ヰ16 ネットリテラシー
長い一週間が終わり、今は楽しい週末を迎える前の夜。8時を回る寸前の時間。
6年2組の自称高ヒエラルキー女子、赤穂時雨は、自分の愛・不穏を見つめて
……これ、本当?
と考えていた。
画面上には自称JSのネッ友からの情報が表示されている。
『 聞いて!ここだけの情報!カリスマモデル闇の煉獄ちゃんが、明日新宿、鈍器法廷前で、最高の信販形式でグッズ販売を行うらしいよ!!』
『これ、ここだけの情報!ゲリラ動画撮影らしくて、絶版になった、暗黒コーデの昔の服とかも出るらしいよ!』
信販ってなに?……えーと、ああ、なるほど後払いでオッケーてこと?コンビニ払いでいいのかな?なにそれ?神じゃん。え?煉獄ちゃんのファッションカードも出るの?昔、ミコ☆ポチの付録で付いてたやつも全部?
うわっ、懐っ…めっちゃ欲しいんですけど…。
明日か。新宿の鈍器法廷ね。一度行ってみたいって思ってたのよね……。でも明日はパパもママも仕事だし。一人で行くのは怖いかも。
『でも明日だと親が仕事なんだよね。行きたいなあ。でも小学生だけで新宿行くの、ちょっと怖いよね。』
あら、私と同じ。一年以上やりとりしてるけど……この子も小学生なんだよね……。間違いないよね。写真に出てくる手とか子供のものだし。更新は必ず学校のない時間だし。
そろそろ会っても大丈夫なんじゃないかな?
赤穂時雨は、よし、と決心をして、『明日、一瞬に行きませんか。』とDMを送った。
**************
その頃、アンドロイド少女、設楽居睦美は、困惑している兄の様子を見ながら、
まだ若干渇き切っていない下部パーツの上から履き直したデニムのジーンズの、ごわごわとした感触を気にしていた。
「……まいったな。」と設楽居海人は、自分のスマホを見つめながら、軽くカールした前髪をポンポンと弾いた。
「……どうしたの、お兄ちゃん?」
「ん?ああ、それがさ。愛・不穏のロック番号が分からなくなっちゃったんだよ。」と海人が言う。
「………。」
「………。」
無言で兄妹は見つめ合った。
「……あの、もしかして、……あくまで、もしかしてだけど、……昔、銀行の暗証番号とか、……私の生年月日にしてなかった……?」と睦美が目をさ迷わせながら言う。
「ん?ああ、昨日まではそうしてたんだけどさ……。」と言って妹の顔をチラッと見た。
「な、なんでしょうか……」
「いや、疑うわけじゃないんだけどさ……昨夜の一件で無用心だと思って、今朝学校に行く前に、番号を変えたんだよ。」「え、変えちゃったの?」
「まさか、お前も暗証番号、小さい頃みたいに俺の誕生日とかにしてないよな?家族の生年月日はセキュリティ的に辿られやすいらしいぞ?」
「で……、お兄ちゃん?どんなロック番号に変えたの?」と睦美がまだ落ち着かないような顔をして言う。
「それがな。まず、6桁に直したんだ。」
「で?」
「うん。まあ、その、なんだ。絶対に突破できないようにしようと思ってさ……。」
「いいから。私、怒らないから言ってごらんなさい?」
「……相変わらず、どこから目線なんだよ、お前は。」「妹目線から申しておりますが……?」
「オホン。……これ、むつに言ってもしょうがないんだけどな……」
「いいから言って。」と睦美は薄々嫌な予感を感じながら言った。
「ああ。6桁の数字……、呆痴彼女の尾刀 水鳥のスリーサイズにした……。」最後は物凄い早口で海人は言い切った。
「は?」
「いや、あのさ、午前中までは覚えていたんだよ。それに、忘れても公式ホームページを見れば分かると思ってさ。
……ところが!このゲーム、身体が成長するらしくってさ!遊んだ人の数だけスリーサイズがあるらしいんだよ!
