4月24日
曇り。
計測は不可能、少し頭がボーっとする。
《おはよう》
「あ、はい、おはようございます」
《おや、熱があるね。マリーの風邪かも知れない、気を付けてはいたんだが》
「いえ、多分、知恵熱です。昨日の禁書の」
《知恵熱を、ふふ、すまない。それでも念の為に氷嚢を用意させるから、ゆっくりしていておくれね》
「はい、すいません」
微熱が有った様に思えたので、そのまま知恵熱を出してみた。
療養しろと言われたし、このままココにお世話になろう。
『お待たせしました。それにしても、お嬢さんの風邪が移ったんですかねぇ』
「すみません、知恵熱なんで大丈夫です」
『ふふふ、そんな冗談を言ってないで、ゆっくりしてて下さい』
ロキなのかメイドのサラさんなのか分からないが、水に溶かすタイプのビタミン剤、氷枕に氷嚢と。
色々持って来て、世話を焼いてくれた。
それから入れ替わる様に、またノエルが入って来た。
先ほどとは違って、横向に休んでいる自分の顔までしゃがんで話し掛けて来た。
『私だよ、ロキだ。大丈夫なのかい?』
ロキの顔に、綺麗なんだよなぁ。
「知恵熱です」
『知恵熱って、普通は子供が出すものだけれど』
「脳が子供なんでしょうね、禁書と貴方の事が重なって。アホな脳味噌がパンクしたんですよ、多分」
『花の副作用かも知れないから、大事を取ってココで休んだ方が良いのだろうけれど、帰らなくて良いのかい?』
「コレ、こんなのが来たんです」
『日本語なのは分かるんだけれど、何と書いてあるんだろうか』
「了解、暫く待機し療養すべし。と」
『君を知り尽くした人間なのだろうね』
「いや、病弱なのは周知の事実なんで。良く眠る厄介者ですから」
『本当に子供では無いんだよね?』
「パスポート有るじゃないですか」
『それでもアジア系は、君は特に幼く見えるから、少し心配になっただけだよ』
「未成年なら一服盛らなかったんですか?」
『そうだね、脳にどんなダメージが有るか分からないから』
ミスったか、でもラウラで来てたら。
殺されるかマジの人質になったかも知れんし、ミスか分からんな。
「大人でもキテますよ、記憶無い所があるんですもん、恥ずかしい」
『大丈夫、粗相はして無いよ。そうだ、洗濯した服を持って来させよう、今はちゃんとメイドが居るからね』
そう言ってノエルの顔に戻り部屋を出て行くと、暫くしてメイドとノエルの顔をした人間達が、服とパスポート、ミルク粥を運び、契約書の入った大きな封筒を渡してきた。
《本当は全て昨日のウチに渡すべきだったんだが、すまないね遅くなって》
「いえ、倒れたり熱を出したりすみません」
《良いんだよ、無理をしないでゆっくり休んでいておくれ》
『そうですよ、何か有ったらその電話を使って下さいね、持ち上げるだけで内線で繋がりますから』
やっと1人。
距離が近いのがロキ、ちゃんと距離を取って話してくれるのがノエル。
コレすら作為的にしているなら、基準にはならないが。
そしてノエルは心を読める人間だ、声かイメージか分からないが。
ただ距離が、範囲が凄く狭い。
それと、マッチポンプとは言え恩を売って取り入るわ、頼み事も気軽にするわ。
観たことあるぞ、この詐欺師の手口。
今回は、洗脳の手口か?
頭が良くも無いのにこの状況、知恵熱と昨日のダメージで怠い、眠い。
寝よう、このまま普通に。
氷嚢が取り替えられた感覚で目を覚ました、メイドさんが心配そうな顔をしてコチラを見ている。
人の家で、しかも敵地で本当に熱を出すとは、確かに自分は危機感が希薄なアホなのかも知れない。
「すみません、ありがとうございます」
『良いのよ、でも今楽ならシャワーを浴びた方が良いわ、ササッとね。そのままじゃ、また冷えますから』
体は楽だが、長湯はせずに出来るだけ短くシャワーをこなし、新しく用意して貰ったパジャマや下着を身に付ける。
下着はパッケージ入りの新品、何処までも気が利く。
「ありがとうございました」
『あらダメよ乾かさなくちゃ』
魔法でサラリと髪を乾かして貰った。
他の事は出来るけど、コレばっかりは出来ないんだよなぁ。
「すみません、何から何まで。因みにその魔法のコツってあります?どうにも覚えられなくて」
『そうねぇ、私は普通に使えたからコツなんて分からないけれど。あ、ノエル様に聞くと良いですよ、魔法で御苦労されたそうですから、何か教えて下さるかも知れませんよ』
ロキの血筋なのにか。
いや、ロキの皮を被った誰かなら納得か。
納得か?
ポカポカしていた体が少し落ち着いた頃、ノエルらしき者が入って来た。
《どうかな、何か欲しい物はあるかい?》
「大丈夫です、かなり落ち着きました」
《そうか、なら少し良いかな?手紙の事なんだが、また見せて貰えるかな》
「はい、どうぞ」
《実は紙に問題があったら回収したい、回収が難しいなら鑑定をと国に言われててね》
「はぁ、どうぞ」
《少し借りるだけだから》
「はい」
《うん、問題無さそうだね、返すよ》
「鑑定って、そんな簡単に済むんですか?」
《違法改造の伝書紙が出回ってるらしくてね、国からお達しが来てるんだ。こう、ライトを当てると文字が浮かび上がるらしいんだけれど。この紙は大丈夫だったよ》
「大きな会社って大変なんですね」
《まぁね。それにしても、きっちりした連絡内容にメモ、まるで君の友人は軍人の様だ。この紙も、いつも使ってるのかな?》
「いいえ、初めてです」
《軍の方で使われてるモノなんだけど、それは知ってるかい?》
「知らないって事にして貰えます?私用なんで」
《ふふふ、そうだね》
「良くご存じでしたね、軍のだって」
《仕事柄何回か目にした事があるんだ。あぁ、それより手紙の内容だね、どうする?》
「体調不良は慣れてるので大丈夫なんですが。ご迷惑で無ければ今日までだけでもお願いしたいです」
《何を遠慮しているんだい、君も含めて大事な取引相手なんだから。作家だけでなく、その周りも大事にするのがウチのモットーだから、存分に療養していってくれたまえよ》
「ありがとうございます」
《良いんだよ。じゃあ私は部屋で仕事をして来るから、何か有れば部屋に来てくれて構わないからね》
「はい」
部屋に行くチャンスは出来たが、仕事部屋が私室とは限らないし。
変に探るのも違うだろうし、普通に寝て過ごそうか。
でももう暇なだけだし、下に行ってみよう。
『あの、どうされました?』
「いえ、メイドさんの仕事って何をするのかなって思って。プロの仕事内容ってどんな感じなんです?」
『もう、おばさんをからかわないで下さいよ。お熱が下がったからって、油断してはいけませんよ』
「ヤバくなったら直ぐベッドに戻りますから、ね?銀食器を磨く頻度とか気になるんですよ、知り合いの家に居候してるんで、何かしないとなって」
『もー、無理なさらないで下さいね。日常用は半年に1回、来賓や特別な事がある時は前日に磨いておくんですよ。銀食器を頻繁に磨いたら柄が消えちゃいますからね。ほら、コレは古い品ですから、こんなに消えちゃってるんですよ』
「あー、へー、どれだけ古いんですか?」
『そうねぇ、200年とか言ってたかしら』
「わぁーマジかー。食器も高そうですし、気を付けないとなぁ」
『お子様もいらっしゃいますし、日常用には高い食器は使ってません、大丈夫ですよ』
「良かったぁ、弁償額が怖くてビクビクしながら食べてたんですよ、本当」
『ふふ、大丈夫ですって。そんな事で怒る人じゃありませんから』
「たしかにー」
『ほらほら、また熱を出す前にベッドへ戻って下さいね』
「はーい、ありがとうサラさん」
ロキなのかメイドなのか分からない誰かと雑談をし、再びベッドへと戻った。
昨日の禁書、ココの家系や由来が関わるのか。
それとも単なる踏み絵かリトマス紙?
