ヰ111 歴史改変
「やあ、久しぶり。」
と、小野町悟は頭を搔きながら言った。
そして照れたように風花の顔から目を逸らすと、「無頼兄ちゃん、はい、これ。」と言って、呆けもんのカードパックを差し出す。
「ありがとう」と孔雀はそれを受け取り、そのまま机の上に置いた。
「……風花は全然変わってないな。元気にしてたか?」と振り返った悟が言う。
「……うん。悟も元気そうだね。……あのさ?絵美理に会ったって聞いたけど?」と言って、風花はバッグに手をかけた。
「ああ。会ったよ。なんか急にみんなが新宿に集まってきた感じだな。」
「あの……悟?…絵美理と連絡先は交換した?」
「いや。しなかった。」「……そう。」と言って、風花は一度バッグの蓋から手を離した。
孔雀が新しいコーヒーを淹れてきて、テーブルにコトン、と置く。
「……これ、憶えてる?」
と、風花が再びバッグを指で触り、中から光沢のある布に包まれた栞を取り出した。
「あ、それ……風花もまだ持ってたのか」と言って、悟も財布から自分の栞を取り出す。
……それには折り目がついていて、色褪せてしまってはいたが、ラミネートされた四つ葉のクローバーは……黒くなっていなかった。
風花は、栞を持った彼の左手をチラッと見、「……悟はまだなんだね」と言った。
「まだってなにが??」と返した悟はドキッとして自分の左手を引っ込める。
「……ああ、悟はまだ結婚してないのか。」と孔雀が呟いた。
「そ、そう言う無頼兄ちゃんだってしてないだろ?」と悟が、指輪のない左手を隠しながら言う。
「………」
悟は、美しいマダムになった風花に見つめられ、背中からオシリスにかけて冷や汗をかいていた。心臓がバクバクと脈打つ。
………まずい。
……まずいぞ……
俺がまだこの歳になって……実は、まだしたことがないということが…、隠し切れない俺の動転オーラから察せられてしまったのかも知れない……。
軽く化粧をした風花のキラキラとした瞼が、パチパチと瞬きをし、
薄茶色の瞳がじーーーっと悟の目を見つめる。
「……悟?」
「な、なんだよ?」
「なにか隠してないよね?」
「え?は、はい?な、なんのこと言ってるんですか?」思わず敬語になった悟が上ずった声で言う。
「……もう一度見せてくれない?」
「……え?な、なんでだよ?」悟は栞を握ったまま左手をポケットに突っ込んだ。
「………」
孔雀は、そんな2人のやりとりを見つめて軽くかぶりを振ると、
……この2人、昔なんかあったのかな…恋愛的な意味で……と思い、飲み終わったコーヒーのカップを掴み、給湯室の方へ片付けにいった。
孔雀が席を外したことを確認すると、風花はすかさず、「悟?本当のことを教えて。……あなた一度でも死んだことあるの?」と、前のめりになって聞いてきた。
「な、なんだよ?!急に。そ、それを知ってどうするんだ??あー、勿論シタことはあるさ!!と、と、とーぜんだろ??」
「……そ、そうなの」と言って、風花は腰掛けていたソファに深く座り直した。
「あ、当たり前だろ?今の俺を何歳だと思っているんだ?」
「私と同い年でしょ………。それで、悟?何回死んだの?」
「え……それを聞いてどうするの……」
「いいから教えて。」
「や、やだよ。なんで回数まで教えなきゃならないんだ……(0回です…)」
「じゃあ見せて。」と言って風花は、こちら側に体を乗り出してきた。
「み、見せる??!み、見たら分かるのか?」
「……ええ、分かるわ。黒くなってるから。」
「黒い……って。そ、それ、自分でやっただけでも、そのうち黒くならないか??大人だし……。それとも同じ黒でも、なんか俺には分からない違いでもあるのか?!」
「え。もしかして悟は変化に気付いてないの?じゃあ私のをよく見せてあげる。黒くなってるから。」
「…え………」
悟は、記憶の中にある、風花の綺麗なピンク色を思い出し、「……そ、そうだよな。もうお前も真っ黒だよな……」と呟いた。
……だ、第一、俺、大人のは見たことないし……。唯一の体験はじいっと見ただけだし……。トホホ……。
「み、見せてくれるのか……?そ、その…今ここで……。いや、ちょっと待て。俺のは、もう大きくなってしまったけど……。こ、この状態で、み、見せていいのか、本当に?」
「何を言ってるの?いいからポケットのそれ、早く出して?近くでもっとよく見たいから。」と言って風花は白く綺麗な手のひらを差し出してくる。
「……ど、どうなっても、知らないからな。」悟が手を下に持っていこうとするのを見て、風花がゴクリと唾を呑み込む。
「……いや、ちょっと待て。」と悟の動きが止まる。「……お、お前は、その……つまり、俺のを一目見れば、俺がシタことがあるかどうかが分かってしまうんだな?」「ええ、そうよ。」「……じゃ、ダメだ。」「何故よ??」
「……いや、その、勿論俺はシタよ?そりゃあもう沢山……お前なんかが想像出来ないくらい…。でもさ、見られるのはちょっと……。ほら、万一、お前が見誤って、俺がまだシタことないって判断しちゃうとさ?……それはそれで心外と言うか、何と言うか……言っとくけど俺、シタことあるからな?疑ってんのかも知んないけど……。それにさ。お前が見せてくれるってのは、勿論ありがたいんだけどさ……俺、思い出は綺麗なままに取っておきたい、と言うか……その……く、黒いのは見なくていいかな……なんて。思ったりして…。」
…………。
………私は何を聞かされているのだろう……
と、凄腕スパイ、メジ子はイヤリングを外して、そっとテーブルに置いた。
「おい、お前らさっきから何をコソコソ話しているんだ?」
と、孔雀がお茶菓子に最中を持って戻ってくる。
悟はホッとすると同時に、どこか残念な気持ちで椅子に真っ直ぐ座り直した。
そのせいで、ポケットの中に入れていた固い栞が太ももに刺さり、
居心地が悪そうに、悟はそれをテーブルの上に出した。
風花が、もう一度悟の四つ葉のクローバーを観察する。
……黒くなっていない……。
じゃあ今の会話は何だったの??
