ヰ18 午前2時の自動人形
「兄上……そこを何とか……」
夜11時を過ぎても、設楽居海人の部屋では、まだ推し問答が続いていた。
「むつ……聞き分けのないことを言わないでくれよ。」と海人が困ったような顔をして、すがり付く妹の猫耳キャップを眺めていた。
「も、もとはと言えば、お兄ちゃんが悪いんだからね!あんな変態電話に出させて!!睦美は深~く傷付いたの!賠償してくれなきゃ、この部屋から出ないから!!」
「悪かったよ……。さっきから謝ってるだろ?じゃあどうすれば許してくれるんだ……?」と言った後、海人はついに根負けして「出来る範囲で罪滅ぼしをするから許してくれよ」と言った。
今の瞬間まで泣き顔をしていた睦美の表情が、す……と真顔になり「まず、呆痴彼女はアンインストールしないこと。」と言った。
「ま、まず、って何だよ??まだお願いがあるような言い方だな?!」
睦美は、すくっと立ち上がり、ベッドの端に座る兄を冷たく見下ろしながら、「当然よ。暗証番号を解除してあげた恩も、忘れてもらっては困るわ……」と宣告した。
海人はしょぼん…と俯き、「そ、そうだったな……で、何が望みなんだ……?」と上目遣いで言った。
その言葉を聞いた設楽居睦美は、にまぁ~~と不気味に笑い、「今夜は一緒に寝よ♡」と返した。
「ちょ、ちょっと待て!!そ、それはさすがに脳梗せっしょく☆倫理ん乱々ぱんだみっくで、感染爆発不可避では?!」と海人は半ば意識混濁しながら叫んだ。
「何言ってるの、お兄ちゃん?私、今日、めっちゃ怖い思いをしたんですけど~?怖くて一人じゃ眠れないんですけど~?」と睦美が言う。
「わ、悪かったよ。そ、そんなに怖かったのか?」
「怖いよ~~」と言って、ガバッと睦美が飛びついてきた。
「わかった……。わかったよ。……こ、今夜は特別だぞ。一緒の部屋で寝ていいから……。俺は…床に毛布を敷いて寝る。」「え~~」「調子に乗るな。これ以上は一歩も譲れん……」「え~~、じゃあ睦美がぁ、夜中に御手洗い行きたくなったらぁどーすんのー?お兄ちゃんを踏んでいくのー??」
「ああ、それで構わない……」そう言いながら海人は、……むつが寝たら、そっと部屋を出ていこう……またリビングで寝ればいいんだから……と心の中で密かに考えていた。
「ま、しょうがない♪1000歩譲って、今夜はそれでもいいかな。」と睦美が言う。
……なんか、昨夜のマーキングの効果…凄くない……?昨日に続いて二夜連続、兄上と相部屋就寝……。これはマジで科学的根拠を検証する価値があるかもね。……ただ効果がどれだけ持続するか不安も残るので、定期的に縄張りを主張しておく必要がありそうね……。
「じゃあ、むつ、おやすみ。」
「おやすみ、お兄ちゃん。」
睦実は兄のベッドに横になり、丸く布団にくるまると、じーーーーっと海人の方を見てきた。
「なんだよ、落ち着かないな。」
「ねえ、お兄ちゃん?」
「ん?」
「呆痴彼女で、また遊ぼうね。」
「……ったく。」
「消してないよね?」
「ああ、消してないよ。でも、あれだぞ、期末試験が終わるまでやらないからな。」
「ウフフ、意地っ張り♡」
「ばか、もう電気消すぞ」
海人はヤレヤレと背中を向けて、一旦目を閉じることにした。
*************
…………。
……………。
…………………。
ボ~ン、ボ~ン……(昭和)
草木も眠る丑三つ時……(古典)
いつの間にかぐっすりと眠っていた設楽居海人は、自分の体が揺れていることに気付いて
地震?!と思い、むつ?大丈夫か?!とガバッと跳ね起きた。
「…お兄ちゃん」
ぼんやりとしていた頭が徐々にはっきりとしてくると、海人は目をこすって、目の前で正座する妹の姿を捉えた。……片方の手を海人の被っていた毛布にかけ、先程までそれを揺すっていたようだ。
……あれ、いつの間に俺、寝ちゃってたんだろ。むつ?どうした?何かあったのか……?
