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最終話 王様と奴隷



 そこには三人の男が並んでいた。


 全員がバンダナで口元を隠しており、服装は普通の私服だ。だが全員が武装していた。お揃いのアサルトライフルを手に持ち、まるで訓練された軍人のようでもあった。だが同時に、余暇を楽しむテロリストにも見える。


「……誰だ、お前等は」


 老人の声に正気が戻る。そしてその声の響きはまさしく王の威厳を含んでいた。


 だが男達は微動だにしにない。その内、一人が銃口をこちらに突きつけた。


 そして先頭に立っていた褐色の青年が嘲笑を示す。


「そこの男。悪いが早撃ち勝負をする趣味はない。死にたくなければ両手を挙げて、背を向けて、膝を付け」


 銃口の先はボディーガードに向けられている。ハリーアップ、と声を掛けられた彼は、大人しくそれに従った。


「クソ役立たずが。不審者が現れたのなら即座に皆殺しにせんか。何のためにお前を雇っていると思ってる」


「おいおいジイさん。あんまりハッスルするなよ。心臓が止まるぞ?」


「――――敵襲だ!」


 老人とは思えぬ程の大声。


 すぐにガレージのそばから人間が飛び出してくる気配が発生。だけど何もかもが遅かった。


「制圧開始」


 エミールの声に反応して、二人の男が動き始める。


 躊躇いの無い自動小銃の斉射音――――発砲音が細かく連続し、その隙間に残響が広がる。金属に当たる音が散乱して、周囲が一瞬でやかましくなる。


 そして離れた所から拳銃の発砲音。雇い主である老人の安否を気遣うような、探るよう間隔で「ダン、ダン、ダン」と響き渡る。口径の大きいものなのだろう。映画で聞くよりは地味で、だけど恐ろしい圧があった。


 ……銃撃戦? なぜ? なんで突然こんなことに?


 ダダダッ! ダダダッ! ダダダッ!


 ダン! パン! タァーン…… ダン! タァーン! パン!


 お揃いの自動小銃音。


 不揃いの拳銃音。


 両者が奏でる音だけで得られる情報は少ないが、どんどん拳銃音の方が消えていく事だけは分かった。


 ようやく現実に追いついた俺だったが、このガレージにいる人間は誰一人として動こうとはしなかった。


 冷徹な視線をこちらに向ける褐色の青年。


 気丈に睨み返す老人。


 呆然とする俺。


 ……ボディーガードが手を下ろそうとしたら、青年が周辺に弾丸を撃ち込みまくってそれを阻止した。間近で火花を散らすそれはまるで現実味がなくて、当たったら死ぬという恐怖は薄い。耳を塞ぎたくなるような炸裂音が聴覚にダメージを与えていく。


「妙な真似をしたら殺す」


 その言葉に嘘はないのだろう。ボディーガードは膝を突くどころか、両手を頭の上に組んだまま這いつくばった。



 やがて戦闘音が離れていく。悲鳴と怒号が重なっていく。


 周囲に家が存在しないこの屋敷。通報する者は誰一人としていないだろう。



 やがて褐色の青年が装備していた腰元のトランシーバーから『周辺はクリア。四名捕縛。索敵を続行』という短い報告が届いた。


「……貴様等、何者だ」


 老人がそう尋ねると、褐色の青年は丁寧に一礼してみせた。


「これは失礼。実はあんたが買った商品なんだが、残念ながら出品ミスでね。本当は売り物じゃないんだよ。――――だから返してもらう」



「エミール」



 俺は思わず彼の名前を呼んでいた。


 エミールだ。大人になったエミールだ。だけど何故。どうして。


 バンダナで顔を隠しても無駄だ。目元も精悍せいかんになっている。声だって、あの頃よりもたくましい。だけど分かるんだ。エミール。どうしてお前がこんな所に。ってか、なんで普通に銃とか撃ってんのお前。


