ヰ104 もう一つの戦い
設楽居海人は、自分の部屋の机の上にチоコを置いて、剥いた包装紙を指で触っていた。
……このハート型のものは、母さんから貰ったやつだ。……そして、このウィスキーボンボンは……むつから貰ったもの……。あいつも無理したな。いったいいくらしたんだろう?結構高級品っぽいぞ、これ。
見ると外箱の上には手書きのメッセージが添えられていて、
『ウィスキーは熟成させると美味しくなります。未成年の今はまだ食べられないけど、私が大人になったら、一緒に食べてね。それまで、お、あ、ず、け♡』と書かれていた。
……むつ……残念だが、ウィスキーボンボンの消費期限は3ヶ月くらいだ。
……しかし親子だな……。
母さんが選んだのは、心臓の形。
そしてむつもまた、人体の構造シリーズを選んできたのだろうが……でもさ……なんでこの形にしたんだ……これは、ボ○コウの形だよな………中に液体がたっぷり入っているのが、またなんとも……。
海人は溜め息をつくと、それらを横によけて、スマホ画面の尾刀水鳥のアイコンを眺めた。
……新宿に行ったあの日、呆痴彼女のチョコは即完売で買うことが出来ず……、付き合ってもらったむつには、悪いことをしてしまった。
で、家に帰るとすぐに木下が訪ねてきて、 勉強の分からないところを教えてくれと言ってきたんだ。
……一瞬、チョコを渡しにきてくれたかと思ってドキドキしちゃったじゃないか……。紛らわしい。
まあ、木下との関係はそういうんじゃないからな。
で、途中からむつも部屋に入ってきて、結局俺と木下で、むつを教える勉強会になってしまったというわけだ。
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「失礼ですが…、お兄ちゃんのクラスメイトさん?さっきから何かソワソワとしてますけど、どうかしましたか?」
と、睦美が言う。
「え?そわそわ??そ、そんなことないよ?」と、木下藤子が、声を若干裏返せらせながら答えた。
「クラスメイ子さん?音入れでしたら一階にありますので。ここでするのはやめてください。ここは私のナワバリですので……」
「縄張り??な、なんの話ですか?」
「むつ?お前、なに言ってんだ?悪いな。木下。いつの間にか妹の勉強を見る会になってしまって。おい、むつ、宿題を全くやってないなら始めからそう言えよ?それなら今日お前を新宿に連れていかなかったぞ……」
「帰ったらすぐやる予定だったの!……それなのに、いきなりクラスメイ子さんが押しかけてくるものだから……」
「おい?むつ?木下は勉強で分からないところがあるから聞きにきたんだ。…なんて熱心なことだ…。宿題を1ミリも進めていなかった誰かさんとは大違いだぞ?」と海人が怖い顔をして言う。
「うえ~ん、こわいよ~」と言いながら、睦美が目の下に両手をかざした。
「……カイト?…妹さん、一生懸命にやってるみたいよ?あんまり怒らないであげて。」
「……クラスメイ子さん?」と睦美の目が光を失う。
「今、あなた、お兄様のことを『カイト』と呼びませんでしたか……?」
「別にいいだろ、友達なんだから。」と海人が言う。
「……ちょ、ちょっと兄上??!人に気安く真名を呼ばせてはダメよ??…ぶっちゃけこの女、バレンタインを狙ってチョコを渡しに来たんじゃないの??誰か!!こ、この凶悪なテロリストの持ち物検査をしてよ!!何か危険なものを所持しているかもしれないわ!ハダカにして、隠し持っている凶器を全部洗いざらい出させるのよ!!」
「バカ!何言ってるんだ!」スパコーン!と海人が妹の頭を教科書ではたきながら言う。
「……わ、わ、私、チョ、チョ、チョコを渡そうだなんて………お、お、思ってませんよ??な、なんなら持ち物検査してもらっても構いません!!」と藤子が、あわあわしながら叫ぶ。
「兄上?!今の聞いた??この女、ここでハダカになるつもりよ!なんていやらしい!!」スパコーン!!と二度目の教科書の暴力が睦美の頭を襲い、
アンドロイド少女の精巧なスパコンがノイズ音を出した。
藤子は、背中に冷や汗をかきながら、持ってきていたバッグをチラッと横目で見る。