なんのリトマス紙だ?
御使いと分かっていないなら、何故あんなにもカウンセラーレベルを超えて話を聞きたがる?
御使いと疑われてる?
なぜ。
御使いが、拘って話したり聞いたりする内容、そう言った項目に引っ掛かったか?
どこだ?
全部か?
今までの話しのどこに、御使いの共通点がある?
帰りたがっている素振りは見せてないつもりだし、何なら最近は帰りたがらない傾向にあると大使が言ってたが。
最近は、だ。
ダメだ、希望的観測を排除しないと。
とりあえず小さな違いでも良いから、捻り出して考えて安心しよう。
ココに治療魔法はあるし、雷電か?
珍しいか知らないから保留。
後は転移が2回目。
コレか?逆にこの条件に当てはまる御使いを探してた?
なんで。
いや、御使い初心者と中級者なら中級者を欲しがるか、欲しがるか?
だって、場合によっては面倒で扱い難いだけだぞ?
それでも何故、中級者を欲しがる。
中級者が持つのは、経験?
アレか?転移の?
あるかも、異世界巡りしたい奴は居る可能性があるだろうし。
ただ、御使いを欲しての事で無いなら、何だ。
単なるキューピッド?アホか?
ノエルの罪悪感だの偽善なら、過去に何かあったんだろうし。
それをマーリンが突き止められないワケが無いし。
こうなるとロキに主導権があるのか?
償いか、それともミカちゃんの主が大好きな、自己犠牲を代償に死を得る事か?
兎に角どっちが主導権を握ってるか分かれば、少しは何かが見えるかも知れないが、利害が一致してるだけで目的は別々なのか。
いかんな、マジでまた熱が出そう。
お腹が空いて目が覚めた、下へ降りるとオヤツの時間。
メイドのサラが持っていたのは、ボウルいっぱいのプリン。
『あら、タイミングが良い事』
「美味しそうですねぇ」
『ダメですよ、コレはノエル様のですからね。シオンさんのは別に用意してありますから、少しお待ち下さいな』
「じゃあ僕が運んでも良いですか?早く食べたいんで」
『ふふ、良いですよ、宜しくお願いしますね』
彼は自分が使わせて貰っている客室の真下の部屋、そこを仕事場にしているらしい。
聞かれてたら終わりだなコレ。
「失礼します、シオンです」
《こんな事をして、大丈夫なのかい?》
「かなり寝たのと、プリンが早く食べたいので運んで来ました。ご心配お掛けしました」
《ふふふ、そうか、うん、ありがとう。じゃあ食べておいで、きっと気に入るよ》
「はい、いってきます。お邪魔しました」
距離が近かったし、ロキなのかノエルか分からん。
でも、見分けが付いて何だと言うのか、逆に危険が増さないか?お互いに。
それにこの食事を運ぶのも、毒が盛られたらどうするんだ。
それとも冤罪狙い?
毒を仕込んだろう、と言い掛かりを付けて窮地に追いやる作戦?
便利に使う為に?
無能を装ってるのに、それとも何かが見えてる?
『どうしたんです?お口に合いませんでした?』
「いえ、ノエルさんて良い人で無防備だから心配になっちゃって」
『あぁ、人を見る目が特に凄いんですよノエル様は。インターホン越しに一目見れば、悪い人かどうか見分けが付くんです。詐欺師なんかもう1発なんですから、大丈夫。優しいんですねシオンさんは』
「ふぇー、凄い、魔法なのか経験なのか」
『ふふふ、その全部かもしれませんね』
「良いなぁ、見る目を養いたい」
『頑張って下さいね』
オヤツを頂き、暫く暖炉の前で呆けているとサラさんの悲鳴が聞こえた。
声が聞こえた場所はノエルの仕事部屋。
メイドに支えられながら、ノエルが椅子に座ろうとしている最中だった。
「ちょ、大丈夫ですか?」
『すみません、久し振りにノエル様が倒れてしまわれて。お騒がせして申し訳ありません』
「いや、いえ、良いんですけど」
ノエルを椅子へと座らせ部屋を出た後、サラさんが少しだけ事情を教えてくれた。
極稀に立ち上がる際に血圧によって倒れてしまうんだそう、病弱仲間だ。
『ビックリさせてしまってすみません、たまにあるんですよ』
「持病があるんですか?」
『血圧以外は大丈夫なんですけどね、仕事のストレスや過労で…あ、シオンさんは大丈夫ですよ、気にしないで下さい』
「何か出来る事は?」
『大丈夫ですよ、それよりご自分のお体を気にして下さいね』
メイドが立ち去って直ぐ、ノエルの部屋をノックする。
扉が開かれて直ぐに見えたのは、真っ白い顔のノエル。
「病気なら知り合いの治療師が居ますよ」
『大丈夫、少し魔力切れを起こしただけだから』
そう言ってロキの顔へ変わると、また直ぐにノエルの顔へと戻った。
切れても死なないのか。
「取っておきがあるんですが、飲みます?」
『どうして』
「魔力切れで死なないなら、無駄な苦痛は取り除かれて欲しい」
一旦部屋から出てストレージから仙薬とエリクサーのミックスを1杯取り出し、飲ませ終えた所でサラが入って来た。
見えぬ間に高速で入れ替わっていないのなら、本当にロキとサラさん両方が居る事になる。
ただ、ノエルは何処だ?
