ヰ107 より良い未来のために
「……では改めて。」
と、蓮の美しい母親、向井風花が言った。
「…あなたのより良い未来のために」
と囁くような声が響き、ションメリーの入ったワイングラスがカチン、と鳴る。
「ここからは親子2人で協力していけるのだから、蓮さん?……もう、整形したり…、過労死したりしないでね。」
と、風花が目に涙を溜めながら言う。
「ありがとう、お母さん。……取り敢えず、日記帳と未来アプリの内容は共有するから、お母さんも知っている情報は全て教えてね。」
と、蓮が言った。
「……正直なところ、お母さんが教えてくれた内容で一番気になるのは、その幼馴染みの人達だよね。……その人達にも歴史改変能力があるとしたら……出来ればある程度は協力出来る関係を築いておきたい。……多分、その人達にもそれぞれの人生のプランがあるだろうから、情報共有して…お互いの得になるような改変を探りたいな。」
「……絵美理が協力してくれるかしら……」
「まあ、いずれにせよ、今回の一件で、2周目の人生にも不確定要素が多いことが分かったから、その人達を探すのが重要なミッションになりそうだね。」と蓮は言い、「……連絡は取れそうなの?」と不安そうな表情で聞いた。
「……まだ分からない。色々と当たってみるわ。」と風花は言って、息子の未来日記に目を通し始める。
「…………」
「……あなた、この、設楽居睦美ちゃんって子と仲良くなりたいの?」
「うん。そうだよ。今生はこの子と結婚したい。」
「……あらそう。まあ、この子にだって選ぶ権利はあるでしょうから…そこは何ともコメントし辛いけど……応援はするわ。……ナニナニ……この先の社会科見学で運命的な出会いを果たす…と。あなた、まだ出会ってすらいないの??」
「……いや、まあ、会ってるといえば会ってはいるんだけどね。その社会科見学の日に僕と睦美ちゃんの運命が交錯するんだ。だから、今度こそミスは出来ない。」
「そ、そうなのね。……で、飛鳥めいず嬢とはどうなの?うまく遠ざけたりしてる?」と風花は暗い顔をして言った。
「……まあ、ボチボチかな。……よく考えたらあの子だって被害者だしね。僕と関わりを持たなければ、悪い人間にもならなくて済んだんじゃないかな。そこら辺はうまくやるから心配しないで。」
「蓮さんは優しいから心配よ……。何かお母さんが手伝えることはある?」
「……う~ん、今のところ大丈夫かな。とにかくお母さんには、その幼馴染みさん達を探してほしいかな。」
「分かったわ。」と風花が言った。
………まずは孔雀お兄ちゃんとコンタクトを取ってみようかしら。確か今、日本に戻ってきて、新宿で闇診療所を開いてるのよね。ホームページからネット予約が出来たはず……。ああ水曜の午前診療はお休みみたいね……。
と、スマホを覗き込む風花は、……お兄ちゃんは私のこと憶えているかしら……、と若干不安を感じながら予約を入れたのだった。
***************
29年前。
新宿ドロップインハウスの食堂で、
榛葉絵美理は、デザートのフルーツポンチを食べ終わり、自由帳に落書きをしながら、蓮台風花が食べ終わるのを待っていた。
「おい、風花?まだ食べ終わんないのかよ?……腹一杯なら俺が手伝ってやろうか?」
と、ガキ大将風の少年、小野町悟がマイスプーンを持ったまま席を離れ、
食べるのが遅い子供達の席を巡回してきた。
「……フルーツポンチ、食べてやろっか?」
と、悟が言う。
「ちょっと?アンタ、図々しいわよ。」と絵美理が自由帳から顔を上げて、悟のことを睨んだ。
「……絵美理ちゃん、私、お腹一杯……」
と、風花が苦しそうな顔をして言う。
少女は、長くサラサラな髪の毛を汗で額に張り付けて、
「フルーツポンチも、いらないかも……」と呟いた。
「ほら見ろ?風花もいらないって言ってるぜ?ここは俺様が貰い受けてやろう……」とニシシ……と笑みを浮かべた悟が手を伸ばしてくる。
