ヰ33 美味しいご飯
「いやあ。ホントおいしいな。」
豊子キッズNo.3、金髪男子ジャガーはもりもりと、スープスパゲティと、その上に乗った柔らかな茶色のハンバーグを食べていた。
「ホント、ナンバーツーは料理が上手だよな。でもなんか俺だけ、特別メニューみたいだけど、いいのか?いつもわざわざ別なの作ってくれてるみたいだけど手間じゃないのか?」
「……お気になさらないで下さい。豊子キッズの栄養士たる私は、ネルネ様より、皆様の個々の健康管理も任されていると理解しております。…あ、ネルネ様?片手でのお食事、食べ辛くは御座いませんか?お手伝い致しましょうか?」と鶴子が言った。
「大丈夫よ。」そう言いながらネルネは、白いロリータ服を汚さないように、フリルの付いた前掛けを首から被って、フォークに巻き付けたミートソーススパゲティをちゅるちゅると食べていた。
「俺のハンバーグ、よく見るとコーンが練り込まれてるな。昨日もコーン食べたよな。なんか植物繊維もタップリ入っててすんごく美味しいよ。」とジャガーは言って、むしゃむしゃと口に頬張っていた。
「ああ、幸せ…。この前の、もんじゃ焼きもうまかったよなあ…。」
「あら、そういえば私の方はお好み焼きだったわね。ねえ、おつう?貴女、ひょっとして、おジャガのこと好きなの?いつもおジャガの食事だけ豪華じゃない?」とネルネが、眼帯をしていない方の瞳を悪戯っぽくきらめかせながら言った。
「ネ、ネルネ様……そのようなことをおっしゃるのは…おやめ下さい……私、ジャガー様に、もんじゃ焼きを1皿ご用意しても宜しいでしょうか……。」と言って鶴子は口を押さえると、青い顔をしてダイニングの外へ出ていってしまった。
「アハハ、おジャガ?良かったわね。貴方、年上のお姉さんは好き?おつうは貴方のことを気に入ってるみたいよ。」とネルネは言い、「ご馳走さま。後は貴方が片付けておいてね。」とナプキンで口を拭き、「じゃあね、私はもう少し勉強してくるわ」と席を立った。
それに合わせてジャガーも素早く立ち上がり、松葉杖を持ってくる。
「う……、おジャガ?……貴方、なんか臭いわよ?口臭??……そ、それも薬物の影響じゃないの?良く歯を磨いておきなさいよ。」そう言いながら松葉杖を奪い取り、ネルネはひょこひょこと歩き去っていった。
……そうかな?
と、ジャガーは手のひらの中に息をはあああっと吐き……分かんないや。と思うと、もう一度席についた。
しばらくすると、鶴子がホットプレートに乗せた、もんじゃ焼きを持って戻ってくる。
そして湯気の立つ黒いプレートをジャガーの前にドン、と置いた。
「こんなに食べられるかな?」と金髪の少年は言い、ちらっと鶴子のことを見上げ、メイドの姿をしたナンバーツーは、そんな彼に目を合わせず、「ネルネ様は?」と言いながらエプロンをほどいて、部屋を出ていってしまった。
げぷっ。とジャガーは息を吐き、……まあ、いいや。ゆっくり食べるか…と、ズボンのベルトを弛め、医者に言われた通り、コップになみなみと注がれたレモン水を、ごくごくと飲み干すのだった……。
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「At on bricked!」
ピンクのナース服を着たメジ子は、腕を顔の前でばってんに交差させ、手の甲を頬にあてがい、唇を尖らせながら叫んだ。
「先生!あの惚けもんカード、345万円で取り引きされてますよ!売っちゃいましょう!」
「ん?」と闇の医師、無頼孔雀が、自分のPCに論文を打ち込む手を止めて顔を上げる。「ああ、あれか。この前、ネルネくんが持ってきたやつだろ?知ってるよ。」
「今すぐ売っちゃいましょう!!先生?今月厳しかったから良かったですね!ネルネちゃんに感謝ですよ。」とメジ子が小躍りしながら言う。「いやあ、臨時収入ですね。今日は何か美味しいものでも食べにいきましょう。」