「どうした?むつ、眠れないのか?」
眠っている間、冬の乾燥した空気を吸い込んでいた喉が、少しイガイガとする。
猫耳キャップに青いパジャマを着た睦美が、「……怖い夢を見ちゃった……」とポツリと言った。
「そ、そう?でも……夢だったんだろ?」と海人が優しく囁く。
「あのね……うちに変な男が入ってきて……私に気持ち悪い質問をしてくるの……。」
「………。」
「逃げても逃げても、先に待ち伏せされていて、……どの部屋にもその男がいるの……。」
「むつ、……ホントごめん。怖い思いをさせたな……。変態め……あいつ…許されると思うなよ…。」
「……。」
「安心しろ、むつ。その男はもういない。」
「そ、そんな気休めはやめてよ……じゃあ何でお兄ちゃんの電話番号を知ってたのよ??そのうち、私にもかかってくるかもしれないよ??…私、怖いよ。凄く怖い……」
海人は睦美の傍らに座り、そっと猫キャップの耳を撫でた。「……心配するな。お兄ちゃんがついてる。」「ほんと?」「ああ、ホントだ。今夜はお兄ちゃんが一緒にいてやる。安心しろ。」「ありがとう……」そう言うと睦美は立ち上がり、海人の腕を引っ張った。
「ん?なに?」
脇の下を引っ張られて、海人も思わず立ち上がる。
「じゃあ、お兄ちゃんヨロシク。」
「なにが?」
「怖いから…ついてきて……。ひかえめに言ってモウモレソウ……」
「嘘だろ……」
「ウソジャナイデス……」
「は、早く行ってこい!お前、日本語がカタコトになってるぞ!!」
「う……お兄ちゃん。」そう言うと睦実は兄の本棚にある、小学生軟式テニス地区大会優勝カップを荒っぽく手に取った。
「む、むこう向いててくれたら、私、辛いことは忘れて…、この場で陽気にするから…心配しないで」と言った。
「バカ!!早まるな!わかった!わかったから!今すぐ連れていってやるから!!…て、言うかそれを使うのはやめろ!頼む!やめてくれ!!」
海人がグイッと妹の腕を引っ張る。
「待って……私、今凄く集中してるの。」と睦美は内股になりながら、自動人形のように、ギクシャクと身体を動かした。……顔が青ざめている。
海人は「乗れ!」と言って妹に背中を向けてしゃがみ込むと、「背負ってってやるから!ほら!早く!」と叫んだ。
睦実は瞳に涙を溜めながら兄の背中に身体を預ける。「行くぞ!」と兄が言うのが聞こえ、「ん」と睦実は苦しそうに頷いた。
そして、海人が勢いよく立ち上がり、彼の強靭な背骨が、睦実の膨らんだ腹部を圧迫した瞬間……机の上で充電していた愛・不穏が、オッペケケー♪と鳴り……2人はその場で固ると……、
海人は背中からお尻、太ももの裏にかけて…、心優しい妹の、温かい家庭の愛情を一身に受けていくのを感じ、「お、お、おお………」と呟きながら、足の裏に接地する部屋の絨毯に、しゅううううう……と生ぬるい感触が拡がっていくのを感じていた。
\(^o^)/オワタ
「え、えっと、さ、さっきの電話番号は着信拒否したから……。大丈夫だ。え…と今のは……ワンギリだったみたいだな。」と海人が言う。
長い……。まだ終わらない。どんだけ我慢してたんだ……。
……………。
海人は、体の半分がほぼずぶ濡れ状態になりながら、古生代シルル紀末期から中生代白亜紀末期の海に繁栄したアンモナイトの臭いに想いを馳せていた。
