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AIとの邂逅

遥かなる大地を舞台に、一人の少女が“自分”と“世界”の真実を追い求める物語。

月詩つきし】は、曖昧な過去を抱えながらも、危険の絶えない道へと踏み出していく。

謎多き同行者・宵真よいま、どこか裏を感じさせる情報屋・瑠衣るいとの出会い。

そして、静かに追跡の手を伸ばすネルン――。

彼らの思惑が交錯する中、廃れた施設で目撃した“ある光景”が、月詩の運命を大きく揺さぶる。


閉ざされた記憶の断片と、古の研究に秘められた秘密。

王国の名残が色濃く残る世界で、夜明け前の暗闇をかき分けて進む先に待つものとは?


未踏の地を巡りながら、幻想的な風景の中で芽生える友情と疑念。

微かな希望と絶望が同居する展開に、一度足を踏み入れたら最後まで目が離せない。

壮大な旅と陰謀に満ちた本編をぜひご覧ください。

幾重にも連なる山脈が、まるで守護者のように大地を取り囲んでいる。そのすそ野を辿ってゆくと、広大な平野が一気に視界を開かせ、点々と続く都市や小さな集落が見えてくる。かつてはひとつの王国として統べられていたと伝わるが、長い歴史のあいだに領主同士の抗争や新興勢力の乱立が繰り返され、今では多種多様な制度や文化が入り交じる“混沌”の地と化していた。


――北西の隅にある静かな村――

そこに暮らす人々は、毎朝のように農具を手にし、家畜を世話し、いつもと変わらない日常を繰り返していた。大きな事件や争いごととは無縁の穏やかな村。それでも、風の噂や行商人の話を通じて、国境付近で起こっている異常な出来事や、遠くの都市で多発する災害の情報が届くと、村人たちの胸には薄暗い不安が宿り始める。


その村に暮らしていたのが、月詩つきし

彼女は晴れた日に畑のあぜ道を歩くときも、夕刻に納屋の扉を閉めるときも、どこか「ここではない場所」を無意識に想像していた。自分の過去に欠落があると感じながらも、それを口にすることはなかった。村人は皆、月詩を“少し内向きで優しい子”としか見ていない。だが彼女自身はどこかに不協和音のようなものを抱え、毎夜、星空を見上げては胸の痛みを噛みしめていた。


ある夕暮れ。遠くの道を旅人らしき男が歩いてくるのを見つけ、月詩はほんの少し胸を高鳴らせた。村はずれの街道を通る旅人は珍しく、ましてやこんな遅い時間ならなおさらだ。

「――何かあったのかしら」

小さくつぶやいて足を進めると、その男、**宵真よいま**の瞳がまるで闇の中に紫煙を漂わせているかのように静かに光るのが見えた。普段から警戒心の薄い村人たちも、彼を警戒して遠巻きに眺める。しかし月詩はなぜか、その人影に妙な親近感と不安の入り混じった感情を覚え、思わず声をかけた。


月詩「あの……何かお困りですか?」

宵真「いや、ただ道に迷っているだけだ。ここは静かでいい村だな」


宵真の声は低く、どこか含みを感じさせた。言葉少なだが、外の世界を知り尽くしているような雰囲気がある。こうして月詩は彼と初めて言葉を交わし、やがて幾つかの奇妙な噂を聞かされる。国境地帯では小競り合いだけでなく、得体の知れない現象や、組織的な動きがあるらしい――という話だ。さらに宵真は「おまえは誰かに追われているようだが、気づいていないのか?」と、真顔で尋ねる。


同じ頃、旅先から戻った行商人の口から、**瑠衣るい**という名をしきりに聞くという噂が流れてきた。瑠衣は世界のあちこちを転々としながら価値ある情報を売買し、闇市の闇にまで手を伸ばす“情報屋”だという。争いの根を探っては、時に金を得るための手段に変えるらしい。その瑠衣が最近、大陸の各地で吹き荒れる騒乱に何らかの興味を示し、あちこちで足跡を残しているというのだ。