……マズイわ。あの中にはデパートで買ったチョコが入っている……。で、でも渡す直前まで気付かれないように念のため紙袋は畳んであるし、……チョコ本体は整理用のポシェットに隠しておいたから……万一荷物検査されてもバレないはず……。
そして、本命のプレゼントは……。
……ギリギリまで追加で想いを込めている最中だから……。
そう考えると藤子は、スカートの上から、気付かれない程度にプレゼントのゴムを直した。
「……怪しいわね……」と睦美が、とても女の子がするとは思えない表情で、兄のクラスメイトのことを睨む。
「だいたいお兄ちゃんもお兄ちゃんよ!クラスメイトに女子がいるだなんて聞いてないわよ!」「いるだろ、普通?!うちは共学だぞ?」「…あ、違ったわ。クラスメイトの女子の友達がいるなんて聞いてないわ!今までそんな素振りも見せなかったくせに!浮気よ、浮気!」
「いや、いや、女子の友達くらい、いてもいいだろ。いつも思うが、お前はどこ目線から話しているんだ??」「妹目線よ!」
「友達……」と、藤子がどんよりとした表情で呟く。
察しの良い妹が、はは~ん…とニヤリと笑い、「あ!ただのトモダチね!トモダチ!あーそうそう、そうね!お友達ね~、ウフフ、友達の友達はみんな友達よね~、まあ、友達ってのは友達ってことよね?それ以上の意味はないわよね~」と言った。
「トモダチ、トモダチってうるさいな、お前。」と海人が言う。「そうだぞ、木下は友達だ。それをお前にとやかく言われる筋合いはない。」
藤子が一層青い顔をして、ノートの上でシャーペンの芯をポキリと折った。
「ねえ、お兄様♡親愛なるお兄様には後ほど睦美がとびっきりの愛情を注いだチョコレートをあげますからね!愛情が溜まり過ぎてパンパンよ!もう!Before Common Era♡(紀・元・前) 楽しみにしていてね~」と言って睦美が、海人の腕に纏わり付いてくる。
「ほら、遊んでないでちゃんとやれ。こっからここまで。ちょっと解いてみろ……なあ、木下?お前のも見せてみな。こいつが問題を解いてる間、ちょっと見てあげられると思うから。」
「え?いいの?じゃ、じゃあちょっと見てもらおうかな……」と藤子が、パアッと明るい笑顔になりながら言った。
「ここなんだけどね…」
「ああ、これか。水兵リーベ、僕の船…アボガドロ定数は、物質1モル中に含まれる粒子の数のことだね。でも、これを習うのは高校からだ。今は、6.02×10²³個の粒子の集団を『mol』 と呼ぶことだけ押さえておけば大丈夫だな。分子の世界は小さ過ぎてイメージし辛いと思うけど、『物質量』の計算はそんなに難しくないよ。
数学の世界はね?イメージ出来ないことは計算出来ないんだ。」「その話、どっかで聞いたわ……」と、千年生きる魔法使い、粗相の設楽居睦美が言った。
「アボガドのお話してる??」
と、唐突に扉が開き、
元祖ピコちゃんスマイルの母、設楽居花織が顔を覗かせる。
「な、なんだよ母さん?!ノックぐらいしろよ?!」
「だってカイトくんが、女の子を部屋に連れ込んでいるから……。お母さん、カイトくんの成長が嬉しくて、涙が止まらないわ……」と言って設楽居母は、エプロンの端で頬を流れる熱い涙を拭いた。
「むーちゃん?お兄ちゃんのお勉強のお邪魔をしちゃダメよ!……ところで貴女、お名前は……?」
「は、はい。木下藤子といいます……カイト……くんとはクラスが同じで……。いつも勉強を教えてもらっています。」
「トモダチよ、トモダチ!この人はただのトモダチだから!!」と睦美が騒ぐ。
「あら、お友達なのね。で、今日はチョコを渡しにいらしたの?」
ゲホゲホ……と藤子が咳き込んだ。
「やめろよ、母さん!木下が困ってるじゃないか!」
「……は、はい。私、決してカイトくんにそーいうことをしにきたわけでは………」
気のせいか海人が、ガックリと肩を落としているようにも見え、母は、薄目で息子のことを見つめていた。
「ふう~ん?そうなの?……あ、そうだ!」と言って、花織が顔の前で嬉しそうに手をパチン!と打つ。「藤子ちゃん?良かったら今夜は、うちでお夕食を食べていかない?今日のお夕飯は、蛸とアボガドのカルパッチョよ!
