ヰ32 裏路地
新宿、明治通りを一本奥に入った路地裏の、薄汚れた雑居ビルの一室で、
豊子キッズ、三船るね は、金髪の革ジャン男子ジャガーに連れ添われて、丸い椅子に腰掛けていた。
「やれやれ。お嬢ちゃん。せっかく治りかけていたのに、また悪化してしまったね。」
…ボサボサの白髪で、無精髭を生やした痩せた男が、手を消毒した後、棚から包帯を出しながら言う。
「なんか分からないけど、廊下に野球のボールが転がってて、気付いたら転んでたのよ。で、骨折してた方の左手を突いちゃったってわけ。」
「おっかしいな~。俺、ちゃんと片付けておいたんだけどなあ。」とジャガーが頭を掻く。
「片付けてないから落ちてたんでしょうが?今後は気を付けなさいよ、おジャガ?」と、三船るね、通称ネルネと呼ばれるロリータ少女が呆れたように声を出す。
「おっかしいな~。」と再びジャガーが呟いた。
「ちょっと前も、貴方、お風呂の残り湯を床に溢してたでしょ?危うく私、転倒しかけたわよ?」
「待ってよ、ネルネ?残り湯当番はナンバーツーになったはずだろ?俺のせいじゃない。」
「あら、そうだったかしら?」とネルネは言い、「まあ、いいわ。……ところで無頼孔雀先生?私の診察が終わったら、おジャガのニキビも見てやってくれない?」と言った。
無頼孔雀と呼ばれた男は、「おいおい、私を誰だと思っているんだ?乃望さんとこの施設の子だから特別に診てやってるんだぞ?普通なら国家予算規模の治療費を請求するところだぞ?」と言って、そのまま彼はネルネの腕の包帯にテープを留めた。
「カードで支払うわ。」とネルネが言う。
「知ってるだろ?お嬢ちゃん。基本私は現金でしか取引きしない。」
「このカードでも?」と言ってネルネはプラスチックケースに入った『惚けもんカード』を取り出した。
「う…」と無頼孔雀は一瞬怯んだが、「いや、駄目だ。うちの診療所は現金のみだ。電子マネーもスマホ決済も、いっさい受け付けない…。」と言った。
「先生??いい加減にしてください。子供じゃないんだから…」
と、奥の部屋から高い声が聞こえ、
3人がそちらに顔を向けると、
ピンクのナース服を着た、モデルのように痩せた背の高い女性が出てきた。
「先生?その惚けもんカード、多分今60万円くらいしますよ?……ネルネちゃん、いつもありがとう。レアカードを持ってきてくれて。」
「こら、メジ子?勝手に受け取るな。そういうのは現金化するのが大変なんだ。油断するとすぐに値下がりするし……」と言って無頼孔雀は椅子に座ったまま、この美人助手を見上げた。
メジ子と呼ばれた女性は、……歳は20代半ば。金髪のカタツムリのような髪型をしていて、前髪を銀色の細いクリップで留めている。細い体のわりに、胸は大きく、タイトなスカートには丸いヒップが飛び出していた。
顔を構成するパーツは一つ一つが小さめで、そこが唯一の欠点と言えば欠点ではあったが、
彼女が美人であることに疑いをはさむほどの短所とは呼べなかった。
「さ、ジャガーさん?先生がニキビを見てくださいますから、ネルネちゃんと場所を変わって?」と、メジ子は言い、白ロリータ少女に肩を貸すと、彼女を後ろのベッドに腰掛けさせた。
無頼孔雀は「やれやれ……私は男子のニキビより、女子のビキニが見たいよ……」と言いながら、メジ子が持ってきた医療用のゴム手袋を、キュッキュッと手にはめていった。
「さてと、っと……。豊子キッズに限らず……、これは多くの青少年が直面する社会問題だと言えるが……」と無頼孔雀は医者の顔に戻り、真剣な声で呟きながら、ジャガーの額や頬のニキビを軽く触った。「薬物の過剰摂取。ジャガー君。これは今すぐやめた方がいい。」
