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6月19日(金)

 昨夜は21時過ぎに眠ったせいか、惰眠を貪った上で、6時半と言う健康的な時間に起きた。

 晶君は7時に起きるとの書き置き有り、おっさんの寝顔も可愛いモノである。


 静かに布団をしまい、浮島へ。


 樽チェック、そして今回はココのユグドラシル産のエリクサーの味見。

 乾燥ハーブが多めなので濃く深い味わい、どちらかと言えば紅茶や仙薬に近いだろうか。

 寧ろ、昨日の薬用風呂か。


「ありがとうございます」

『気にするで無いよ、計測はどうじゃ?』


 低値。


「中位もいかんか」

『じゃの』

『朝食のお供に飲んでね』


 白チャーハンを腹が出ない程度に食べ、後はエリクサーをひたすら飲む。

 腹が熟れたら柔軟をしつつエリクサー、成人スクナさんに体重を掛けて貰っての動的ストレッチ。


 からのスクナさんの負荷有り筋トレ、コレはキツい。


「ダメだ、向かん、楽しく無い」

『コレは痛覚切れないしね、運動にしてみたら?』


 ただ泳ぐだけでは勿体無いので、漁をしても大丈夫な孤島へ行き、貝や魚を捕る。


 コレは楽しい、無限に出来そう。


 孤島で休憩しつつ再び潜ると、アーニァが来たので競争へ。

 コレは無理だった、完全に手加減して貰って追い付ける程度。


《あはー、もっと練習しないとー》

「だね、負けちゃったからコレあげる」


《綺麗なのだぁ、ありがとー》


 島へ戻って温泉へ。

 入りながらもエリクサーがぶ飲み。


 湯上がりにもエリクサー。


 時間はまだ8時過ぎ。


 この魚介は、どうすべか。




 クエビコさんからの提案で井縫さんにお任せする事に、まだ温泉中なのに井縫さんが直ぐに来たので、魚介を渡す。


 発泡スチロール1箱だけだし、あのデカそうな和食屋なら大丈夫だろう。


 そして井縫さんから合わせて連絡事項が、お昼頃に衣装合わせだと。


「聞かなかった事には」

「しても良いですけど、大人な場所で観上さんが独りぼっちになりますよ」


「ズルいなそれ」

「ですよね」


「ん、井縫さんは来ないの?」

「他人に偽装して紛れ込むので」


「えー、君も加わるのか」

「来るならちゃんとバラしますよ、アナタには」


「んー、よもぎちゃんも居たら面白そうなのに」

「聴風軒さんの総取りで終わるんでダメかと」


「えー」

「顔、合わせたく無いですか」


「まぁ」

「じゃあ、観上さんが居なければ参加と言う事で、ついでに伝えてきますね」


 ハメられた。

 ただ、せいちゃんと会わないで済むのはホッとした、ワシに落ちる事は無くても、恋とは何かと考えて自覚されても困るし。


 そうよな、そんな危ない橋は渡らせないか。


 体も髪も乾かして貰い、湯冷める前にストレッチ。

 流出し易くなったせいなのか、痛みに意識を向けずとも勝手に体が自己修復してくれる。

 便利だけども、本当に人間離れし始めててちょっと引く。


 やっぱ、そこはコントロールしたいんだが。


「スクナさん、結構な勢いで勝手に治っちゃうんだが」

『ココの治療師はそんな感じだよ?だから怪我とか病気に特に気を付けてる、霊元が勿体無いからって』


「ならココに馴染んでんのかね、ヤバく無いかね、帰れるかね」

『大丈夫じゃ無いかな?意外とそっちの治療師もそんな感じだったかも知れないんだし』


「あぁ、まぁ、そうか」


 憶測なのは情報も資料も無いから、向こうで知っときゃ良かった話しなんだろうが。

 過去を探る暇が無かったのよ、本当。


 そうして今度は先生のお部屋へ。




 バスローブはエロ過ぎる。


《おはようございます》

「おはようございます、エロいんですが」


《はい》

「はいって、お部屋のオススメはココなんですが」


《良いですね、でも1件気になる場所が有って、一緒に見に行きませんか?》

「それも良いんですけど、朝食はどうします?」


《じゃあ、それも一緒に》


 そのままホテルで、モーニングビュッフェを頂く。

 オムレツに朝粥、サンドイッチ、サラダや果物。

 朝を軽めに食べといて良かった、コッチの方がバランス良いもの。


 そのままホテルを出て近くの不動産屋へ、それから車で物件へ。

 先ずは先生が気になったと言う、半地下の有る低層マンション。


 玄関を入って直ぐ横にある地下への階段を降りると、思ったよりも風通しの良い半地下物件だった。

 目の前には大きな窓、そして川。

 収納すら無い大胆な図面、小さなテラスは木立で目隠しされて、お洒落。


 1階部分は風呂トイレ、独立洗面台、ココだけ見たら2DKの普通の部屋。


「ワシが欲しいわ」

《じゃあ一緒に住みましょうか》


 案内のお姉さんが赤面すると言う事は、そう言う事に見えているのか。

 あら、有り難い。


「それは保留で」

《ならココにします。契約しますね》


 中古で2,500万程とは言え、平均価格らしいが、安い。


 河瀬曰く投資対象外だかららしい、都心は賃貸に出すか住むのが購入の最低条件なんだと、成程ね。


 事務手続きにと大使館員が来ると、もうお姉さんは眼福の眼差し。


 分かる、ワシもそっち側で拝みたい。


 それからの家具購入やなんかは大使館員さんと回るそうで、コチラは車内から病院へ向かう事に。




 そうしてお昼前、車内から電柱を通り院内へ。


 診察券を出すと10分も待たずに呼び出された。


 結果はアタリ。

 前立腺からでは無く、副腎からテストステロンがかなり出ているらしい。

 他は健康、代理ホルモンの悪影響の気配も無いと。


 血液検査も今日まで、ただ不調が有れば直ぐにでも来てくれと。


 お礼を言って病院を後にし、電柱から浮島へ。




 さぁ、憂鬱な時間が来る前に一服。


《単なる衣装合せなんですよね?》

「ベスクちゃん、そうだけどもよ。でもついでにとか言ってフラフラさせられるかも知れん、誂う為に誰か寄越して来るかも知れん、行ったら先生が居る可能性も有るし。ただ、妥当なラインはネイルが剥がれたので、お直し。かな」


