ヰ113 命名
豊子キッズ、ネルネは非常階段の途中に設けられた宮殿で、
ピンク色の布が被せられた折り畳み椅子に鎮座しながら、
目の前に傅く五十嵐葉南に杖の先端を向けた。
「で、この設楽居海人という人物が、救世主である可能性が高いのね?」「はい」
「……じゃあなんでもっと早く言わなかったのよ?」そう言うとネルネは杖を納めた。
ふんわりボブカットにばら蒔かれたキラキラが鈍く輝いている。
「……申し訳ございません。彼がロリ昆虫である疑いが強かった為、調査に時間がかかりました。ボクが思うに……」「この際、貴女の意見はどうでもいいわ。」と言って、ネルネが無事な方の右手を、肘の上から垂直に挙げて葉南を制止した。
「私達は早急に豊子塾の講師を揃えなければならないの。ありがたいことに、IT講師の早乙女慈留葉さんはツモれそうだけど、彼女だけではまだ足りないのよ。もっと子供目線に立った人が必要なのよ!」
「……ははっ!では、今すぐ昆虫試験を行いに現地へ急行します!」
立ち上がろうとする真面目七三分け少女に、ネルネは「まあ、待ちなさい。」と言った。
「……今まで、人に任せきりにしていた私も悪かったわ。」「と、言いますと?」
「明日から、私が直接、調査にあたるわ。」
「…だ、大丈夫ですか?」と葉南が言う。
「おジャガ、来なさい」
「へいへい。」と言いながら金髪革ジャン男子がやってくる。
葉南は、彼を睨むとそのまま無視して、ネルネの顔だけを見つめた。
「おつうに動いてもらって、私とおジャガは、明日から私立櫻中等教育学校に編入することが決まったわ!」
「……え…編入って……三学期はあと1ヶ月しかないのに、ですか??」
「そうよ!どうせ、豊子キッズビルは浸水で改装中。工事に約1ヶ月かかるから、その間、向こうで暮らすことにしたの!」
「ど、どちらで寝泊まりするんですか?」
「うん。クラファンで貰った金で、駅前のホテルで暮らすんだ」とジャガーが言った。「あそこのホテルの下のフルーツジュース屋で毎日飲めると思うと、今から楽しみだよ!」
葉南はそのコメントには返事をせずに、「かしこまりました。通学中の護衛はお任せください。」と言って深々と頭を下げる。
その様子をネルネは見ながら、「……まあ、大丈夫でしょ。おジャガを連れていくのは護衛の意味もあるし。おつうも潜伏してくれるようだから、そこら辺はあまり心配していないわ。でもあの町、不信者がイッパイ居るって聞いてるわよ?じゃあ、そうね?貴女にはその親玉でも叩いてもらって、奴らを壊滅させておいてもらおうかしら。」と厳かに言った。
「ははっ!」
ピョコン!と葉南は飛び上がるように立ち上がると、一瞬で姿を消してしまう。
「…さてと。」とネルネが微笑みながらこちらを振り返った。
「……メサイアのお手並み拝見といこうかしら。」
ネルネは、葉南が提出した資料から、設楽居海人の写真を何枚か出し、書店で参考書を手に取っている姿を杖の先端で指すと
「……おジャガ、忙しくなるわよ?久しぶりに貴方の本領を発揮してちょうだい。」と言って、偉そうにふんぞり返るのだった。
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「この時期に編入とは………」
設楽居海人は、木下藤子に向かって小さな声で言った。
「そして、あの格好……うちは比較的校則が緩いけど……、あれはOKなのか?!」
目線の先には、ふんわりボブカットの黒マスク少女が、白いド派手な松葉杖をついて立っていて、
片目には白い眼帯、もう片方の目にはバッチリメイクが施されているのが確認出来た。
左腕は肩から吊られており、片脚にも大きなギプスを装着している。
「……て、言うかあの制服は学校指定のやつなのか……?」
と言って、海人は彼女の真っ白なセーラー服を上から下まで眺めた。
横に立つ男子は髪に金髪のメッシュを入れ、ニキビ顔の唇にピアスをしている。
学ランにはダサい銀色の鎖までぶら提がっていた。
「……ん?あれ?君、前に会ったかな?」と急に海人は言って前に進み出る。
「や、やめなよ、カイト?話しかけない方がいいよ……」
「ほら?俺のこと憶えてる?君、『闇の厨二数学・封印編』を公園で読んでただろ?髪色少し変えた?」
ジャガーは、声をかけてきた男子の横に立つ、リアル船乗りに圧倒され、後退りしながら、
「や、やあ。お、お前がメサイアだったのか……」とこのリア獣に向かって、思わず退魔ブレスレットを掲げ、正面をガードした。
「はじめまして! ゴキげんよー!」と白いセーラーの方が挨拶をしてくる。
「聞いたわよ?貴方、この学年でナンバーワンの秀才なのよね?私、三船るね。宜しくお願いするわ!」と言って、ネルネは松葉杖に脇を支えられながら右手を差し出す。
すかさず、藤子が前に進み出てきて、何故か彼女が握手をした。
ネルネは、軽く握った手を上下に揺すり、可笑しそうに笑った。