「ほ~ら、やっぱりね。貴方のニキビの原因は絶対それだって、私、言ったよね?」とネルネがベッドの上でギプスを巻いた脚をブラフラさせながら言った。
「ちょっと口の中を見せて?」と言うと、無頼孔雀はアイスを掬う木のスプーンで、ジャガーのべろを押さえて、喉の奥を覗き込んだ
「ふむ。思った通りだ。」
「ふぁにがでひゅか?(なにがですか?)」
無頼孔雀は、彼の顔から手を離すと、椅子を回転させて、机の引き出しを漁り始める。
「ここにもあるが……ほら、これだよ。これが君のニキビの原因だ……。」
闇のmoon-men-doctor、無頼孔雀が取り出した小さな透明の平たい袋には…、オレンジ色の粉が半分くらいまで入っているのが見えた。
「先生…無用心な……。そんなところにそれを入れておいて大丈夫なんですか?」と、めじこが、ロリでお子ちゃまな見た目のネルネのことを心配するような顔をして言った。「それ…ハッピーターパンの魔法の粉ですよね?お口に入れるとネバーランドまでひとっ跳びしちゃうやつ……」
「そうだよ。君らも知っての通り、これは別名『幸福の粉』と呼ばれている代物だ。そして、恐ろしいことに、これは合法で、誰でも手に入れることが出来る。それゆえに…、まだ心の弱い青少年達がこの粉に手を出し、……中毒に陥るだけでなく……ひどい時には命も失っている。」
魔法の粉を見たジャガーの目は血走り、流れるよだれを我慢出来ないように、袖を使って口を拭いていた。
「ほら、このジャガー君の反応を見れば分かる通り、この甘辛い粉と、無味無臭の飴玉、空気ドロップによって引き起こされる若者の依存症は、彼らの健康を蝕むだけでなく、精神にも悪影響を及ぼすんだ。」と言って無頼孔雀は粉の入った袋を机にしまい直すと、引き出しをビシャリと閉じた。
「…だってよ、おジャガ?聞いてる?貴方、しっかりしなさいよ!」と、ネルネが言いながら松葉杖を握り、
ポカリとジャガーの頭を打った。
「ん?あ?ああ、ヤベヤベ……」と、我に返ったジャガーは頭を振り、
「……あ、先生?ハッピーターパンの粉をやめたら、……ニキビ治りますかね?」と言った。
「う~ん。ジャガー君?きみ、ハッピーターパンの粉だけじゃなく、空気ドロップも舐めてないかい?」
「え?舐めた覚えないですけど……」とジャガーは言うと、助けを求めるようにネルネの顔を見た。
「何よ?」と言ってネルネが眉をしかめる。「貴方、いつの間に倫護カンパニーの飴玉を舐めてたのよ?豊子キッズは愛・不穏は使うけど、使われるのは無しよ。空気ドロップは今すぐやめなさい。」
「え~、ネルネ、ちょっと待ってよ?俺、ホント知らないから!」とジャガーが大声を出す。
「……ふうん。ジャガー君、嘘はついてなさそうね。」とピンクのナース、メジ子が無駄にセクシーな流し目をしながら金髪の少年ことを見つめ、腰を振りながら診療室を横切り、無頼孔雀の後ろに立つと、彼の肩に手を置いた。
「先生?どう思います?自覚症状がないとしたら……」
「ああ、食事や飲み物に混ぜられている可能性があるな。」と無頼孔雀が眉間にしわを寄せて呟く。
「なあ、ネルネくん?ちょっと唾液を採らせてもらえないか?きみも空気ドロップに汚染されていないか…、確認したい。」
「まあ、いいですけど?でも、空気ドロップくらい、そこらへんの中高生だって舐めてると思いますけど?ちょっと大袈裟じゃないですか?」とネルネが言う。
「いや、それがね。ジャガー君の症状が、高純度のドロップを舐めた時とよく似ているんだ。もし、そうだとしたら…、これは一般で手に入るような種類のものじゃあない。それこそ倫護カンパニーの人間が使用するようなレベルのものだ。」