「ダメよ、風花ちゃん!ちゃんと食べなきゃ!!……食べないにしても、悟にはあげちゃダメ!」
「じゃあ、これ、絵美理ちゃんにあげるよ……、私、もう食べられない。」と風花が言った。
「え?いいの?」と絵美理がピタリと動作を止める。
「……風花ちゃん?今日のフルーツポンチは、マンゴー入りよ?こんな豪華なやつは今後の人生、もう出ないかもよ?」と、短めの髪に、パンジーのクリップを付けた元気少女が驚いたような顔をして言う。
風花は半分以上残った給食の揚げパンを、指でつつきながら「……正直、私、フルーツポンチが苦手なの……。あのベタベタするシロップが気持ち悪くて……。フルーツはそのまま食べた方が美味しいと思うの。」と言った。
「は?なに言ってるのよ?ポンチ汁が美味しいんじゃない?私、ポンチ汁ならバケツ一杯飲めるわ。好き過ぎて、なんなら頭からかぶってもいいくらい。」
ウプッ……
と、風花がえずき、「……いらない……」と、フルーツポンチの入ったカップを指先で、絵美理の方に押し出してきた。
「俺にもくれよ、」と悟が言う。
絵美理は、スプーンで掬い取った白玉を舌の上で転がしながら「ダメよ。」と答えた。
そして、大切そうにマンゴーを取り出すとそれを口に含み、ジュワッと溢れ出てきたポンチ汁を飲み込んだ。
風花は青い顔をして立ち上がり、「…私、ちょっと音入れ……」と口を押さえながら食堂を出ていってしまった。
「風花、またお残ししちゃったのね。」
…絵美理と悟は、声の主を振り返った。
乃望楓が腰に手を当てて立ち、軽く溜め息をつく。
「風花は好き嫌いが多くて困るわね。」
顔を上げた絵美理は、楓のエプロンのポケットから、PHSのストラップが飛び出しているのを見つけ、
「あ、楓姉ちゃん、この前配った四つ葉のクローバー、そこに付けてるんだね。」と言った。
「あ、うん。ここに付けるのが丁度良くてね?可愛いでしょ?」
そう言うと楓は、ラミネートされた栞を爪で弾き、他にぶら下げた他のストラップ類をチャラチャラと鳴らした。
「いいなあ。楓姉ちゃんのクローバーはまだ綺麗で。」と絵美理が言う。
「私の、黒くなっちゃった。」
「あら、そうなの?」
「うん。4枚とも黒くなっちゃった。」
「へえ……」ニヤリとした悟が、ポケットから四つ葉のクローバーの栞を取り出す。
「絵美理、見ろ。俺のやつはまだ綺麗だぜ?」
「あ、いーなー」
「羨ましいか?」「羨ましい。アンタ、取っ替えてよ。」
「だ、駄目に決まってるだろーが!お前こそ図々しいな!」
「フルーツポンチあげるから駄目?」と絵美理は上目遣いで、悟のことを見上げた。
悟は顔を真っ赤にすると「……い!いまさら駄目だ!も、もう、お前、それに口を付けちゃったじゃないか!汚くてもう食べれないだろ!」と怒鳴った。
「あら?私のと取り替えてあげよっか?」と楓が言う。
「え?楓姉ちゃんもまだフルーツポンチを食べてなかったの?まさか、楓姉ちゃんもポンチ汁が嫌いなの?!」
「違うわよ。そっちじゃなくて、栞の方。私のと取り替えてあげよっか?」
絵美理は、一瞬迷ったような表情で、楓のエプロンのポケットを見つめたが、
「……う~ん。楓姉ちゃんのはいいや。これ、せっかく孔雀お兄ちゃんとお揃いなんだし……大切にして、ネ☆」とウィンクした。
「………」
「なによ?」
さっきからこっちを見つめている悟の視線に気付き、絵美理がきつい顔で睨み返す。
「あ、いや、あのさ、もし、俺がお前の汚い栞と俺の綺麗な栞を交換してやったら……代わりに何かしてくれる?フルーツポンチ以外で…。」
「は?なに?私をゆすろうっての??」
2人の子供のやり取りを見ていた楓は、「……風花遅いわね……」と言って、トタトタとスリッパの裏で音を立てながら、食堂を出ていった。
「いや、ゆするとか、そんなんじゃないんだけどさ……」と悟が言う。
「いや、なんでもない。ふ~んだ!誰がお前なんかと取り替えてやるか!」