さらに、闇の組織と呼ばれる勢力も各地で暗躍しているという噂が、行商人たちの間で囁かれていた。彼らの狙いははっきりしないが、ネルンという冷徹な追跡者が猛威を振るい、特定の人物を追っているという話だ。その標的が月詩だとすれば、彼女自身はなぜ見ず知らずの組織に狙われるのか。村人にとっては大げさな与太話かもしれないが、宵真が告げる彼女への“追跡の気配”とも符合する。


宵真「本当に心当たりはないのか? どこかで組織の秘密を見たとか、あるいは……」

月詩「わからない。ただ、小さい頃のことだけがすごく曖昧なの。目を閉じると、何か光の差さない部屋で……でもそれ以上は思い出せない」


そう口にした途端、胸の奥で何かが強くきしむような痛みを覚える月詩。自分の過去に確かにある“欠片”が、外の世界へ向けて叫び出そうとしているのを感じる。もしこのまま村にとどまっていても、いずれ危険が降りかかるかもしれないし、胸の中の疑問は晴れないままだろう。


朝露に濡れる草原の香り。遠くで運ばれる風の響き。どこかから鳴く小鳥のさえずりさえも、この村を逃れ出るかのように聞こえる。そんな静かな光景とは裏腹に、月詩の心は落ち着きを失っていた。外で起きている不穏な出来事と、自分の過去の空白は繋がっているのではないか――その思いが、彼女を旅へと駆り立てる理由になる。


そして、宵真と偶然出会ったことが決定打となり、月詩は村の外へと一歩を踏み出す。彼女はまだ、自分が背負っているものの正体を知らない。だがいずれ、瑠衣のように世界を飛び回る人物との接触や、ネルンのような強大な力を持つ追跡者の存在によって、数多の謎が浮かび上がってくるに違いない。


穏やかな村から旅立つ朝は、まるで大地が新しい物語の始まりを告げるかのように、淡いオレンジ色に染まっていた。月詩は振り向かずに歩き始める。過去に曖昧な空白があるならば、世界のどこかにその欠片が落ちているかもしれない――そう信じながら、彼女はまだ見ぬ先へと、迷いを抑えるように足を進めていく。


-----------------------


月詩が村を出てからいくばくも経たないある日、朝焼けに染まる空の下、彼女と宵真は国境沿いへと続く旧街道を歩いていた。そこへ、立ち止まって休んでいた旅人たちから耳を疑うような話が飛び込んでくる。

「家畜が原因不明の病で次々と倒れた」「盗賊団とも違う謎の集団に略奪され、大怪我を負った人が多い」――そんな噂が複数の地域で同時に広まりつつあるというのだ。


宵真「話だけ聞くと、どこか見えない勢力が裏で糸を引いてるみたいだな」

月詩「そうだね……自然災害でもこんなに足並みが揃うことはないと思う。何が起きてるんだろう?」


月詩の表情には、不安と興味が入り混じった複雑な色が浮かんでいた。村でも「外の世界には近寄るな」という声が日に日に大きくなっていると聞くが、彼女は一度踏み出した道を簡単に引き返す気はなかった。何より、自分の曖昧な記憶の中に眠る秘密――それこそが、この不穏な出来事の裏側へと繋がる糸口になるのではないかと直感していたからだ。


行く先々で出会う人々の怯えや疑心暗鬼。何かを語りたがらないまま、ただ視線を逸らして通り過ぎる者たち。宵真はそんな周囲の様子を冷静に観察する一方で、黙って月詩の判断に従う姿勢を崩さない。二人のあいだには多くの言葉が交わされるわけではないが、同じ方向を見据えているという共通認識だけはあるように見えた。


しかし――

まだ朝の光が草原を照らし始めたばかりの時刻、街道脇に広がる寂れた農場跡から、足音ひとつ立てずに現れた影があった。全身に冷たい空気をまとったかのような男、ネルン。月詩と宵真の視界の端を横切るかと思うやいなや、彼は月詩の目の前に素早く身体を運ぶ。そこには一切のためらいを感じさせない鋭利な眼差しがあった。