『あら、お部屋に帰ってても大丈夫でしたのに、ご心配お掛けして本当に申し訳ございません』
「でしゃばってすみません、サラさんが来るまでと思いまして」
『ありがとう。眩暈に効く方法を教えてくれてね、大分良くなったよ』
『あら、本当に。顔色も少し良くなってますね』
『だから少し彼を借りるよサラ、直ぐにベッドへ帰すから』
『お2人とも、ご無理なさらないで下さいね?』
『あぁ』
「はい」
サラさんが部屋を出ると長椅子へと移動し、再びロキの顔へと戻った。
神様なら、あんな少ない量では回復出来ない。
ただ、もし普通の人間なら多い量のハズ。
『良い薬を持ってるね、味は凄いけれど』
「貰いました。知り合いが1滴で悶絶してましたけど、良く全部飲めましたね。色々な意味で」
『ふふふ、毒は一通り試したからね。それに、今更君が毒を盛るとも思って無いよ、盛るならさっきのプリンだろうし』
「不死はガード低過ぎですよ、盛るなら今です。油断させた所にグイッと飲ませます」
『味は毒並に酷かった』
「痺れは無いじゃ無いですか」
『ふふ、そうだね。君も毒に興味が?』
「あります、それも妄想しました」
『お互いロクな親を持たないと苦労するね』
「ですね、本当に。もう少し飲みます?」
『良いの?虐殺者だよ』
「その証拠を見てないので、資料あります?」
『少しなら』
本当に少しだった。
ソレは古い新聞の切り抜きで、かなり劣化してからラミネート加工されていた。
見出しは【ロキの自殺により死傷者数1500人以上、地形変化で国境線が再設定へ】
「マジで少しだ、このロキの自殺を確認したのは誰なんです?」
『トール、一瞬ね。私も今度こそ死ねたと思ったんだけど、気が付いたら生き返ってた、自殺した場所とは離れた所で。野犬か魔獣が餌にと肉片を移動させたんだろうね、現場は火炎放射と爆撃で徹底的に焼き尽くされた筈だから』
「凄い生命力」
『あぁ、憎たらしいよ』
「で、どうやって?」
『それはまた今度で良いかな』
「じゃあ、もう1杯」
『嬉しいけど嬉しくないのは久し振りだ』
またカップへ1杯、飲み干すのを確認し、様子見してからベッドへ戻った。
多分、何も無いなら普通の人間では無い。
でも、神様とも決まって無い。
神様の定義を考えないといけないかも知れないが、ココは慎重にしないといかんのだし。
想定よりマシな状況。
部屋だけがストレージ禁止だし、何かあった時用に何かしらを、もっと体の何処かへ仕込んでおくべきだった。
腕に短刀か、奥歯にワイヤーか、ラウラの髪の毛の長さなら絞め殺せるか。
未成年の女なら、魔道具も服も引き剥がされる事も無かったかも知れない、ミスかも知れない。
全員が本当の事を言っているなら。
ただ、ピアスは全く反応しないが、魔道具が機能停止にされてるワケでも無い。
ピアスだけ壊された?
それとも壊れて無い?
あるか?ココまで嘘無しなんて。
有り得るか。
敵が嘘つきとは限らない。
まして本人がそう信じてるなら、ピアスが反応しないのは当たり前。
やっぱり洗脳か?
どっちが主導で?
それに、何で人を巻き添えにしてロキは自殺したのか。
あんな調子のロキなら人を避けそうだが、寧ろあんな事をしたからこんな風に優しいのか?
それも作戦?
何故。
振り分けの為か、何かをさせる為の誘導か。
分らない事が多くて胃が痛くなりそう。
そして本当に熱を出したんだ、本気で少し考えるのを止めた方が良いのかも知れない。
そしてまた下へと降り、サラさんの調理風景を眺める。
大鍋にサーモンのクリームスープ、塩肉じゃが、トナカイのシチューが大量に作られていく。
そして最後にカレリアパイ、サラさんが眺められるのを恥ずかしがったので、お手伝いに参加させて貰った。
『あら、手際が良いのね』
「そりゃあもう、居候させて貰ってますし、仕込まれましたよ」
『ふふ、昔からお手伝いしてらっしゃるのねぇ』
「まぁ、小市民ですから。サラさんはココが長いんですか?」
『えぇ、お坊ちゃ、ノエル様が小さい頃からですね』
「お金持ちは違うなぁ」
『親代わりと言ったら烏滸がましいかも知れませんが、ずっと見て来ました』
「その、言える範囲で良いんですけど、何故に離婚を?」
『家族の方向性の違いだそうです。でも、私が思うにはお体の事だと思うんですよ、急に亡くなられたお母様を看取ったんです、かなり苦しまれましたから。昔は良く病気やケガをする子で、それで不安に、小さな子に死を見せるのが怖いんじゃ無いかと思うんですよね』
「じゃあ、大きくなったら再婚を?」
『そうかも知れませんね、そうだと良いんですけどね』
サラさんの希望的観測も有るのだろうけど、こんな事をしていては再婚も何も無いだろうに。
それに、長年の付き合いの有る人間を騙せてるのが凄い、怖い。
下手したら奥さんも騙してるワケで。
奥さんが気付いたから離婚?
そうなると普通は子供に会わせないだろうし、でも怖いから会わせてる?
子供も気付いて無いのに?
お兄ちゃんの方が気付いた?