「あら?そういう貴女はナンバーツーの秀才かしら?フフ……もうすぐ期末試験よね?」と言って手を離す。
海人が「ああ、そうだね。君たちは編入してすぐ試験だから大変だね。俺に何か手伝えることはある?」と言った。
「…ちょ、カイト?あと、私の成績は10番目くらいいだけど……」と言いかけた藤子を遮って、ネルネが
「勝負をしましょう。」と強い口調で言った。
周りのクラスメイト達は見てはいけないものを見るように、遠巻きでよそ見しながら聞き耳を立てている。
「え~っとね?メサイア設楽居くん?もし期末試験でね、…ここにいる『金髪メッシュに変えた(笑)新ジャガ君』と、私の合計点数が、あなた達2人の合計点数を上回ったら……
私達の勝ちとさせてもらうわ。」
「は?アナタ何言ってるの??」と藤子が言う。
ネルネは薄目で漆黒のポニーテールガールのことを見つめ返すと、「あら、ごめんなさい?貴女が学年10番かそこらの子だとしたら、役不足かしらね?でもね、私達が勝ったら………。設楽居海人?そうね、貴方は私と付き合いなさい。あと、勝利した暁には、おジャガはそこの10番の子と付き合えばいいんじゃないかしら?……ところで貴方達は付き合ってるの?」と言った。
「いや、トモダチだ。」と海人がすかさず返す。
「しかし、えらい自信だね?うちの学校のテストは結構難しいと思うけど、大丈夫?」
「ちょっとカイト?!付き合うとか言ってるのをスルーしちゃダメよ??」と、藤子があたふたしながら言う。
海人は黙って藤子のことを見ると、ゆっくりと白セーラーと金髪メッシュのことを振り返った。
「……テストの結果に女子を賭けるのは、あまり感心しないな………」
あれ?目が笑っていない……。
え?
カイト?
それって、ひょっとして………
そ、そ、そういうこと、ですか??
海人が、「…まあ、君らみたいな不良に、俺たちが勉強で負けるわけはないけどな」と感情のこもらない声で言う。
藤子は、バレンタインプレゼントの効果に驚きながら、
「カ、カイト?わ、私、今回の期末テスト、そんなに自信満々じゃないんだけど……」と言った。
海人は、そんなクラスメイトを見つめ返すと、「いや、お前なら大丈夫っしょ。万が一自信ないなら、今日からは俺がマンツーマンで朝から晩まで付きっきりで勉強を教えてあげるから。木下の不得手なところを、(苦手)意識が無くなるまでひたすら攻めていこうじゃないか。多分、こ(た)えが出るんじゃないか?
自慢じゃないが、俺は教えるのが得意なんだ。確か木下は小学生の時は、まん中くらいの成績だったよな?
ここまで成績を伸ばせたのは、お前の努力の賜物だよ。たまたまなんてことはない!きちんとズルせずに目標にムケて勉強していれば、その努力はそのまんま、お前の力になるんだ…!」と
ウ……
と藤子は赤面し、
「ヨロシクオネガイシマス…」と、何故か片言で言った。
……これが噂に聞いた、個別指導……柔軟なカリキュラムによる顧客満足度ナンバーワンの教育メソッド……。背中以外も色々な場所を押してくれる先生が、アナタのやる気スイッチを探してくれる………クソ!メサイア……羨まし過ぎるぞ……。俺ももっと学びたい……。
ジャガーは顔を青ざめさせながら、そんな2人のリア獣を見つめていた。
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「………さて、おジャガ?」
中学校の中庭で、焼きそばパンを齧りながら、白セーラーのネルネは、
マスクを顎まで下ろすと、四角い紙パックの飲むヨーグルトを、ズズズ……と啜った。
「……トップの成績を狙うにあたり、アナタに能力の解禁を許可するわ。」とネルネは言った。
「………マジか」
とクリームパンを手にしたジャガーが答える。
「お前の言いたいことはわかるが……俺、あまり気が進まないんだよな……。だってあれをまたしてしまうと、真面目にやってきた今までの努力が無駄になっちゃうだろ……?折角ここまで矯正出来てきたのに……退学処分になった、あの頃の俺にまた戻っちゃうんだからな……」
「なに弱気なこと言ってんの?今の私達はそんなこと言ってられないのよ?私達はなんとしてでも彼らに勝利し、メサイアを連れ帰らなければならないの。言ってみればこの勝負が豊子塾の未来を握っているのよ!」
ネルネはそう言うと、白セーラーのスカートに溢したパン屑を、パッパッと横に払った。
………そう。あの頃の俺は……確かに狂っていた………。小さい頃から全く勉強の出来なかった俺は……、
カンニングに人生の全てを賭けていたのだ……。
俺は試験でいい点数を取る、ただそれだけの為に、試験範囲を全て網羅する長大なカンニングペーパーを作成していた。
自由時間をほぼ費やし、睡眠時間を削りながら完成させたそれは、途轍もない分量になり、やがて俺はそれを試験に持ち込むこと自体が困難なことに気付いた。
クソ……どうすれば………
そうだ!
