園生
1803年、新しく出島のオランダ商館長になったのは、ヘンドリック・ドゥーフである。
ヘンドリック・ドゥーフがオランダ商館長になった時、彼の本国オランダはフランス革命の革命軍によって占領され、オランダ東インド会社は解散した後だった。
その後のナポレオン戦争中の1803年~1817年まで出島のオランダ商館長として、米国船などを雇い貿易を行った。
オランダ商館長をカピタンと呼んだのだ。
ポルトガル語のカピタン(Capitão)は、英語のキャプテンに相当する「船長」「隊長」の意味である。
最初の交易国がポルトガルだったため、オランダに代わっても、そのままカピタンと呼んだのだった。
ドゥーフは出島に居る日本人たちから「カピタン様」と呼ばれたのだ。
ヘンドリック・ドゥーフ、26歳の時であった。
ドゥーフは日本の出島で美しい遊女と出逢った。
遊女の名前は、園生。
愛らしく美しい人だった。
初めて遊郭から出島に来た遊女だった。
一目見て心惹かれたドゥーフは、園生を身請けして共に暮らした。
「あの花の名は、なんと言うのだ?」
「あいは、桜でござおる。」
「桜か………。美しい………。」
「日本人は桜が好いとっでござおる。」
「そうか、こんなに美しいなら、そうであろうな。」
「美しゅう咲いて、見事に散っていきますけん。」
「見事に散る?」
「はい。短い命ば懸命に生きて、散っていくのばい。」
「花の命が短いということか?」
「はい。」
「長い方が良いのになぁ。長く美しく咲いた方が私は好きだ。」
「そいは、難しゅうござおるね。」
「それは、そうだ。今更、無理だね。」
「はい。カピタン様と言えど……。」
「ふふふ……。その通りだ。」
二人の間には女の子が生まれた。
ドゥーフは、「おもん」と名付けた。
「園生。大丈夫か?」
「はい。」
「良かった。君に何かあったらと思うと私は堪えられないよ。」
「まぁ………。」
「それで、どっちなんだ?」
「申し訳ござおらん。おなごやった。」
「そうか、女の子だったのか………。」
「申し訳ござおらん。」
「何を言うのだ。どっちでも………私は嬉しいよ。」
「……カピタン様。ありがとぉござおる。」
「それは、私の言葉だよ。ありがとう。園生。」
「勿体のうございおると。」
「何を泣いているんだい? さぁ涙を拭いて……笑顔を見せておくれ。」
「はい。カピタン様。」
「さて、私の娘はどこに居るんだい?」
「はい。あちらのお部屋に……。」
「早速、会いに行って来よう。」
「はい。」
産婆がその部屋に居た。
そして、ベビーベッドで寝かせられている赤ちゃんを抱き上げて、ドゥーフに見せた。
「どうぞ、カピタン様。」
「愛らしいな。」
「はい。」
「抱いてもいいか?」
「はい。どうぞ。」
生まれたばかりの我が子を抱くのは初めてだった。
ドゥーフの初めての子どもだったのだ。
初めての子を得て、親子三人で幸せに暮らせるはずだった。