グズグズと考え事をしていると、インターホンが鳴る音がした。
サラさんと画面を見ると、綺麗な女性、そして不安げな男の子の姿。
「あら」
『ふふ、奥さまですね』
それを何処かでノエルも確認したのか、内線電話が鳴った。
【サラは料理の続きを頼むよ、私が出る】と、言ったらしい。
少ししてキッチン横をノエルが通り過ぎ、玄関へと向かった。
かなり顔色は良いが、どちらなのだろう。
そうしてドアが開く音がすると、奥様がキッチンへと来た。
そこそこお金が掛かって居そうな美人、良い匂い。
「お世話になってるシオンです」
「あらどうも、元妻のティアです。お加減が良くないと聞きましたけど」
『ふふ、知恵熱だそうですよ』
「本当に知恵熱ですんでご心配なく、暇なので無理矢理手伝わせて貰ってます」
「あら、親御さんには連絡して有るのよね?」
「成人してますので、ご心配なく」
「あら、ごめんなさい、ふふ。でも知恵熱だなんて、ふふふ」
『珍しいですよねぇ、ふふ』
《からかってはイケナイよ、私と一緒で病弱だったそうだからね》
「違うのよ、ごめんなさい、ウチの子も良く熱を出すから。ね?ご挨拶は?」
《ダニーです》
「シオンです。具合はどうですか?」
《僕はもう元気》
《私もだよ、心配して来てくれたのは嬉しいけれど、本当に大丈夫なのかい?》
「えぇ、教会でも見て頂きましたし、マリーが心配で。家族が揃う事こそ、より良く回復するだろうって」
《そうだね、ありがとう》
全くもって、何で離婚したのか分らない程にラブラブ。
そしてそのままマリーちゃんの部屋に、家族揃って向かった。
サラの準備の邪魔をしては不味いと思い、暖炉の前で暖まっていると家族全員が降りて来た。
マリーちゃんは元気そう。
《シオン。ダニーが絵本を読んでくれるから、一緒に見るのよ》
「ダニー?良いの?」
《うん、がんばる》
年は小学校低学年頃だろうか、少し顔を赤くさせながら暖炉横の本棚へと走って行った。
そして絵本を取り、早速読み始めた。
【妖精と御使い】
マリーちゃんに指示された場所へ座り、ダニー坊やの朗読を聞く。
声変わりの前触れも無い、澄んだ可愛い声でスラスラと読んでいく。
そしてマリーちゃんは真剣にお兄ちゃんがなぞる文字を追う、まさに食い入るように絵本を見ている。
「マリーは早く本が読めるようになりたいのよね、だからお兄ちゃんに先生をお願いしているの」
「あー、なるほどそれで」
「ふふふ、あ、少しパパとお話して来るからね、良い子で待ってるのよ」
《《うん》》
2人とも必死なのか、少し間が有った後にハモった。
実に面白い。
それにしてもママさんも警戒心が無さ過ぎる、こんな見ず知らずの男に娘を任せるなんて。
それとも、サラさんと同じくノエル信者なのだろうか。
暫くしてダニーお兄ちゃんが絵本を読み終わると、交代してマリーちゃんが絵本を持つ。
たどたどしいが、兄が指でなぞる字がちゃんと読めているらしく、詰まる事無く読み上げていく。
そしてお兄ちゃんより演技派、声色を頑張って変えているのがまた可愛らしい。
《どう?》
「凄いなぁ、ダニーもマリーちゃんも上手」
《次はシオンの番だよ》
マジか。
「マジか」
《僕が手伝ってあげる》
事情が伝わっているのか、小声でダニーが助けてくれる事になった。
詰まる度に、ダニーお兄ちゃんが耳打ちしてくれる。
そうしてまた指で字をなぞっては、耳打ち。
耳打ちこそばゆい。
そうして何とか読み上げると、ノエルがニコニコと拍手をくれた。
マジか、恥ずかしい。
「恥ずかしいんですけど、聞かなかった事にして貰えませんかね」
《そんなとんでも無い、良く読めてたよ、ねぇマリー?》
《お兄ちゃんの次に上手よ、今日は緊張してるの、ダニーは》
《僕と同じ恥ずかしがり屋なんだねシオンは》
「左様です、こんな大勢の前で読むなんて、恥ずかしいに決まっているもの」
「面白い言い回しね、ふふ。本当にお上手ね、フィンランド語」
「ありがとうございます。疑問なんですけど、何故フィンランド語なんです?」
「ウチではスウェーデン、ココではフィンランド語なの」
《あまりごちゃ混ぜにすると良くないと聞いてね、離婚してからはこうしてるんだ》
《おウチが2つに増えたのよ》
《お祖母ちゃんの家ではドイツ語なんだ》
「いっぱい家が有って良いなぁ、しかもドイツ語まで、凄い」
《夏はお祖母ちゃんの家に行くのよ》
《キャンプして、釣りにも行くんだよ》
「ルアー?餌釣り?」
《ルアーだよ、お祖父ちゃんのルアーを借りるんだ、マリーは虫が嫌いだから》
《虫さんお口に入るのは嫌なの》
「分る。でも良く釣れるのは?」
《《虫》》
「あー、難しい問題だ。お魚美味しいし」
《虫を食べたお魚嫌い》
「イクラは?冷凍イクラで釣ると良いって聞いたよ?」
《イクラは好きよ》
《そうなの?パパ》
《そうだね、試してみたい?》
《やってみたい》
《私も!》
《じゃあ今年はお祖母さんの家に冷凍イクラを持って行こう、釣れなかったらそのままイクラを食べてしまおうか》
「そうね、おいでマリー。そろそろシオンの足が痺れてしまうわ、今度はパパに変わってあげて」
《はーい》
「良い子ね、シオンは、教会の子なのかしら?」
「え、いや、花の名前からで、イギリスではアスターだそうです」
「そうなのね、どんな花なのかしら」
「紫や白の雑草です、アジアでは薬草だとも言われてるそうです」
「ノエル、図鑑には載ってるかしらね?」
《そうだね、少し探してみようか。2人共、植物図鑑と辞書を持って来ておくれ》
《《はーい》》
東アジア原産の花、分類は薬草。
亜細亜圏での花言葉は「君を忘れない」「追憶」その他の国では「忍耐」「愛の象徴」等々。
「へー、忍耐は違うなぁ」
《遠くの人を思う、って何?》
《お祖母ちゃんの事?》
《違うみたいだね、今昔物語からの引用らしい。シオンは知ってるかい?》
「いえ、全然」
《身内のお墓に植えられた花だそうだ》
《じゃあ、遠くって死んだって事だね》
《お祖母ちゃんはまだ生きてるわね》
「お墓用の花か、微妙」
《雑草なら態々植えないだろうから、雑草とは違うって事になるね》
《咳止めだって》
《リコリスみたいに美味しいかしら》
『マリー、ダニー、オヤツですよー』
《《はーい》》
「子供の扱いが上手ね」
「子供っぽいから丁度良いんですかね」
《ココでも子供扱いされるのかな?》
「サービスにクッキーを貰う程度には」
「ふふふ、羨ましいわ。将来は何になりたいのかしら?」
「運送屋を勧められたんですけど、字が、ほぼ読めないので」
「そう言う時は新聞が良いわよ、先ずは見出しから調べるの」
「居候先に新聞が無くてですね、申し訳ない」
「エコで良いじゃない、少し情報が遅くなるけど、ネットは?」
「目が弱くて、画面を見続けると焦点が悪くなるんですよ」
「ふふ、本当に病弱なのね、さぞご両親は心配なされたのでしょう?」
「えぇ、特に母が過保護で大変でした。大きくなれば丈夫になると良い聞かされていたんですけど、こうですから」
「それでも生きてらっしゃる、神の試練を受けてなお生きているんですもの、素晴らしいわ。そちらの、日本の言葉で苦労は買ってでもしろと、ご存じ?」
「良くご存じで。博識でいらっしゃる」
「大学の第3言語なの、向こうにもそう言った考えが有って嬉しいと思って、良く覚えているのよ」
「大学行って無いんですよ、どんな所なんです?」
「知見も友人の輪も拡がる素敵な場所よ、今度見学してみると良いわ。特に外国、カナダ領のミスカトニック大学なんてオススメよ。私は子供が出来て少し大学を休んでいるのだけれど、いずれは子供達も連れて行こうと思っているの」
「ご専攻は?」
「宗教学よ、それと文化も。密接に繋がっているものだから」
「確かに、生活に根付いている国も多いでしょうからね、素敵です。天使様も」
「でも、あの映像は少し残酷で。学校がある日だったから見せなくて済んだけれど」
「アレは過激でしたものね、ビックリしましたよ」
「以前の天使様と交代されたとは聞いていましたけど、残念よね」
「えぇ、お優しい方だったそうで」
「私はお会いした事は無いのだけれど、お噂は良く聞いていたわ。でも、今の天使様は少し怖い顔をしてらっしゃるけれど、良い方だとも聞こえてくるわね」
強烈な耳鳴り、久し振りだ。
《大丈夫かい?》
「久し振りに耳鳴りがして、すみません、もう大丈夫です」
「お大事になさってね、無理せずに、気を使わないで大丈夫だから、ゆっくり休んで」
「いや、本当に大丈夫です、体に異常は無いんですけど。少し休んできますね」
「大丈夫よ、そろそろ帰るから、宿題もあるのだし。マリー、食べ終わったらパパと準備してらっしゃいね」
《はーい》
《大丈夫?》
「大丈夫、もう治ったから」
「それでも、コレ以上はパパのお仕事の邪魔をしてしまうから、もっと元気になってから、沢山遊んで貰いましょうね」
《すまないね》
「良いのよ」
そうしてノエルが家族を見送るのを見送る、それにしても解せない。
仲は良いんだし。
宗教の違い?