《楽しめば良いのでは》

「振る舞いが撒き餌漁法、遣り取りも拙いと言われたのに楽しめるかいな。その気は無いと穏やかに伝える訓練ぞ、訓練なの、楽しめるワケ無かろう」


《では、訓練で無ければ?》

「拷問?」


《楽しむ気概が足りないのでは》

「そも、何をどう楽しむの?」


《そこからですか?》

「モテない人間の末路をご存知無い?」


《耳にしてはおりますが》

「辛酸舐める所か浸かってて、皮膚はもう爛れて麻痺してるんですよ、ねぇ、その感覚を取り戻す意味は?意義は?また痛覚を取り戻してどうするん?」


《喜びや楽しみへの共感、または体験》

「想像力豊かなので見聞きするだけで充分に、幸せのお裾分けを堪能出来るんです」


《それを、肌で感じて頂こうとしてるのでは》

「だから、なんでよ。アレか、ワシ希死観念有りそうなのか、無いのに」


《いっそ、発案者に聞かれては?》

「何かの計画の一環なら、聞かずに体験すべきかと。ただ、納得いかん、解せん」


「お待たせしました、車の中へどうぞ」

「もうか井縫さん、直ぐ着替える」


「いえ、そのまま下にと」


 鈴藤のままに車へと空間移動すると、目の前には月読さんだけ。

 井縫さんは運転席。


「ほいで」

『アナタの恋心が芽生えたらどうなるか知りたくて、もしかしたら、溢れ出るのを制御出来るかも知れないじゃない?』


「ワシのリスクがデカ過ぎ。それに即物的なんで直ぐくっつきたくなり、果ては泣きながらこの世界とお別れして、向こうでダメージと向き合いながら、引き籠もるかと」

『引き籠もりは決定事項なのね』


「はい」

『情に厚い相なのは分かっていたけれど、そんなに?』


「付き合う=結婚と考える重い奴です」

『はぁ、なんでココに生まれてくれなかったのかしら』


「晶君的には救う為だそうです」

『そうよね、ココだったらそうは成らなかったかも知れないものね、はぁ』


「ですな、普通に健康に過ごして、普通に恋愛して、普通に死ぬんでしょうな」

『そうね、もしそうなら、向こうはどうなってたのかしらね』


「他の適格者が喚ばれるだけでしょう、偶々、意識が定かでないのが自分だっただけで。一切、自分が特別だとは思って無いんで」

『そこが問題の気もするのよ、それなりに特異な経験もしてるのだし』


「あぶれ者と認識してるんで、どの世界でも手に余るとか相性悪いとか。まだ1の世界に排除された可能性は残してますからね、メンタル弱いんで」


『そんな胸を張って言わないで、汚れ役ともあぶれ者とも思って無いのだから』

「今だけでしょう、この後に悪い事が起きれば容易く覆る。掌を返すとかじゃ無くて、正しい評価の元で悪になる可能性だって有る。だから、別にあまり構わんでも良いのです、もう配慮は充分なんです」