「いやあ。メジ子。ちょっと待って。あれは売らない方がいいだろう。」「何故ですか??」
「いや、その……あれはローリエのキラキラカードだし……可愛いじゃん(小声)」
「先生…可愛いって……。だいたいあれ、惚けもんですらないじゃないですか。女の子のカードだし…。」
「ところがどっこい。惚けもんは、女の子のカードが最高金額で取引されているんだよ。1000万円を越えたものだってある。」
無頼孔雀は、そう言いながら、PCの内容を一回保存して、ウィンドウを閉じた。メジ子の目に、ゲームガールアドバイス『惚けもんロリー&パパイヤ』の壁紙が映る。
「……ネルネちゃん達の前では惚けもんに興味ない振りして……。ホント、先生は子供っぽい……。多分、バレてますよ?……じゃあ、あのカードは1000万になるんですか?そこまで値上がりするのを待って売るんですか?」とメジ子が愛・不穏で『ローリエ1000万』と検索しながら聞く。
「いや、あれは売らないかな。」と無頼孔雀は言って、PCのフォルダから、分類されたコレクション画像を開いて、345万円になったカードの画像を拡大して眺め始めた。
「ちょっと待ってくださいよ、先生?今月の支払いはどうするんですか??結構色々溜まってますよ?!明日からカップメン生活ですか??私、嫌ですよ?!」
無頼孔雀は椅子に座ったまま、この若い助手のことを見上げ、「安心しなさいメジ子くん。」と言って微笑んだ。「月末までに、某大手事務所の男性アイドルのほうけいもん手術が2件入っているから。」
「あ、そうなんですか……?、月末のほうけいもん手術は有り難いですね!」
「まあね。セレブ相手のこれがうちの主な収入源といってもいいからね。」
「そういえば先生?数年前、女の子達の、お内緒のおね衣装治療が立て続けに入ったことがありましたよね?」
「ああ。あれは儲かったなあ…。良家の子女の治療は、法外な値をふっかけても拒否されなかったからね。…また来ないかなあ。資っ金源バブル……。」
「……でも、なんのかんの言って、先生は子供が好きですよね?」とメジ子が言う。
「やめてくれよ。私はお金の為にやっているだけだ。」
「とか言っちゃって……。先生は乃望さんのこと……まだ想ってらっしゃるんですよね?……………………あ……ごめんなさい……調子に乗って言い過ぎました……。すみません……」
メジ子は、悲しげな無頼孔雀の横顔を見て、今言ったことを心から後悔した。
記憶……。
乃望楓。
新宿ドロップインハウス創業者、乃望豊子の一人娘。
明るく溌剌とした性格。デニムジーンズとカーボーイハットの良く似合う、癖っ毛のカウガール。
無頼孔雀が雄のpeacockなら、楓は雌のpeahen。
派手に生きる無頼孔雀に比べて、乃望家の一人娘は、堅実に、地に足を付けて生きていた。
母親の豊子の理想主義とは距離を置きつつ、
……ただそれでも彼女は、目の前にある一つ一つの問題に向かい合うことで、自分の出来る範囲での人助けをこなそうとしていた。
それは理想主義ではない。
楓は、あくまで自分の見えている範囲を救おうとしただけだった。その外にあるものは無視し、今、この手が触れる距離にあるものだけに手を差しのべたのだ。
無頼孔雀は、そんな彼女の姿に惹かれ、彼なりの人生哲学を彼女に重ね合わせ、
一緒に子供達を導く未来を思い描いた。
しかし、運命は、…彼と彼女を裏切り、……経営難の中、瓦解していく新宿ドロップインハウスの運営は、病気の乃望豊子に代わって舵取りを任された楓の双肩に重くのしかかっていった。
……ある日、無頼孔雀が持ってきた汚れた金を見て、楓は彼と決別した。