《体調が良くないのにすまなかったね、大丈夫かい?》
「はい、ノエルさんこそ大丈夫ですか?」
《大丈夫、ほら、すっかり顔色も戻ったろう?》
「えぇ、安心しました」
《でも君はまだだな、少し顔色が悪い》
「あ、そうですか?元気なのに」
《ベッドに戻った方が良いよ、好きな絵本を持って行って良いからね》
「どうにも童顔とは困りますな」
《そうだね、さぁ、上がろう》
「はい」
取り敢えず手近にあった分厚い絵本を取り、ノエルと共に2階へと上がった。
ベッドへ入ると、椅子を近くに寄せノエルが座る。
《解せないと言った顔だね》
「何で離婚したのかと思いまして」
《彼女の留学の事や、色々と総合的に離婚する方が良いと、互いに思っての事なんだ。それに彼女には私より合う人間が居ると思ったのが1番だね》
「誰にでも合わせられそうですけどね、ノエルさんは」
《そうでも無いよ、自然体では居られなかったから》
「そうなんですね、すみません」
《まだ納得してないみたいだね》
「どちらかが、変化したと言う事なんだろうなと」
《彼女がね。生まれたばかりのダニーの体が弱くて、一時は入院ばかりだった。そんな時に私の仕事も忙しくてフォローが足りなかった。それから少し心配になる程に教会へ通う様になって、今はもう良い距離が保てているんだが。もしまた同じ事が起きた時に、今度は私が子供の逃げ場になるべきだと思ったんだ》
「その為の離婚ですか」
《万が一、念の為にだよ》
「変化は悲しくないんですか?」
《悪い変化や捻じ曲げられた変化なら悲しいけれど、彼女の思いも考えも悪く捻じ曲げられたモノじゃ無い。より良い先へ進んだだけだから、後悔はしていないよ。そうだ、彼女をどう思う?》
「平和で幸せな家庭に育ったんだろうなと」
《そうだね、良い義母達だよ、今は仕事を引退してドイツに。元は科学者一家なんだ》
「カエルからアヒルが生まれたのに、苦労が見え無いとは凄い」
《頭も心根も良い方達で、視野も広い。君の言う通り、平和で幸せなご家族だよ》
「ノエルさんはどうなんですか」
《父が早くに亡くなって、それを看取った。母も父を溺愛していたから、後を追う様にね。私は年がいって出来た子で、少しの間だけ祖父に預けられたけれど、幸せな時間を過ごせたよ》
「独特の経歴をお持ちでらっしゃるのに、離婚出来るって凄い、意志が強いんですかね?」
《ふふ、離婚が悪い事で有ると言う時代は過ぎたからね、悪く言う友人も居ないし。私は恵まれてると思うよ》
「羨ましいです、本当に」
《ありがとう》
『失礼しますノエル様、お話を宜しいですか?』
《あぁ、もうサラの帰る時間か》
『そうなんですけれど、泊まりにしましょうか?』
《心配しないで、もう子供じゃ無いんだ。良い大人が2人も揃っているのだし、帰ってくれて構わないよ》
『そうですか?何か有ったら何時でもお電話下さいね?』
《あぁ、勿論。送るよ》
「じゃあ僕も」
『いけませんよ、養生して下さいね』
《そうだよ、大人しくしてておくれ》
「はい」
そんなに顔色が悪いのか?
2人が出て行った後、バスルームの鏡を見る。
顔色は普通。
黄色人種の顔色を見慣れてない?
目の下のクマか?
体質なんだよなぁ。
家族にも誂われたしな。
家族がダメなら周りの環境、それもダメなら教師か、友人か。
何処かで誰か良い人と出会えれば、少しはマシな人生が。
マシか?一服盛るのが?
イカン、ノエルはマシじゃ無いだろう。
奥さんだってミカちゃんの事で嘘つける人だし。
ノエル、サイコパスか?
