オランダさんの青目ん玉
おもんが長じるにつれて日本人から言われる言葉があった。
子どもの社会で………の出来事だった。
日本人の子ども達が囃し立てる言葉が……「オランダさんの青目ん玉ぁ~。」であった。
ドゥーフが傍に居る時は囃し立てられない。
大人の日本人にとって、ドゥーフは子どもの社会とは全く違って大切な存在だった。
1804年、ニコライ・レザノフ率いる、ロシア皇帝アレクサンドル1世による遣日使節が長崎に来航し、仲介のような役割を果たした。
そのような人間にぞんざいな扱いをする大人は皆無だった。
ただ、子どもの世界は別だったのだ。
見慣れない白色人種。
日本人の遊女を母に持つおもん。
遊女に対する差別もあったのかもしれない。
妬みもあったのかもしれない。
それは、少し大人の社会を反映しているのだろう。
ドゥーフには、ぞんざいな扱いをしなくても、その娘は違っていたのかもしれない。
特に外見が違ったために思ったとも言える。
目の色が違う、髪の毛の色も、鼻筋も……枚挙に遑がない。
それを幼いおもんが聞いてしまう。
「お父ちゃま、なして? おいの目は青いの?」
「おもん、どうした?」
「オランダさんの青目ん玉……おいは、オランダさんの青目ん玉なん?」
「誰がそんなことを言った!」
「お外に出たら言われる………。遊んでくれない。」
「おもん、遊ばなくてもいい。そんな奴らと遊ばなくてもいい。」
「遊ばない、の?」
「そうだよ。遊ばなくていい。」
ドゥーフは、オランダ商館で働いており、日本人の妻との間に子どもが居る者に話した。
「君たちの子どもはどうなんだ?」
「言われているようです。オランダさんの青目ん玉と……。」
「そうか……。」
「オランダ商館の子ども達だけで遊ばせるしかありませんね。」
「そうだな。うちのおもんと遊んでやってくれ。」
「はい。」
「一応、奉行には話しておく。何も出来ないだろうが……。」
「はい。お願いします。」
長崎奉行・成瀬正定に話をした。
「子どものことですが、遊びたくても遊べないようです。
日本人の子ども達はオランダ商館の子ども達に対してオランダさんの青目ん玉!
と呼んでいるようです。
子ども同士のことですが、オランダ商館の子ども達も同じ日本人の血が流れてい
ます。
大人たちからの心無い視線からも私はオランダ商館の子ども達を守りたいと思っ
ております。
どうか、ご理解いただきますよう、お願い申し上げます。」
「ドゥーフ殿、貴殿の子たちを思うお気持ち、分からない訳ではござらん。
為れど、何かできるという訳ではない。」
「はい。」
「差し当たり出来ることは、この目の前でそのような言葉を聞いたなら、ただちに
間違いであると諫めよう。それで、許されよ。」
「ありがとうございます。奉行が私どもの子どもに心を寄せて頂けるだけでも心強
く思います。」
おもん、可愛い我が娘との別れの時が迫っていることをこの時のドゥーフは知らなかった。