ヰ110 実りある会話
今日は、無頼孔雀の昔の知り合いが来るということで、
午後の診療はお休みになった。
急な休みを貰ったメジ子は、「じゃ、先生、何かあったら連絡をください。私は帰りますので。」と言って鏡の前でイヤリングを付けていた。
「なんだい久々の休みだし、どこかへ遊びにいけばいいんじゃないか?」と無頼孔雀が言う。
「あ、いいえ。どこかに出掛けても、どうせお金を遣うだけですから……。帰ってお風呂にでもゆっくり浸かります。」「悪いね。」「いえ、お休みをいただけて嬉しいです。……では。先生も、昔のお知り合いとの久々の再会を楽しんでください。お疲れ様でした~」
そう言うとメジ子は鼻歌を唄いながらクリニックを出ていった。
30分後、診療所の扉が開き、美しいマダムが入ってくる。
「……あの、外には休診と書いてあったんですけど……、予約していた向井です……」
孔雀が髪の毛を気にしながら、奥の部屋から現れる。
「……お久し振り。元気にしてたか?」
「……孔雀お兄ちゃん……」と風花は、子供の頃に戻ったような声で言い、思わず涙ぐんで「元気です……」とだけ返した。
「そうか。」と孔雀が言う。「名字が変わったということは、結婚をしたのかな?」
「はい子供もいます」グスンと、鼻を鳴らして風花は答えた。
「男の子?女の子?」
「男の子です。」
「なるほど。……じゃあ今日の用事は、息子さんのHK手術の相談かな?風花くんの頼みとあらば、予定は全てキャンセルして優先するよ。安心したまえ。傷痕を全く残さずに、手術したこと自体がバレないように出来るから。」
「……あ、い、いいえ。うちの子はまだ小6ですから……。まだその心配をするのは早いかと……」
「そうかい?じゃあ、あれかな?∋=∋ウ症治療かな?うちはそっちの方も専門でやってるからね。風花は3年生までお内緒が治らなかったからね。4年生でも時々してただろ?息子さんにも遺伝しているのかな?今はいい薬もあるから、治るのは早いと思うよ。修学旅行はオムレツで乗り切ったの?それとも行かなかった?まあ、卒業旅行までには完治させよう。」
「い、いえ、うちの子はオムレツ離れは早かったです。……2周目でしたし(小声)」
風花はいきなり過去を暴露されて、首まで赤くなりながら俯いた。
「では、今日ここに来た理由は?……もしや君自身のことかい?……年齢からくる軽いもノれーるとか……。この1週間、大人用オムレツが品薄で大変なことになっているからね。
……そうか。うちに来れば手に入ると思ったか。ごめん、風花くん。実はうちでも今不足しているんだ……。3日分くらいなら処方してあげられるけど、それ以上は無理だ。悪いね…折角来てくれたのに……」
と言うと、今度は孔雀が項垂れた。
「……あの、違うんです。今日は私、お聞きしたいことがあってここへ来たんです。……お仕事の邪魔をして申し訳ございませんでした。」
「ん?聞きたいこと?なんだい?」と、孔雀が顔を上げる。まだ若々しい印象の風花を見たせいで、彼もいくらか若返ったような爽やかな笑顔を向けてきた。
薬品のにおいの中に混ざる、コーヒーの香りに気付きながら、風花は「絵美理や悟を憶えてますか?あの人達と連絡を取りたいんです……」と言った。
孔雀はしばらく返事を躊躇するような素振りを見せたが、すぐにそれが気のせいであったと風花は思った。「いや、実はね…今そこで悟と会ったんだよ。で、悟は悟で先日、絵美理くんと会ったそうだ。」
そう言う孔雀の顔は寂しそうに見え、……昔の子供達に会えた喜びよりも、……過去の面影に触れた辛さが、表情に出てしまっているようにも見えた。
「……みんな元気そうで何よりだよ。絵美理は有名人だから、彼女の近況は何となく把握はしていたけどね……。いや、ホント懐かしいな。風花はちっとも変わっていないね。……悟と俺は老けたけどな……」
「いえ、孔雀お兄ちゃんだって変わってませんよ」と風花は、彼の薄くなってきた白髪混じりの頭をチラッと見ながら言った。