ネルン「やはり貴様が動き出したか。時間の問題だと思っていたがな」

月詩「あなたは……? 私が、どうして……」


月詩が問いただそうとするより早く、ネルンはわずかに口元を歪める。その嘲笑ともつかない表情は、まるで「相手が質問する権利など持たない」と言わんばかりだ。宵真も警戒しながら剣の柄に手をかけるが、ネルンは一瞥すらくれない。


ネルン「貴様は戻れ。さもなくば、もっと大きな災いに巻き込まれることになる」


その言葉の奥には、単なる脅し以上の意味が含まれているようだった。賞金稼ぎやならず者がよく使う脅迫とも違う、組織的な影を匂わせる重みがあったからだ。月詩はその瞬間、自分をつけ狙う“何者か”の存在をはっきりと確信した。


再び口を開く間もなく、ネルンは宵真が身構える前に、音もなく視界から消え去った。空気が急に冷え込んだかのような感覚だけが、二人の間に残される。月詩が自分を狙う理由は何なのか。どうして彼のような冷酷そうな男が、そこまで執着を見せるのか。曖昧な記憶の奥底に何が潜んでいるのかを知りたいという思いが、一気に彼女の胸を騒がせた。


村に戻れば、何もかも安全圏に収まるかもしれない――一瞬、そんな考えが頭をよぎる。けれど、瑠衣から事前に聞かされていた話が、決断を先送りにしないよう後押しする。大陸を蝕む新たな脅威、裏で密かに動く闇の組織。それが何を狙っているのか正体不明のままだが、月詩の胸騒ぎがそれと自分との繋がりを告げているような気がするのだ。


月詩「……やっぱり、引き返せないよ。あの人が言っていた“災い”がなんなのか、このまま知らないふりなんてできない」

宵真「危険を承知で行くんだな。おまえの意志なら止めないさ。どうせ、俺にも引き返す場所はない」


こうして二人は、さらなる不穏な影が渦巻くとされる地域へ向かう。瑠衣から仕入れたわずかな手がかりを頼りに、前へと足を進め続ける。果たして、それが正しい道筋になるのか、あるいは地獄の入り口へ通ずる道となるのかは誰にもわからない。前方にはただ、荒涼とした大地と、真意を隠し続ける組織の影が待ち受けていた。後戻りの許されぬ岐路に立たされた月詩は、胸元にかすかな震えを感じながらも、決意を新たに握りしめるしかなかった。


-----------------------


月詩と宵真は、よどんだ夜気を裂くようにして“古の研究”が行われているという施設へ足を進めていた。そこは崖下の窪地を利用して巧妙に隠され、外部からは廃墟にしか見えない場所だった。周囲の地形は切り立った岩壁に囲まれており、真夜中ともなるとわずかな月光さえ遮られる。見張りの巡回も厳重で、近寄るだけでも危険を伴う雰囲気が漂う。


しかし、瑠衣が掴んだ情報によれば、そこに彼女たちの求める鍵があるという。月詩が断片的に思い出す「白衣の人影」や「密室の記憶」が、この地下施設の実験室と深く関わっているかもしれない。そう考えると、不安と興味の入り混じった熱が体中を駆け巡る。宵真は相変わらず口数が少ないが、彼女の決意を感じ取ったのか、淡々と周囲の様子を探りながら一歩ずつ進んでいく。


宵真「行くぞ。夜が明ければ、見張りも増えるだろう」

月詩「わかってる。でも……どうしてこんなに胸がざわつくんだろう」


夜明け前の闇を縫うように施設へ近づいた彼らは、最初の見張りをやり過ごすことに成功した。ごく短い会話も最低限にとどめ、足音を忍ばせて岩壁の裂け目を潜り抜ける。中に入ると、巨大な地下空間が広がっており、断続的に灯る非常灯の白い光が人工的な通路を照らしていた。壁面は冷たく硬質な石材の一部が剥き出しになり、ところどころに鋼鉄製の補強材がむき出しのまま打ち込まれている。


