ヰ 23 共同生活
殺風景なコンクリート張りの学舎で、数人の豊子キッズ達が静かにペンを動かす音が聞こえていた。
彼らは基本、自習をベースに学習をするスタイルで、各自が教科書と参考書を元に計画表通りに1日を過ごす。
窓のない部屋の中でも、しっかり角の主人公席に陣取っている、白ロリータ少女ネルネが、水色のノートに凄い速度で参考書の内容を書き写していた。
「なあ、ネルネ。」とメンバーの金髪革ジャン男子、ジャガーが彼女の席の横に立つ。
「ここのところ、よく分かんないんだけど、教えてくれないか?」
「ん?どこよ。」とネルネが顔を上げる。
「おい、右目どうしたんだ?」と数学の参考書を持ったジャガーが言う。
ネルネは右目に四角い白の眼帯をしており、「あー、これ?モノモライ?てやつ?原因はよく分からないけど腫れてね。」と言って、左目側のバッチリカールさせた睫毛をパチパチとさせた。
「そのマラカスのせいじゃないか?ブラシって雑菌とか溜まりそうだし。……そう言う俺もニキビがひどいからな。お肌のエイジングとw洗顔と保湿には気を付けているんだ。」
「ジャガーさん?……まず、マスカラね。次にエイジングじゃなくて、クレンジングかしら?最後にWが小文字だとw洗顔みたいね。」
「へえ、なるほど。ネルネ流石だな。分かりやすく教えてくれてありがとう。」と言ってジャガーが席を離れようとする。
「て、違った。俺、数学を聞きに来たんだった。……ところでネルネ?お前、その参考書の書き写しも魔法文字でやってるのか?」と言って、ノートの上に引かれたミミズ文字を指差す。
「は?なに言ってんの。これは日本語でしょうが。」
「……え?これが日本語?あ、そうか。ネルネ、よく考えたらお前左利きだったよな。ギプスしてるから、利き手じゃない右の方で書いてたのか。」とジャガーが手のひらの上で拳をポン、と打った。
「左利き……?」とネルネが怪訝な表情をして言う。「そうだったっけ?私、前世では両利きだった気がするわ……。ほら、利き手とか、そういう後天的な弱点って、突かれると致命的じゃない?」
「……お、お前、全然書けてないじゃん……。おい、試しにこれ右手で投げてみろよ。」 と言って、ジャガーがコンクリート部屋の後ろにある体育用具入れから、野球のボールを取ってくる。
一瞬、勉強している他のキッズが迷惑そうに顔を上げたが、
……ナンバーワンとナンバースリーがうるさくするのは、いつものことなので……、耳にイヤホンを差し込むと、愛・宙雲を起動して自主学習に戻った。
「ふん」とネルネはジャガーの挑戦に鼻を鳴らし、片足でよろけながら立ち上がると、ボールを壁に向かって、見事なまでの女投げでポワンと投げた。
「なんだよその投げ方。呆けもんボールかよ。」とジャガーが跳ね返ってきた球を拾いながら言う。「て、言うかさ、あのトレーナー達の投げ方、いつも腰が入ってないから、見ててイライラすんだよな。」
ネルネは自分の右手をじっと見つめ、「…私、左利きだったっけ?」と言うと「まあ、いいわ。で、おジャガ?数学のどこが分からないの?」と、封印された左手を机の上に乗せながら座り直した。
「えーっと、この一次関数ってやつ?」とジャガーが自信なさそうに呟く。
「アハハ、あんた、中2数学のつまずきポイントのテンプレをなぞっているわね?」とネルネが笑う。
「……こっちは本気で悩んでるんだが…」とジャガーが言う。
「あー、ごめんなさい?中学生らしい悩みで大変ヨロシイ。…好感が持てるわ。…青春ね。」
「何を偉そうに。転生だか何だか知らないけど、お前だって中2だろ?……まあ、お互い学校には行ってないけどさ。」とジャガーが腕を胸の前で組みながら言う。
「ウフフ、茶化して悪かったわ。一次関数ね?そう、まず、変化の割合、切片とか、聞き慣れない言葉があるわよね?……まあ、でもこれは言ってみれば中1で学習した比例の発展内容だから、そんなに難しくないわ。」
「いや、それは俺にも分かってるんだけど……。頭では理解していても、どこか納得出来ないというか……漢字と英字と数字が入り交じるのが気持ち悪いんだよな。この気持ち分かるか?」