不安定な神とサイコパス人間だったとしたら、どっちが勝つんだろう。
目のマッサージをしながら部屋へ戻ると、ノエルかロキか分からないのが、ベッドに座って待っていた。
『どうしたの、マッサージなんかして』
「顔色が悪いと言われるのは、目の下のクマが原因かと思いまして」
『そうだね、確かに心配になる』
「体質なんですけどね。お仕事大丈夫ですか?」
『あぁ、ノエルが送り終わったらする筈』
「ロキさんか、体調どうです?」
『楽だよ』
「じゃあ、遠慮しないで飲んで欲しい」
『その話をしようか、どう死のうとしたかの話し』
水素爆弾を持ち出したのが見付かり、逃げる途中で攻撃された、と。
元々、ロシアの所有物だったらしく。
ロシア帝国が近隣と国境で揉めていた時に、ロキによって爆弾が持ち出された。
そこでロシアはロキをフィンランド領へと追い込み、爆発させるつもりだった。
だがそれを感じ取ったロキにロシア領へと引き返され、指揮系統が混乱した中、戦車が放った砲弾が命中。
地理が変わる程の大爆発が起きた。
ロシア帝国が行った作戦なのにも関わらず、ロシア側の死傷者数はあの掲載の2倍以上だった筈だ、と。
「そこは偏屈なんですね」
『フィンランド軍は私を殺せないと知っていたから、兵も装備も最小限だった。その点ロシアは爆発に乗じて土地を取り返そうと重装備だったから、死ねるのはロシアだと思ったんだ。神も居ないしね』
「ほう、罪悪感は?」
『無くは無いよ、数が数だから』
「曖昧な返事は嫌いです」
『それはノエルとして困るな、私は良いけれどノエルは嫌わないでおくれね』
「この企みの首謀者、主導者がどちらかで返事は変わります」
『君も曖昧な言い方をしているね』
「死にたく無いですからね」
『考えたのは私、主導権も私だよ』
「そう見えない」
『そう計画したから』
「それが本当なら、何故バラしますか」
『もし君がトールに繋がるなら、また死ねるチャンスがある』
「繋がりある様に見えます?」
『君は御使いだからね、やろうと思えば出来る筈』
「御使い?」
『オーラ、匂い、常識のアンバランスさ。それと勘、伊達に年を取って無いから』
「箱入り息子なんです。それに例え本物でも、偽物でも、普通は御使いだなんて公言しませんよ。詐欺師で捕まるんですから」
『ノエルには言って無いよ』
「それでもです、買い被り過ぎですよ、しがない無能者です」
『なら、本当は誰に育てて貰った?今までどう育った?』
「ノエルさんも、変身の魔法が使えるんですね」
《バレちゃったか》
「最後の方で目がギラギラしてましたもの」
《参ったな、今日倒れた後に油断して面が割れたとロキに言われてね、それなら少し誂おうと思っただけなんだよ、すまない》
「心臓が飛び出るかと思いましたよ、ビックリした。そのロキさんはご兄弟なんですか?」
《あぁ、ウチの守護神と同じ名前が付いた、異母兄弟なんだ。アールト家の血が入って無いから戸籍は別々なのだけれど、血の繋がりのある大事な家族だよ》
「それで、目的って何ですか?」
《君と私、ロキの運命の相手を探す事。だから君にはもう少し、ココに居て欲しい》
「えー、せめて契約書類を友人に渡したいんですけど」
《そこは運送屋に頼むから、ゆっくり滞在して欲しい》
「拒否すると?」
《本を出さない》
「なら他で頼むと?」
《残念、ウチで出すからと、もう既に手を回してあるんだ》
「それでも帰ると言ったら?」
《サラの家族に死んで貰うよ、1人ずつ、君が良い返事をくれるまで》
「どうしてそこまで」
《大事な事だからだよ、とっても大事な事》
そう言って顔に香水を吹付けられた、嗅いだ事のある甘い匂い。
鼻腔の粘膜がビリビリ痺れ、唇がヒリヒリする。
目も、眼球も。
顔に残った液体を布団で拭き取り、そのまま突っ伏した。
『ノエル、彼には』
《大丈夫、催眠の効きが悪いと聞いたので重ね掛けするだけです、さっきの話を忘れて貰うだけですよ》
『それでも、また熱を』
《私として看病して下さい、宜しくお願いしますね》
ノエルが出て行き、ロキに抱き起こされる。
顔は見えないが、思わず眩しさで顔を歪めてしまった。
『申し訳無い、情報は小出しにした筈なんだけれど、何かが彼の興味を引かせた様みたいだ。すまない』
異母兄弟の嘘にピアスが鳴らなかった、初めて接敵するサイコパス。
それなのに、ココにも嘘は無い。
信じるならば、後はココに盗聴器かカメラ、またはその両方が付いている可能性が出て来た。
その為にコチラも情報は搾ったが、問題はロキがその存在に気付いて無い事。
『ごめんよ、今拭き取るから』
乳児でも扱う様に、濡れたガーゼで顔を拭われる。
このロキがあのロキと重なるが、どうしてもロキと思えない。
思いたく無いだけなのかも知れない。
『私には、ノエルを治せる力があった、膜を治す力。ダニーも、家系的に薄い膜なんだ。蘇生先の近くで何代も前のアールト会長に助けられ、それからは子供を治して遠くから見守るだけ。何代目かでノエルが生まれた時、フェンリルにそっくりだったんだ、黒い尻尾に黒い耳、金色の瞳の可愛い子。やっと生まれ変わりの子供に出会えたんだと思った、思ってしまった、それからずっと側に居る』
今、どんな顔をして話しているのだろう。
泣きそうな声で、辛そうに喋って。
『それから近くで見守るウチに気付いた、亜人でありながら並の魔力も持っていると。当時の会長から頼まれ、変身の魔法を教え込んだ。そして変身魔法を会得した彼は、また人間の家族の元へと戻った。そしてダニーが生まれた時、再び出会った。フェンリルの面影も無くなった彼に、私はただ幻想を重ねていたんだと気付いたよ』
そう言って、バスルームに行った音がした。
どうしようか、このままで居るべきか。
『優秀な彼は次期会長候補で、また話す様になった。そして話すウチに彼の聡明さがとても嬉しかった、そして提案された。ロキを殺せるか生かせる者を探すから、協力してくれと。嬉しかった、だから誘いに乗った』
「御使いじゃ無いです」
『うん、大丈夫、私はそう思ってる。でも、ノエルが言うんだ、ノエルの人を見る目は私を越える。だからもし君が私を殺せるなら、殺して欲しい。そして悲しまないで欲しい』
「分かった、なくな」
だが生憎、今は殺せない。
殺せそうな武器が今出せないんだもの。
マジで暗器を体に埋め込むべきだったか、それともリボン蛇を常に付けるべきだったか。
やっぱりラウラの方が良かったのかも知れない、男でチョーカーはちょっとね。
ベッドに突っ伏すロキの頭を撫でながら考える、どうする。
つかどのタイミングで覚醒すべきよ。
魔力容量も少なく弱っているロキが大人しくなって360秒、まだ6分。
トイレ行きたいな。
肝心の薬の有効時間を教えてくれなかったし、マジピンチ。
ぼやけた視界のままベッドから出ようとし、支え様としたロキと一緒に床へと転げ落ちてしまった。
音に驚いて階段を駆け上るノエルの足音が聞こえる。
限界なら漏らす衝撃、肘とおでこが痛い。
《シオン、大丈夫かい》
「トイレ」
《案内するから、歩けるかい》
「いたい」
《そうだね、ベッドから落ちたんだ。トイレに行こう》
ズボンを下ろし、座りションで一息。
初めて、真剣な声を聞いたかも知れない。
サイコパスの可能性を疑わなければ、罪悪感が生まれそうな程に心配してくれている声がしたが、本当かどうか。
さぁ、どうする。
普通ならどうする、手でも洗わないで出るか?