『井縫、どうしたら良いのこの子』


「後世と、1の世界に見栄を張りたいので頑張らせろと言えば納得するかと」

『そう?』

「なら納得します、ワシだけの為ってのはそう受け取れないので」


『律儀過ぎてちょっと困るのだけれど、大丈夫?ベスクちゃん』

《はい》

「はいて、素直に理解してくれるのね」


《身に余ると思えばこそ、発揮される事も有るかと》

『そうね。じゃあ、どうしたらこの余興を受け取ってくれるのかしら』


《訓練か拷問と思ってらっしゃるので、それをそのまま実行し精神鍛錬とすべきかと》

『酷い、訓練だの拷問だなんて、ちょっと社交術をと思っていたのに』

「カエルの王子様もお姫様も社交的なら、話は成立せんでしょう」


《確かに、野獣が社交的なら良い治世だったかも知れませんし》

『スサノオが良い子なら、そうね、アマテラスは引き籠もらなかった。って、アナタはどっちの味方なのかしら』


《この影です》

「お、ありがとう」

「着きましたが」

『もう、じゃあ拷問の時間よ、頑張って』


「うい」




 鈴藤のままに車を降り、店へと入る。


 月読さんが楠だと伝え、試着室で変身し天之伊さんに姿を見せると、無反応のまま無言で着替えさせられた。


 先ずは1着目、セーラー服的な水色の普段着。


 次に淡いピンク、薄緑色にクリーム色、どれもが腰に切り替えの有るモガ的スタイル。

 お洒落過ぎるが着れない事も無い、が。


 本番はココからだった。


 夜会用は黒のレースや際どいどころかアウトしてる服ばかり、例えチューブトップが有っても添え物程度で。

 でも、エロいと言うか、顔さえ無きゃ、何だろうか、中性的な錯覚に陥る様な。


 何だろうか。


『ふふ、良いと思わない?』

「この顔じゃ無きゃ褒めちぎる」

「帽子も用意してますよ、どうぞ」


 つば広からレースで顔を隠す帽子まで様々有るのだが、なんと勿体無い、神様の作った生地だって直ぐに分かるわいな。

 薄いレース地なのに顔が判別出来ないんだもの、コレを何種類もの帽子に付けちゃって、勿体無い。


「勿体無い」

『いざと言う時にね、代わりが急に必要になったら、ね?』


「あぁ、それなら良いけど」

『そこは納得してくれるのね』


「置いてくし」

『えー、ダメ、もう2つ作って有るのよ』


「じゃあ予備で」

『急に必要になったらどうするの、それに帰還の際には準備できるかも怪しいのでしょ。それと、向こうでも有効活用して頂戴よ』


「はぁ、はい」

「じゃあ、次はコチラで」


 ラウラ用の大人し目の黒や紺、真っ白なシンプル、完全にモノトーン。

 素材も麻だか何かでレース無し、普通に着れるな。


「マトモ。あ、ごめんなさい」

「良いんです、向こうのコンセプトが狂気じみてますし」


「コンセプトとは」

『ふふ、当ててみて』


「女装コース、初心者入口はコチラ」


『ふふ、惜しいわ』

「本当は、倒錯的異性装風。だったんですが、それで売り出しましょうかね」

「いや、それじゃ女性が買わないかと」


『それは恵比寿の見極める所よ、じゃ、井縫と行ってらっしゃいな』

「へーい」

「了解」


 そのまま店から転移しても良いらしく、お店から恵比寿さんの元へと向かう。




 鳥居を潜り手水をし、お参りすると本堂へと手招きされた。

 周りを見ると、何故か他の人間の姿は消え、井縫さんと2人だけに。


 取り敢えずは上がらせて貰い、先ずは封をされたお手紙を渡す。

 今度は恵比寿さんのジェスチャーに従いくるりと回ると、封を解き何かを書き付け始めた。


 そうして次は御簾を指し、ジェスチャーでチェンジ、と。

 そう何枚もお着替えをし、書き付けは井縫さんへと渡される。


 最後の服を着て終わりかと思うと紙を差し出された、箱、と。


 確かに見せて無いものね。

 箱を出して開けてみると、刺繍の花の色が変わっている様な、少し濃く赤みが強くなってる様な。


 取り敢えず着付けを思い出しながら着てみて、御簾から出る。

 満足したのかサムズアップした後、何かを書き付け扉へと促された。


 このままでか。


 覚悟を決め外へ出るも、人の気配は無い。

 そうして今度は裏手の池へと招かれ、指を差された。


「お優しい、ありがとうございました。ケーキ如何ですか」


 ケーキの箱を受け取りサムズアップする恵比寿様に見送られながら、天之伊の店へと戻った。


 ココ繋とがってるのは何でかしら。




「わぁ、本物ですかそれ」

「それは分からないけど、頂きモノでは有ります」

「月読様コチラを」

『ご苦労様、有り難う』


「月読様、もう1ライン作っても良いですよね」

『コッチが終わったらね、はい、ダメ出し書』

「ダメ出し書って、悪く無さそうなのに」


『この家系、商才が全く無いのよ。だから、売り出したい時には頼むの、もうコレでこの代は安泰ね』

「はい、お直しは直ぐにでも、で、良いですよね新作」


『はいはい、良いわよ』

「あは、やった、じゃあはい、座って下さいね、デッサンしますから」

「へい」


『井縫、ごはんの用意をお願いね』

「はい、行ってきます」


 立ったり回ったり、跳ねたり寝転んだり。


 そんな中で描きあげられたラフを見ると、先程のモガ的スタイルでアジアンテイストが加わったデザインが描かれて居た。

 凄いな、可愛い。


「可愛い」

「でしょう、いやぁ、コレは売れ線になりますよぉ、あはー」

『ほらね、楽しいご褒美でしょう、天之伊』


「本当に、有り難う御座います月読様」

「只今帰りました、どうぞ」

「おぉ、まさかのスペイン料理」


 今日取った魚介達が、美味しそうなスペイン料理として帰って来た。

 天之伊さんは後で食べる、そのまま食べる姿も、と言うので小分けにしストレージへ保存。


 それからお食事へありつく。

 魚介スープにアヒージョ、パエリアにパスタ、コロッケにフライ、大概レモンかけるとクソうめぇ。


「楠さん」

「あ、てめぇ、しかも連射」

『後で私にも頂戴ね』


「消さないと縁切るぞ」

「消しました、もう送っちゃいましたんで」


「はや」

「はい、確認どうぞ」

『ふふ、驚いた所まで、ふふふふ』

「あの、コレどうやって色が変わるんですかね」


「へ」

『あら本当、面白いわねぇ。あぁ、アナタの血で染められた糸みたいよ』


「は」

「僕も欲しいんですけど、その糸」


「へ」

『そうね、作って来て頂戴な楠、広島の山奥よ。あ、服はそのままね、羽衣も付けて、きっと喜ぶわ』


「へい」




 お食事を一旦切り上げ、広島の山奥へと空間移動。


 鳥居を潜り手水をしただけで、もう空気感が変わった。

 本堂を見ると、お参りする前なのに既に手招きされている。


《あぁ、懐かしい、何処でコレを?待って、当てるから。んー、中つ国かしら》

「はい、楠花子、及び鈴藤紫苑と名乗っていまして」


《私は、フノツミミ、あぁコレ、アナタの血じゃない、洒落てるけど大丈夫?貧血とか無い?》

「無いです、大丈夫ですけどコレって」


《威圧、威厳をとの願いが籠もってるわ、そうね、アナタ優しいものね。うんうん》

「あぁ、はぁ」


《それで、あぁ、ウチの子孫の匂いね、そう、この糸を欲しがってるのね。でも大丈夫?ちょっと血を貰う事になるのだけれど?》

「それは大丈夫なんですが」


《良かった、じゃあはい、ココへどうぞ》

「は、ぃ」


 どデカい鍋。

 覚悟を決め袖を捲り、痛覚を切って短刀で肘の内側を切り裂く。


《あぁ、勇ましいわ、素敵よ、うんうん、はい、もう大丈夫》

「まだ大丈夫ですけど」


《アナタのは濃いから大丈夫。そうね、他の色も作りましょうね、ふふ》


 絹糸を投げ込むと、そんな水分量は無い筈なのに、数束の糸がパンパンに血を吸い込み赤く染まった。


 乾かす為にと鍋から糸を出し解すも、血に染められたとは思えない程にサラサラ、解したそばから直ぐに乾いて行く。


 そして赤から黒へ。

 今度は赤から白へと変化し、2種類の糸が出来上がった。


 コレが出来るのは女媧さんだろうか、そうなると血を横流ししたのは?

 先生?


 悩んでいる間に糸の束が綺麗に整った、それを渡されたのだが。

 何が好きかしら。


「あの、お礼は」

《んー、お酒有る?》


 選ばれたのは、紹興酒でした。


 そうして糸を受け取り、今度は境内の池から店内へ。

 子孫だから、店内と境内の移動も平気なのね。




 天之伊さんに糸を渡し、お食事再開。


 早速白いショートベールに何かを刺繍し始めた、寝食忘れるタイプやね。


「にしても、猟奇的な芸術ですな」

「分かります?!いやぁ、もっと早くに知りたかったなぁ、この技術」

『ふふ、今まで必要無かったのだもの、仕方無いわ』

「大丈夫ですか、楠さん」


「おう、ちょっと気圧されてます」


 天之伊さんは先程の神様の末裔で人間らしいが、そう見ると益々色々と似ている気がする。

 実質、御祖母ちゃまそっくりよ天之伊さん。


『アナタも傍から見ればこんな感じよ?ふふふ』


「あぁ、オタクですか」

「えへ、変わったのが好きで、中々売れるの作れないんですよ、あ、でも今回は自信有りますよ。そうだ、デザート如何です?もっと見たいなぁ、何か感情を揺らして貰えません?」