「……なるほどね。中学生らしい潔癖な思考だわ……微笑ましいを通り越して、眩しいわよ、あんた……」
「だから茶化すなっつうの!これでも恥をしのんで勇気出して聞いてんだぞ!」
「悪かったわ、青年。」とネルネが言う。「つまりね、一次関数ってのは、y=ax+b の形で表されるの。xとyは変数、aとbは定数ね?グラフにすると直線になるから、aは『傾き(変化の割合)』、bは『切片』ね。ほら簡単でしょ?」
そう言うとネルネは、これ、とっておきの情報ね?といった顔で「で、比例との違いはね?比例y=axはね、切片bが0の場合の一次関数と捉えればいいのよ、どう?これで分かった?」とウィンクをした。
……眼帯してウィンクしたら、両目見えなくなってんじゃん……とジャガーは思ったが、「ん、サンキュー。俺、難しく考え過ぎてたかも……。」と言って参考書を閉じた。
「でもおジャガ?……やっぱ貴方は万年ナンバースリーよねえ……頑張っているのは分かるけど、あともう少し努力する必要があるわよ……。そうね、体を鍛える時間を30分でもいいから学習の時間に割り振りなさい?1年後には相当違ってくるから。」とネルネは言った。
ジャガーはしばらく神妙にその話を聞いていたが、「そういえば…」と言って顔を上げた。
「そういえばさ、ネルネはいつもナンバーツーがどうとかって言うけどさ?俺実際会ったことないんだよな、そいつに。」
「そうだったっけ?」とネルネが返す。
「そうだよ。どんな奴なんだ?ナンバーツーって?」とジャガーが言う。
ネルネが「…難波鶴子。私はおつうって呼んでるわ。」と言った。
「難波おつう……。ナンバーツーって……組織内のランクじゃなくて、…名前なのか?」とジャガーが呆れたように言い返す。
「おつうはね、昔、彼女が新宿の路上にいるところを私がスカウトしたの。XYZマートの前で靴磨きをしながら、マッチを売ってたから。」
「マッチ?」
「いわゆるマッチングね。おつうは高校生よ。最初、家庭教師のつもりで雇ったんだけど、勉強方面はサッパリだったの。でもその代わり、彼女…、料理、洗濯、掃除、家事全般のエキスパートだったのよ。貴方は知らなかったのかもしれないけど、……豊子キッズの日常生活面のお世話は、それこそ彼女が一手に引き受けてくれているわ。」
難波鶴子。
ネルネが出会った時、彼女の体は痣だらけで、自称リストカッターを名乗っていた。
とりあえずネルネは、スカートから脚まで血だらけの鶴子に万能止血シートを差し出し、「大丈夫?」と声をかけた。
ネルネは鶴子を一目見て分かった。
……この少女は奴隷階級出身ね。そして多分、何度か殺されかけている。
この殺気。身のこなし。壮絶な人生、修羅場をくぐり抜けてきた百戦錬磨の戦士と同じ臭いを感じるわ。年格好からして高校生くらいかしら?……この少女なら小中学生の多い、私達豊子キッズの学習を見てもらえるかもしれない……。
そっちは当てが外れたが、
翌日から早速、おつうは豊子キッズの重要な構成員となった。
スカウトされた当日、おつうは雑居ビルのシャワールームから出てくると、ネルネから隣の鈍器法廷で買ってきたペラペラ生地のメイドのコスプレ衣装を渡され、
「とりあえず、貴女が着れるサイズの服がなかったから、これで我慢して」と言われた。
難波鶴子と名乗った少女は、ふくよかな胸部を縫製の甘いメイド服に突っ込み、ウサギの形をしたスリッパに足を入れて、「有難う御座います……」と言って深々とお辞儀をした。出会った時はボサボサだった髪は、綺麗に梳かされて後頭部で奈良時代の高髻のような形に結ってあり、真ん中には編み物に使う、玉つきの棒針がかんざしの代わりに差してあった。
「助けて頂いたこの御恩、私、生涯忘れません。……何なりとお申し付け下さい…。」
「……奴隷らしい思考方法ね。なら、言わせてもらうけど、貴女はもう自由よ。ここに連れてきたのは、貴女を雇いたいから。……勿論お給料は払うわ。先月はヤッピーセットの転売で荒稼ぎしたからね。いい働きをしたらボーナスも弾むわよ?」