嫌だな。
嫌な事は催眠術ではしない筈、なら何時も通りに、ちょっと手を加えてみるか。
トイレを流し、手を洗う。
後はひたすら手を洗う、石鹸を付けては流し、また石鹸を付ける。
長く続く流水の音で異常を感じてくれたのか、ドアが開いた。
『もう洗わなくて良いんだよ、手を拭こう』
《シオン、肘以外に痛い所は?》
「あたま」
『ノエル』
《分かってます、あの薬に過剰に反応したらしい。薬が抜けるまで後少しなんですが》
『まだ朦朧としてるし、30分で抜ける筈なんじゃ?』
《確かに弱く調節した方です、確認しました》
『アナフィラキシーみたいに耐性が変質したのかも』
《呼吸も脈も正常です、少し待ちましょう》
『ごめんねシオン』
《シオン、起きても痛かったら医者か治療師を呼ぶからね》
「はい」
《君は話の途中でトイレに行く時に転けて気を失った、そうして目覚める》
「はい」
《うん、じゃあ少し眠ろう》
「はい」
《シオン、目を覚まして》
「ん、いたい」
《大丈夫?》
「いや、痛いです、眩しくて見えないし」
《サラが帰って直ぐに転けたからね、吐き気は?》
「無いですけど、何か話しませんでしたっけ」
《あぁ、ロキ神の記事の話かな?その後だよ、転けたのは》
「あー?すみません、何か、何処まででしたっけ?」
《この前のテロ事件や、1500人以上を巻き込んだロキに罪悪感は有るのかって話だよ》
「何て答えたかった覚えがちょっと」
《分からないと行ってトイレに行こうとして、医者か治療師に見せよう》
「いや、目は、眠れば治ると思うんで、折れた痛みも無いですし」
《目を強く擦らないで、心配だな。私の掛かり付け医を呼ぶから、ついでに診て貰おう》
「大丈夫です、良くなるんで」
《私のついでだよ、遠慮しないで。それと、1人で動かない様に》
「あい」
薬は毒にもなる。
毒は薬にもなる、体質によって反応は様々。
素人が手を出したらアカンよ、良くやってこれたなこの人達。
それとも騙されてるフリ?
慌ててくれて何よりだが、サイコパスって慌てるのか?
動じないのがサイコパスだろうに、フリか?
どっちのフリだ?サイコパスのフリ?普通の人間のフリ?
つか、カメラがあるのは確実だな、落ちた音で肘かどうか分らんし。
問題は音声だ、仕事場にイヤホンとか見当たらなかったし。
私室にあるのか?
仕事部屋のは、たまたまマイクが壊れてる?
もうロキと話すなら、風呂場か、プール?
『すまない、もう暫くしたら医者が来るよ』
「すみません、お仕事は?」
『大丈夫』
「あの、バスルームに行きたいんですけど」
『付き添うよ』
支えられながらバスルームへと向かう。
そしてシャワーを肘に当てながら、顔を近付け小さな声で話す。
「あの」
『分ってる、カメラがあるんだね。気付かなかった』
「マジですか、何で知らないの」
『お互いのプライバシーを守るルールがあって、私は彼の私室には入れない。別の結界があるんだ』
「わお」
『首に神経遮断機が埋まってる、死ねないけれど動けなくなる』
「取り出すと?」
『爆発する』
「何でそんな改造を」
『死ねるって言うから、試したけれど両方ダメで。目覚めたらまた埋め込まれてた』
「まぬけ」
『面目ない』
「どうする、ココだって高性能なマイクあったら終わりだぞ」
『君は逃がすから心配しないで』
「一緒に行かないのか」
『許可無しでこの家を出ると、サラの家が爆発するって。家は集合住宅なんだ、かなり被害が出てしまうから』
「掌握されてんじゃん」
『私を守る為、衝動的に死なない為の装置なんだ。かなり前の会長に進められて付けたけど、かなり効果は有ったよ。私を利用したい人間にも効果覿面だからね、有り難いよ』
「馬鹿か?」
『1人救えば何人も救われる、より有能な人間が多い程多くの人が救える。実際にそうだとも思えたし、それを見てきた。そうやって何十年も救って、同じ数だけ救えたから、今度は死ぬか生きるか考える時が来たんだ。だから、ノエルも必死になってくれてる』
「あの人に感情は有るのか?」
『確かに、普通の人よりは揺れ幅が少ない時も有るけど、共感したり怒ったりしてるよ』
「サイコパス、無感情のフリ?」
『うん?中身は普通のハズだよ。寒く無い?』
「寒い」
『じゃあ椅子と毛布を持ってくるね』
「良い、戻る」
『じゃあ、暖炉の前に行こう』
極寒の雪国の水道水に、これ以上当たると凍傷になりかねない。
そのまま暖炉の前まで行き、暖かいココアを淹れて貰った。
「ありがとうございます」
『気にしないで、それにしてもその体勢は』
「本当は圧迫もしたいんですけどね、上げとくと治りが早いって聞いたんで」
『身体的暴力を』
「受けてませんよ、過保護と暴言だけですのでご心配無く」
『暴言は、あ、待ってて。電話に出ないと』
家の電話が鳴った、ノエルの声で応対し、振り返り、仕事が有ると言って仕事部屋へと歩いて行った。
そして戻って来るのは、多分ノエル。
《頭痛や吐き気は?》
「大丈夫です」
《私もベッドから落ちた事があるよ、少し酔っててね、縁に手をかけたのが滑ったんだ》
「記憶が無くて、それが嫌なんですけど」
《今まで倒れた事は?》
「あー、最近、有ります」
《そうか、なら頭を打ったりすると記憶が途切れる事があるらしいから、それだろうね》
「実は夢遊病っぽいのも、熱を出すとアリス症候群に」
《そうか、それでか》
インターホンが鳴り、医師が到着したらしい。
お爺ちゃん先生の声、優しそうな声。
先ずはノエルを診て、直ぐにコチラへ。
たんこぶ、打ち身だけ、絨毯の床なのもあって大したケガでは無かった。
ただ、瞳孔は見当が付かない様子。
そして急変するか、明日にも目が治らなかったら、大きい病院へ行く様にと紹介状が書かれた。
知ってる病院があるか聞かれたので、取り敢えずオウルの病院の名前を告げると、宛先がそこになった。
「ありがとうございました」
《お送りしますよ先生》
どうしたもんか。
治すべきか、留まるべきか。
ぼやけた視界でボーっとしていると、シルエットが見えた。
「見えないのは不便ですね、やっぱり」
《目が悪かったのかい?》
「上手に見えなくなった時が少しだけ有るので」
《魔法で治したのかな》
「眼鏡ですよ、小児乱視だったんで」
《大変だったね、それで目が弱いんだね》
