110:海辺の二人
一途パート:二人きりの海水浴に浮かれる一途。
だが、そこには陽気と熱気が渦巻く光景が広がっていた。
デパートで水着を買った次の日、俺達は早速電車で夏と海の代名詞ともいえる湘南にやってきた。
潮の香りと、砂浜に照らし返す日の光が俺達を夏の気分にさせる。まあ、はっきり言って暑くてしんどい。雰囲気だけ楽しんで帰りたくなるくらいキラキラ輝くグラサンパーティ野郎がうじゃうじゃいる。
「うわぁお。陽キャばっかだな」
「お前が行きたいって言いだしたんだぞ? 後悔してないで、今日は1日楽しもうぜ」
俺達は早速、持ってきた水着に着替えるため更衣室に向かう。
さすが、夏休み。人が群がっている。けど、なんとか二人で一つのロッカーを使うことで事足りた。
「浮き輪持ってきたよな? ハル」
「そらね。オレにとっちゃ必須アイテムだから」
「高校んときもビート板組だったもんな」
「その話はもうやめようよ。思い出しただけでつらくなる」
「悪い悪い」
遥がズボンを下ろし、パンツも下して丸裸になっていく。
その姿なんて学生のとき何度も見ているはずだが、別のものを見ているようだった。
遥がこちらの目線に気付き、俺の背中を叩く。
「じろじろ見ないでよ。エッチ」
「そのちっさいゾウさん早くしまえ。俺もう着替えたぞ」
さすがにちっさなゾウさんというのは言い過ぎたのか、遥はシュンとしながら水着を履く。
バッグの中に必需品を入れて、ビーチサンダルで砂浜を駆けていく。
当たる潮風は、部屋の中で窮屈にしているよりもずっと開放的に感じた。
そら、陽キャが増えていくわけだ。
「すげーぜ、一途! 海だ!」
「当たり前なこと言うなよ。さ、早くシート広げるぞ! 俺らの場所がなくなる」
バッグの中からレジャーシートを取り出し、空中にバッと広げていく。
泳ぐこともイベントのひとつだが、まったりと雰囲気を満喫するのも海辺の醍醐味。
シートを開いた途端、遥は寝そべりだす。
「ふぅ~。気持ちいい!」
「ほんとかぁ~? 暑いだけだろ」
遥は寝そべりながら自分の隣を手でポンポンと叩く。
その場所に俺もゆっくりと腰かける。
「波の音って、落ち着くよな」
「ほら、気持ちいいだろ?」
時間なんて忘れて、二人で過ごす。こんなことがいままであっただろうか。
いや、絶対になかった。遥が推しだってわかったときよりも、Vtuberとして一緒にやっているときよりもこの一瞬に幸せを感じる。
「一途~」
彼の甘い声に、嫌々振り向くと遥は背中を向けて寝転んでいた。
そして、俺の手元にはサンオイルが置かれていた。
「塗れってか?」
「正解ー」
ため息をつきつつ、俺は彼の買っていたサンオイルを雑に取り出す。
ベタベタとなった両手を遥かの背中に当てる。呼吸で浮き出る背骨、水着に乗った贅肉。
そのすべてが、俺の手から感触で伝わる。
「ん! ううん/// 気持ちいいよ」
「変な声だすな」
「横から塗るの大変でしょ? 上に、乗ってもいいよ?」
上に乗っかると、それこそ太陽の暑さでどうにかなってしまいそうだ。
つばをのみこみ、浮つく体を押さえつけるように正座してハルの身体にオイルをコーティングしていく。
「よし、できたぞ!」
軽くハルのお尻を叩くと、ハルはうつ伏せのまま俺を睨みつけてきた。
蔑むように睨みつけ返すと、そのままハルはムスっとしたまま寝転ぶ。
「先泳いできたら? オレはここで焼いとく」
「お前と泳がないと意味ねえだろ」
というものの、ハルから返事はない。仕方ない、せっかく海に来たのだから泳がないのはもったいない。俺はサンダルをシートに置いて砂浜を駆ける。海際までくると、水がかかり冷たくなる。
萎縮しそうになる壮大な景色に負けず、俺は海に飛び込んでいく。
「プールと違って足が届かねえ。でも、こうやって空を見上げんのも悪くないか」
ふと、浜辺の方を見つめる。数メートル先だからハルの居場所はすぐにわかる。
大きく手を振るも、向こうは気づかない。これだけ人が多いからそれも仕方ないか......。
一人で泳ぐのは寂しくてすぐに浜辺に戻り、遥の元に戻る。
「ただいま......。遥?」
「う、うう......」
彼の顔は火照って赤くなっていた。たった数十分ほど背中で寝転んでいただけじゃないのか?