俺は無尽蔵に拡大していくカンニングペーパーを編纂することにし、なるべく最低限の情報から、多くのことを導き出せるように、内容のまとめに取り組むことにした。
つまり数学であれば、出来得る限り定理を書き出し、余計な末梢は削除し、応用に使える情報のみを整えていったのだった。
しかし、それでも全教科分のカンニングペーパーは膨大な量となり、
限界まで小型化しても、とても教室に持ち込めるような代物ではなかった。
そこで俺は考えた。
……そうだ。カンニングペーパーを物理媒体に頼るのがいけないんだ。
全部、暗記してしまえばいいんだ………。
それに気付いた俺は、睡眠時間を更に2時間にまで絞り、カンニングペーパーの完全暗記を目指した。
………そして2週間後………
俺の顔面はニキビだらけとなり、頭髪は殆ど白髪となり、黒髪と混ざり合った灰色の頭脳で、
……試験全てをオール100点で終了したのだった。
………当然、教師達は俺の不正を疑った。
万年ビリ、オール2の俺がいきなり全教科満点を取ったのだ。それは教師達が疑惑の目を向けてくるのは当たり前だ。
放課後の長い尋問の末、
俺はとうとう、カンニングしていたことを認めた。
その自白で、全ては終わりだった。
俺は退学になるだろうと校長から言い渡され、絶望のあまり頭の中が真っ白になっていくのを感じていた。今まで覚えた数々の知識が、ポロポロと音を立てて…涙と一緒に頬を伝って消えていった。
………………
斑の白髪になった俺は、腑抜けた顔で下駄箱に立ち、足元の鞄に入った大量のカンニングペーパー(東大メソッドノート)の残骸をボンヤリと眺めていた。
……俺の通う学校で起こった、大規模カンニング事件のニュースは瞬く間に裏サイトで拡散され、
その後、実名と顔が私人逮捕系インフルエンサーに特定されたことにより、
俺は家族もろともこの町を追放されることとなった。
そんなある日、当て所無く新宿の町をさまよっている俺に、ネルネから声がかかったのだ。
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「貴方、SNSで見たわよ。なかなか面白いことやったみたいね。」と白ロリの少女が可笑しそうに俺のことを見ながら言う。
「放っておいてくれ。」
「……貴方、うちに来ない?」
「は?」
「うちに来なさいよ。カンニング無しで一から勉強をやり直してみない?……貴方にはそのポテンシャルがあると思うの。……そんなシケた面してないで、世の中の奴らを見返してやりなさいよ?」
「何を言ってるんだ、お前は?」
白ロリの少女は、片手を骨折した姿で、俺の周りをゆっくりとまわり、
「ふむ。」と頷いた。
「……な、なんだよ…」と俺が言うと、
急に少女は、自分のブーツの靴紐を踏んで、勝手に一人でよろけて転倒しかけた。
咄嗟に俺は彼女を支える。
「ありがと。……貴方、その白髪と黒髪が混ざった灰色の頭………、ジャンガリアンハム○ターみたいね。」と少女は言った。
「今日から貴方はジャガーと名乗りなさい。私の所に来たら、迷路付き檻で世話してあげるわ。見たところ、体幹もしっかりしてるようだし、何かの役に立つかもしれないわね。」
「……お、なんかそれカッコいいな。ジャンガリアンハンターてなんだ?危険な殺し屋みたいな二つ名だな。」「そうね。」
その後、俺は髪を金髪に染めることにしたが、ネルネはその日から俺のことを「おジャガ」と呼ぶようになったのだった。
『naming』




