ヰ109 お金!お金!お金!
「……ったく………。アナタ達ときたら…。」
豊子キッズビルの階段を登りながら、ネルネが静かに呟いた。
背中側から難波鶴子に支えられ、ネルネは大汗をかきながら、松葉杖を突いて階段を登っていく。
「ネルネ様……私めが御背負い致しますので……どうか御無理為さらずに……御遠慮無く私を御頼り下さいませ。」「結構よ!私、怒ってんだからね??」と、ネルネがピシャリと言い放つ。
その更に後方からは、黒革ジャンの男子ジャガーが、同じく大汗をかきながら大きなピンク色のトランクをヨイショ、ヨイショ、と運んでいた。
「…ったく…。私がちょぉっと留守してる間にこのていたらく………」
「……誠に申し訳御座いません……」
「モバイルバッテリー火災で、ボヤ騒ぎ?……なによそれ?うちのセキュリティがね、どんなに外に対して万全でも、中にいる人間がこれじゃあ意味がないわ!」
「……返す言葉も御座いません……」
「スプリンクラーが作動して、ワンフロアー全部が水浸しって……。更にエレベーターが故障して、移動は全て階段?!私を殺す気??」
ゼエゼエ………とネルネは途中の手摺に掴まって息を吐き、
鶴子が、サッと差し出したスポーツドリンクの水筒から、チュゥゥゥゥ………と中身をストローで吸い上げた。
「ちょっともう疲れたわ……。取り敢えずこの踊り場に緊急対策本部を設置するわ……準備して。」
ジャガーが黙ってトランクを開き、中から簡易テントを取り出すと、それを組み立て始める。
鶴子もノートPCを開き、階段の途中にあるコンセントにケーブルを接続し始めた。
「ネルネ様。ここに災害用音入れと、シャワーも御座いますので、……御使用される際は御声掛け下さいませ。手トリス足トリス御教えさせて頂きます。今からこの場所で、少なくとも1ヶ月は問題無く滞在出来るように致しました。」
「わかったわ。」とネルネは答え、
「さてと……」と、ジャガーが用意した折り畳み椅子に、パニエスカートを押し潰しながら苦労して座った。
「……おジャガ?私はこの一報を聞いて、早速次の手を打っておいたのよ?……どっかの誰かさんが鈍器でバケツと吸水シートを買い占めてる間にね……私はクラウドファンディングを立ち上げておいたんだからね?」
「なんだよ、偉そうに?吸水シートだって役に立っただろ?水を抜くの、すんげー大変だったんだぞ?!」
「……新宿中の紙オムレツ全部買い占める以外に何か方法は思いつかなかったの……?
いったいいくらかかったのよ……分かってる??今うちの経営は苦しいのよ?思ったよりも塾生が集まらないし。……やっぱりうちにはカリスマ講師が必要なのよ……結局、呆痴決起でメサイアは捕まらなかったし、オラクルの予言もあてにならなかったわね!まあ、今回の件で、待っているばかりでは駄目だと痛感したから、……今度はね、別の作戦も計画中よ!期待しておいて!
……しばらくは町中にオムレツ難民が溢れるみたいね。これを機に布オムレツが見直される、という有識者の見解もあるわ。おつう?布オムレツを出来る限り多く降魔サイトに出品しておいて!」「はっ!!」
「……まあ、とにかく、今私達が必要なのはお金よ!お金!先立つものが無ければ何も出来ないわ!」
「……ネルネ、言っちゃ悪いが、お前、商売に向いてないんじゃないか?」とジャガーが言う。
「バカ言わないの!いったい誰のせいだと思ってるのよ?ビルの工事費で貯金が全て飛んでくのよ??塾の方は基本、伊火鬼ちゃんの映像授業を垂れ流すだけだから、経費はそんなにかかってないわよ?全部、油虫撫の規約違反で消された動画を使い回してるだけだし!私の商才を舐めないでよね?!」
「…別にスプリンクラーが作動したのは俺のせいではないだろ……陽キャモバ充のせいだ……俺とは関係ない話だ……」
「ネルネ様?このメソメソした男を木又しても宜しいでしょうか?」
「ダメよ!まあ、痛め付けるくらいにしておきなさい。」「はっ!」と鶴子が短く返事をし、
ジャガーを階下へ蹴り落とした。
ジャガーは咄嗟にトランクに入っていた緊急用ライフジャケットをひっつかみ、
紐を勢い良く引き抜くと、プシューッと膨張するジャケットを頭に敷いて、階段を滑り落ちていった。
「あら、早速クラファンが目標に到達したわよ。」とネルネがPCの画面を見ながら言う。
「ん?……この人新宿ドロップインハウスのOBみたいよ……。面倒くさいから今までそういうの断ってきたんだけどね……。あら?榛葉絵美理って……。あの榛葉絵美理?