数秒間の沈黙の後、無頼孔雀は立ち上がり、「何か飲む?」と言って、受付側にある事務室の方へ歩いていった。
「お構い無く……」と風花は言いかけたが、「……はい。いただきます。」と言い直した。
孔雀が「コーヒーでいい?」と聞く。風花は「はい。」と言い、次に深呼吸をすると、
「……孔雀お兄ちゃん、まだあれを、持ってますか?憶えているか分からないけど……ほら、みんなでピクニックした日に集めた四つ葉のクローバー。……あの後ラミネートして栞にしたでしょ?あれまだ持ってますか?」と言った。
「ああ。まだ持ってるよ。」と言いながら、インスタントコーヒーをカップに淹れた孔雀が戻ってくる。
風花は鞄から自分の栞を取り出して見せながら「よかったら、……孔雀お兄ちゃんのも見せてくれませんか?」と言った。
「ああ。いいよ。そうか。風花も大事に取っていたんだな。……みんなもまだ持っているかな。」
そう言いながら孔雀は背後にある本棚から、表紙がボロボロになった古い文庫本を取り出し、ページの間から透明な栞を引き抜いた。
風花は息を止めて、孔雀の栞を見つめる。
……クローバーは茶色く変色していたが、黒い葉は一つもなかった。
……孔雀お兄ちゃんはセーブしたわけではないしね……。当然よね……。
風花は申し訳ないような気持ちで一杯になりながら「……楓姉ちゃんも、それ持ってたよね……」と呟いた。
孔雀の動きがピタリと止まり、部屋の空気が一気に冷たくなる。
「……ああ。最後に見た時は、これは楓の携帯にくっついていたな……」
「き、綺麗なままだったかな?……その、黒くなってなかった?」と風花が言う。
「なんだい?その質問は。……まあ、よく憶えてはいないけど、綺麗だったよ……すごく…綺麗だった……。」
「孔雀お兄ちゃん……」
風花はもう一度深呼吸をした後、いったん息を止め、覚悟を決めてから口を開いた。
「あのね……孔雀お兄ちゃん、私ね、楓姉ちゃんとのこと。凄く残念だったと思っている……。」
「何がだ?」と孔雀が低い声で言い返す。
怯えた顔をした風花を見て、慌てて孔雀は微笑んだが、どう見ても無理して笑っているようにしか見えなかった。
それでも風花は言葉を続けた。「……孔雀お兄ちゃん?……もしも、もしもだよ?……人生をやり直せるとしたら……、次の人生は楓姉ちゃんを…」「やめないか。」と孔雀がピシャリと言葉を遮った。
「孔雀お兄ちゃ……」「風花?俺はね?例え人生を最初からやり直せたとしても……………、
……いや、その前に君には教えてあげよう。実はね。先日、バレンタインの日に、
……幕張メッセでブイチューバーの音無伊火鬼と4分間話せるイベントに行ってきたんだ。」
「What??」
「そこでね、俺は伊火鬼ちゃんの中の人…乃望竹千代くんと話をしてきたんだ。」
「え、乃望って??」
「……そう。彼女は離婚した藤宮楓の……今はもうこの世にいない乃望楓の…、ただ一人の娘さんだ。」
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パーティションで区切られた会場に設置された一室で、
ようやく順番の回ってきた無頼孔雀は、
質素な机の前に置かれたパイプ椅子に腰掛けると、
角に立てかけられた音無伊火鬼の等身大パネルを見つめ……軽く溜め息をついて、目の前のPCに向き直った。
4分間………。1万円……。
怒涛のファンミーティングが始まるぞ………。
黒い画面に光が宿り、そこに銀髪きしめん少女のアバターが現れる。
流石に今回は有料イベントのためか、1秒も無駄にせずいきなり伊火鬼が喋り出した。
『波浪~~、伊っ火鬼だよ~。ハイ、1万円でぇ、夜更かし、目隠し、ヨンプンカン!あなたのコカンにチンプンカン!
今から直接、ダイレクトにネグレクトするからねー!
無音AMチャンネル出張版!さあッて始まったよお~!
どしどし質問してってねぇ~、それとも、伊火鬼ちゃんに何か言ってほしいNGワードがあるのかなあ?