だが、二人が暗い通路を抜けきらないうちに、どこからともなく静かな足音が響いてきた。姿を現したのは、待ち構えていたかのようなネルン。彼は鋭い眼差しを宵真へ据え、言葉ひとつ発さずに切りかかる。互いの武器が交差した瞬間、金属音が地下通路に反響し、耳をつんざくような衝撃が周囲の空気を震わせた。


ネルン「ここまで来るとは思っていなかったが……」

宵真「悪いが、通してもらう」


宵真の剣は夜闇を斬るかのように鋭く、ネルンの動きはまるで人形のように迷いがない。激しい斬撃の応酬に巻き込まれそうになった月詩は、一瞬身動きが取れなくなるが、そこへ瑠衣が滑り込むように手を引いた。


瑠衣「ここで立ち止まってる暇はないわ。あっちは宵真に任せる。月詩、ついて来て!」


瑠衣に導かれて先へ進むと、空気が次第に冷たさを増していく。狭い通路を曲がった先には、大きな扉が見えた。重厚な鉄製の扉を瑠衣が慎重に開くと、その向こうに広がるのは奇妙な光景――まるで実験施設さながらにガラス管や培養装置が並び、点滅する警告ランプの赤い光が薄暗い室内を染めている。


刺すような消毒液の匂いと、嗅ぎ慣れない薬品の混ざった空気が月詩の鼻を突く。壁には古めかしい紙が張り付けられ、そこには「遺伝的特性」「試験体D-シリーズ」など、専門的で物騒な文字が並んでいた。歩を進めるごとに、不意に記憶が甦るような感覚が襲ってくる。暗い部屋、差し込まない光、白衣の人々――無数の影が月詩の脳裏で渦を巻く。


月詩「これ……私が知っているはずの……」

瑠衣「落ち着いて。全部思い出すのは今じゃなくていい。まずはここで何が起きてるのか、確認するのが先よ」


と、そのとき、警告音が突如鳴り響いた。天井付近のスピーカーが異様な音量でサイレンを発し、赤い警告ランプが一斉に激しく点滅を始める。侵入者を感知したシステムが動いたのだろう。瑠衣は舌打ちすると、あわただしく制御盤らしきパネルを操作し始めた。


一方の月詩は、室内の奥にあるカプセル群へと視線を移す。透明な容器の内部を満たす青白い液体の中に、何者かの人影が浮いている。その光景は、彼女の不確かな記憶にある“実験体”のイメージと重なり、呼吸するのも忘れるほどの衝撃を与えた。


月詩「これ……まさか、生きて……?」

瑠衣「説明してる時間はなさそう。やばい、組織のやつらが来るわ!」


廊下のほうから荒々しい足音が近づいてくる。拳を握り締めた瑠衣が、制御盤を押さえたまま月詩に鋭い視線を向ける。逃げるか戦うか迷うより先に、月詩の中に何かが突き上げてきた。もはや後戻りできないほどに、恐怖よりも「真実を知りたい」という思いが膨れ上がる。


そうして室内では“己の過去”に立ち向かおうとする月詩。一方、通路の外では、宵真とネルンの死闘が刻一刻と激しさを増していた。剣と剣が触れ合うたびに鈍い火花が散り、地下空間を切り裂くような殺気が二人を包む。どちらも本気で相手を倒そうとしているかのようだが、ネルンの眼差しには微かな戸惑いが見え隠れする。それは殺意をかき乱す迷いなのか、それともほかに理由があるのか。宵真はその微細な変化を見逃さないまま、息を詰めて次の一撃に備える。


夜明けまで、そう時間は残されていない。施設の中枢に迫りつつある月詩、外で戦う宵真とネルン。すべての運命が交差する地点が、今まさに目の前へと広がろうとしていた。薄闇の中で行われる研究の実態と、記憶の奥底で月詩を呼び続ける声――それらが交錯する先に待つのは、誰もが避けられない衝突と、ある種の真実の断片かもしれない。


