ヰ11 神なき世界
昼休み終了10分前に、廊下を幽霊のような白い影が横切り、呪いの黒髪を後方にはためかせながら、
痩せこけた少女、三浦詩が駆け寄ってきた。
「……どう?何か収穫はあった?」と、息を切らせながら詩が、クラスメイトの近藤夢子の肩を叩く。
夢子は「あの微笑年は勧誘しといたわよ。」と言ってニヤリと笑った。
「で?何か手がかりはあった?」と詩が言う。
「あいつ、ようやく科特部に入れるって言って大喜びだったわよ?男子徒イレの調査も快く請け負ってくれたわ。」
「あ、そう。……まあ、すぐにアヤツは少年院送りだから、せいぜい今は喜ばせておくといいわ。」と詩が勝ち誇ったように返す。
「その様子じゃ、アンタ、何か手がかりを掴んだようね……なんなの?勿体ぶらずに教えなさいよ?」と夢子が言う。
「ふ、ふ、ふ………。これを見てみなさい……。」そう言いながら三浦詩は、ポケットから密閉式ポリ袋を取り出した。
「2階の和風部屋で見つけたのよ。」
「なにを?」
「これを、よ。」と言って詩は、手に持った透明袋を夢子の目の前に掲げた。
……袋の中には、……5cmほどの……細く縮れた毛が1本入っていた。
「…………。」
「……な、なんで、アンタ…そんなもん拾ってきたのよ……。」と夢子が顔を背けながら言う。
「わからない?」と詩が得意気に答える。「私がこれを見つけたのは、3階の御手洗いどころか、2階の御手洗いなのよ?使用するのは主に3年生か4年生。
だから、これは1cmだって落ちていてはいけない毛の種類なの。……だとしたら、これは……巻き毛の頭髪が抜け落ちたものだと思わない?
……このクルクル具合を見てごらんなさいよ??……これは、あの転校生の髪に違いないわ!……あの変態、女子徒イレに侵入した挙げ句、ウコンドロップまでして、それをクラスの女子に送信するなんて……!!今すぐ警察に通報よ!証拠は揃ったわ!!」
そこまで一息に喋ると、詩はぜえぜえと肩を揺らして、「ちょっと座らせて……」と言った。
「まあ、興味深い考察だとは思うわよ?」と近藤夢子が呆れ顔で、しゃがんだ詩を見下ろした。
「でもね、私が考えているのは、アンタの推理とはちょっと違うの。」
「……どういうことよ?」
「まあ、そんなに怖い顔をしなさんなって。 ……まず、始めにね。私達がちらっとだけ見たあの画像…、そもそも本物だったと思う?」
「………?」
「あの画像に映っていたものね、よくよく思い返してみると……液体の黄色が濃過ぎたように思うの。」
「と、言うと?」床にしゃがんだ姿勢の詩が、興味を惹かれたように、夢子の胸越しの顔を見上げる。
「あれは、きっとエナジードリンクの色ね。ウコンエキスhyper。そしてあの中央に鎮座していたウコンは、いわゆる秋ウコン……ターメリックじゃなかったかしら。」
「つまり?」
「……アンタ、料理とかしなさそうだもんね。」と夢子が溜め息を吐きながら言う。「ターメリック、……つまりウコン味のカレーよ。……あれは偽物。カレー味のウコンではないわ。リアルではなく、いたずら画像。」
「……だとしたら何なの?エロドロップが犯罪であることに変わりはないでしょ?」と詩が、夢子を睨みながら言う。
「あとね、アンタが拾ってきたその毛、4年生なら早い子は生えてると思うわよ。それをもって転校生が女子徒イレに侵入していた証拠とするには……根拠が弱くない?だいたいDNA検査しないと証拠にはならないでしょ……?」と夢子が言う。
「近藤夢子……、あなた、エロ話になると急に冴え出すわね……。」
「でもね。」と夢子が続ける。「実は私もあの転校生が犯人じゃないかと睨んでるの。」
「ホント?聞かせて!」と言って詩が立ち上がる。
夢子が胸の前で腕を組んで「…市販のウコンエキスhyperはね、子供でも買えるんだけど、あれは二日酔い用のドリンクなのよ。普通の子供はあれを買わないわ。」「……無駄に詳しいわね……。犯人はあなたじゃないの?」
