ヰ34 フランス語講座
「フランス語って面白いわね」と言いながら、ネルネは参考書を閉じた。
「この言語、ちょっと前世の言葉と似てるのよね。私、得意かも。あーあ、必須科目が英語じゃなくて、フランス語なら良かったのに……。」
「英語の方がまだマシだよ。」と金髪の革ジャン少年ジャガーが、アプリに英単語を打ち込みながら言った。
「なあ、ネルネ?」
「なあに?」
「お前、最近、フケが出てるな。」
「………。」
数秒の沈黙の後、ネルネは肩を落として大袈裟に溜め息をつき、「……その無礼な発言、まあ、貴方なら許してあげるわ。」と言った後、フリル付きのヨーク襟から白い粉をポンポンとはたき落とした。
「なんか、おつうに、スキンケア用品と一緒に買ってきてもらったシャンプー、あんまり肌に合わないのよね……。おつうに相談したら、…洗い方が悪いから、自分が洗って差し上げましょうか?…なんて言ってくるし。」
「……ナンバーツーと言えば俺もさ、毎日美味しいご飯を作ってくれるのはいいんだけどさ…、なんか最近、過去いち体調が悪くって……。食後に何回か吐いちゃったよ、マジで。で、その時気付いたんだけど、……口に戻ってきた時のケロッ具の味が全然しなかったんだよ。…俺さ、やっぱり味が分からなくなってるのかも。歯磨き粉の味もしないし。」
「また無頼孔雀先生のとこ行く?」「どうだろな。それよか、俺、ナンバーツーのことが、ちょっと気になるんだけど。」
「え?なあに?それはもしかして恋?」とネルネがニヤッと笑いながら言う。
「いや。俺、年下が好みだから…。なあ、もしも、もしも俺がだよ?無頼孔雀の言う通り、空気ドロップを飲まされてるとしたら…、原因はナンバーツーのご飯以外考えられないんだよ。俺、誓って他に買い食いとかしてないし。」とジャガーが困ったような表情をして言った。
「それにさ、この前、俺、見ちゃったんだ。」
「何をよ?おつうの部屋で、鶴が機を織っているのでも見た?」
「いや、あいつさ、……思憫を嬉しそうに磨いてた。」
「シビンって、あのシビン?」
「そう。あのシビン。……いったい、あれで誰のお世話をするつもりだろうな……。今思うと、あいつ、お前の部屋で……、お前の…、その…、つまり……何て言うか……、あれ…、そう、いわゆる…お前のパ……の匂いを…嗅ぐと言うか……えーっと、つまり……お前の、パ、の、あれを舐めてたような気がするんだよ……。」と最後の方は凄い早口で言い切った。
「……はあ。貴方も男子ねえ……。」
とネルネが眉をしかめながら言う。「想像がたくまし過ぎるわよ、んな訳ないでしょ。おつうには洗濯全般を任せているからね。……貴方は知らないかもしれないけどね?女子のパ…(自主規制)は汚れやすいの。でも、おつうはいつも全力で綺麗にしてくれているわよ?」
「あれは洗ってたのか?…確か健康チェックとか言ってたような……」
「でも今の話、ちょっと気になるわね。おジャガが本当に空気ドロップを盛られてるとしたら……、無頼孔雀先生が言ってた、高純度のドロップはどこから来たのかしらね?そんなものは、それこそ倫護カンパニーでしか手に入らないでしょ?」
とネルネは、卓上電動掃除機を頭に持っていくと、ズズーッとフケを吸い込みながら言った。
「て、ことは、まさか、ナンバーツーは…倫護カンパニーと関わりがある……??」と、ジャガーが呟く。
「まあ、大方そんなとこかしらね。」と、ネルネが消しゴムカスを集める羽根箒で、肩をはたきながら言った。
「じゃ、じゃあ、今すぐナンバーツーを豊子キッズから追い出すか何かしなくちゃダメだろ!!」とジャガーが叫び、途中から慌てて声を小さくした。
「なぜ?」とネルネが言う。「なぜって……倫護カンパニーだぞ?怖いじゃないか…」
「……う~ん、そうかしらね。まあ、でも豊子キッズの組織的転売活動に対して、カンパニーが愛・不穏の転売を疑ってきた可能性はあるわね。……でも大丈夫。うちは白よ。例え竹千代さんが転売していたとしても、白炉夢よ。違法なことをする訳がないわ。」