-----------------------


月詩は、薄青い液体の揺れが不穏に反射するカプセルに釘付けになっていた。自分を飲み込むかのような錯覚――そこに眠る人物の血の気を感じさせない白い肌、頭部や四肢につながる無数のチューブ。それはまるで失われた過去を映し出す鏡のように、胸を締めつける感覚を増幅させる。


月詩「……これが、わたしと同じ存在なの…?」


横で瑠衣が焦燥を滲ませながら制御盤を操作し、装置の停止を試みる。だがパネルの警告灯はかすかな光を明滅させ、耳障りな電子音が増幅するばかりだ。


瑠衣「一筋縄じゃいかないみたい。早くしないと、あの連中が押し寄せてくるわ」


重々しい金属の音が施設内部に響き渡った途端、廊下のシャッターが自動的に下り始め、侵入者を閉じ込めようとする仕掛けが起動する。月詩の胸に漠然とした恐怖がわき上がるが、それ以上に「何としてもここで真実を掴まなければ」という衝動が混在し、身体がわずかに震えた。


そこへ、血の気の引いた腕を押さえながら走り込んできた宵真が、鋭い呼吸を整えつつ瑠衣に声をかける。


宵真「扉は開くか。時間がない。奴らもすぐ来るぞ」


背後には、まだネルンの姿があった。彼の冷徹な瞳は微塵の揺らぎも感じさせない――かと思いきや、一瞬だけ月詩に視線が注がれ、剣先が変則的な軌道を描く。宵真が防ぎきれない絶妙のタイミングでネルンは月詩へ斬りかかるが、その刹那、天井から崩れ落ちた岩の破片がネルンの足場を砕いた。


ネルン「くっ……!」


予期せぬ衝撃に膝をついたネルンへ、宵真が容赦なく一撃を浴びせ、剣を弾き飛ばす。彼の呼吸は依然乱れているが、その声には静かな決意がこもっていた。


宵真「ここで倒れても、おまえの本懐は果たせないだろう。俺たちに手出しをするな」


膝をついたままのネルンは、わずかに咳き込みながら顔を背ける。もはや戦意を失ったかのように見えるが、その眼差しの奥には、諦めにも似た苦悩が漂っている。宵真は深追いをせず、月詩のもとへと駆け戻った。


制御システムが不安定になったカプセルからは、警告音が高まり続け、辺りの機械やパイプが不気味な光と煙を放出し始める。瑠衣が必死に操作を続けるが、施設全体が緊急停止モードに移行したのか、稼働音の歪んだノイズが反響していた。


瑠衣「扉が開く! 今のうちに出るわよ!」


月詩はカプセルを視界の隅に置きながら、最後まで躊躇するかのように伸ばしかけた手を引き戻す。まるで自分の過去がそこに封じ込められているように感じていたが、いまは解放する術を持たない。彼女は悔しさを噛みしめるように唇を引き結び、「ごめん」とだけ呟いて駆け出した。


扉を抜けると、廊下では組織の構成員らしき者たちが混乱に巻き込まれ、あちこちからスパークする火花や噴き出す蒸気に翻弄されている。宵真の剣が一閃し、二、三人を牽制しながら一気に通路を駆け抜けた。その背後ではさらに激しい衝撃音が鳴り響き、施設の照明が次々と落ちていく。


やがて夜空へと繋がる出口に飛び込んだ瞬間、大気が劇的に変わるのを月詩は感じた。崖縁を踏みしめると、下の方から巨大な閃光が炸裂し、地面が震えるほどの爆音がこだまする。まるで悲鳴のように吹き出す炎が、施設の天井を貫いて高く舞い上がった。


月詩「……あそこに、わたしの記憶が…答えがあったのに」


息を切らしながら呟く月詩の横で、宵真は肩を痛めた腕をかばうように立つ。瑠衣も荒い呼吸を押し殺し、吹き上がる炎の光景を目に焼き付けていた。


瑠衣「情報は完全に消えてはいないわ。あれだけ広範囲にやってた研究よ、どこかに痕跡は残ってるはず」


夜はまだ明けきっておらず、辺りはどこか不安定な静けさに包まれている。施設の燃え広がる赤い残光を背景に、月詩は自分の中に渦巻く感情を静かに整理しようと試みる。失われた研究施設、救い出せなかったカプセル内の存在。消えゆく手掛かりに焦りを覚える一方で、「ここからが新しい始まりなのだ」と確信する何かが胸を締めつけるように脈打っていた。


