ヰ17 アンインストール
設楽居睦美は、兄、海人のスマホでluinの記録を見ながら、
兄上ったら、意外にトモダチの数が多いのね……と考えていた。
まあ、さすがに男ばっかりっぽいけど?
兄上は基本既読が遅いから、万一女の友達がいたとしても、返事の遅さに我慢出来るわけがないわ。まあ、私みたいな上級者(?)なら分かってるけど……お兄ちゃんには直接言った方が早いのよ。なんなら画面に直接ペンで書き込むくらいで丁度いいわ。
メ(旧ツイスター)もやってないしね。
…それにしても愛・不穏って使い辛いわね……。
おや、この木下って人、アニメキャラアイコンね……ぷぷぷ。アイコンがポニーテールの萌えキャラ(死語)て……痛いわあ……。もしやこの男のせいで、兄上が変なゲームにはまったのでは……。
キモいからちょっと覗いてやりましょう……。
……あら、兄上、このモテない男子Aと女子の制服について語り合ってたのかしら……。
『うちの制服かわいいのにな』だって……。
制服か……。メモしておきましょう……。
『カイトも女子の制服見れなくて残念でしょ』
そこまで目を通し、ん?と、このキモ男友達の口調に一抹の不安を覚えた瞬間……
オッペケケ~~
愛・不穏のデフォルト着信音が鳴り響き、睦美は……おっとっとっと……と手の中で鉄の板をお手玉して、落とすギリギリのところで両手で受け止めた。
ガバッと画面を覗き込むと、……そこには、
本体の振動と明滅と共に
………0120から始まる電話番号が表示されていた。
え?
ど、どうしよう??!どっかから電話がかかってきちゃった!
で、出た方がいいのかな……あれ、でも0120ってフリーダイヤルじゃなかったっけ?
睦美は辺りを見回し、鳴り続ける愛・不穏を手に持ったまま、ワタワタと部屋の中を歩き回った。……お、お兄ちゃんに知らせようかしら!?
もう一度手の中の愛・不穏を見る。丁度その時に着信は留守番電話に切り替わった。
『こちらやわらか銀行です。』と、画面上に文字で起こされた相手の言葉が表示される。
……なに、この機能……?未来?
続けて『現在ご利用のプランについて、お得な情報をご案内させていただいております。』とディスプレイに文字が出てきた。
睦美はゴクリと唾を呑み込んで、鼓動を急速に早めながら、汗をかいた手でスマホの両脇を強く掴んだ。え、営業の電話??ど、どうやって切ればいいのよ??操作が分からないわ!
焦った睦美は適当に画面を叩き、スライドさせた。
ピッ……ん?繋がった?!
あわあわあわ、「け、結構です………!」
『あ、お忙しいところ申し訳ございません。わたくし、やらわか銀行の方から、かけている者でして…』と男性の音声が出る。
「い、今、本人がいませんので……」と睦美が思わず答える。
『ではどちらに?』
「え、そ、そのお風呂に…」
『………。』
『…お風呂から出たら…お電話を折り返しくれるよう…伝えてもらってもいい?』と男の声が急にゆっくりとした喋り方になる。『…君、女の子だよね?』
「は、はい。」と睦美が答える。
『ところでお嬢ちゃんちはどこのスマホを使ってるのかな?』
「え?」
『ほら、スマホのキャリア。』
「え?今そっちから、やわらか銀行って言いませんでした?」
『あ、そうだった、そうだったね、ごめんね………。ところでさ……お嬢ちゃんは何年生?』
「は、はい、6年生です。も、もう切っていいですか……?」
『あ、待って待って!最後の質問。……君さ、可愛い声してるけど、毛はえてる?』
「?????」
『いや、さっきさ、君、お風呂とか言ってたでしょ。それでちょっと連想しちゃったって言うか……君も今からお風呂?いや、実はね、僕にも丁度6年生の娘がいてね。それがさ、うちの子、人より成長が遅いもんだから心配で。まだ幼いんだよ。で、他のおうちの子はどうなのかなぁって……。お嬢ちゃんは毛はえた?それとも股つるつる?アハハ……あ、答えたくなかったらいいよ……代わりに今履いてる汚パソシの色を教えてくれない?』
