ヰ101 助け合い
次の駅に停車する前に、木下藤子は、小学6年生男子の向井蓮に、コソッと耳打ちした。
《ごめんね?お姉さん、配慮が足りなかったかも……ほら、あんなことがあったばかりだからさ、君が女性専用車両にいたいのは、よく分かるよ。ここならチ。環はいないし……。だからね?…やっぱり君はここにいてもいいと思う。》
その言葉に蓮は、今日の出来事を思い出して眉をしかめたが、
……すぐに、(歴史が修正されてくれれば、さっきのことは無かったことになるはずだ……)と、自分に言い聞かせると、「ありがとう、お姉さん…」とだけ答えた。
「でもね?ほら、さすがに君、カッコよすぎるし……ちょっと、この場所だと目立ち過ぎるかも。」と藤子が言う。
辺りを見渡すと、正面で眠っているシゴデキお姉さん以外の女性達は、ソワソワとして、次の駅で降りる準備を始め、すでに荷物をまとめ出しているように見えた。
「……こうしましょう。」と藤子が言う。
彼女は自分の鞄を漁り出し、中から波浪☆う寒ちゃんの髪留めを取り出してきた。
「君さ、凄く顔が整っているから、前髪を、こう……ほら、こうやって留めれば…女の子に見えなくはないわ。ねえ、これでどう?」
少年のカールした髪を、パチッ☆とおでこで留めると、藤子は満足そうに、うんうん、と頷いていた。
「そのランドセルはブラウンで中性的だから女の子にも見えるし……。あ、そうだ!コートの下で、君のその長ズボン、膝辺りまで捲り上げちゃえば、パッと見、スカート履いてる風に見せられるわ!ウフ♡カンペキ!君、可愛いわよ!」
と、藤子は手を合わせてニッコリとした。
………。
蓮は、心の中で、………やれやれ。1周目の世界でも、こういう無自覚な聖加害が、僕の心を蝕んでいったんだけどな………。まあ、今は我慢しよう……。多分この人は設楽居海人を連れ戻す鍵だと思われる……。とりあえず、この人の言う通りにしておこう……と、考えていた。
その努力も虚しく (?)、次の駅に停車すると同時に、シゴデキお姉さん以外の女性達は、そそくさと、車両から出ていってしまった。
そして、その代わりに、左の扉から制服ギャルの3人組が、…右の扉からはベビーカーを押した若い母親が入ってくる。
彼女らは違和感を感じた様子もなく、藤子と、その隣に座る美少女小学生のことをチラッと見て、
そのまま空いた席に腰を下ろした。
ギャル達から、甘いラズベリーの香りが漂ってくる。
藤子は何となく彼女らと目を合わせないように、鞄から出した参考書を開き、心の中では、設楽居海人のことを考え始めていた。
蓮は、ポケットで自分のスマホが震えたことに気付き、キャメル色のコートから、愛・不穏を取り出した。
……飛鳥めいずからの滅生死だ……。読みたくないな……でもなんだろう……。
『向井様。先程のお話ですが。』
『五十嵐葉南さんという方は、どうやら2組の不登校の子のようです。』
『春に転校してきて、すぐに学校に来なくなったということです。因みにアコウシグレさんという方が、本校に在籍していた記録はなさそうです。』
『調べてくれて、ありがとう。』と、蓮は一応返事を返しておいた。
……そうか……。所々、歴史の微妙なズレはあるにしても……時雨ちゃんの存在がまるごと消えてしまうなんて……時雨ちゃんはやはり何かのキーパーソンだったのかも知れないな……。ん?