こいつの体力のなさに驚きつつも、すぐに海の家まで連れていき日陰で休ませた。
海の家の隣にある自販機からスポーツドリンクを1本、遥の頭にのせる。
「おまえ、家に引きこもりすぎだろ」
「配信で家にいること、多いから......。でも、こんなに体力減ってると思わなんだ」
少し元気が戻ったのか、遥は起き上がり頭にのせていたスポーツドリンクを口にする。
ふう、と長い溜息をついた後ふらふらと立ち上がる。
「よせって、まだ座ってろ」
「せっかく、お前と二人で来たのにオレのせいで台無しにできねえだろ」
「まだ時間はあるから。ゆっくり夏を満喫しようぜ」
俺が遥の肩に小突くと、腹の音がなった。
「悪い、腹減った」
「ぶっ倒れたの、絶対そのせいだろ......」
あきれつつも、俺達は海の家で焼きそばを注文した。ありきたりかもしれないが、俺達にとっては一つ一つの出来事が新鮮だ。俺は、遥のひざに焼きそばを渡した後に持ってきたパーカーを背中に羽織らせた。
「いただきます!」
「......いただきます」
いつもは苦手なやきそばのソースの濃い味が、今日はいつもより格別に感じる。
不思議な感覚だ。同じ焼きそばのはずなのに、おいしく感じる。
「やっぱ、やきそばはソースだよな!」
遥が口にソースをつけて笑う。俺は指でそれをぬぐいつつ眉を顰める。
「そうか? 俺は塩派だけどな」
「一途、お前もソース口についてるよ!」
「え、まじか」
遥の笑顔に救われるものの、自分でかっこつけといて恥ずかしい。
遥に顔をそらして、口元を拭く。
口にソースの残り香が香るほどにやきそばをすすり切った後、遥は大きくのびをした。
「食うもん食ったら元気でた! 気を取り直して泳ぎますか!」
「そんだけ元気なら、大丈夫か。浮き輪は持ったか?」
「ったりまえよ!」
いつどこで膨らませたのかわからない浮き輪を意気揚々と取り出した遥は、満面の笑みで砂浜を走り出す。さっきまでのしんみり具合が嘘みたいだ。
追いかける彼の背中は、オイルで煌めき俺の視線を白くさせる。
彼の飛び込んだ水しぶきでますます彼が見えなくなった。塩水を振り払うと、遥は浮き輪に乗って浮かんでいた。俺は、ゆっくり海に入ってその浮き輪まで泳いでいく。
「浮き輪で浮かぶの気持ちいいなぁ」
「結局泳がねえのな」
「浮かんでる方が楽しいって。人間は泳ぐようにできてないの」
「なんだよ、その謎理論」
......。しばらく、俺達は海の波音に耳をすませながら漂流した。
こんな世界が続けばいいのに、時間というのは残酷だ。俺達は沖まで上がり、シートをバッグにしまい込みバッグを背負う。
「全然何もしてないのに、時間経つの早いよな」
水着から朝に見たパステルカラーのTシャツに変わって、改めて二人きりの世界が終わったのだと感じた。遥も俺のズボンを見ると、苦笑いしながら腰のベルト通しの部分を引っ張る。
「もう少し、遊んでもよかったんじゃない?」
「夏休みはまだまだいっぱいあるんだ。これからもっと思い出ができるんだから文句いうなって」
遥は手を下して下着をズボンを一気に履く。俺はバッグを手に取り、忘れ物だけ確認してロッカーを閉めた。オレンジ色に染まり行く海を背に駅へ歩みを進める。駅に着くとすぐに電車が来て、俺達はゆっくりと座席に座る。ふと、バッグの中からスマホを取り出したとき、とんでもないことに気付いた。
「あ」
「え、忘れもの?」
「ビーチバレーすんの忘れてた」
トラブルもまた一つの思い出と優しく微笑みながら家路についた二人。
だが、彼らの夏休みイベントはまだ始まったばかり。
こんどはまさかの、『Vtuber強化合宿』!?