夢子は詩を無視して「だから、ウコンエキスの利用を思い付くなんて、一度転生したことのあるキダルトくらいだと思うのよ。」
「キダルトって、それ……メディアが無理矢理流行らせようとしている、新語『キッズアダルト』の略よね……。使い方あってる?大丈夫?」
「アハハ、あの転校生のこと、これからキダルト君って呼びましょうか?」と夢子が嬉しそうに手を叩く。
……そこで予鈴が鳴った。
「ま、じゃあ、あの変態転校生は、しばらく男子徒イレで泳がせておきましょう。」と詩が言うと、夢子が「ギャハハハ……微笑年が徒イレで泳ぐ……」と言って涙を流しながら笑った。
「……アハ、アハ、アハ……。三浦詩?放課後、理科室に集合よ。私のなぞなぞ倶楽部の部室を使わせてあげるから、
キダルト君も招いて3人で作戦会議よ。女子2人であの美少年を締め上げましょう!……さあ、面白くなってきたわ……。」
「わかったわ。それまで解散!」と詩は言うと、しわになったワンピースを引っ張り、怨念めいた長い黒髪を、ばさっと掻き上げると、颯爽と教室に戻っていくのだった。
***************
放課後の廊下を、緑色のランドセルを背負った設楽居睦美が歩いてゆく。
無事1日が終わった。……チャックもちゃんと閉まっている……。
あの変な転校生は、ウタと近藤さんに捕えられてどこかへ行ってしまったけど、
……私、あの転校生のこと、ホント知らないんだよね。ウタは知り合いだったのかしらね?
何で私の名前を知ってたんだろ。この学校、個人情報の管理、大丈夫??
毎日スマホを預けてるけど、平気なのかしら。
睦美は、辺りの様子を伺うと、
周りに誰もいないことを確認してから、女子徒イレに入っていった。
さてと。さっさと回収して帰りましょう。
………。
………。
……。
……今日一日、履いてなかったせいか……お腹が冷えたわね……。ま、いっか……。
睦美は、ジャパニメーションの個室に入ると、施錠をし、早速、水洗タンクを開くと、隠していた物の無事を、目視で確認した。
ホッと安心した途端、
お腹の中でモーター音がグルグルグル……と音を立て…、睦美は変な風に身を捩って、思わず壁に手をついた。
ま、まずい!急に来たわ!!
アンドロイド少女、設楽居睦美は慌てて身体の外装パーツを外していった。
くっ……今日はズボンだから、上履きが引っ掛かかって、思うように解除できないわ!
まずい!まずい!ヤバい!ヤバ過ぎる!
睦美は、上履きを床に散らかして、靴下を半分捲れさせながら……、デニムのジーンズを蹴り飛ばすようにして、脱ぎ捨てた。
一瞬床に付いてしまった靴下の上から素早く上履きを履き直し、上半身に着ていた、パステルカラーのラインが入ったVネックカーディガンと、パーカー付きの白シャツを、
……踠きながら脱いでいく。
☆ヤ、ヤヴァ…い……☆
辛うじて全パーツを解除した瞬間に、まだ半分しゃがみかけた状態で……
睦美は目に涙を溜めながら、心の中で……、
可愛いミニチュアだっクスふんドが、つるんとした茶色い尻尾を、悲しげに地面に下げる姿を思い描いていた……。ク~ン……。
……ま、間に合った……。(そして間に合っくでスミマセン……。)
…………はあはあ。
じ、人生でこれほどの危険を感じたことはなかったわ……。
身体の汗がひいていくに従って、設楽居睦美は全身の素肌にあたる、心地好い空気の冷たさを感じていた。
さてと、っと。
………。
…………ふむ。
…………ほう。
………なんと。
………そうきたか。
紙が………。ない。
か、か、か、紙が無いですってえええええ??!
ど、ど、どーーすんのよ??
睦美は、一瞬目に入ってしまった足元の茶色い固まりから目を逸らし、上履きの裏でレバーを数回踏み込み、水を流した。
紙………紙………紙………。
睦美は壁に掛けたランドセルを開け、ティッシュを探した。
ないわ……。
あるのはノートと教科書のみ。
これで拭いても、流せないわよね……?