「へ」

「楠さん、珍しく度肝を抜かれてますね」


「自分を凌駕する突拍子の無い人間に出会うのが稀なので」

「あぁ、無にならないで下さいよ。月読様、何とかしてくれませんか」

『そうねぇ、恥じらいの色はどうかしら』


「やめて、誰も呼ばないでくれ」

「わぁ、薄いピンク、お相手は誰でしょうかね」

『最近は、先生かしら?』


「相手っつーか、今朝エロかった」

「んー、黄色、黄色のイメージってどんなんですか?」


「え、警戒色」


「オレンジは?」

「不安」


「じゃあ、白は?」

「安心」


「青は?」


「静寂?」

「コレ、芍薬なのは分かります?」


「あぁ、牡丹か迷ったけど、ほう」

「芍薬の黄色や青色の花言葉はまだ無いんですよ。花言葉、調べた事は有ります?」


「いや、好きなのであえて調べなかった」

「そっかぁ、だからかぁ、へー」

『ふふ、そろそろ落ち着いて、ご飯を食べたらどう?』


「でも刺繍したいですし」

「お手伝いしますか、拙いですが」


「え、でも、あ、なら団扇を取り寄せて貰いたいんですけど、中つ国の」

「こんなんですか」


「それです!おぉ、あ、じゃあ団扇の取り寄せと、刺繍をお願いしても?」

「月読さん」

『お願い』


「うい、次は流石に普段着に着替えますよ」




 次は関西のビルの一角へ、電柱からお店へと進む。

 そこには沢山の団扇の見本に、糸や原画集が置かれて居た。


 お店の人に注文票を渡すと、暫く待ってくれとの事。

 お茶を淹れて貰い、店の隅で暫し待つ。


 取り敢えずは団扇セットを20個、糸は全種類が5セット、原画集は個人的に2つ。


 現金でお支払い、領収証と品物を受け取り、電柱からお店へ。


「便利ですよねぇ、有り難う御座います」

「いえいえ、じゃあ、どうしたら良いでしょうか」


「また着て貰えます?それでご自分の団扇へ刺繍を、先ずはご自分のを仕上げていて下さい」

「へい」


 一通り着替え終えると、白いショートベールが渡された。

 白地に白い糸の刺繍、糸菊だろうか。

 それを被り、窓辺で自分の団扇へ刺繍を施す。


 顔が見られていない。

 ただそれだけで、とても安心出来る。


 しかも、天之伊さん優しいし。

 だらしない格好をしても女の子なのにとも怒られないし、お菓子だって食べながら刺繍しても良い。

 月読さんは資料か何かを読んだりサインしたり、井縫さんがそれに何か一言添えたり、無言で受け取ったりもする。


 天之伊さんはお菓子を食べながら筆を走らせたり、コチラを眺めたり、どこか一点を見つめたり。

 ちょっと猫っぽい。


 あまりにもほのぼのとしていて、自分が一体何をさせられているのか、何をしているのか一瞬分からなくなった。


 刺繍をしてるだけなのだが、何だろうか、このゆったりした時間は。


 眠い。

 ベールだけでこうも安心しちゃうか。


「刺繍、分からない所でも出ましたか?」

「いや、まったりしてるなって。それで少し眠くって」


「じゃあそこ閉めますから眠って下さい。枕どうぞ、クッションも」

「おぉ、失礼します」


 ブラインドが降ろされた窓辺のソファーで仮眠。






 目を覚ますと既に月読さんの姿は無く、井縫さんも居ない。

 今居るのは天之伊さんと自分だけ。


 時間は、オヤツの時間。


 井縫さんが買って来たらしいプリンを食べながら、もう仮縫い段階に入っている服を見る。


 白・グレー・黒のレースが白や黒の刺繍入りになった、中着。


 下には青や緑のワンピースを合わせるらしい。

 試しに深緑色と黒を合わせて着てみると先程以上に軽い着心地、下のワンピースはインド綿だそう。

 どうりで、軽くて涼しい、と言うか寒い。


「あ、羽織りです、どうぞ」


 渡されたのは同じく深緑色のインド綿で出来たストール、同系色の糸で蔦や葉の刺繍が施されている、他にも色に合わせて刺繍のデザインが出て来て、出力が間に合わないんだとか。