最近この人の著書読んだばかりよ?『上に立つ人間が犯す七つの大罪』だっけ?……あれはつまらなかった……。」
「その人、お金持ちなのか?」
と、ライフジャケットを着て階段を上がってきたジャガーが聞いてくる。
「聞いたことない?『盗作女王』と言われているこの小説家、…ライオン禁グことシンバ・エミリのことを。
彼女が書いた物語はね?あらすじが超絶面白いのよ。でも、文章力が壊滅的でね。だからだ~れも彼女の小説には注目してなかったの。ところが彼女が初期に書いた小説は3本共、後に盗作されてね、
……その盗作した側の作品が世界的に大ヒットしたせいで、訴訟、裁判からの示談金で大儲けした人なのよ。発表時は全く注目を集めてなかったのに、後々読んでみると、盗作された作品とソックリなのよね……。」
「ちなみにどんな作品?」とジャガーが聞く。
「アナタも聞いたことがあると思うわよ?絵馬、セーラーワンピ、トイ・レ・ストーリー。」
「嘘だろ?全部、世界的に有名なやつじゃないか?」
「まあ原作より、盗作した話の方が100倍面白いんだけどね。最近は新作を発表せず、主にエッセイか自己啓発本を書いているようよ。それによると初期の作品は全部無意識で書いたみたいね。ある朝、頭に物語が降ってきたんですって。"まるで私は、その物語達をすでに読んだことがあるかのようだった……”と彼女は回顧録に書いていたわ。
まあ彼女、金はうなるほど持っているみたいだし、今回の申し出は正直有り難いわね。」
「その人はお金を出す代わりに、経営に口出しとかはしてこないんでしょうか?」と鶴子が厳しい表情をしながら言う。
「それはないわ。今回のクラファンは、あくまで豊子塾の未来に投資してくれる人を募ったものだからね。貧困層の教育弱者に破格の金額で授業を受けさせてあげるという、私達の理想に賛同してくれた人達がお金を出してくれたのよ。
ビルの改修工事はその一環。…ついでに資料室と喫茶室とエステ室を増設させてもらおうかしらね。
あ、そうだ…。近々、早乙女慈留葉女史が、2回目の講習会を開いてくれるから、塾経営のデモンストレーションを兼ねて出資者達をお招きしようかしらね。……て言うか慈留葉さんを、うちの専属講師として雇えないかしら……。
ねえ、おつう?ちょっと聞いといてもらえない?」
そう言うとネルネは、背中の小さな黒い翼をピコピコと動かして、ニヤリと笑った。
**************
その頃、新宿西口にある大型カメラ店の前に出来た行列に、
ある40代くらいの男性が並んでいた。
彼の名は小野町悟。独身。
少年時代から集めている呆けもんカードの新作を買う為に、彼は朝早くから、この中国人だらけの列に並んでいる。
うー寒い。
悟は手袋をした手を擦り合わせ、その中に白い息を吐いた。
……これで高額カードを引き当てたら…一攫千金も夢じゃない……。
先日、数十年ぶりに絵美理に会った。
あいつ、俺のことを見下していたようだな……。まあ、そりゃそうか。あいつは訴訟ビジネスで大成功して、それを元手に悠々自適な生活を送っているんだもんな。
にしても絵美理のやつ、年を重ねていい感じの美人になっていたな……思わず誘惑しそうになったけど…変なことを口走らなくて良かった。
てっきりチョコをくれるものと思っていた俺のことを見透かされて、軽蔑した眼差しで見られた……ような気がする。もし、変なこと言ってたら、あのままビルから突き落とされてたかもな……はは……
なんか、絵美理のやつ、つい最近日本に帰ってきたらしくってさ、
今、新宿に戻ってきている無頼兄ちゃんに会いにいくって言っていたな。
……そういえば風花はどうしてるかな……。俺も絵美理も…、いまだに四つ葉のクローバーの栞を大切に持っていた。懐かしいなあ。……俺も無頼兄ちゃんに会いにいってみようかな……。
悟はそんなことをツラツラと考えながら…ふと5番目くらい先に立つ、黒いコートの男性の背中を見つめる。
あれ?