一か八か流して詰まったら、それこそ大事よ。当然拭いた紙を持ち帰るなんて、私絶対に嫌よ!
睦美は、靴下と上履きを装着しただけの人工皮膚を晒け出したまま、心持ち脚部を開いて、落ち着かなさげに個室内に立っていた。
……だ、誰よ……紙を全部使ったのは……。今朝までは沢山あったはずよ………。
こ、このまま服を着て帰るか………。だ、だって、家まで我慢すればいいだけよね……。多分……デニムズボンの内側が汚れるだけ………。い、嫌よ……。私そこまで落ちぶれたくない………。
設楽居睦美は必死に考えていた。
……そ、そうだ。さっきビニール袋を拝借した掃除用具エリアになら、替えの紙があるはず……。いったんズボンを履いて外へ……。いや、ダメダメ!履いてしまったら終わりよ……。一瞬足りとも触れさせたくはないわ……。
いったん睦美は上体パーツだけを羽織り、白シャツや、淡い色のカーディガンに万一汚れが付かないように、背中の方で捲り上げるようにして内側に巻き込んでみた。
……どうする……??
……そ、そうよ?!隣の個室には、紙があるはず……。
素早く扉を開けて移動?……いえ、さすがにこの格好だとそれは危険すぎるわ。
じゃあどうする?
……そ、そうだ。水洗タンクに登って、壁を乗り越えて隣の個室に移るってのはどうかしら……。
今なら御手洗い内には人が誰もいない。迷っている暇はないわ……。早くしないと乾いてしまう!素早く移れば問題はないはず……。
睦美はランドセルにズボンをしまい、急いでそれを背負うと、後は迷いなくタンクに足を掛け、
大股を開いてそれに乗り、髪を振り乱しながら……個室のパーティションをうつ伏せになって跨ぎ、薄だいだい色の下腹部の間に、壁を挟み込んで乗り越えていった。
……スタッ。
せ、成功よ。
忘れずに施錠した睦美は、飢えた山羊のようにロール紙に掴みかかり、
………カラカラカラカラカラ……とそれを引き出して、必死に問題の背面底部箇所をゴシゴシと拭き取っていった。
ジャアアアアアアア……………
た、助かった……。
睦美は逆巻く水流を眺めながら、ランドセルから出したデニムズボンを改めて履き直した。
さて。
睦美は移り入った個室のロックを解除し、外に出る。
………あ。
……和風部屋のタンクから、ビニール袋を回収するのを忘れてたわ……。
私ってドジね。てへぺろ☆
睦美は、ウィンクしながら自分の頭をコツンと叩く。
……あらやだ。私まだ手も洗ってないじゃない。
でもね、まずこっちの回収が先決よね。と睦美は隣の個室の扉を開けようとする。
あら……。内側から鍵がかかったままだったわ。当然か。
……また乗り越えなきゃ。
と、その時だった。
「設楽居さん?まだ残ってたの?」
と背中から声がかかり、
ギョッとして振り返ると、6年2組の担任、廣川満里奈が、モデルウォークのキメ立ちのような姿勢で立っている姿が目に入った。
……鼻毛は………すでに抜かれている…か、切られている……。
「早く帰りなさい。」と、鼻毛など何もなかったかのように先生は華やかに微笑んだ。
……さすが大人ね。
「え、でも、私、その……御手洗いに行きたくて……」
「じゃあ行きなさいよ。そこ、空いてるわよ?」
「あの、私、こっちに入りたくて……」
「あら?ここにも誰か入ってるのね?気配がないから気付かなかった。」
「………。」
「………。」
「なんで待つのよ?他の個室、使いなさいよ。」
「………。」
「ほら、入ってるあなた?あなたも、もう下校時刻よ?早く出なさい?」トントントン………
「返事がないわね………。あなた?大丈夫?……生きてる?」
廣川先生の顔が若干青ざめ始める。
「なんかおかしいわね……。大丈夫??返事して!」ドンドンドンドン………
設楽居睦美も顔を青ざめさせ、「先生?もう、放っておきません?」と言い、
廣川先生が「何言ってるのよ?!中で倒れてたらどうするのよ!」と言って、
………これだから現代っ子はドライで嫌なのよ!
と、絶望した表情で必死に扉を叩くのだった。
『A world without paper』