 凄く楽しそう、可愛い。

 もう何でも可愛いな、自分以外は。


「楠さん」

「ひぇ、はい、なんでしょうか井縫さん」


「なに不穏な事を考えてたんですかね」

「可愛いなと」

「ですよねー、葉っぱも蔦も愛しいですよね」


「はい。それで、なんでしょうか井縫さん」

「ココへお針子を呼んではどうかと、月読様からの提案です」

「わぁ、助かります、是非」


「では楠さん、例の場所へ、宜しくお願いします」

「はい」


 脇道から門へと向かう。




 そして門に辿り着くと、既に女媧さんと女官達が整列していた。

 総勢で何名居るんだコレ。


 例の衣装のままにご案内。

 どうやらビル1棟が天之伊家のモノらしい、お金持ちだ。

 こわ。


 それと部屋一杯の女官達、異国情緒溢れ過ぎ。

 ウインドウ全開だし、通り過ぎる人ガン見、立ち止まる人まで居るし。


 でも写真撮らないのは民度が高い、それかココが高級店だからだろうか。


「はぁ、凄いスピード、有り難うございます楠さん」

「いえ、月読さんと、あれ、女媧さんは」

「着替えて何処かに行きましたよ」


「いや、見送るなよ」

「ほっとけとの命令なので」


「あぁ、そう」


 注目を浴びたく無いので自分は2階に行き、他の女官達に混ざりながら団扇の仕上げ。


 この団扇は明るい時間帯向きだから、この明るい2階で正解らしい。

 本来は服であれ何であれ、朝に着る物は朝に仕立て、夜用は夜に仕立てるのが良いんだそう。

 もっと言えば生地選びもそうらしく、明かりの性質によって色味や風合いが変わって見えるからこそ、時間帯を変え慎重に選ぶべきだと。


 にしても、この刺繍は違うでしょうよ。


《ふふふ、刺繍、もうバレちゃったのね》

《流石に色が変わり過ぎだもの》

《だって、芍薬だって要望なんですもの》


《ね、大変だったんだから、隠すの》

《アナタも女媧様も秘密は探らない方だから良かったけれど》

《ね。福神様のお願いだったの、だから女媧様には何も言わないであげて》


「いや、言わんけど、何でコレなの?」


《芍薬に、威厳と威風をとご希望されたの》

《何でか、までは知らないわね》

《ね、でも楽しかったわね、秘密の刺繍》


《皆で刺したのよ》

《そうそう、お部屋からお部屋へ移動させて、ひっそりこっそり》

《ふふ、また有ると良いわね》


「有難う御座いました。糸も?」

《糸は頂いたの、綺麗な侍医さんに》

《それで不思議で聞いたのだけれど》

《先生も頼まれたらしいの》


「ほー、マジ何も知らなかったわ」

《ふふふ、やったわね》

《それもだけど、先生何処に行っちゃったのかしら》

《ね、折角の目の保養だったのに》


「良い見た目ですよね、マジで」

《だけど男の方が良いらしいのよね》

《ね、何人も散るのを見たわね》

《見るだけで良いのにね、距離無いと目が潰れちゃうわ》


「わかる」

《遠くから見て楽しめるだけで充分なのに》

《それを無視する高飛車の鼻を、良くへし折ってて楽しかったわぁ》

《ね、もう、私も卒業しようかしら》


《えー、もう何年も隔絶してると興味が薄れちゃうのよねぇ、外の世界》

《アナタはリハビリからよね》

《そうそう、前より楽しく感じたもの、それに先生も居ないんだし》


《そこよねぇ、潤いが足りなくなるのは確実なのよ》

《そうよ、怖いなら皆で行きましょう?》

《ね、皆となら大丈夫》


「女の子のお店でお酒を飲むリハビリは、どうでしょうか」

《え、行きたい》

《へ、アナタ男が良いんじゃないの?》

《可愛い子が見たいのよね》


《それはそう》


 先ずは浮島に行き月読さんへ鏡通信。


【良い時間に車を回すから、行ってらっしゃい】

「こっわ、何も言って無いのにコレはマジで怖いわ。見てるの?つか、どこからどこまで予測してんのよ」


【ふふ、今日予約したばかりよ、アナタの名前を出したら予約出来ちゃった】

「ワシが連絡せんかったら」


【スサ隊を案内させて、そのまま、ね】

「上手いなぁ」


【でしょう】

「ご苦労様です、女媧さんはどうしますか」


【大丈夫】

「まさか店に」


【どうかしらね、じゃ、行ってらっしゃい】


 居るなコレ。

 そのまま諦めの一服へ。




 井縫さんが様子を見に来たと言うか、逃げて来たっぽい。


「俺が案内しますから、無理に行かなくても良いですよ」

「井縫さん優しいな、どした」


「いや、更にその後が有るんで」

「あ」


「忘れてましたか」

「あー、これから行くのでチャラにならんかね」


「無理でしょうね、服も殆ど出来上がってますし」

「あー、自分の首を自分で締めたのね、アホだ。雰囲気に流されてうっかりしてました」


「抜けてますよね」

「ね、イカンな」


「だから良いですよ、消耗しなくても」

「寧ろ充填するのでは、何なら予習復習やろ」




 それも読みが甘かった。


 出来上がった服を受け取り、リムジン2台と乗用車でキャバクラへ。


 女媧さんは居なかったが、蘭ちゃんに葵ちゃんが居る、しかも浴衣。


《いらっしゃいませ、ファンニー》


《まぁ!中つ国の言葉よ!》

《エロっぽいお姉様だわぁ》

《素敵》

「有り難う御座います皆さん、お世話になります」


『ちゃんとお金は貰ってるから大丈夫』

《そうそう、てか可愛い人も多いけど》

《最初からじゃ無い人も居るんですよね?(そう)ちゃん》

『教えない』

『えー、難しいなぁ。白子さんは知ってるんですか?』

「ノーコメント」

《まぁまぁ、ゆっくり楽しみましょうね》


 今日は蘭ちゃんこと、奏ちゃん主導で場が展開していく。

 好意を示すフォーアイニーから始まり、美味しい、や可愛い、綺麗と言った良い言葉の教え合い。


 果ては恋バナに、そこには無関心な天之伊先生。


「天之伊さん、ご興味無い派ですか」

「ですねー、まだ運命の人に出会って無いだけかも知れませんけど、今は服を作ってたいですね」

『へー、初めてそういった方にお会いしたかも』


「ワシも。少しでも見目が良い人間は、誰かとくっつけば良いのにと思っちゃうが」

「子供は可愛いと思いますけど、特には、もう甥も姪も居ますし」

『あーあ、産めたら良いのに』

『“お姉さん達、この子、手術予定なんです”』

《“まぁまぁ、心配なら何でも聞いて”》

《“そうよ、色々教えてあげる”》

《“スッキリするわよ、楽しみねぇ”》


『色々、教えてくれるって』

「だね、スッキリして良い感じらしい」

『え、って事は』

《驚いた顔も、可愛いわね愛ちゃん》

《マジか、マジかぁ》