宵真「立てるか、月詩」

月詩「……うん。わたしには、まだやるべきことがあるから」


闇を映し出すように冷たい風が崖上を吹き抜けていく。燃え盛る施設が崩れ落ちる轟音は、ある意味で一つの決着を告げているのかもしれない。それでも終わりなどではなく、むしろ入り口にすぎない――そんな予感が月詩の中で強まる。


崖下の閃光が弱まると同時に、宵真は無言で月詩の肩を支え、瑠衣はそっと前を行く。組織と“古の研究”、そしてD-シリーズと呼ばれる試験体の謎。あの地下で見た光景が呼び覚ますものは決して小さくない。だが、ここで生まれた意志もまた、小さくはない。


三人は疲労に喘ぎながらも、再び足を踏み出す。夜の闇が淡く溶け始める空を見上げると、遠くにはかすかに薄明りが差し込み始めている。先に待つものが闇だろうと光だろうと、もう後戻りはできない――そう覚悟を決め、月詩は崖縁から少しだけ離れた場所で深呼吸をした。彼女の心には、己の正体に辿り着くための強い意思と、新たな扉が開かれる予感が同居している。夜気を切り裂いた閃光は、一つの幕を下ろすと同時に、物語の次なる幕開けを告げていた。


-----------------------


月詩は、部屋の奥に整然と並ぶカプセルを見据えながら、意識の奥底から突き上げてくる記憶の断片と対峙していた。透明な壁の向こうで、薄青い液体に揺れている人影――それは彼女のかすかな記憶と奇妙に呼応しているかのようで、まるで自分の過去がその中に封じ込まれているような錯覚を覚える。隣では瑠衣が必死に制御盤を操作し、警報を止めようと躍起になっているが、装置の緊急システムは頑なに反応し続けていた。


月詩「……このカプセルの中の人、息をしているわけじゃないよね? だけど……生きてるのかな」

瑠衣「わからない。制御システムもかなり独自に改造されてるみたい。早く撤退しないと手遅れになるわ」


ツンと鼻を刺す薬品のにおいと、キャタリックな警告音が混ざり合い、空気全体がじりじりと焦げついていくような感覚を月詩にもたらす。彼女は衝動を抑えきれずにカプセルに手を触れるが、その瞬間、小刻みに振動が走り始め、装置周辺の照明がちらついた。


やがてどこかで重々しい金属の音が鳴り響き、通路のシャッターが閉まり出す。侵入者を完全に閉じ込めようとする施設の防御機構が作動したのだろう。瑠衣が焦燥の色を隠せないまま、パネルを叩くようにして「くそっ」と小声で呟いた。


同じ頃、廊下の先では宵真が剣を抜いたまま、ネルンと睨み合いを続けていた。互いに全身から熱のような気迫を放ち合う。宵真は腕に血が滲んでいるが、怯む様子は微塵も見せない。一方のネルンの瞳は、冷酷な光の奥にわずかばかりの迷いを孕んでいるかのようにも見えた。


ネルン「ここまで入り込むとはな。……だが、おまえたちには関係のないことだ」

宵真「関係あるかどうかは、俺たちが決める。通す気がないなら、押し通るだけだ」


ネルンが静かに剣を振り上げた刹那、わずかに震えた天井から崩れたコンクリートの破片が彼の足もとへ落ち、ネルンは身をよじるようにして体勢を崩す。宵真はその隙を逃さず、思い切り剣を打ち下ろしてネルンの攻撃手段を封じた。激しい衝撃音が通路に反響し、ネルンは咳き込みながら床に膝をつく。