考え事をしていた蓮は、ふと異臭のようなものを感じて顔を上げた。
《見ちゃダメ……》と参考書に顔を埋めた藤子が、彼の脇腹を肘でつつく。
見ると、蓮の斜め前に座るギャルの集団が、シートに足を乗せて、靴下を脱いでいるところだった。
《……女性専用車両ではね、男子の目がないから、女子はノビノビとしているの……なんかごめんね……》と藤子が囁く。
ギャル達は、リバイバルブームのルーズソックスを手で丸め、足の指をエンジ色のシートの上に投げ出していた。
こ、この臭いは…まるで……そう、学生運賃……。
「うちら、マジヤバない?」とリーダー格のギャルが言って、ギャハハハ……と笑い、アルコールティッシュで足指の間を拭き始める。
その時、正面で眠るシゴデキお姉さんが「…ん、ん……」と軽く体を動かすと、
………ぷぅぅぅぅぅぅぅぅ………と、
スカートの下から高い音が漏れ出してきた。
すぐその後に、ブュピピチチチチ………と湿った音がして、
ギャル3人組が、またギャハハハハ……と大笑いする。
「お姉さん、今のゼッタイ出たっしょ?みが出たっしょ??ドレみファソラ……シッド!が出ちゃったっしょ?ギャハハハハ……」
そのすぐ後に漂ってきた臭いを嗅いで、
「くっさ!?マジでくっさ!お姉さん?マジで大丈夫??」と、金髪ボサボサのギャルが、……自分達のことをタナに上げて言い放った。
「お姉さん、お姉さん、お仕事出来そうなお姉さん!ちょっと起きてよ!マジやばいよ??」
と、各種ぬいぐるみをぶら下げた制服ギャルが、眠る女性の肩を揺らす。
ハッと、目が覚めたシゴデキお姉さんは、一瞬ぼんやりとした顔をした後、
……すぐに事態に気付き、素早く足を閉じたが、お尻の下の感触に戸惑い、真っ赤な顔をして慌てて左右を見渡した。
「あの……大丈夫ですか?」
ベビーカーを押した若い母親が寄ってきて、心配そうに女性のことを覗き込んでくる。
ギャル達はクスクスと笑い、「やっば。」と言いながら、一番離れたシートに移っていった。
「……宜しければ……うちの子の、おやすみ夢ーミンがありますので、……差し上げましょうか……」
若い母親はそう言うと、リュックの中から紙オムレツを出してきて、そっと女性の前に差し出してきた。
「そ、そんな……赤ちゃんのオムレツが無いとお困りになるでしょう?……流石にそれは……いただけません………」と、涙目になったスーツ姿の女性が、消え入るような声で言う。
その時丁度赤ちゃんが泣き出し、お母さんが、「あらあら、ハルくん、どーしたの?才シ✕濡れちゃった??ごめんねー」と言った。
「あ、あの!」
と、そこで藤子が立ち上がる。
びっくりした様子で、蓮は彼女を見上げた。
「あ、あの!良かったら……私のを使ってください!!」
はい??と蓮は、藤子の顔を見て、次に真正面に座るシゴデキお姉さんを見た。
「困っている人が目の前にいるのに、見て見ぬ振りなんてできません!私なら大丈夫ですので、……どうぞこちらをお使いください!」と藤子は言って、
目にも止まらぬ早業で、自分の制服のスカートからミントブルーのパソシを引き抜いた。
「……え?で、でも、あなたが困るでしょ?そ、そんな……私、いくらなんでも、あなたのそれを貰うわけにはいかないわ……」とお姉さんが言う。
「いいんです!私は平気ですから!これを履いてください!」
と、言って藤子は、お姉さんの前に立ち、脱ぎたての温かいパソ〒ィを、彼女の手の中に押し付けた。
「わ、悪いわ………ここまで親切にしてもらう理由が……、私にはない……」
「いいんです。気にしないでください。」
「あ、ありがとう……今の若い女の子も捨てたものじゃないわね……本当にありがとう………」
シゴデキお姉さんはそう言うと、腰を引きながら立ち上がり、車両の連結部分の扉に向かいながら振り返り、「……本当にありがとう……」と、もう一度言った。