《騙してません?》

『しーちゃん、本当か?』


「“信じてくれないんじゃが”」

《“ふふ、嬉しいわぁ”》

《“私達は若い頃からだから”》

《“そうね、懐かしいわね”》

『本当だよ、若い頃からなんだって』

『へー、宜しくお願いしますね』


「何故、ワシで信じない」

『だって、奏ちゃんは誂ったりしないですし』

《ふふふ》

《ワンコは真顔でからかったりするって聞いたし》

《そのお仲間となると、ね》

『でも凄いのは本当っぽい、中つ国の言葉ちゃんと出来てるみたいだし。どうなの奏ちゃん』

『うん、出来てる』


「あら、“凄いのがバレちゃったかも”」

《“まぁ大変”》

《“能ある鷹は爪を隠さないと”》

《“お酒を開けて誤魔化しましょう”》


「“結託して、日本語出来るでしょ”」

《“遊ぶ時は爪を隠すものよ”》

《“そうそう、ふふふ”》

《“コレ、飲みたいわぁ”》


 そうして今度はパーティ会場に居たような女性達に主導権が分散し、本格的な夜のお店感が出て来た。

 それと同時に真剣な話しがアチコチで多発、近くでもディープな恋バナになり始めたので、井縫さんが喫煙室へ離脱、追い掛ける様にワシも一時避難。


「なんで楠さんまで逃げて来てるんですか」

「なんか、クセ?」


「マジでそのまま男になろうとかは」

「ワンチャン有る」


「無いのに」

「無いけど有るから大丈夫やろ」


 コートを羽織りながら一服。

 井縫さんに視線誘導され振り向くと、愛ちゃんと目が合った。


 まだちょっと気まずいのに、井縫さんに向き直るとフルスマイルかましてくるし。

 ワシこんな誂わんのに。


「モテて大変そうですねぇ」

「先輩には負けますよぅ」


「俺に来るのは遊びだって分かるし、楽しくも何も無いですよ」

「かぁー、イケメンは爆発しろよクソが」




 一服終えて、席替えさせられ、指定された席へと座る。


 右手には奏ちゃん、左手には愛ちゃん。

 軽めの地獄、救いはオッパイ姉さんが真正面な事と、井縫さんが違う卓へ連行された事。


 天之伊さんは、刺繍の先生と刺繍で語り合ってる。


《それで、どちら良いの?》

《そうよ、ハッキリさせてあげないと》

《そうね、時間は有限だもの》

「誤解が生じてますか」

『僕の事は嫌いですか?』


「好き嫌い以外も有るの」

『1番残酷だけど、諦めもつくのが無関心ですな』

《ね、脈ナシって分かるし》

《振り向いてくれる気配もナシって意味ね》

『今されたら心が折れちゃうかも』

《逆に、気が有りそうなのは脈アリね》


「平坦、フラットは無いんかい」

『有るけど、しーちゃんは平面多過ぎ』

《何か、安定しててシーソーにならない感じがするのよね》

『うん、無関心じゃ無いけど振り向いてはくれなさそう』

《もしかして、好きな人が居るとか》

《あらー》


「好きってなに?」

『へ』

『そこから?』

《えー、ドキドキするとか》

《キュンキュンするとか》

《それか安心、かしら》


「天之伊さんは安心する」

『メンクイなのに普通にまで、もしかしてしーちゃんは意外とストライクゾーン広い』


「イケメン以外認めないとは言って無いし、あの夢中っぷりは可愛いとは思うが」

《分かるぅ、ウブの匂いがするものね》

《そこじゃ無いと思うけど、安定感は有りそう》

《そうねぇ、しっかりした面と可愛い面が見えるモノね》

『雑食しーちゃんのバカ』

『可愛いに弱いですよね』


「いや、コッチに全く気が無いから安心するだけ、だと思う」

《あら、勘は良さそうなのに》

《なんか歪ね》

《そうね、不思議》

『いびつ?』


『不揃いとか』

《ゆがみ》

《凸凹》

《アンバランス、かしら?》

『それ全部、ナイス、奏ちゃん』


「ワザとワザと」

『で、好きなんですか?』


「普通」

『もー』

『ヤれるかヤれ無いか』


「ヤれば出来るが、無い、縁が無さそう」

『お知り合いなのに?』


「誰とでもそんな縁が繋がってたら、息苦しいでしょう」

《そうね、お友達は必要だものね》

『“お姉さん達はお友達?”』

《“それ以上ね”》

《“家族”》

《“似てない姉妹、が理想ね”》


「楠さん、そろそろ」

『ワンコ嫌い』

「えー、もう帰らされちゃうんですかー」

『え、本当にもう帰っちゃうんですか?』

『お仕事?』


「お仕事なん?」

「ほぼ。内偵か張り込みかガサ入れか、ですかね」

『残念』

『どれでも無かったりしそう』

『お仕事、頑張って』


「あい、行ってきますぅ」




 車中でお着替え。


 今回はこのまま化粧無し、ストールを出し、髪留めタイプのショートベールを付ける。

 安心、目隠しされた馬並みに落ち着く。


 用意されていた靴と手袋、小さなバックには今回用の携帯とカード、名義は橘桜子。

 コレも使うのか、やりたい放題だな。


「なんでしょうか」

「コレ、必要なのかね」


「突貫とは言えもう作っちゃったから、有効活用したいじゃない?だそうです」

「有効活用ですか」


「らしいです」


 ラウラの戸籍だとしたなら、まぁ、納得。


「分かった、で、君は」

「この後行きます、バーラウンジでまた。大丈夫ですよ、ちゃんと名乗りますから」


 どう名乗るかも知らぬままに、送り出された。

 不安しか無いし、何ならもう帰りたい。


 ホテルへ入りロビーからエレベーターホールへ、複数機有るので少し迷っていると、ホテルマンに声を掛けられた。

 値踏みなのか何なのか、躊躇いがちにコチラを一瞥し、バーラウンジ専用のエレベーターを案内された。


 確かに行き先は合ってるには合ってるが。

 向こうの表情に戸惑う感じも有ったし、何だ、そんな変な格好か、そうですか、皆で拷問ですか。


 エレベーターが開き、案内に従って左へ進む。

 廊下の先の夜景が綺麗だけど、もう帰りたい。


 取り敢えずは隅の窓辺を指定し、着席。

 店員にロングアイランドアイスティーと、おツマミを頼む。


 バーラウンジの眺めは良い、どんより雲が照明を反射してカラフルになっている。

 低く厚い雲、雷が落ちそうな位に暗い。


 暫くしてカクテルが運ばれて来たので一口、美味い。

 ツマミもピスタチオムースと生ハムチーズクラッカーで美味いし、何も無ければ最高なのに。


 ボーッとしていると、カバンが僅かに振動した。

 携帯を見ると天之伊さんからメール、【着心地はどうですか?】と。


 [姿勢が崩せないのがシンドイです]

 [日頃の姿勢が悪過ぎなので、練習と思って頑張って下さい]


 [考えておきます]


