ヰ3 アンドロイドの好きなもの
『私の名前は設楽居睦美です☆
グー◯゛ル ピクルス漬かってます!』
…………。
人型ロボット少女、設楽居睦美ことライムモデル6-2型、出荷番号14は、自室の学習机の上で、
瓶から取り出したピクルスをポリポリと噛りながら、
□私はロボットでは ↻
ありません
[送信]
という画面をじっと見つめていた。
……アンドロイドに対する迫害は、こんなところにまで及んでいるのね……。
『◊ηζ/』
画面に現れたぐにゃりと歪んだ文字列を薄目で睨み、睦美は素早く
『0721』と打ち込んだ。……この程度のセキュリティ、私のAIなら楽に突破できるんだからね……。
……おっと、もう1段階あるのね。
睦美は画面上で16分割された、海外の街の風景を、表情も変えずに網膜に映し込んでいった。
『横断歩道
の画像をすべて選択してください。』
ナニコレ。余裕じゃない。私の性能を甘くみないでよね。更に素早いタップで、睦美は次々と現れる、バス、標識、自転車、信号機、オートバイ、自動車………といった選択問題を処理していった。
「睦美~、早くお風呂に入りなさい!」
階下から女性の声が聞こえる。
「は~い」
と睦美は、学習机の縁に手を突っ張りながら、椅子の上で体を仰け反らせて返事をした。
その後、急に何かを思い出した睦美は、跳ねるように立ち上がり、ドタドタと足を鳴らして階段を駈け下りていった。
そして、脱衣場の扉を勢いよく開け放つと、
「もう!お兄ちゃん!?なんでまた先に入っちゃうのよ!!」と叫んだ。
バスタオルで髪を拭いていた、下着一枚の男子が、「ひゃっ」と言って、咄嗟に胸を隠す。
「お兄ちゃん??今日は睦美と一緒に入ろうねって、私、言いましたよね?」
「ちょ、ちょ、っと……、むつ?ノックぐらいしろよな?!」
軽くカールした前髪から雫を垂らしながら、睦美の兄、設楽居海人が、慌ててTシャツを着ようとして暴れる。
「だいたい、おかしいだろ?!どこの世界に、中2になった兄と一緒にお風呂に入る小6の妹がいるんだよ??」
「は?なに言ってるのよ?お兄ちゃんが中学に入る前までは毎日入ってたじゃない??その時と今と、なにが違うっていうのよ?」と、睦美が靴下を脱ぎながら言う。
「随分違うよ!むつはもう、その、……えーっと、そう!色々と違うだろ?」
「は?意味わかんない。私はなんも変わってませんけど~?」と言って睦美が襟口のボタンに手をかける。
「え?あ?そ、そうなの?変わってないの?……と、とにかく駄目!お、お兄ちゃんは色々と変わったんだよ!て、なんで脱ぎ始めてんだよ?!」
「お兄ちゃん!ダメじゃない、濡れた体のままで服着ちゃって!ほら、もう一回脱ぎなさい。」と言いながら睦美が兄のTシャツの首を引っ張る。
「キャーやめて痴漢~!」と海人が叫ぶ。
睦美が「なにが痴漢よ?兄妹間でやらしいもなにもないでしょ。つべこべ言わないで一緒に入るの!」と言うと、緩めたスカートを足元にストンと落とした。
「きゃーーー」と叫びながら海人は、妹の体を押し退けて走り去っていった。
…………。
………お兄ちゃんも
……変わってしまった。
分かっている。全ては中学進学と共に買い与えられた、愛・不穏のせいだ……。この前中学の同級生の女に、空気ドロップをもらって、嬉しそうに舐めていたのを……私は知っている……。なによ。きっとその女、倫護カンパニーの創業者、捨て犬女ブス並みの不細工に決まってるわ……。
睦美の顔から表情が消える。……もう次は黙って入浴中に突撃しようかしら……。でも、あの様子だと口きいてくれなくなるのも嫌だしなあ…………。
そう思うと、睦美は洗濯機の中に入った兄の紫のトランクスの上に、自分の黒いオーバーパーツを投げ入れ、
その下に装着していた薄水色のパーツを外すと、すでに母のレース付きパーティーが入っている洗濯網に入れるのだった。
**************
設楽居海人は、部屋に戻ると、バクバクさせた心臓をシャツの上から掴み、(ふう)と額の汗を手の甲で拭いた。
……むつのやつ……、最近急にどうしたんだろう。
…………。
海人は、机の上に置かれた、自分の愛・不穏を見て、(あ、なんか来てる……)と思い、素早く手に取った。
そのまま海人は、クラスメイトから来たluinを画面上に開くと、両手の親指で返事を打ち込み始めていた。
それは、いつもよく会話する女子、木下藤子からのものだった。
{こんばんは)20:45
{明日って、制服登校でよかったっけ?)20:46
21:14(体操着でOK}
21:15(そういや、うちって制服ほとんど着ないよな}
{だよね。*笑い*)21:15
21:18(せっかく、うち制服かわいいのにな}
{だよね?!着る機会あんまない*涙*)21:18
{カイトも女子の制服見れなくて残念でしょ)21:19
21:22(まあ、ダサい体操着の方が}
21:23(変なのに狙われなくて安心じゃないか?}
{それって)21:24
{もしかして、心配してくれてる?)21:24