 俺が名を呼ぶと、エミールは目だけで笑ってみせた。


 そして老人は何が何やら分からない、という表情を浮かべつつ、真っ直ぐに背筋を伸ばした。


「出品ミス。ということは君たちはオークションの関係者かね? だがそうは見えない。明らかにチンピラのそれだ。しかし……ふむ。その自動小銃アサルトライフル……いい品だが、品質が良すぎるな。見事な手際と言えるが、軍人というにはいささか練度が足りない。……どこのマフィアだ?」


 さっきまで銃撃戦が繰り広げられていたというのに、老人は冷静に言葉を重ねていた。くぐってきた修羅場の数が違うのだろう。少なくとも俺は今までとは違う理由で震えているというのに。


 そしてエミールもまた、冷静に言葉を返した。


「悪いが質問は受け付けない。あんたには悪いが、そちらの男性は引き取らせてもらうよ」


「それは出来ぬな。なにせ彼には五百万ドル払っておるのだぞ。しかも将来的には十倍の見返りが期待出来るというのに」


 未だこちらに向けられている銃口が怖くないのだろうか。老人は堂々とそう言ってふんぞり返った。その言葉に色狂いの気性は含まれない。なんやかんだ言って、俺のことを商品として取り扱う雰囲気があった。


「それとも何かね。そちらの不手際ということは、五百万ドルに加えて慰謝料でも払ってくれるのかね」


 尊大にそう言い切る。その姿と声には老人とは思えぬ迫力があった。さっきまでとは丸で別人だ。


 だがエミールは冷たく笑うだけだった。


「アンタの頭をブチ抜いて、そこの男をかっ攫うのに一分もいらないんだが?」


「たちの悪い強盗だな。ならばさっさとそうするが良い。ただしこの世の地獄を見てもらう。私が死のうとも、私を慕う多くの者が必ず復讐の刃をお前とお前の家族に突き立てるだろう」