 姿勢を崩すならストールの扱いを気を付けないと、胸が丸見えになるのが面倒。

 見せない配慮が面倒。


 クソデカ溜息を吐き、時間の確認。

 まだ1時間も経って無い。


 帰りたい。


 でもお酒まだ入ってるし、ツマミは美味いんだ本当。


 ただコレが空いたら、もう帰って良いかな。

 少しペースを上げてカクテルが空きそうになった頃、何故かもう1杯来た。


 アチラのお客様からってやつ、きた。

 どんな脳味噌してるんだ、顔半分隠れたペッタンコに酒やるなんて、つかどんな奴だ。


 少しフリーズした後に指された方向を見ると、先生だった。

 なんだ、先生か。


《こんばんは》

「こんばんは、綺麗な格好ですな、肩と背中のフリンジがエロい」


《どうも、アナタの服の副産物だそうですよ》

「見た目はコッチが副産物っぽいですけどね、先生モデルっぽいし」


《股間の膨らみも誤魔化せるデザインですからね、釣られる人間は多いでしょう》

「高嶺の花にチャレンジする人間が居ますかね」


《居るでしょうね。狩猟本能の発散にと、ナンパする方は多いそうですから》

「ほえー」


《容易く狩られないで下さいね?》

「そしたら興味無くす?」


《いいえ、それとコレとは別ですよ》

「どう別なん」


《そこは考えといて下さい、私はこの後、他の場所に行くので》

「えー、宣伝だけ?」


《他に靡く程、性欲は無いので安心して下さい、では、また》

「そうじゃ無いんだが、まぁ、行ってらっしゃい」


 美人さんを見送り、また自分のテーブルへと視線を戻す。

 どうしようか、コレまたデカいグラスのカクテルを先生に押し付けられちゃったし、追加のツマミも来ちゃったし。


 カクテルは炭酸系、ツマミはオリーブとサラミ、美味しいから良いけども。

 今回のはアルコール度数低めだが、もうフワフワなのよね。

 さっきのは結構キツイのに焦って飲んだし、まぁ、もうコレはゆっくり飲もうか。


 そうは思ったのだが、ツマミが美味いし合うしで直ぐに半分になってしまった。


 マジでフワフワ、ちょっとおトイレ。

 廊下を出て左へと進み、エレベーターホールを過ぎて女子トイレへ。


 顔も洗って人心地ついてから、店に戻り喫煙室が無いか尋ねると、少し奥にテラス席が有るんだそうだ。


 ツマミが無くなったのでグラスを持って様子見させて貰うと、生ぬるい気温と湿度に湿った柔らかい風が吹いて、最高。

 夜の梅雨らしい空気が流れている。




 手袋を取って一服。

 美味い、冬の一服の次に美味い。


 酒と交互に味わっていると、グラスが尽きる前に1杯の小さいカクテルグラスが勝手に運ばれて来た。

 クリーム系で美味しそうだが知ってるぞコレ、レディーキラーシリーズやん。

 その名もアレキサンドリア、甘い、美味い、強いやん。

 ツマミもチョコで、(こな)れた感じタップリ。


 見知らぬ男性がフルスマイルで手を振っているが、井縫さんかしら。

 違うとしたら、どぎつい酒飲まそうとするヤベー奴。


「どうも橘さん、井縫です」

「あぁ、良かった。レディーキラーシリーズぶつけてくるヤベー奴かと思ったわ」


「ご存知でしたか」

「知ってたけどさっき暇で再度調べたわ、先生は手加減してくれたのに、なんでコレ」


「コレでも手加減してる方ですよ」

「ほう、で、何か」


「コレ、部屋番号が書かれてるので、受け取って下さい」

「ほう、もう逃げ込んで良いか」


「いざと言う時になら」

「絶対無いな、もう酒を解毒するし」


「自己修復の調査、しなくて良いんですか?」

「あー、それは気になる。成程ね、有り難う御座います」


「じゃあ、俺はもう退席するんで、頑張って下さいね」

「あいよ、どうも」


 成程ね、部屋にはスクナさん待機してるんかな。

 だからこそ自己治癒力の限界を試したり、そもアルコールを勝手に分解するかも試して良いってか。

 でも多分、アルコールって毒のイメージだし、そのウチ治しそうではあるが。


 にしてもフワフワ継続してるし、閾値が有るんだろうか。


 甘過ぎて喉が渇く、お水とおツマミを頼み、湿気をたっぷり吸い込む。

 乾燥に秒でヤられてた名残りか、湿気最高。

 湿度こそ救世主。


 お水を挟みながらテラスでチビチビ飲んでいると、今度は目端で誰かが左隣に座った。

 混んできたのか、右側から周りを確認するもガラガラ。


 声を掛けられないので無視、つかもう少しで酒も無くなるし、お会計しちゃおうかしら。


『あの、待ち合わせですか?』


「いいえ、酒を飲みに来ました」

『じゃあ、1杯如何ですか』


 声は良い、だが顔がちょっと雄々しい系、自分の好みとズレてる。

 有り難いが、金有るし。

 探られるの嫌い、どうせならスマートに酒と共に来いや、折角なら眼福したいし。


「大丈夫です、お金有るんで」


 何か言いたそうなのを遮り店員を呼ぶ、すまん兄さん。


 レディーキラーシリーズを制覇すべく、次はグラスホッパー、おツマミはオススメで。

 食い物が無いと飲めないねん。


 次のグラスが来た時に、流石に遠巻きにされている事には気付いた。


 人が増えてるし、気まず。

 でもチョコミント味うめぇ、ミックスナッツ合う。


 この状況は、変な格好の変人が酒を煽ってるとしか見えんだろうし、遠巻きに見られても仕方無い。

 さっきの人、同情心から声を掛けてくれたんなら、無碍に断ったのは申し訳無かったかも知れん。


《あの、お隣良いでしょうか》


 今度は可愛いお姉さん、右側に座りニッコリしてくれた。

 眼福。


「どうぞどうぞ」

《あら、もしかして女性の方?》


「どっちが良かったですか?」

《ごめんなさい、ちょっと男の子だと期待しちゃって》


「ですよね、ごめんなさい」

《でも良いの、少しだけ傍で眺めさせて》


「こんなんで良ければ、どうぞどうぞ」


 胸以外で勘違いした理由を聞いてみる、何でも一服する仕草がそう思わせたんだとか。

 女の子に見せたいなら、もう少しお上品な仕草だと良いんだと。

 こんな感じかと試しては、あぁでも無い、こうでも無いと楽しくお話し出来た。


 ただ自分に付き合わせるのも悪いので、トイレに行くのでとお別れした。