この部屋の絨毯……どうなるんだろ……。張り替えたり出来るのかな……。あ、終わった……かな?よし、今終わった……ぴっちゃり……ああ、もう冷たくなってきたよ……。風邪ひくよ、これ……。
海人は妹を背負ったまま、よいしょっと彼女の湿った才シリを持ち上げ直し、べたつく片手で扉を開け、とぼとぼと、濡れた足跡を残しながら廊下を歩いていった。
その間ずっと、妹の腕は彼の首にしがみついていた。
海人は黙ってお風呂場に直行し、妹を脱衣場に下ろすと、「むつ?先に体を洗ってな。着替えを持ってくるから。」と言った。
「行かないで……」とまだ首に手を回したままの睦実が、海人の後頭部に鼻をうずめてポツリと言う。「怖い……」
鏡越しにしおれた猫耳が見える。
「でもこのままって訳にはいかないだろ。」
そう言うと海人は、お風呂の操作パネルをピッと押し、「沸かし直すから、それから入りな。」と言った。
「むつ?すぐ戻るから。俺もこのままじゃ嫌だよ。」「……ごめんなさい…」「いいって。今日の件はこれでおあいこってことにしよう。」「……うん。」「すぐ戻るから。」「うん。」「……持ってくるのはどんな服がいい?」
「ワンピース……ブラウンのチェックのやつ……シャツはどれでもいい。パーツはクロミミのやつ…」「わかった。……だがパーツに関しては、見ないで最初に掴んだやつを適当に持ってくるから、それで我慢してくれ……。」
海人はそう言うと、背中に冷たくなったトレーナーを張り付けながら身震いし、
急いで階段を登っていった。
自分の着替えと、妹の服を抱えて戻ってきた海人は、
脱衣場にまだ屈み込んで震えている睦実の姿を見て、「もう、沸いたんじゃないか?入っておいで。」と言った。
……睦実は反応を返さない。
……ヤレヤレ。
「母さんには、むつがまた吐いたとでも言っておくよ。……吐いたと言った方が……まだマシだよな?」
こくりと睦実が頷く。
「ん、どうした?まだ何かある?」と海人が優しく尋ねる。
「…お兄ちゃんも、その、濡れちゃったじゃん…………、一緒に入ろ?」
「………。」
「お兄ちゃんも風邪ひいちゃう。それに……一人じゃ怖い……」睦実の身体は、寒さのせいか、それとも恐怖のせいか、小刻みに震えていた。
マジか。
「………………わかったよ。」(正直、臭いし……)
睦実が一瞬驚いたような顔をして、その後、「……嬉しい」と聞こえないくらいに小さな声で言った。
睦実がパジャマの前のボタンに手をかけると、
「待て。」と海人がその手を握って制止した。
「服を着たまま入ろう。そして電気も消す。どうせ、服も全滅だ。そのまま湯船に浸かって丸ごと洗ってしまおう。それなら一緒に入ってやれるから。……それでいいよな?」
そう言うと、海人は電気をパチンと消して、妹の手を引いた。
「アハハ、なんか面白いな。」と言って
「それ!」とトレーナーのズボンのままお風呂にザブンと入る。
「うひゃっ?!この感覚!未体験だ!ヤバッ楽しいぞ、これ!」
……お兄ちゃん。嫌なことがあった私を元気付けようとしてくれているのね……。子供みたいにふざけて……。
睦実は、暗闇の中で、自分の濡れたズボンの前を手で隠しながら、「もう、お兄ちゃんったら!男子っていつまで経っても子供なんだから!」と笑って、自分も脚を湯船の中に差し込んだのだった。
(まだまだつづくよ!)
『An automaton that wakes up at 2 AM.』