宵真「終わりにはまだ遠いが、ここで倒れるならそれも選択肢だろう。……俺たちの行く手を阻むな」

ネルン「……ぐっ……」


一方、瑠衣は制御盤の画面に映るパネルを操作し続け、どうにかシャッターを開ける方法を探っていた。パイプや配線が次々と火花を散らし、空気が焦げくさい。カプセルの警告音もさらに甲高くなり、部屋の温度まで上昇したかのように感じる。月詩は意を決してカプセルから手を離し、振り返る。


月詩「瑠衣、どう? 扉は……」

瑠衣「あと少し。……よし、開いた! 急ぐわよ!」


廊下から立ちこめる煙の向こうで、宵真はネルンを背に残し、月詩たちのもとへ駆け寄る。戦意を失ったように見えるネルンの姿に、一瞬目を留めるが、今は彼を相手にしている余裕はない。月詩も最後にカプセルへと視線を投げかける。そこに横たわる何者かを救い出す術は持ちあわせていない。彼女は心の中で謝意と悔恨を交錯させながら、扉の先へと体を翻した。


警報の喧騒と熱気に包まれた通路を抜けると、施設の奥で何かが爆発したのか、重低音の響きとともに床が揺れる。組織の構成員らしき男たちが追って来るが、通路に拡散する煙と散らばる瓦礫が彼らの動きを封じていた。宵真が先に剣を構えて退路を切り開き、瑠衣と月詩がその後に続く。


ようやく外に出ると、崖の上を吹く風が混濁した空気をかき混ぜ、喉に絡みつくような苦味を残す。夜明け前の暗い空には、崖下から突き上げるような閃光が映えていた。巨大な爆発音が腹の底にまで振動を伝え、施設の一部が轟音とともに崩落していくのが見える。そこにあったはずの秘密も、失われたかもしれない数多の“証拠”も、すべてが火の海に呑み込まれていくようだ。


月詩「……もう、何も取り戻せないの?」

宵真「わからない。だが、おまえの記憶はおまえ自身の中にある。施設が消えても、道はあるはずだ」

瑠衣「情報はいくらでも散らばってる。この世のどこかに足跡は残ってるはず。……私たちはまだ諦めちゃいないわ」


月詩は崖の縁に立ち、一度深呼吸をする。自分が何者なのかはわからないまま、あのカプセルに眠る存在を救えずにきてしまった。けれど、このまま止まるわけにはいかない。脳裏にはまだ沢山の謎がこびりつき、その答えを知る術を探すしかないからだ。


夜闇の色がわずかに薄れ、空の端が灰色に染まっていく。宵真は負傷した腕を気にしながらも月詩を促し、瑠衣も険しい表情のまま次の行先を思案している。この瞬間、すべてが終わったように見えて、実際には新たな幕開けに過ぎないという確信が、月詩の心の奥で低く燃え上がる。組織と“古の研究”、消えた施設の死角に残された数々の真実――その全貌を解き明かす日が、いつか必ずやって来る。


そんな予感と共に、月詩は足を踏み出す。崖下で続く崩落の轟音を背に、まだ淡い夜明けの風を切り裂くように歩を進めるのだ。彼女の目の先には、暗い影を纏った世界の深奥が広がっているとしても、迷うことはない。たとえ苦しみが待ち受けていようとも、彼女が探し求める答えは、きっとこの先にあるに違いないから。


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夜明け前の冷たい風が、崖縁に立つ月詩たちの頬をかすめていた。燃えさかる施設が崩壊を迎える轟音からは、少しずつ距離が生まれつつある。まだ闇が払われ切っていない大地に、微かな光の筋が差し込み始めた。


宵真は負傷した腕を押さえながら、見渡す限りの荒野を見据えている。彼の視線はあくまで前方へ向かい、その中にこれから先の苦難を覚悟した意志が読み取れた。瑠衣も彼の後ろに続き、胸の奥で先ほどまでの死闘や崩れ去った研究施設について整理しようとしているようだ。闇市や辺境を巡るうちに見つけられる新たな情報が、どれほどの真実を導くのか――その思考が瞳に映る光をわずかに揺らしている。