「え?先生?俺、今どんな症状が出てるの?」とジャガーが焦ったような早口で質問する。
「食べ物の味がしなくなるんだ。」と、無頼孔雀が答えた。「さっきのアイスのスプーンには唐辛子エキスが塗ってあったんだ。感じなかっただろ?だからきみは、味付けの濃いものばかりを食べるようになっているはずだ。ジャガー君?そのせいで最近のきみは、以前よりも多くのハッピーターパンの粉を欲していたんじゃないかな?」「言われてみれば……」
「貴方、勝手に外食してない?うちは、おつうが栄養管理バッチリの食事を提供してくれてるはずよ?なんなら私、毎日のご飯がおいし過ぎて太りそうよ……。」とネルネが言った。
その言葉を聞いた、無頼孔雀とメジ子が顔を向かい合わせて、同時にネルネの方に向き直る。
「ネルネちゃん?べろを出して?」とメジ子が言い、平べったい木のスプーンをロリータ少女の口に突っ込んだ。
「オエッ、そして辛っ」
「あ?ごめんなさい。……先生、どうですか?」
メジ子から受け取ったスプーンを、無頼孔雀は、じっと見つめ…、念のため匂いを嗅いでみた。
「……いや。ネルネくんの唾液には異常がないな……。」「…そうですか。」
「おジャガ?聞いた?…異常なのは貴方だけですってよ。外で何か拾って食べでもしたんじゃない?…恥ずかしい。」
「えー、俺、味がしないなんて感じたことなかったけどなあ……。だって俺だってナンバーツーのご飯、毎日おいしく食べてるし。……丁度いい味付けだと思うがなあ……」
「とにかくジャガー君は、水分をよく採るように。自覚症状がない分、より危険だから。体が丈夫だからって油断しちゃ駄目だぞ?」と無頼孔雀は言い、「はい。これで今日の診察は終わり。丁度60万円分ね。」と事務的に付け加え、
助手のメジ子の手から惚けもんカードを受け取ると……子供達から顔を逸らしてムフフフ……と嬉しそうに笑った。
「さ、おジャガ、帰るわよ。…美味しいおやつにホカホカご飯♪私達の帰りを待っているだろな……。いやあ、人間っていいわね。」
とネルネは言うと、まだ納得いかない顔をしているジャガーの脇腹を松葉杖で小突いて、
「先生、それにメジ子さん?次もまたヨロシクねー、次回はとっておきのレアカードを持ってくるから、楽しみにしててねー。」と言って雑居ビルを後にするのだった。
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その頃、
ネルネの帰りを待つ、豊子キッズNo.2、難波鶴子は、鈍器メイド服・改の袖を捲って『くまのこ、ふふふん…カクレンボ……♪』と鼻歌を唄いながら、
主の為に健康料理を作っていた。
ああネルネ様……もし、貴女が不慮の事故で、両手をお怪我されたら……、
私が、ふーふー、あ~ん、してあげますよ。あと、お困りでしたら、も下の時のお世話もして差し上げますからね……。
それにしても目障りなのは、あの黒出目・金髪男よ。…いつもあの男、ネルネ様と一緒に行動しているわよね……。
奴の食べ物には少しずつ空気ドロップを溶かし込んで食べさせてあるわ……。
そろそろ味を感じなくなってきているだろうから、奴には塩分過多、味付け濃いめの不健康料理を毎日食べさせている。でも奴は全く気付く様子もなく、いつもおかわりまでしている(笑)
……でもあいつ、今日もネルネ様と一緒にどこかへ出掛けたようね……。
鶴子は『おsiri…を出した子、一等賞♪』と鼻歌の続きを唄いながら、エプロンを捲り上げ、自分のsiriを呼び出すと…ジャガーに出す暖かい家庭料理の上に股がり、
……お前はこれでも食ってろ…と、更なる塩分溶液を浴びせかけるのだった。
『Back alley』