……睦美は頭の中が真っ白になって……恐ろしさのあまり、ガタガタと震え始めていた。
……た、たしゅけて……お兄ちゃん……
ガバッ
睦美の手から愛・不穏が奪われる。
「誰だ、お前!聞こえてるぞ!!俺の家族と何を話している!!」
涙を溜めた目で睦美が見上げると、そこにはグレーのトレーナーを着て、まだ濡れた髪から湯気を立ち昇らせている設楽居海人が立っていた。
「……切れたよ。」
「……お兄ちゃん……」
「むつ、変な電話に出ちゃダメじゃないか。……て言うかロック解除出来たのか?どうやったんだ?」
「お兄ちゃん!!」と叫んで睦美は海人に抱きついた。「ヴぇ~~ん、ごわがっだよぉぉぉ………」
よしよし、と海人は妹の頭を撫でる。
もう片方の手で、海人はテーブルにある曲線グラフと6桁の数字のメモを引き寄せた。
「……さすが女の子だな。よくわかったね。」
海人は妹の涙がトレーナーに染み込んで、湿り気として伝わってくるのを感じながら、
「さ、もうお風呂に入っておいで。」と言った。
「………。」
「どうした?」
「………。」
海人は、優しく妹の髪の毛を手のひらで擦り、親指で彼女のこめかみ辺りの生え際を後ろになぞって整えてやった。
「……お兄ちゃん……」
「ん?」
「もう暗証番号を変えないでね。」
「ああ、そうするよ。」
「怖かった……」
「ああ。ごめん。俺が暗証番号を忘れたばっかりに。怖い思いをさせて……。」
「呆痴彼女……アンインストールするの?」
「ああ、今からするよ。」
「……その前に、」
「ん?」
「一回遊ばせてくれない?」
「へ?なんだよ急に。」
「いや、なんかお兄ちゃんがそんなに夢中になるゲームだったら…一回ちゃんとやってみたいかな……て。」兄に抱き止められて急に安心したのか、睦美は甘えるような声で言った。
「…ああ、まあ、いいけど……。それよか先にお風呂に入っておいで。後で遊ばせてやるからさ。」と海人が言う。
「じゃ、私、体をキレイにしてくるから……お兄ちゃんは先に勃ち上げて準備しておいてね。」
「ああ。なんならもう勃ち上げてるよ。久々の炉具インだからな。うまく出来るかな。」
「難しいの?」
「ああ、ちょっとね。優しく出来るかどうかセッテイを弄ってみるよ。」
「出来たら優しくしてね?」
「ああ、……でもちょっと無理かも、ダメだ優しく出来そうもない。さあ、むつ、行っておいで。お?!炉具イン棒ナスが入ったぞ。10連ガチャ引けるんじゃないか?」
「待って待って!後で一緒にヤる!」
そう叫ぶと睦美は走ってお風呂場へ向かっていった。
……さてと。
と海人はソファに深く腰掛け、
硬くなった首のあたりの筋肉をほぐし始めた。最初はゆっくりと指を使って揉み……、びんびんと痺れるような感覚に顔を歪めて、やがてカチンコチンに強張っていた全体を強く握りながら、激しく前後に動かした。
うっ………ふう……………。
……これくらいにしておこう。あまりやり過ぎると後から揉みかえしで逆に辛くなる。さっき湯船に浸かりながら念入りにマッサージしておいたから、汗と一緒に体の悪いものは全部出してきた。
まあ、でもまだまだ全然いける、かな?風呂に入ってなければ、もうひとっ走りしてきたっていいくらいだ。最近、体がなまっていたからなあ。
海人は勃ち上げたアプリの画面を見つめながら意味もなく、指で弾くようにして表面をフリックし…、ピコンピコンと気持ち良い反応を返す女乳画面をぼんやりと眺めて、妹が出てくるのを静かに待つのだった。
***************
「お待たせ!」そう言いながら、頭にネコ耳のタオルキャップを被った睦美が戻ってくる。
「おかえり、なあ、むつ?さすがにこのゲームを居間でやるのは憚れるから、俺の部屋でやる?」