「――――ふむ」


 エミールは腰元のトランシーバーを手に取り「状況は?」――『目立った敵影は無し。索敵継続中。一応、殺してはいません』――「流石だな」――なんてやり取りをした。


「さて、とりあえずはゆっくり話が出来そうだ。それで? 何やら面白い事を言っていたな。僕たちの家族に復讐するとか何とか」


「そうだ。僻地とは言え舐めるなよ。ここのセキュリティは完全だ」


「そういう割には、あっさりと制圧してしまったが?」


「監視カメラでお前達の姿、車種、ナンバーは既に捉えてある。どこに逃げても無駄だ」


「ふぅん」


 退屈そうに相づちを打ったエミールは、ちらりと俺の方を見て微笑んだ。


「……いつまでそこにいるのさ。さっさとこっちに来て」


「あ、ああ……」


「待てぇぃアレックス! 行っちゃダメだ! あいつは悪魔だ! お前を殺しに来た!」


 ツバを飛ばしながら激昂する老人。トリガーがよく分からん。俺が立ち上がろうとすると、老人は必死の形相でそれを留めた。


「ダメだ。アレックス。死んではならん。私は、お前と」


「やかましいジジイだな」


 そう言ってエミールが腰元のガンホルスターから取りだした拳銃には消音器サプレッサーが付いていた。


 パス、という現実味の無い音。酒瓶が打ち抜かれて派手な音を立てる。


「この屋敷にいる全員を皆殺しにして、燃やして全部無かったことにも出来るんだが」


 エミールが本当に悪魔みたいなことを言い出した。俺の知っている現実味が更に失われていく。


 老人は俺を抱きしめながらイヤイヤと、まるで子供のように首をふった。


「なぜだ。なぜ邪魔をする。私はアレックスを買ったんだ。正当な手続きと支払いを済ませている。私は、アレックスと楽しい一時を過ごすんだ」


「冗談キツいぜこのジイさん。なぁ、いい加減にしてくれよ。別にあんたの命まで取ろうってわけじゃない。ただアレックスを返すだけでいいんだ」


「ならば金を払え!」


「いいよ。いくら必要なんだい?」


「……2000万ドルだ!」


「高っ。……あいにくだが手持ちが無い。一ドルぐらいにまからないか? この弾丸一発分のお値段なんだが」


「笑止。私を誰だと思っている!」


「……まぁ、そんな反応にもなるか。ミスター・トーマス。調べはついている。あんたがどこの誰で、どんなタイプの人間と仲良しなのかも、全部分かった上で僕はここにいる」


「なっ……」


「この一時間、だいぶ焦らせてくれたよな。オークション会場に突入したら、もう売れましたと来た。なんだよ事前オークションって。特別待遇にも程があるだろ。慌てて捜索範囲を広げて、なんとか補足して、途中じゃヘリまで使わされた。――――こっちもそれなりに準備して金と時間をかけてるんだよ。悪いがあんたの身分程度でイモ引くような段階はとっくの昔に過ぎてる」


 エミールは拳銃を構えたまま、苛立ちを隠そうともせずに言い放った。


「だから早く、その汚い手を離せ」


「ただのガキではないようだ……貴様、何者だ?」


「離さなければ殺す」


「まっ、待てエミール!」


 思わずそう叫んだ。彼が一歩前に出たこと。銃口が俺をさけるように老人の足に狙いを定めたこと。声に本気の覚悟が含まれていること。全部一瞬で理解出来たから、俺はエミールを止めた。


「こっ、殺しちゃダメだ。撃つな。そこまでする必要は無い」


「――――なぜ?」


「お前の手を汚しちゃダメだ。頼む」


「――――ふっ、ふふ……。こんな状況でよくもまぁ。アレックスは意外と庶民的だよね」


 俺は老人をなんとか引き剥がして、それでもエミールの元へは駆け寄らなかった。


「な、なんで……お前がここに? その銃は何だ? どうしてここが分かった?」


「質問が多いな。まず言うべきことがあるんじゃない?」


「あ、そうだな。ええと……久しぶり、エミール」


「そこは『助けてくれてありがとう』じゃないかなぁ」


「あ、そうか」


 その瞳を見つめながら話すと、あっという間に俺の緊張感はほどけていた。それぐらい、俺の想像通り……いや、想像以上の良い男にエミールは育っていた。


 やっぱりエミールだ。何故か銃を乱射したけど。マフィアか軍人かテロリストに見えるけど、エミールだ。俺はようやく安心して彼に近寄ろうとした。


 だけど、それを引き留めようとする老人。


「待て、待ってくれアレックス。どうか、どうか」


「…………」


 困った。そういえば俺はこの老人に買われた身だ。この契約を反故にしてしまえば色々な人間のメンツが潰れるし、ついでに俺の会社も潰れる。もう賽は投げられているのだ。


 そもそもだ。そもそも、何故ここにエミールが?