一方、月詩の胸中には、ときおり鋭い痛みとともに記憶の断片が浮かび上がる。廃墟と化した施設に残されていた、“D-04”という文字。それはまるで、自分の存在を暗示するかのようで、思い出せそうで思い出せない感覚を波のように呼び起こす。ふと目を閉じれば、光の届かない白い部屋や、誰かの声が断続的に脳裏をかすめるが、それらは掴む端から零れ落ちていく砂粒のように曖昧だった。


月詩(心の声)「まだ全部は思い出せない。でも、私の中で確かに呼びかけている何かがある」


崖下の風はどこか湿り気を帯び、遠くで燃え尽きていく施設の残骸から立ち上る煙の匂いが混じっていた。朝の気配と夜の終わりが交錯する空気の中、月詩は一瞬足を止め、深い呼吸をする。朝日が昇り始めれば、また新しい一歩を踏み出さなければならない。その覚悟と迷いが入り混じる瞳の色を、宵真は静かに見つめていたが、何も言わずに先を促すように首をかしげる。


そのとき、ほんのかすかな足音に気づいた月詩が視線を投げると、少し離れた場所にネルンの姿があった。傷を負ったらしく足を引きずりながらも、なお鋭い眼差しをこちらに向けている。彼の刃は鞘に収まったままだが、背後に漂う空気には未完の対立を思わせる張りつめた緊張が残っていた。


ネルン「…………」

月詩「(あの人は、まだ何か言いたいことがあるの……?)」


ネルンはわずかに口を動かしたが、その声は風にかき消されて月詩の耳には届かない。そして静かに首を振り、踵を返すようにして身を翻す。崖上の一行に背を向け、彼はゆるやかな坂を降りていった。宵真が目だけで「追うのか?」と問いかけるように見合ったが、月詩は小さく首を横に振る。


月詩「……今はいい。いつか、また会うときが来るなら、そのときに決着をつける」


ネルンの足音が遠ざかっていくのを見送った後、月詩はゆっくりと振り返る。かすんだ空の向こうには、もう炎を吹き上げる施設の姿はまともに確認できない。それでも、あの場所で得られなかった答えが確かに存在していたことを月詩は知っている。そして同時に、新たな疑問やこれから先の闇が待ち受けていることも。


やがて、宵真と瑠衣が先に歩み出すのを見届けた月詩は、一度だけ息を吐きながら背後を見遣る。あの崖の下には、数え切れないほどの秘密が灰と瓦礫となって横たわっている。しかし自分が何者で、なぜここにいるのか、その糸口は確かにどこかに残されているはずだ――そう信じる心の炎が、消えかけることはなかった。


月詩(心の声)「こんなところで立ち止まれない。真実は、私が歩き続ける先にある」


そう思い定めた月詩の視界には、朝焼けに染まり始めた空と、彼方へと広がる道が映る。宵真と瑠衣が振り向くのを合図に、三人は再び並んで歩き始めた。夜から朝へと移りゆく大地の表情が、ほんの少しだけ優しい風を運んでくる。彼女の足取りも重くはない。むしろ闇の先に微かな光を見出したかのような、どこか安堵に近い感覚すら伴っていた。


宵真「……何だ、ついてこないのかと思った」

月詩「ごめん、ちょっとだけ振り返りたかっただけ」

瑠衣「いいじゃない、振り返るのは自由よ。でも前に進む方が面白いことが待ってると思う」


三人の短い会話が終わるころ、空はゆるやかに朱色へと染まっていく。夜を抜け出しつつある風景には、まだまだ混乱と危険が潜んでいることを彼らは理解していた。それでも足を止めずに行こうとする意志だけははっきりしている。月詩の胸には、失われた何かを追い求める熱が絶えることなく燃え続けているのだ。


こうして、崖縁の地を後にする彼女たちの背には、新たな旅立ちを予感させる朝日が静かに差し始めていた。あの夜の戦いは一つの区切りをもたらしたが、同時に未来への扉をも開く。月詩は目を細めて朝焼けを見上げる。これから先、どんな闇や苦難が待ち受けようとも、その答えに辿り着くために自分は歩みを止めない――そう、胸を張って決意するかのように。


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