あれあれ?
あの後ろ姿は?もしや?!
悟は堪らず声をかけていた。
「ぶ、無頼兄ちゃん??」
スマホを眺めていた男性の肩がピクリと痙攣し、……次にゆっくりと……首を傾けながら声のした方を振り返る。
白髪混じりの薄くなり始めた頭髪。
疲れたように見える、目の下に深く刻まれた皺。
灰色にくすんだ瞳……。
「さ、悟か??」と無頼孔雀が叫んだ。
「お、お前……老けたな………」
「無頼兄ちゃんこそ………」
「お前、まだ呆けもんをやってたのか……?」
「無頼兄ちゃんこそ……」
「………」「………」
「無頼兄ちゃん呼びは……流石にもうやめないか……」
「ご、ごめん……でも正直、他の呼び方だと変な感じがする……」周りに中国語が飛び交う中、2人は負けじと大声で会話をしていた。
孔雀は、背中を丸めている自分が何となく恥ずかしくなり、背骨をピンと伸ばして、悟のことを見つめ返す。
「……こんな偶然があるんだな……」
「と、言うと?」
「……いや、実はな、今日の午後、風花がうちの診療所に来るんだ。」
「ふ、風花が?」と、悟は焦ったように早口で言った。
「……無頼兄ちゃん?!実はつい先日、俺も絵美理に会ったんだよ!あと、あのクラファン見た?ドロップインハウスのキッズ達が塾を始めたってやつ?……俺も思わず無理して援助しちゃったよ!」
「……今はドロップインハウスではないよ……。彼らは豊子キッズと呼ばれている……」
悟の前でその言葉を使うことが辛いようで、孔雀は喉に何かがつかえたような言い方をした。
「俺もそのクラファンには一枚かませてもらったよ。さっきサイトを見たら、どうやら出資者達を集めて、あのビルでお披露目会のようなものを開催するらしいよ。てことは、悟も一緒か……。これはある意味ドロップインハウスの同窓会になるかもしれないな……。」
孔雀はスマホの時計を見て、「……ダメだ。午後の診療に間に合わなくなるから、俺はもう戻るよ」と言った。
「そ、それなら無頼兄ちゃん?俺、代わりに兄ちゃんの分も買っておいてあげるよ。診療所はどこ?後で持っていくから。」
「……いや、でも1人3パックまでって決まってるから……。まあ、でも買えないよりはマシか。じゃあ1パック分、宜しく頼むよ。」と孔雀は言い、「頼んだぞ」とお金を渡すと、そそくさと列を離れていった。
別れ際に孔雀は、悟の手に名刺を押し付け、
「……明治通りの脇の道だからすぐ分かるよ」と言って、かつての名残で今も履いている、スケボー用の鮮やかな黄色のデッキシューズでアスファルトを蹴り、
悟の目の端に残像を地面に残しながら、年甲斐もなく軽快に走り去っていったのだった。
『money!money!money!』