「じゃあ、君の結婚は汚れていないと言えるのか?!ドロップインハウスの経営を立て直す為だけに、愛のない結婚をする君が……汚れていないと言えるのか??」冷たい雨の降りしきる中、傘を投げ捨てた無頼孔雀が、封筒に入った現金を、
無理矢理に楓に押し付けて走り去る。
……それが彼女と話した最期だった。
結婚後、数年は持ち直したドロップインハウスだったが、いよいよ乃望豊子が亡くなった時、求心力を失った指導者から、スタッフが離反していき、
日本を離れていた無頼孔雀が、新宿に戻った時には、ハウスは倒産し、
風の噂で離婚したと聞いた楓の消息は分からなくなっていた。
明治通り横の路地に闇診療所を開業した無頼孔雀は、ある冬の日、旧ドロップインハウスのビルの前で、一人の若い女性が立っている姿を見かけた。
あの後ろ姿……。
「楓!」と無頼孔雀は叫んだ。
……声を聞いて振り返ったのは……楓にそっくりな……髪の長い女性だった。まだ彼女は少女から脱皮したばかりの、幼さを残す佇まいをしていて…、出会ったばかりの頃の乃望楓とそっくりだった……。
「ああ。あなたのこと、私、知っています。」と彼女は言った。「無頼孔雀さんですよね?」
そう言うと彼女はオレンジ色のコートの襟を立てた。
「…私は乃望楓の娘、乃望竹千代です。」
「お、お母さんはお元気ですか……?」
ほとんど縋るような気持ちで無頼孔雀は、喉から声を絞り出して言った。
「母は死にました。」「え?」「…ここに来れば、あなたにお会い出来ると思っていました……。やはり、お会い出来ましたね。母からの伝言です。『これはお返し致します。』」
竹千代と名乗った女性は、黒いハンドバッグから、色褪せてボロボロになった茶封筒を取り出すと、無頼孔雀の腕の中に、それを押し込んだ。
「…これは……?」
と、無頼孔雀がセロテープで補修された破れかけた封筒を開くと、
……そこには旧札の1万円札が束になって入っていた。
「母はそれに手を付けていません。」
「ま、待ってくれ。こ、これは君が使ってくれて構わない……」
「いいえ。私には不要です。」「乃望さん……私も、こ、こんな金額じゃ、ドロップインハウスを再建出来るとは思っていない。ただ、少しは何かの足しに…なるかもしれない。」
竹千代は、うんざりした様子で溜め息をつくと、「ハウスを立て直す気はありません。」と言った。「母はあなたに裏切られたと言っていました。」
「そ、それは違う!き、聞いてほしい!」
竹千代はその言葉を制止するように片手を上げ「やめてください。」と言った。「私には興味がありません。……全ては過去のことです。もうここには、祖母も、母も、そして父もいません。どうかそれを持ってお引き取りください。」
「先生?」とメジ子の不安そうな声が診察室に響く。
「あ?ああゴメンゴメン。」と無頼孔雀が白髪の固い毛先を掻き回しながら笑う。
「先生?大丈夫ですか?……本当に、私、ごめんなさい。無神経でした。」
「そんなことないよ。」
……ネルネくん達は、……竹千代くんの保護を受けているに違いない。ハウスはもうないが……、あの子達は何かしらの後ろ楯があって、生活している。そして、竹千代くんが……あの子達に私のことを紹介したのだと信じたい……。
私は今も昔も理想主義者ではない。
私には、…今ある現実しか見えない。美しい過去も、輝かしい未来も……どちらも信じられない。それでも……、やるべきことは目の前にある。
無頼孔雀はPCのフォルダを閉じると、美しい助手メジ子を振り返り、「さあ、美味しいものを食べにいこうか。お金は気にしなくていいよ。…何が食べたい?好きなものを言ってごらん?」と言った。
「え……じゃ、じゃあサ、サイゲリアで…」とメジ子は言い、「先生?私、シェフの気まぐれ風ドリアでいいです…」と健気な様子で拳をぎゅっ、と握って、金色のエスカルゴヘアをきらめかせるのだった。
『Delicious meal』