最初、何を言っているのか分からない、といったような顔をしていた鶴子は、やがて、
「……わ、私は何をすれば宜しいのでしょうか……」と言って恥ずかしそうに頭を垂れた。
「なにが得意なの?」
「得意と言いますと……。」
「国語、数学、理科、社会、英語、体育……主要科目でなくてもいいわよ?」
鶴子はその質問をじっと考えてから「か、家庭科でしたら……」と小さな声で言った。
……いざ任せてみると、鶴子はたぐいまれなる料理の才能があることが判明した。
そればかりか掃除と洗濯、買い物も完璧にこなす。
だが、その中でも特に彼女の真骨頂だったのは、お裁縫だった。
数日のうちに鶴子は、ビルの一室に籠ると、「決して覗かないで下さい……」と言い残し、新宿の布屋で買ってきた生地を使い、ネルネの新しい白ロリータ服を完成させてきた。
「……貴女、まるで鶴の恩返しね……」とネルネは感心して呟き、その際ネルネの指摘を受けた鶴子は、自分の服も新調することを約束させられた。
……数日後……、
「貴女、もしかして初任給、全部私の服作りにつぎ込んだの?」とネルネが言うと、
コクリと鶴子が頷く。
「で、貴女のその服はもしや…、鈍器法廷のコスプレ衣装を素材にして作ったの?」
「はい……」と言った鶴子は、メイド服を基本にして、ミニスカポリスと、巫女と、バニーガールと、女子高生をリミックスした姿で「これらはネルネ様から頂いた服ですので……大切に使わせて頂きます。」と言って跪いた。
「貴女のことを今日から、おつうと呼ばせてもらうわ。」「はい。お好きにお呼び下さい。」
「で、貴女にお願いがあるの。見ての通り、私、左腕を骨折したでしょ?でね……ちょっとやりにくいから……靴下脱がせて?」
おつうの表情が、一瞬ピクリと動き……、すぐに「は、はい、かしこまりました……」と言ってネルネの足元に近付いていった。
**************
「ふうん……、そんな奴がいたんだ。会ったことないから知らなかったよ」とジャガーが言う。
「言われてみればそうね。おつうは、基本、姿を見せないからね。まあ、私が呼べば来るけど。」ネルネはそう言って「さ、お喋りはおしまいよ。貴方も勉強に戻りなさい?」とペンを取って、ノートに視線を戻した。「……ウ~ン、正直、先々を考えると、やっぱり頭の良いメンバーが欲しいわね……どこかに適した人材はいないかしら……。あ、おジャガ?悪いけどこれを私の部屋の机の上に置いてきてもらえる?…各社の無料春期講習のDM。」
と、ネルネは言うと、ジャガーに封筒類を手渡し、再びミミズ文字に集中し始めた。
ジャガーは一旦コンクリート教室の外に出ると、廊下を曲がって、突き当たりにあるネルネの部屋に向かった。
そして、いつものように扉をギィッと開ける。と、
……部屋の左の壁にある和箪笥ところで、背中を丸めたメイド姿の女性が座っているのが目に入った。
……あれはメイド?て言うか、巫女?て言うかミニスカポリスのバニーガール女子高生?
あ、そうか。こいつがナンバーツーか。
ジャガーが入ってきたことに気付くと、彼女はぎょっとした顔をして手に持っていたものを、素早くタンスに戻した。
……ん。
え~と?あれは……、ネルネのしたぎりすずめではなかったかな……。違ったかな?
サッと、つづらの蓋を閉じたおつうは、なに食わぬ顔をして、「ここは、ネルネ様のお部屋ですよ。貴方はここになんの御用ですか?」と言った。
「…………。」
「……………。あのさ、今、お前、ネルネのしたぎりすずめを舐めてなかった?……いや、勘違いならゴメン。まあ、よく考えたらそんな訳ないよな…。多分俺の見間違いだ。」とジャガーが頭を掻きながら言い、
ぶらぶらと部屋の奥へ歩いていくと、封筒の束をポンと机に置いた。
「いいえ……あれはネルネ様の健康チェックです……」とおつうがポツリと小さな声で言った。
「ん?なんか言った?」とジャガーは振り返り、「…よく聞こえなかった。ま、いっか。そうそう、初めましてだよな、ナンバーツー?……俺はジャガー。よろしくな。」と言って笑い、ネルネの部屋を後にした。
『Communal life』