そう言うと、悟はピューッと走り去っていった。
残された絵美理は、自由帳の一番前のページに挟まれた四つ葉のクローバーの栞を見つめ、
……なんで私のだけ真っ黒になっちゃったんだろう……と考えて、ま、いっか!とパタムとノートを閉じた。
****************
白い顔を更に真っ白にして、
蓮台風花は、楓に背中を支えられながら、音入れを出てきた。
「風花、大丈夫?」と楓が優しい声で言う。
「残した給食は片付けておくから。……前に教えたこと憶えてる?整理用品はいつも持っておくのよ?“よごれちまったかな沁み”は、お洗濯しておくから、取り敢えずそのタオルを巻いたままで難を乗り切りましょう。」
「……うん、分かってる……」と風花は答え、
……かつてはあんなに大人に見えた楓のことを、……まだこんなに幼いのに、無理して頑張っていたんだな……と、眩しい眼差しで見つめていた。
「ねえ楓お姉さん?」と、はかない美少女が言う。「ん?なあに?……ここで少し待ってて。すぐに替えのおパソシを持ってくるから。あんまり動いちゃ駄目よ?」
「分かった……」と言って風花は、廊下の途中にある大きなサンスベリアの白い鉢の横にしゃがみ込んだ。
膝までのスカートの太ももの下に手を差し込み、
風花はぼんやりと壁を見つめる。
……楓お姉ちゃんって、孔雀お兄ちゃんのこと、好きじゃなかったのかな……。結局別な人と結婚して……。孔雀お兄ちゃんだって、酷いよ。いったい何故?
2人の間に何があったんだろう……。もし、2人が……もしもよ?想い合っていたにもかかわらず……結ばれないまま楓お姉ちゃんが死んじゃったのなら……
…助けてあげたいな……。
ふるふるッと、風花は首を左右に振った。
……いや、駄目。……蓮が生まれるまでの歴史を弄ったら、もしかしたらあの子が生まれてこなくなる可能性だってある……。
私こそ自分勝手だよね……。
絵美理のことをどうこう言えないわ……。
「おい、風花?そんなとこ座ってどうしたんだ?」
風花がぼんやりとした目の焦点を、悟に合わせる。
悟は、しゃがんだ風花のスカートから覗く白い脚を見て、……一瞬、思い出してはいけないものを思い出してしまったが、
自分の手の甲をつねり、「だ、大丈夫か?気持ち悪いのか?」と聞いた。
「え?うん?ありがとう。ちょっと気分が悪くて。」
「そっか。食べ過ぎか?お前、そんなに食べてなかったように見えたけどな。」と少年が言うと、
髪の長い少女は、はかなく微笑んだ。
悟は、エモいわれぬ罪の意識に、みぞおちがキュッと痛み、目を逸らすと「なんか困ったことがあれば言えよ?」と言った。「今後も給食食べきれなかったら、俺が食べてやるからさ?」
「ありがと。……悟ってそんなに優しかったっけ?(コソッ)」
「ん。なんか言ったか?」「なんでもない。」
「………」
「ねえ、悟?」「ん?」
「この前の四つ葉のクローバーの栞、見せてくれない?」
「なんだよ、お前もか。ほれ、見てどーすんだ?風花のだって同じだろ?」
そう言って悟はラミネートされた御札を見せた。
「……全部綺麗ね。」と風花が囁くような声で言う。
「いいだろ?……あれ、もしかしてお前のも黒くなっちゃったのか?」と悟が、何処か誇らしそうに言葉を返した。
「……え?ひょっとして、絵美理のクローバー……黒かった?」
「ああ。真っ黒だったぜ。ラミネートの熱で焦げたのかもな?そう言うお前のはどうなんだ?」
風花は血の気の引いた顔で、カーディガンの上に付けたポシェットから、香り付きティッシュで大事に包まれた栞を取り出し、
震える手で……葉が一枚だけ黒くなった四つ葉のクローバーを見せた。
「……なんだよ、そんなこの世の終わりみたいな顔して?」
「さ、悟は……死んだことある?」
「は?」「……いえ、なんでもない。」
風花は、栞をもう一度しまい、
絵美理に確かめてみなきゃ……、と心の中で考えていた。
『For a better future』