……だから俺のデータの水鳥ちゃんのサイズがもう分からなくなっちゃって……」
「ちょっとちょっとお兄ちゃん??マジで夢中だったの?!あのアプリ!!」
「いや、夢中ってほどでもなかったんだけどさ……いや、確かに変な見た目だよ?あのゲーム。でも、あれホント、ゲームとして良く出来てるんだよ。頭も使うし。医療に興味のある人間にとっては凄く勉強になるし。スポーツ医学系の知識も得られるし。それに現代社会への色々な問題提起や、それを解決しようという強い意志を、制作サイドからは感じるね。」
「メチャ夢中……。」
「いや、俺も気付けば時間を忘れていることがあったからさ……。今日、クラスのやつに言われて、……冷静に考えてみたら時間の無駄かな……と思って。アンインストールしようと思ったんだよ。それがさ、この通り。ロック番号を忘れちゃって、愛・不穏が開けない。」
「なにやってんのよ……」と言って、睦美はソファの背に深くもたれ直した。
「今、6回試してみたんだけどさ…。ダメだ……あと4回で強制ロックされてしまう。そうなると後は、愛・不穏を初期化して全データを消却するしかなくなる……」
「……基本となるスリーサイズはあるんでしょ?それちょっと教えてよ。私も考えてみるから。」「ん?あ、ああ。助かるよ。さっきPCで調べたんだ。94/56/86だ。」
「で?すでに打ち込んだ数字は?」と呆れ顔の睦美が、紙とペンを持って戻ってくる。
「ああ。これだ。」と言って海人が別なメモをテーブルに置く。
「思い返すに、俺は水鳥に結構牛乳を飲ませていたが、リハビリ施設で歩行訓練もよく行っていた。簡単なシャドーボクシングもやらせていたから、逆に胸筋は引き締まっていると思うんだ。」
「じゃあBは少し減らして、と。WとHはどうする?」「いや、ちょっと待て。それでは減らし過ぎだ。」「でもそれだと2回目と同じ数字になっちゃうわよ?」「……そうなんだよな……。でも確かこの辺の数字だったと思うんだよなあ……」
「じゃあ、一旦これでいってみましょうか?」「ああ。」
ポチポチポチポチ……
「ダメだ………これで7回目……。」
2人は絶望に似た表情を浮かべてスマホの画面を凝視していた。
「……落ち着こう。」 と海人が言う。
「お風呂にでも入って、頭をよく整理してみるよ。」
「それがいいわね。」と睦美が言って立ち上がる。「じゃ、行きましょ」
「ん?」「ほら、お風呂に行くんでしょ?」
「いや、ちょっと待て。むつが先に入るんなら俺は後でもいいよ。」と海人が言う。
「え?お兄ちゃん?なに言ってんの?一緒に知恵を絞った方がいいでしょ?だいたい誰のせいでこうなったと思ってるのよ」と睦美が言いながら海人のスマホを指差す。
「べ、別にむつに迷惑はかけてないだろ?……そりゃ手伝ってくれるのはありがたいけどさ、」と海人が言うと、
「だったらグダグダ文句は言わない!」と睦美が大きな声を出した。「……お兄ちゃん?そもそもなんで、そんなに私とお風呂に入るのを避けるのよ?!」
「逆になんで、そんなに俺とお風呂に入りたいんだよ?!おかしいだろ?!むつは小6の女子、俺は中2の男子だぞ??」と海人が殆ど叫ぶようにして異論を唱える。
「……あ、お兄ちゃん?ひょっとして……」
そう呟きながら、睦美が自分の口を押さえる。
「な、なんだよ。」と海人が警戒しながら妹を睨み返した。
「ひょっとして、昔と比べて体が成長したことを気にしてるの、お兄ちゃん?」
「………当然だろ……。」
「アハハ、そんなこと気にしてたの??大丈夫よ。2人で入って、多少お湯が溢れても、私は平気よ。そりゃお母さんは、『お湯が勿体ない』って怒るかもしれないけどね?