 次にトイレから戻る途中、優しそうな人に部屋まで送ろうかと心配して頂いたが、公式には部屋は取って無いし、まだ大丈夫だと伝えてテラスへ。


 まだフワフワなまま、もしかして本来はこんなに強いんだろうか。




 そんなアホな事を考えた罰なのか、自分の卓に酒が増えていた。

 紫色と黄色のグラデーションになったお酒、頼んだのは左側に座った男性か。

 お酒の有る間だけ、話しをしたいとの事。

 こんな強引な感じに対しての断り方が分からん、やっぱり誰かに教えて貰っとけば良かった。


 だって、全く眼福出来ないんだもの。

 顔も仕草も何もかも、ダメだ、酒も好みの味じゃ無い、酒なのに香水臭いし、グレープフルーツ苦過ぎる。


 混ぜれば大丈夫と言われたが、苦い。

 もう帰ろうかな。


 何口か飲み、電話するフリをして廊下に出て、店員さんに助けを求める。


 このまま出ても大丈夫だそう、他のお客さんから既にお代を頂いていると。

 びっくりしたが、それを信じて部屋へと向かう。


「お疲れ様でした」

「あれ、スクナさんは?」


「お呼びしますか?」

「いや、大丈夫なんだけど、居るのかと思って」


「眠そうですね」

「ね、最後にクソ苦い酒なんて飲まなきゃ良かった、飲み直そうかな」


「どんな色でした」

「紫の、グレープフルーツ嫌いやわ」


「そうですか、じゃあ飲み直してて下さい。少し出てきますんで」

「おう」


 こう色々と楽しんだのに、〆がシャンパンは味気無いし。

 何か凄い喉が乾いたし、今は水で良いな。


 冷蔵庫の水を飲み切り、下の階の喫煙室まで降りる。




 一服していると、血相を変えた大國さんとスサ隊がやって来た。


「大丈夫か?」

「なにが?」


「薬、盛られたんだろう」


「あ」


 要注意カクテルに青か紫って書かれてたが、こう標的が来るとは思わず頭にも無かった。

 つか、寝込みを襲うって、ネクロフィリアの()が有るんじゃなかろうか。


「吐き出せるか?」

「もう、ビックリして解毒しちゃったかも、すまん」


「いや、体調に問題無ければ良いんだ。現物も抑えて有る」

「おー、こんな高級な所でも有るのねぇ」


「寧ろ、だからだろう」

「あぁー、私刑したいな」


「それは、任せる」

「せんよ、ただ、雷位は落としたいよな」


《手伝って上げようか》


 舞い降りて来た咲ちゃんに近場の避雷針ポイントを教えて貰い、向こうが車で連行される間。

 追い掛けながら、雷を落として行く。


 寝てる子には悪いが、安全な将来の為に許しておくれ。


 目先に落としたり、後方に落としたり、真横に落としたり。


 そうしてとうとう、警察署まで来てしまった。


「ダメだな、やっぱり私刑してぇ」

《他のに任せて》


「んー」

《お願い》


「分かった、宜しく頼みます」


 最後に大きな一撃を1つ、どうか少しでもビビってくれてます様に。


 でも、腹は立つ。

 立った腹は直に収まらない質、だから怒る様な事に遭遇したく無いのに、何でかな。


 車から手錠を掛けられた人間が出て来た、あの優しそうな人も共犯らしい。

 こう目の前にしてしまうと、お腹も胸もモヤモヤムカムカしてしまう。

 もう酔いが覚めてる筈なのに、怒りが湧き立つ。


《ダメだよ、私刑を始めたら全ての犯罪者を相手にしないと、不公平になる》

「そこは気を付けるのか」


《うん》

「なんでこう、打ち漏らす、零れる、なんで溢れる」


《完全は成長を阻害する、自由とプライバシーの対価》

「そんなん要らん人も居るでしょうに」


《だから神職や住職が有る、精神科医、カウンセラー、そして友人》


「あぁ、そうか」

《うん、だからもうココから先はこの世界の事。こう言った事に干渉したら、君は戻れなくなるかも知れない》


「すまんね、役に立てなくて」


 灯台って、本当に灯台なんだな。

 何も出来ないもの。


《飲み直したら良いよ》

「どこで」


《ワンコ、案内してあげて》

「はい」

「宜しくどうぞ」




 それはホテルの近くのバー、中庭が素敵、お昼はカフェらしい。

 流石モテ男、良い店を知ってらっしゃる。


「リキュールを手作りしてるそうですよ」

「酒造法は大丈夫かね」


「大丈夫ですよ、珈琲やハーブを漬けたりしてるだけで、濃縮やどぶろく製造はしてませんから」

「へー」


 先ずはシャンパンカクテルで乾杯、紫色だが臭く無いし苦くも無い、爽やかで甘くて美味しい。

 にしてもさっきのさっきで、紫色を良く出すな。


「トラウマ処置は早い方が良いかと」

「別に何とも無いが、寧ろあの香りの方がヤバい、芳香剤だったぞ」


「コレ、一応入ってますよ」

「バーテンダー天才か、凄いなぁ」


 軽食にと出たパスタも美味い、だがカフェタイムはもっと量が多くて本気なモノが出るんだとか、お昼はお父さん、夜は息子さんで店をシェアしてるんだと。

 良いなぁ、羨ましい。


「もう1杯如何ですか、再現性が重要だと聞きましたが」

「あぁ、飲むべか」


 カルーアミルク、テキーラ・サンライズ、そこからは希望を聞いて貰い、マスカットティー味、杏仁豆腐味、レモンの甘いの、ココナッツの何か。

 バーテンダーがお酒を作り、お兄さんがおツマミを出してくれる。


 カクテルの話から、次はもうそろそろカクテルのカキ氷を出すんだとか、それに合わせて出すお茶を選んでるとも。


 最近知った菊花茶と、ほうじ茶のブレンドや、花茶をオススメしてみると、ちょうど気になってたらしく、明日にでも買い付けに行くとお兄さんが張り切って帰って行った。


 そこで軽食は終わり、更に軽いメニューのおツマミだけになると、お客さんが少し減った。

 自信無いって言ってたけど、ファンがしっかり付いている。

 バーテンダーさんも気付いてはいるが、お兄さんに言うと調子に乗るので言わないでいるらしい。

 ウケる。


 凄く楽しい、お腹もいっぱいになった気がする。


「上書きされましたか」

「おう、ありがとう」


 フワフワしたまま浮島へ。

 井縫さんとはお別れし、入浴せずに全身を洗ってお布団へ入った。

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