悟は転生していない。まだ一度も死んでいない……。それなのに死んだことがあると、今言っていたじゃない?
……これは、どういうことかしら……?
……いえ、待って。そもそもあの日、『セーブをしよう』と言ってきたのは悟じゃない……。
まさか、悟は最初からあの場所でセーブが出来ることを知っていたとか??さ、悟はいったい何者なの?
風花が悶々の考え込んでいる間、悟は
……教会でお祈りしたあの日……
……風花は……何故か履いていなかった……。
そして今日の会話の内容を鑑みるに……
………風花って、路出犭王なのかな……。
と、真面目な顔をして考えていた。
……ドロップインハウスにいた頃は気付かなかったけどさ………あのお人形さんみたいに可愛かった風花が……そんな癖を持っていただなんて…………何と言うか………、それ、
……今更ながら興奮するんですけど……。ウッ……ヤバ…
その瞬間、悟の心は少年時代にタイムスリップし、教会の床に寝そべりながら、天井に描かれた天使たちの聖像画を見上げている自分に気付いた。
…………。
………
………ここは?
ああ、あの日か。
これは夢かな?
………。
……悟は、かつての自分がそうしたように、祈る天使のことを下から覗き込み、
その仄暗いカーテンの奥で、ステンドグラスから差し込む光に浮かび上がる……
……少女のものとは思えない黒く絡まった糸と、縁が黒ずんだ、成熟した襞がderon♡と開いているのを見た……。
こ、これは……いったい……なんなんだ……?!
……悟は……1周目の人生のセーブポイントで、幼い風花のアクビを目撃したことにより、
その虎馬から、自分が重度のロリ昆虫になってしまったことを知っていた。
だが、今、悟は、大人のアクビの幻覚を見たこの瞬間に、ロリ昆虫の自分が四散して、空中に吸い込まれるようにして消えていくのが分かった。
「おい、悟?」「は、?!」と悟は裏返った声を出し、咄嗟に変に突っ張った背中を庇おうとして、孔雀がもう一杯注いできたコーヒーを、肘で思い切りぶつけてしまった。
「アチッ!」と孔雀が声を上げ、
テーブルの上に濃い茶色の液体がぶち撒けられる。
……風花は、悟のラミネートされた栞に熱いコーヒーがかかり、反りかえって中の四つ葉のクローバーが染まっていくのを見ていた。
半透明のフィルムが捲り上がり、栞は分離すると、………古くなったクローバーを粉々に崩しながら丸まっていく。
「あ……」と孔雀と悟が栞に手を伸ばし、指が触れたところで、
黒くなったクローバーはポロポロと細かい破片になってコーヒーの池に四散していった。
「…………」「…………」「…………」
3人の間に無言の時間が流れる。
「……まあ、もう、いいよ……」と悟が静かに言った。
「こうして、またみんなに会えたわけだし……。この御守り (?)は、きっと役目を果たし終えたんだろう……。」
……悟は、左手の薬指に嵌めた自分の指輪を見て、一瞬眩暈のようなものを感じたが、
風花の方に向き直って笑顔を向けた。
風花もどこか貧血にでもなったように、体を斜めに崩し、軽く頭を押さえたが、
やがてテーブルを拭く孔雀のことを手伝い始める。
「うちは子供がいないからね……」と、倒れたコーヒーカップを掴んだ悟が話し始めた。「…うちは貧乏だけどさ、妻となんとかやっていけてるよ。それに比べて絵美理や君は、裕福そうだよね。羨ましい限りだよ。」
風花は、かつての腕白少年が、落ち着いた大人の男性になっていることを眩しそうに見て、
「……いいえ、私の方こそ羨ましいわ。……だって悟は、人生をやり直したそうに見えないもの。」と言った。
アハハ……と、悟は静かに笑い、「まあ、そうだね。僕には愛する妻がいるし、今の人生には満足しているよ。」と言う。
「あの悪戯好きで、意地悪な悟が、こんな素敵な男性になっているなんて驚きだわ。」と風花がふざけたように言った。
「本当だな。」と無頼孔雀も頷く。
「やめてくださいよ。」と悟が照れて笑う。
風花は、ボロボロになった悟の栞を見つめ、
……これで悟は……歴史改変には関わってこないことが分かったから……後は絵美理ね。
と静かに考え始めていた。
その時、診療所の入り口で、「すみませ~ん!」という声が聞こえ、
思わず悟と風花は顔を見合せる。
まさか?あの声は?
……絵美理??
と示し合わせたようにお互いの顔を指差し合い、2人は跳ねるようにソファから立ち上がった。
『Alternate history』