……も~お兄ちゃんったら!水道代を気にしてたの?いやあね」
「お、お前……一緒に湯船にまで浸かる気だったのか……だ、大丈夫か、お前……。ここまでくると逆に心配になってきたぞ?」
「え、なに言ってんのよ~?」と睦美がコロコロと笑いながら兄の腕を叩く。「ねえねえ、久しぶりにあれやってよ!ピュッと発射するやつ!お兄ちゃんさ、よく私の顔を狙って、ピュッピュ、飛ばしてきたじゃん。手のひらを合わせてお湯をピュッと……。」
「待て待て待て!!おかしいって!!冷静になれ!よく考えてみろ、お前、中学生になっても父さんと風呂に入るのか??俺が母さんと風呂に入るのか?!それと同じだぞ??」
「……キモ。」と睦美が……、急に目の中の光を失い、……真顔になった。
「だろ?」と海人がホッとしたような顔をして言う。「もう子供じゃないんだぞ。……なあ、お前さ、幼稚園の頃、『大人になったらお兄ちゃんのお嫁さんになる』とか言ってなかったか?ほら、分かるだろ?いつまでも子供って訳にはいかないんだからな……」
睦美がびっくりして目を見開き、その後すぐに耳から首の方まで赤くなっていき……「憶えていてくれたんだ……。」とポツリと言った。
最初は呆れた顔をしていた海人も「むつも、春にはもう中学生だぞ?」と優しく微笑みながら言い直す。
「ねえ、お兄ちゃん」
「なんだ?」
「……中学生は大人?」
「ああ、まあ、そうだな。……少なくとも女の子はもう…大人の仲間入りをするんじゃないか?(知らんけど)」
「わかったよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんは睦美が大人になるのを待っていてくれているんだね。……それまで睦美のことを大事にしてくれている………てことだよね?……ごめんなさい。」
「お、おう……分かってくれたならいいぞ。」と海人が頬を人差し指で掻きながら言う。
………お兄ちゃん……だいすき……。
昨夜、図らずも兄のベッドにマーキングをした睦美は、……約束だよ、お兄ちゃん……。と心の中で胸に手を置く自分を想像し、目を閉じるとキラキラとした光に包まれながら、トクン……と乙女の世界に、一人立ち尽くしているのだった……。
海人が先にお風呂へ向かうと、
睦美は、リビングに残された愛・不穏の画面を改めて見つめ直した。
……昨日見た、呆痴彼女の画面……。怒アップで出てきた女……。確かこんな感じだったよね……。
睦美は、指を使って、記憶の中にある残像を、黒い液晶画面の上で素早くなぞってみた。
そしてその感覚が消えないうちに、メモ用紙に、バイオリンのような形をしたフォルムを鉛筆で描き写してみる。
……確かこんな感じ……。
………。
これでスリーサイズってどれくらいなのかしら……。
薄目を開けて、曲線を睨む設楽居睦美は電子頭脳の中でパタパタパタ……と6桁の数字パネルを回転させていた。
その時、ふと睦美の脳内に、クラスメイトの顔が浮かんできた。
…………。
…………。
迷っててもしょうがないか。よし。
プルルルルル………
《ピッ》
『はいは~い。なに?珍しいわね。何の用?』
『……近藤さん……、ちょっとアナタに教えてもらいたいことがあるの……。』
電話口で、エロマイスター近藤夢子が「なあに?保体的なこと?」と答える。
「今からアナタのPCに画像を送るから、それを見て意見を聞かせてほしいの。」
「お?なんの画像?ネットに流出してOKなやつ??」「……多分……。今、送った。見て。」
『え~と……ふむ。……ナニコレ?』
『その双曲線関数を見て、アナタならどう思う?』とアンドロイド・ライムが問題提起をする。
『う~ん……93/55/88?…てとこかしら。』と夢子が呟いた。『私には女体曲線にしか見えないわね。』
『……ありがと。さすがね……。』
通話を終えた睦美は、今、夢子から教わった数字を兄のスマホに打ち込んだ。
《ロック解除》ピコ~ン
睦美は画面をシャッとスライドすると、ソファの上であぐらをかいて、
……妹の義務として、兄の携帯をチェックし始めるのだった。
『Digital literacy』