21:26(ばーか。んな訳ないだろ}
21:27(でも気を付けろよ。最近変なの多いから}
{わかった!カイトがそう言うなら)21:27
{わたし、カイト以外には制服姿見せない*エヘン*)21:27
……そんなこと言ってないんだがな……。
海人は、じゃあな、と会話を切り上げ、スマホをベッドの上に放った。
そして、そのまま自分もベッドに大の字に寝転がる。
…………。
……むつのやつ、……ひょっとしたら友達いないのかな……。愛・不穏じゃないから、クラスの女子達の間で浮いてるんじゃなかろうか。まあ、かく言う俺も愛・不穏にしちゃったからなあ……。可哀想なことをしてしまったかも。
俺はもっとあいつのことを……、甘えさせてあげた方がいいのかもしれない………。
…………。
………。
それより小腹が空いたな……。
海人は上半身だけむくりと起き上がり、頭をポリポリと掻くと、切れ長の二重まぶたを左右に擦り、綺麗に整えた眉毛を親指の腹で撫でた。
あ、そうだ、あれ残ってたかな。
海人はベッドから足を下ろし、膝に手を乗せると、えいやっと気合いを入れて立ち上がった。
************
「あれぇ?母さん、ピクルスどこ?」
冷蔵庫に頭を突っ込んだ海人がくぐもった声で言う。
モデルのようにスタイルの良い、彼の母親、設楽居花織が、その体型には似つかわしくない、富士屋のピコちゃんのような顔で「さあね?睦美じゃないの?また。」と言って、小顔ローラーを頬の上で転がしていた。
海人は少し考えるような素振りを見せた後、ヤレヤレ…といった感じで首の後ろを擦り、「おーい、むつ~、ピクルスー!」と言いながら階段を登っていった。
……とんとん。
「おーい、むつ?」
カチャリと音がして、ゆっくりと睦美の部屋の扉が開く。
すると部屋からは……何とも言えない酸っぱい臭いが流れ出してきた。
「どうぞ。」と睦美が、兄を招き入れようとする。
「あ、いや、別に入らなくてもいいんだけどね……。むつ、ピクルス…余ってる?」
そう言われた睦美が黙ったまま、自分の学習机を振り返ると……、
そこには黄緑色の液だけが残った瓶が置かれていて、周りには飛び散った汁を染み込ませたティッシュが何枚か、丸まって落ちているのが見えた。
……また派手に汚したな……。
海人が視線を下に落とすと、妹のパジャマの、お腹からズボンにかけて、所々黄色い汁がこぼれて沁みを作っているのが見えた。
……おいおい、むつ?お前、食べ終わった後、ちゃんと拭いてんのか?男じゃないんだから……まさか立ったまま、瓶から直接出したんじゃないだろうな……。きたねーな……。
「……ごめんなさい。」と言った睦美の口からは……、1日中履いて蒸れた靴下のような臭いが、ぷうん…と漂ってきた。
「お、おう……。お前……ひょっとして……ピクルス全部食べたのか?それ……、どう考えたって食べ過ぎだって……。か、体に悪いぞ。」
「オエッ……なんか気持ち悪……」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待て!ここで吐くな!」
「ダメかも……」「お、おい!?」
『ゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑゑ………』「ギャああああああ………」
*************
「お兄ちゃん?一緒に入らなくていいの?」
海人は、酸っぱい臭いのするTシャツを着たまま、「……いいから……、早く……先に入れ……」と言って背を向けた。
「もう、意地っ張りなんだから!」と睦美は言うと外装パーツを脱ぎ捨てて、お風呂の曇りガラスの向こうに消えていった。
「お兄ちゃん?」
「…………。」
「まだそこにいる?」
「……ああ。」
「……ごめんなさい。」
「……いいって。気にするな。」
「ねえ」
「ん……なんだ?」
「私の部屋……、今日はケロッピくさいから………今夜はお兄ちゃんの部屋で寝ていい?」
「………。」
「ダメ?」
「……わかった。俺はリビングで寝るよ……。」
お風呂場内の湯船の音が止まる。
「……もしかして、私、避けられてる……?」
「そんなことない……て、言うかそもそもそういう問題じゃないだろ?!」と海人が思わず大きな声を出す。「普通、中2と小6の兄妹は一緒に寝たりしない!!」
ポチャン………。「私がアンドロイドだから……?」
……ああ、やっぱり。
むつのやつ、周りが愛・不穏だから肩身の狭い思いをしているのかな……。
「むつ……聞いて。それは違うよ。……例えお前がアンドロイドだろうが、……ロボットだろうが、……ヒューマノイドだろうが、サイボーグだろうが……。お前は俺の…大切な家族であることに変わりはない。だからそんなことを言うな!」
それを聞いた、イモートコントロール式アンドロイド、ライムモデル6-2型、設楽居睦美は……、胸の奥にポッと溶炉鉱火が灯るのを感じ、
赤くなった顔の半分までを湯船の中に浸すと、ブクブクブク……と口から空気を排出するのだった。
『Android's favorites』