「…でもさ……」とジャガーが不満そうに言う。
「まあね。」とネルネが答える。「本当におつうが貴方に空気ドロップを処方しているなら…、それはやめさせなきゃね。」「だよな??俺、可哀想過ぎんじゃん。ネルネ??ナンバーツーに罪を認めさせて罰するか、追放するか何かしてくれよ!俺の正常な味覚を返してくれよ。……まあナンバーツーのご飯、美味しかったけどさ…、舌が麻痺してても美味しいって、あの味付け、どんだけ濃かったんだ……??」と言ってジャガーが身震いをする。
「おジャガ?一応、貴方、今日から外で食べなさい。食費は出してあげるわ。あと、なるべく健康的な食事を心掛けなさいよ。
う~ん……他のメンバーには空気ドロップは出されていないわよね……。なんでおジャガだけ狙われたのかしら…?」
「なあ、それについて俺、意見を言ってもいいか?」とジャガーが挙手をする。
「どうぞ。」
ジャガーは革ジャンの襟を正すと、コホンと咳払いをして「多分、ナンバーツーは、お前のことが…恋愛的な意味で好きなんだよ。だから、お前の腰巾着である俺が疎ましいんだ。で、俺を排除しようとしてるんじゃないか?」と言った。
「……腰巾着って……。貴方、その意味知ってる?まあ、だいたい合ってるけどさ……。あと、なに?おつうが私のことを好きだって?……貴方さ?何言ってんの………。
今世の私は女よ。じょ、し!分かる?
おジャガ?貴方は、前々から頭がカラッポだと思ってたけど、まさかそこまでとは……。女の子はね?女の子を恋愛対象とし、ま、せ、ん、か、ら!これ、常識でしょ?おつうは女の子、ネルネちゃんも女の子。理解してますか??」と、言ってネルネは側に立て掛けてあった白い松葉杖を掴んで、ジャガーの頭をポカポカと叩いた。「脳みそ入ってますか??」
「れ、例外はないのか?」
「ある訳ないでしょ。だいたい世の中に、何で男と女がいると思ってんのよ?ほら、さっきのフランス語じゃないけど、言語によってはね、男性名詞と女性名詞ってのがあってね?……貴方もフランス語を学んだ方がいいんじゃない?」
「そうか……そ、そこまで言うなら俺の勘違いか……。」
ジャガーはそう言いながら、ネルネの机に置かれていたフランス語の参考書を手に取って、数ページをパラパラと捲ってみた。
「ん?て言うか……あれ?なんか私忘れてるような、……」とネルネが眉をしかめながら呟く。
「ネルネが忘れているのはいつものことだろ?」
「まあ、そうなんだけど……なんかね?私、生まれてからずっと…大事なことを忘れていたような……」
「なんか詩的な話だな?お前、谷川俊次郎か?国語の教科書にも、その詩載ってたぞ?」
「う~ん……」とネルネは唸り、「あ!」と言って、手のひらの上で拳をポンと打とうとしたが、骨折していることを思い出してやめた。
「どうした?思い出したか?」とジャガーが参考書から顔を上げる。
「……サルヴァンティンコ!!」
唐突に右手をフレミングの法則に構えたネルネが叫ぶ。
「な、なんだよ、突然。……何も起きないんだろ、それ?また前世の呪文だろ……?」とジャガーが言う。
「ところがどっこい!」とネルネがギプスをした左手の指先を再度フレミングの法則にしながら「アレグリア・アリグレア!?!」と叫んだ。
その途端……指先からビシビシッ!と電流が放たれ、 机の上のちびた消しゴムが弾き飛ばされた。
「今の見た??やったわ!詠唱魔法の基礎中の基礎、電撃魔法を使えたわ!このフレミングの法則ってやつを中2で習うってのは運命を感じるわね!」
「な、なんで急に出来たんだ?!」とジャガーが、床に落ちた消しゴムを拾いながら言う。「スゲー、これちょっと溶けてるぞ?」
「ふふふ。私、思い出したのよ。呪文には男性名詞と女性名詞があったってことをね…。つまり今の私は女性だから、男性呪文『サルヴァンティンコ』では効果がなく、同呪文の女性形である『アレグリア・アリグレア』で発動したってわけ。」
「Cirque du Soleil……」と、思わずジャガーは参考書を見ながらフランス語で返した。
ドスン!