みんな大好きオス料理!特にメスちゃんには大好物のものよね?コラーゲンもタップリだし、古から、蛸と美女は切っても切れない関係よね!オホホホホ……」
頭を抱えた海人を見て、藤子は最初迷っているような仕草をしていたが、
やがて「お、お言葉に甘えさせていただけるなら……」と、赤い顔をしながら言った。
「ちょっとお母さん!!みすみす敵を助けていいの?この人、きっとどっかにチョコを隠し持ってるわよ?!」
「え?そ、そうなのか……?」と海人が藤子の方を見つめながら言う。
「そ、そ、そ、そんな訳ないでしょ?!バ、バ、バカ言わないで!」「だよな?ごめん。」「わ、わかればいいのよ!わかれば!(涙)」「カイトくん?今の聞いた?…そっかー。そーだよね~。中学生はまだまだお勉強に集中しなきゃダメなお年頃よね~。お母さんもビックリしちゃったわあ。よもや、中学生が色气✕付くわけないわよね~」
設楽居花織は、微笑ましい中学生カップルを眺めながら、一瞬真顔になった後、すぐに笑顔になり、
「いっそ、お風呂入ってく?お泊まりする~??あ、お布団がないか!じゃあ、カイトくんと一緒に寝る~?あーそれじゃまるで美っ恥かあ」と言い、
「……いえ……家族が心配するので……やっぱり帰ります……」と言う藤子に対し、
「……あら、残念ねえ。じゃあまた遊びにきてね~?」と即座に返した。
「か、母さん?……なんか……、い、いや、何でもない。木下、悪いな。送るよ。」と海人が言う。
「あら、それならタクシー呼びましょうか?」と花織が優しい顔でスマホを手に取りながら言った。
「いいよ、そこまでしなくても。じゃ、俺、ちょっと送ってくるから。」
藤子が「……あ、じゃ、あの、その、帰る前に音入れをお借りしてもいいですか?」と尋ねる。
「どーぞ、どーぞ」
数分後、藤子が戻ってくると、設楽居睦美と、母は、すでに玄関に立って、にこやかに見送る準備を整えていた。
「じゃあ、送ってくるから……ご飯は先に食べてていいよ。」
「お兄ちゃん?最近出たって噂を聞かないけど不信者に気を付けてね!」「お構いできませんで~」
バタム……と、玄関の扉が閉まると、
設楽居母が「むーちゃん?台所から塩持ってきなさい!」と厳しい表情で言った。「はーい!」
トタトタトタ……と睦美が走り去っていく。
花織は、口を真一文字に結んだまま、……あの子、この帰り道でチョコを渡すのかしら……。と考えていた。
……まあ、あれだけ否定していたし、大丈夫でしょう。でもまだ油断できないわ……。
まさかカイトくんにあんな悪い虫がつくなんて思わなかったわあ………。ママちゃん激おこよ!
カイトくんは、ママちゃんがナイチンゲールの頃から大切に育ててきた男の子なのよ。どこの馬の骨とも知れない女子に、奪われてなるものですか!!
『Another Battle 』