……昨夜の一件以来、海人の中で、妹を部屋に呼ぶ心理的障壁は下がっていた。
「うん!」と睦美が嬉しそうについてくる。
部屋に入ると睦美はまず、兄のベッドに目を向けて、縄張りを主張するマーキングポイントを確認した。
……三つ折りになった掛布団から覗く白いシーツの中央……目を凝らすと、染みがあるような…ないような……。いえ、大丈夫ね。昨夜の出来事を思わせるような印はどこにも残っていないわ……。においの方も…まあ、気にはならないでしょう。……念のためもう一回マーキングをしておこうかしら……なんてね。
「よし。始めよっか。」と兄、海人もどこか嬉しそうに言う。
「まずはガチャだ。」
ベッドに腰掛けた海人の横に、肩を寄せてピッタリとくっついてきた睦美が、画面上を覗き込む。
…軽く二の腕に手を添えても、兄は何も言わない。……それだけゲーム画面に夢中になっているのであろう…睦美は頬を赤くしながら、チラッと兄の横顔を見て「ガチャで何を引くの?」と言った。
「……そうだな、やっぱり水鳥用装備かな……、改護神具☆御涅処槃Ⅱか、神御陸奥シリーズのどれかが欲しいかな…」
「へえ……結構可愛いんだね。特にこの星5のやつがいいね。」と睦美が言う。
「だろ?このデザインとか女子が見ても魅力的なんじゃないか?……よし、じゃあ、むつの選んだディスティニープリンセスデザイン《限定》神御陸奥装備の方でいくか?ほら、むつが引いていいぞ?」と海人が言った。
「こ、こうやるの?いいんだよね?合ってるよね?ここ押していいの?ねえ、お兄ちゃん、押すよ?」と睦美が言うのを聞いて、海人が「押すんじゃなくて、ほら、こうしてスライドするんだよ。」と言って妹の指を掴んで画面に持っていった。「むつ、頼んだぞ~、星5をよろしく~!」
睦美が、《LLサイズ》と書かれた大きな直方体の紙ケースの上部を、切るように指で擦ると……、破けた口から
キラキラキラ……と星が瞬き、虹色の光が画面一杯に拡がった。
「むつ!!来た!確定演出だ!!お前、凄いな!」
「え?え?」睦美は戸惑いながら、兄の顔を見て、
海人は「やった!!」と言いながら、思わず妹に抱き付いていた。
睦美は身体全体からボフンッと湯気を出し、もはや、何が確定したのか、何が当たったのか、全く分からないまま、
……ただただ、興奮する兄にもみくちゃにされ……幸福のあまり気が遠くなっていった……。
**************
「やあ、久々にやると、やっぱり面白かったな。」と海人が言いながら、妹に笑いかける。
「さて。最後に遊んで俺も満足したし、むつもちょっとだけだったけど、呆痴彼女、楽しんだだろ?もう、充分だな。……アンインストールしよっか。」
「ま、ま、待って!!」と慌てて睦美が叫ぶ。
「ん?どうした?」
「いえ、あの、その、……私、もうちょっと遊びたいかな………その、お兄ちゃんと一緒に……今日みたいに。す、すぐ消しちゃうことないんじゃない??た、たまにこうやって、2人きりで?兄妹水入らずで?お部屋に籠って遊ぶってのも良いのではないでしょうか(小声)……」
「いやいや、こういうのはケジメが必要だよ。勉強のジャマになるし。消してしまおう。」「……せ、殺生な…そ、そこを何とか……あと一回だけでも……」
……やっぱりヤバイなこのゲーム。中毒性が凄い。むつのこの様子を見ていると、よりヤバさが分かる。人の振り見て我が振り直せ……「むつ?もうアンインストールするよ?」「あ、兄上………どうか……」
****************
その夜、設楽居睦美のクラスメイト、赤穂時雨は、ネッ友と新宿行きの約束を取り交わし、翌日を楽しみにしながら、……どんな子だろ?あとマジで煉獄ちゃんにも会えるのかな……テレビでよく見る新宿の鈍器法廷……ガチの豊子キッズも見れるかな……と、半分夢の中でつらつらと考え、微笑みながら…やがて眠りにつくのだった。
『Uninstall』