と、音がして、ジャガーが本から顔を上げると、ネルネが机に突っ伏して目を閉じているのが見えた。
「ん?おい、ネルネ?どうしたんだ?」
そう言ってジャガーはネルネの白いロリータ服の背中を揺らしたが、
…ピクリとも反応を返さない。
「おい、ネルネ?大丈夫か?」
「ん?お、おい、ちょっと……ネルネ?」とジャガーは後退りをして、
……椅子に腰掛けたまま顔を伏せ、微動だにしないネルネのことを見つめた。
と、……ネルネの膨らんだフリル付きのスカートと、木の椅子の間から……じょろじょろじょろ……と何かの液体が流れ出してきたことに気付いた。
それは、彼女の白いタイツを山吹色に染めながら、コンクリートの床に拡がっていく。
「お、おい、まさかネルネ??お、お前、魔力を使い果たしたとか?!き、気絶してんのか??」とジャガーは言って、慌ててコンクリート教室の後ろから、乾いた雑巾を持って戻ってきた。
「ったく、世話が焼けるなあ……おい?消しゴム1個飛ばして、魔力が枯渇するんなら、やっぱり役に立たねーじゃないか、これ?」
と言いながらジャガーは跪いて床を拭き始めた。
と、その時だった。
教室の扉がバタンと開いて、誰かが入ってくる気配がした。
「あ~、ちょっと今取り込み中!外してくんない?」とジャガーが顔を上げると、
……表情のない難波鶴子が、こちらの方をじっと見つめていた。
「アナタ、ソコデナニヲシテイルノ……?」
鈍器メイド服・改、バニーガール風女子高生エディションの鶴子は、ジャガーの背後で机に顔を伏せるネルネの姿を見て、
「……ネルネ様に何をしたの?」
と、静かに言った。
ジャガーは、背中に隠した濡れ雑巾を自分の背後に向かって投げ捨てると、急いで革ジャンを脱いで、ネルネの腰にそっと掛けた。
「……ネルネ様にそのような汚いものを掛けるな!」
そう言うなり、タタタタタ……と鶴子が急ぎ足でこちらに向かってくる。
「待て!!ナンバーツー!こっちに来るな!!」とジャガーが叫ぶと、鶴子の体がふっ、と、目の前から消え、気付いた瞬間には、背後から鋭角に曲げた彼女の肘が、凄いスピードで彼の側頭部を狙って飛び込んできた。
「うお??」とジャガーはすんでのところで、ネルネの松葉杖を取り、スライドさせるように鶴子の攻撃を外に受け流していた。
すぐに鶴子は足をジャガーのふくらはぎの裏に入れ、頭蓋を叩き割る勢いで肩を思い切り掴んで、背中から床に押し倒そうとした。
咄嗟にジャガーは、ネルネの杖を、すぐ側の椅子に突き刺して、辛うじてバランスを取ると、……そのままバキッと杖を折って倒れ、硬い床に頭を直撃するのを避けた。
それを見た鶴子が、すぐにスカートを翻し、ジャガーの顔を踏み潰そうと踵を落としてくる。
ジャガーは思わず目を閉じながら横に転がり、数センチの差で、彼女の攻撃をよけた。
「おい、待て待て待て待て!見ろ!!お前、ネルネの杖を折っちゃったぞ!怒られるぞ!!」とジャガーが叫ぶと、鶴子の動作が一瞬止まり…、
その隙をめがけてジャガーは折れた松葉杖のY字部分を彼女の足に引っ掛け、思い切り手前に引いた。
ガシャシャーーーン!!
鶴子は頭から後ろにひっくり返り、そのまま動かなくなった。
ジャガーは、「ヤバッ」と言ってナンバーツーに駆け寄り、すぐに呼吸と脈を確かめる。
……これ、大丈夫か??……うん、大丈夫か…。
「う~ん……」と唸る鶴子を見て、すぐに彼女の意識が戻りそうなのを察知したジャガーは、
今度はネルネの様子を見にいって、うつ伏せの頭をポンポン、と叩いてみる。
……と、とりあえずネルネを部屋に運ぼう。
で、あの無頼孔雀とかいうヤブ医者に連絡するんだ。
おっとその前にナンバーツーの体を縛っておくか。……なんだよコイツ……殺し屋かよ……。ったく、肝心の時にネルネがこの様じゃ……。コイツの正体をネルネにも見せたかったよ……。
ジャガーは鶴子の手足を縄跳びの紐で縛ると、改めてネルネの椅子とその下の床を綺麗に拭き、
この世界最強魔法少女を背負って、今にも目覚めそうなナンバーツーから逃げ出すのだった。
『Cours de français』