蓮は半ば茫然としながら、「い、いいんですか?そんなことして……」と、藤子に向かって言う。
「いいのよ。あんな綺麗なお姉さんが、汚れたパソ〒ィを脱いで、ノーパソで過ごすくらいなら、まだ私みたいな、若い学生がノーパソになる方がいいわ。まだ私なんて、子供に毛が生えた程度なんだし……。私ね?多少の寒さなら全然我慢出来るから!」
「……寒さの問題なんですか?」
このやりとりを先程から黙って見ていた若いお母さんは、
…即座にこの美談をメ(旧ツイスター)に上げていた。
遠くで見ていたギャル3人組は、「やっば。」と言って、また笑っている。
「……私、ああいう子達、嫌い。」と藤子がポツリと言った。
「……私ね。設楽居海人くんに、一度助けられたの。……あの日を境に私も、機会があれば人助けをしようと心掛けてきた。
……設楽居くんが、豊子キッズになってしまったことは知っている。……でも何か理由があったに違いないわ……。私ね………設楽居くんを助けられるなら、何でもする……。おかしいよね?そんなに仲がいいわけでもないのに……。私って重い女なのかな………。でも、私、設楽居くんに助けられた恩を返すまでは気持ちが落ち着かないの……。変だよね………」
「……いいえ、完璧です。今の話を聞いた限り、設楽居海人さんを奪還出来るのは、あなたを置いて他には誰もいない……と思いました。…これは希望が持てるぞ。」と蓮は言った。
連結部の扉を開けて、シゴデキお姉さんが戻ってくる。
お姉さんは、藤子達の前にやってくると、
「ありがとう。素敵な天使さん。」と言って微笑んだ。
「お礼をさせてもらえないかな?」
「…いえ、私、そんなつもりじゃ……」
「いいの。このままじゃ、私の気がおさまらないわ。……だからこれを受け取って。」
お姉さんはそう言うと、薄桜色のハンカチのような布に包まれたものを藤子の前に差し出してきた。
「こ、これは……」と藤子が遠慮がちにそれを受け取る。
「開けてみて?」とお姉さんが優しく言った。
ふわりとした柔らかい布を開いていくと、その中央には、小さな生チョコレートが乗っているのが見えた。
「ごめんね、それ、ちょっと溶けて、形が崩れちゃったみたいだけど。」と、お姉さんは言うと恥ずかしそうに笑った。
チョコの柔らかそうな表面には、飴のような照りがあり、しっとりと練り込まれた密度の高い、濃いブラウン色の内側からは、
黄色いレモン果汁が染み出している。若干、繊維質に見えるそのチョコは、特徴のある大人っぽい香りを放っていた。
「こ、こんなもの……いただけません……」と藤子は言うと、真っ赤な顔をして俯く。
「ハッピーバレンタイン」とお姉さんが言った。
そっと手を押された藤子は、チョコを鞄にしまい、お姉さんが途中の駅で降りていく姿を見送った。
「……まだ胸がドキドキしてる………。」
「え、そうなの?」と蓮が言う。
「そうよ。こんなに率先して人助けをしたのは初めてだから……。」
「そうなんだ。」
「……人を助けるって………ドキドキするんだね、そしてすごく気持ちいい……なんか……私、あのお姉さんにお礼を言われた時、目の前が真っ白になっちゃった………。」
「へえ……そうだったの……、いや、ちょっと待って?大丈夫?それ、小学生の男子に言ってもいい話?」
「?……でね、私、横隔膜が痙攣して、喉の奥で何度もしゃっくりしちゃったの。私、バレないように息を止めて、体の内側でびくっ、びくってしてたのよ?背中も汗かいて、もうびちょびちょ……もしかして気付いてた?」
「……いや。気付かなかった………」
蓮はそう言うと、……ヤバいな、この人……。マジで設楽居海人さんを連れ戻すパワーがありそうだな………。
と考えて、居心地が悪そうに、コートの下で足を組み直すのだった。
『cooperation』