「はい」
《うん、知恵熱の事も有るし。コレから病院に行こう》
「もう閉まってるのでは?」
《電話して急患で行こう、何か有ってからじゃ遅いからね》
「いや、でも、そんな大袈裟に」
《君はその前にも倒れてるんだから、1度検査した方が良い》
「検査ならしましたよ、少し前に」
《それでもだよ、運送屋にはもう言ってあるから待ってて》
直ぐにも病院へと連絡。
すんなりと受け入れて貰える事になった。
そして数分もすると、インターホンが鳴る。
そして寝間着のままコートを羽織り、外へと出る。
何度目かの移動で、病院の目の前まで来たらしい。
消毒液の匂い。
警備らしきシルエットに、ノエルが2人のパスポートを預け、病院に入った。
そして聞き覚えのある声、ルミ先生だ。
「お世話になります」
《はい、宜しくお願いしますね。ルミです、車椅子で移動しましょう。あ、ノエルさんは向こうの待合室でお待ち下さい》
《はい、宜しくお願いします》
車椅子を押して暫くすると、口頭で問診票に答える事になった。
そして先ずはレントゲン、異常無し。
《あの、怪我はどうやって?》
「覚えて無いんですけど、ベッドから落ちました。良く漏らさなかったなと、トイレに行こうとしてたらしいんです」
《お薬は何も服用されて無いんですよね?》
「はい、病弱だったんですけど、今はもう健康なので何も飲んで無いです」
《失礼ですが、ご家族は?》
「居ません」
《では、あのノエルさんとは?》
「原稿を持ち込みに行った先で、お世話になってます」
《そうですか、CTやMRIのご経験は?》
「ありますけど、コレ外さないと無理なら嫌です。願掛けしてる御守りなので」
《少し待ってて下さいね、反応するか検査機を持って来ますから》
臍ピアス。
検査機には反応無し、無事に検査を終えたが入院となってしまった。
ノエルは家で待機。
さぁ、どうするか。
売店が締まる前に、看護師さんに車椅子で連れ出して貰った。
絶食だが飲み物は問題無いそうで、適当にリクエストし購入して貰った。
そうして飲み物を買って病室へ戻る筈が、長い長い道のりを経て、ぼやけながらも見た事のある部屋に付いた。
多分、院長室。
『シオン、どうしてケガしてるの』
「看護師に化けてたか、声で分るが一応名を名乗れ」
『マーリンですけど、何か機嫌悪い?殴られた?』
「いや。で、どうしたら良い」
『詳しく話してくれないと』
「変身できる人間は信用ならん」
『人間じゃ無いし、君の目を強制的に治す程度なら出来る神様なんだけどなぁ』
「あ、治しやがって、他の証拠は?」
《何を揉めている》
「ミカちゃん、会いたかった。今会いたかったって気付いた位に、会いたかった」
『えー、何かショック』
「すまん、人間不信が戻ったもんでね」
《変身に騙されたか》
「まだ騙されたままの筈、ノエルには」
『他にも居るの?』
「ロキ」
《居たのか》
「自称ロキ、何か変。思ってたのと違うのは勿論だけど、本当にロキが爆弾抱えて爆走したの?」
『そうだよ、それをトールが見た。避難を優先させたから最後は見てないけど、方向的にも進んだ距離的にも多分そうだろうって、私もそう思ってた』
「肉片を魔獣か野犬が運んだのか、離れた所で蘇生したらしい」
『それとも誰かが持ち出したか、追加の火炎放射や爆撃には少し間が有ったらしいから。懸念してた通りだね』
「それから人間に囲われてる、爆弾と人質付き」
『あの残虐なロキが?それは確かに変だけど』
「トールと話したい」
『ダメだよ、トールの匂いが君に付くかも知れない。ロキは獣の王でもあるんだから』
「君らはいいのか」
『私は匂いが消せるもの』
《俺は幻影に近い》
「トールは使えんのか」
『うん、それに今知らせたら突っ込むかも知れないし、行くのを止めるのがかなり面倒くさい』
「それは、そうか」
『知らせるには、もう少し情報が欲しい』
メイドのサラさんが知らずに人質になってる可能性がある事、家にも爆弾が有る可能性。
その他覚えている限りの情報を話した。
「で、私室は行けなかった」
『ロキの部屋も、でしょ。そうだなぁ、何が嘘かも分らないんだものなぁ』
「おう、2人とも全部嘘の可能性も有るし」
『嘘が散りばめられてる可能性も、その配分も不明』
「全部同時に何とかならんかね」
『うん、そうするつもり』
「もう少し向こうに居て良い?」
《ダメだ》
『良いよ』
《毒を盛られているんだぞ、これ以上何かあっては困る》
「平気、鼻の中がビリビリするだけだし」
《それでもだ、もし万が一》
「他に適任が居る?」
《探している。それにだ、万が一にも死ぬかもしれないのだぞ。蘇生出来る者が今は居ないんだ、命を大事にして貰わねばだな》
「蘇生はラフィーちゃん?」
《いや、死天使だ》
「あぁ、アーちゃんか、向こうでは世話好きな感じだったなぁ」
『他にも、適任者を探すにはかなりの時間が掛かると思うよ。でもそうやって時間を掛けたら、逃げられて潜伏されるかも知れない。シオンが行きたいと思ってくれるなら、行って欲しい』
「行きたい。だが、どうして分った?」
『ルミ先生だよ、暴行事件だといけないからって保護者に連絡が来た』
「良かった、巻き込まないで済んだ」
『うん、良く頑張ったね』
「まだ頑張るぞ」
『よし、他に質問は?』
「目的は何だと思う?」
『教えない。まぁ、そのままで居てよ、多分もう安全な筈だから』
「マジで依存性無いかな」
『大丈夫な筈だけど』
《俺は認めない》
『まだ彼女の事を気にしてるの?もう赦されたんじゃないの?』
《それでもだ、誤解や争いに巻き込む事を主は良しとしておられない》
「火炙りは嫌だから、一思いにお願い。致命傷じゃ無きゃ大丈夫だから」
《それでも》
「自己犠牲は嫌い?」
『それはズルいよ、流石に可哀想』
「ごめん、でも死なないのが前提なのでフォローをお願いします」
《分った》
『うん、じゃあね、おやすみ』
空気の様に静かにして居てくれた院長に車椅子を押され、部屋へと戻った。
改めて見ると個室凄い。
少し興奮して眠れなくなりそうになったが、もう暫くは安心して眠る事は出来ないと思い直し、
鍵を使い眠った。
《ノエル》『ロキ』
『メイド』→『サラ』?
ノエルの元妻「ティア」
《ダニー》
《マリー》《ルミ先生》『マーリン』《ミカちゃん》