お望みでしたら裁判官、検察官、弁護士三者の、法曹禁止ワードも言ってあげるけど、捕まっても知らないからね~。』
孔雀は、……まずいぞ。このペースだと向こうが喋るだけでおしまいになってしまう……
と、慌ててキーボードで文字を打ち込んでいった。
『ファンとして質問します。あなたのお母さんのことを教えてください。』
『ママのこと?』と伊火鬼が言う。『伊火鬼のママは死んじゃったわー、お星様になっちゃったの。』
『お星様は幸せでしたか?』
『え~??母星について聞きたいのぉ?変な人~。そりゃねー、後悔はあったとは思うわあ。ほら、まだ死んじゃうには早かったし~。でもママはね~、もっと別な人生が良かったわ☆とか言うタイプではなかったわあ。だって自分の選んだ道ですもの。ママは星イッパイ生きて、流れ星になったのよー☆彡。パパとはうまくいかなくなって別れちゃったけど、伊火鬼にとっては優しいパパとママだったなー。
そういう《まっさらタウンの三頭身さん》は、人生やり直したい派?いわゆるリセットボタン派?はたまた呪文でフッカツ派?ネットゲームで婚活派?あなたの職業は独身貴族Lv50ですかあ?……最近のドロクエ、レベルアップ時に全回復すんのよねー、あれ、冒険のヒリヒリ感がなくなって改悪だわー。』
……いや、このハンドルネームなら、呆けもんの話をしてくれよ……
と、孔雀は思ったが、
『ありがとう伊火鬼ちゃん。君の言う通りだ。正直、僕は過去を悔いているが、これは独り身の愚痴でしかない。きっと君のお星様は、最後まで笑顔でいたんだろうね。まるで太陽みたいな人だったんだよね?きっと。』と書き込んだ。
『……なんかキモいんですけどー。なにそのダサいポMは?…ではドSの伊火鬼ちゃんから最後にプレゼント♡……ブイに貢ぐ非モテの男子諸君!クソみたいに逞しいクーソーで、イラスト女児にイライラしながら事故ってね!!じゃあこれで4分間しゅーりょ~~。ラーメンも伸ビッチゃったからバイバイ林~示!』
ブチン、と回線が切れ、
孔雀は展望台から見ていた有料の双眼鏡が切れたような気持ちで、
ボンヤリと黒い画面を見つめていた。
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「……風花?人生をやり直せるとしたらどうする、って聞いたよね?
……俺はね、……図々しくも、もし楓と一緒になる世界を想像したとしても……そのことで、竹千代くんが消える未来は作れない。彼女は生まれ、そして生きている。
何の権利があって、俺や、………もしかしたら、…可能性は低いが……万一後悔を残して亡くなったかもしれない楓が、竹千代くんの生を否定できると言うんだ?
それは傲慢だし、命に対する侮辱だ。俺はね?豊子さんも楓も、生きていて欲しかった…。でもそれと、俺の個人的な幸せとは別な話だ。
……風花も俺がハウスを見捨てたと思っているのかな?
まあ否定はしないよ。どうしても俺は失敗したような気持ちを拭い去ることはできないが、……かと言って、結果続いているこの世界をリセットしようとは思わないよ。それがわかった4分間だった。1万円の価値はあったよ……」
風花は、孔雀の言うことを黙って聞いていた。
まあ、それはそれとして………。私は蓮のためにベストを尽くさなきゃ。楓姉ちゃんだって、この世に生まれてきた娘さんの幸せを願うでしょうよ。そう!生まれてきた子は守らないといけないのよ!
風花は、すっかり冷たくなったコーヒーに口を付け、カップに付いた口紅をティッシュで拭った。
「多分、もう少ししたら悟もここに来るよ。せっかくだから会っていきなよ。」と孔雀が言う。
「……はい、そうさせてもらいます……」と、風花は言い、静かに膝の上に手を置いて目を閉じた。
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……なるほどそういうことだったのね……
とある喫茶店の奥まったテーブル席に座るメジ子は、銀色のイヤリングに指をあてがい、
そこから聞こえる診療室での会話を盗聴していた。
……とうとう乃望竹千代のシッポを掴んだわ。ブイチューバーを隠れ蓑にしていたのね……。
さあて……どうするか……。逃げられないよう秘密裏に包囲してから捕らえるのが良さそうだけど…。ただ、先生のこともあるし、本社に報告するのはまだやめておきましょう。
そのままメジ子はノートPCを開くと、イヤリングから聞こえる会話に耳をすませながら、音無伊火鬼についての検索を開始した。
『meaningful conversation』




