
「ええ。設楽居さん、実はここに私の許嫁がいらっしゃるようなのです。」
「マジ??井伊直弼が?どこ?」
「あら、あのお方かしら?」とめいずが教室の中央辺りに立つ少年を見つめる。
「え?まさか。あの転校生?」と睦美が眉をしかめる。
「設楽居さん、申し訳ございませんが、あの方をこちらにお呼びいただけないでしょうか?飛鳥めいずがご挨拶に来たとお伝えください。」
「ええ~、あいつに話しかけんの、なんかヤダなあ。」「そうおっしゃらずに。」
「あ、こっち来るよ。呼んでもないのに…じゃ、めいずちゃん、私、あの転校生なんか苦手だから向こう行くね!許嫁、頑張ってね!」睦美はそう言うと、ぴゅーっと廊下に逃げていった。
美少年、向井蓮は背中に赤穂時雨を従えながら、めいずの方へゆっくりと歩いてきた。
そして、目の前でピタリと立ち止まる。
後ろにいる時雨は、不思議そうな顔をして、蓮とめいずを代わる代わる見ていた。
「始めまして。向井様。私、飛鳥めいずと申します。」
「ああ。知ってるよ。」
「両家の集まりの前に、先にお会いしておこうと思いまして。……ご迷惑だったでしょうか?」
「ああ。迷惑だ。」と蓮が言うと、後ろに立っていた時雨が、「はい!おしま~い。あなた、どこの馬の骨とも知らないけど、残念でした~。バイバ~い。」と嬉しそうに言った。
蓮の態度に一瞬怯んだめいずだったが、
「……私のこの見た目に驚いていらっしゃるのでしょうか?」と眼鏡をくいっと上げる。「これが私の本来の姿です。許嫁でしたら慣れていただきませんと…」
優しい顔をした時雨が「悪いことは言わないわ。あなたみたいな地味な子が、向井君と釣り合うわけないでしょ?諦めなさい。」と言って「て、え?なに?今、許嫁とか言わなかった?!」と叫んだ。
「む、向井君??わ、私という正妻がいながら、い、い、いいなずけとは、これいかに?!」
「お前には一周目で、まんまと騙されたからな!僕はね?お前みたいな、なんちゃって地味女より……、
睦実ちゃんみたいな本当の地味な子がいいんだ!」と蓮が言ってビシッとめいずに指を突き付けた。
時雨が「ど、どさくさに紛れて、まだ設楽居さんのこと言ってるの?向井君、あなたホント浮気性なんだから!」と言う。
やがて、なんだ、なんだ、と彼らの周りにギャラリーが集まってきて、その中には科学特捜部の三浦詩や近藤夢子の姿も見えた。
「許嫁なんて言ったって、結局一方的に解消できるようなものなんだ!君が一周目でそうしたようにね?!僕はもうルッキズムにはうんざりだ!!誰がお前みたいな可愛い美人を好きになるかってんだ!」と蓮が大声でわめく。
ギャラリーは、「可愛い美人」と呼ばれた、地味な忍者少女の顔を見て、どういうこと?とざわめいた。
めいずが下ろした腕の先で拳を握り、わなわなと肩を震わせる。
「な、な、なんですって~私か色気たっぷりの可愛い、お洒落な、華やかな、人の目を惹く超絶美人ですって~~?!ゆ、許さないから!
わ、私の方だってホントは…派手な男なんてだいっっっ嫌い!あなたみたいなカッコいい子、本来ならこっちから願い下げですからね?!
調子に乗らないで!あなたみたいな男の存在価値は、私を引き立てる(下げる)お飾りでしかないのよ!
ねえ、そこのお嬢さん?」
急に話しかけられて、時雨が「え?私?」とびっくりした顔をする。
「このような男の横に立つ女の子は、相対的に地味に見えるものなのよ!丁度あなたみたいにね!そこのポジションは私こそ相応しいの!!」
「本音を現したな??お前は、自分を地味に見せる為に、僕の美貌を利用しようとしたんだ。だが宍戸家の舞踏会の時、僕達は派手目立ちし過ぎて、……君は、隣に立つ僕の美少年効果で、素顔でも自分が地味に見えることを望んだんだろうが…それが叶わないとわかったら、今度は二人して地味に整形しようと、そそのかしてきたわけだ!でも、君にはその覚悟はなく……、地味になった僕を捨てて去っていった!!……信じていたのに……」
「こ、この子のどこが美人なの……」と時雨が戸惑いながら、めいずのことを見つめる。
「なるほど。分かりました。あなたは設楽居さんや、そこのお嬢さんのような地味な女の子が好きだということが……。」
「そうだよ。だから僕は君に興味はない。」
『そこのお嬢さん』が頬を赤くする。
「……ここまで恥をかかされて、私も黙って引き下がるわけにはいきません。……今後、より地味に磨きをかけて、……きっとあなたを振り向かせてみせます。」とめいずが蓮を睨み付けながら言った。
「好きにしな。僕は君が許嫁であることは認めない。でも整形はやめときな。整形で手に入れた容姿なんて、ナチュラルな女性の魅力に勝てるはずがないからね。」
「覚えてなさい?!」とめいずは声を裏返して叫び、耳を赤くして廊下へ飛び出していった。
そこで、鼻歌を唄いながら仮設乙女淹れから戻ってきた設楽居睦美と正面衝突する。
「め、めいずちゃん?どったの、そんなに慌てて………」
「設楽居さん!」「はい??」
「お願いがあるの!」「な、なに、急に?」
「私に地味道を教えていただきたいの!!やっぱり独学では限界があるようです!お願いします!アンドロイドで地味に生きる方法を教えてください!」
「めいずちゃんもアンドロイドでしょ……。」
睦美はそう言うと、周囲から注がれる好奇の目線を避けて、人目のないところへ彼女を連れていこうと、興奮するめいずの背中を押していった。
『Good-looking couple』