 近くで見るとエミールは、細身ながらかなり鍛えられているようだった。俺も結構背が高いが、エミールも負けず劣らずといった様子だ。


「えっと……」


「……どうしたの? 早く車に乗ってくれよアレックス。積もる話は後だ」


「いや、その……俺、一応このジイさんに買われたんだが……」


「はぁ?」


 エミールはバンダナをずらして、その顔をさらした。


 ドキリとするぐらい、美男子だった。顔が良い。なんじゃこいつ。俳優になれ俳優に。


「…………アレックス、もしかしてだけど、もしかして、こういうジイさんがタイプなわけ?」


「冗談キツいぜ。俺が好みなのは、こう、デビューしたての頃のアヴリル・ラヴィーンみたいなのがだな」


 とあるロックシンガーの名を口にすると、エミールの表情が停止した。


「…………――――………………――――そう」


 異様に長い沈黙の後、エミールは少し顔をうつむかせた。


「え。なんだよ。いいじゃん。格好いいじゃんアヴィ様」


「格好いい人がタイプなの?」


「…………この状況でなんの会話をしてるんだよ俺達は」


「割と重要な話なんだけどなぁ」


 いかん。何故だか知らないけど急に気が抜けた。買われる、抱かれる、撮られる、全てがどうでも良くなる。


「……エミール。助けに来てくれたのは嬉しいが、なぜこんなテロリストみたいな真似を」


「正攻法で買いに行ったら、もう売られたって聞いたから。だから取り返しに来た」


「買いに行った? 何を?」


「アレックスを買いに」


 そんな中性洗剤を買うみたいなノリで言われても困るんだが。


「流石に五百万ドルで落札されたってのは予想外だったけどね」


「……お、おう」


 そんな会話をしていると、老人が杖を放り投げてきた。


「貴様、アレックス。この強盗と親しいようだな。どういうつもりだ。裏社会の全てを敵に回すつもりか。あのオークショニアの立ち位置を知らぬわけではあるまい。不可侵条約のまっただ中にいるような機関だぞ」


 確かに。あそこで行われていたのはただの闇オークションではない。裏社会において信頼と実績を勝ち取った、別次元の存在だ。


「…………それは、その」

「だから、金なら払うって言ってるだろ?」


 俺が口ごもると同時。エミールが大胆なことを言った。それを耳にした老人が呆然とする。


「……2000万、払えるのか?」


「流石にそんな大金は無理だ。現実見ろよジイさん」


 エミールは銃をちらつかせながら、上から物を言った。


「五百万ドルと……そうだな。慰謝料合わせて六百万。妥当だろう?」


「間抜けめ。全然足りぬわ。最低でも2000万だ」


「だから現実見ろって。死にたい?」


「その程度のおどし、この長い人生で聞き飽きたわい」


「流石だねぇ。……ところでジイさん。バーベキューの用意があるって言ってたけど、ここで何をするつもりだったんだい?」


 周囲を見渡したエミールは顔つきを変えた。そしてそれは、俺がよく知るモンスター達の顔つきに少し似ていた。


「……貴様に説明する義理はない」


「ミスター・トーマス。悪いけど、ある程度は調べが付いてるって言っただろう? あんたはあのオークションでも、かなりマシな方だ」


「え」


 思わず声が漏れた。この老人で、マシな方? 冗談きつくないか?


「ミスター・トーマス。通称『ハッピーナイトメア』。面白いあだ名だね。あんたに性癖を歪めさせられた人物はそこそこ多い」


「……貴様」


「いや実際かなり優良だと思うよ。嫌がるノンケを和姦に持ってくテクは、ちょっと他の変態には見られないパターンだ。オークショニアが用意した撮影会場じゃなく個人撮影が認められるのも貴方ぐらいでしょう。それこそ信頼と実績がある」


 ポカン、と口を開いてしまう。そうだ。よく考えたらそうだよ。俺が売りに出したのは「二代目・石油王を将来恐喝するネタ」だ。マスターテープはオークショニアが保管する手はずだったのに、ここには競売人関係者が一人もいない。つまりダビングされて当然ということでもある。


「あ、あぶねぇ……危うく無限に脅迫される所だった……」


「アレックス……テンパってたのは分からないでもないけど、そこに気が回らないってどうなの……」


「う、うるせぇ」


「私はそんな無粋な真似せぬわ! 見くびるなよ若造!」


「仰る通りですミスター。貴方はそんな下劣なことはしない。それはこちらとしても分かっています。なので、あんまり乱暴な手段は執りたくないんですよ」


 いつの間にやら、エミールの言葉遣いが変化している。それはあまりにも自然な推移で、しばらくその事実に気がつくことが出来なかった。


 エミールは今度こそ銃を下ろして、言った。


「とりあえず親睦も兼ねて、バーベキューでもします?」


 嘘だろエミール。





 本当にバーベキューした。


 この屋敷にいた警備員は全部で五人。後はボディーガードと、老人。


 そしてこちらは俺、エミール、そして三人の男達だった。(一人は先に車から降りて、周囲の警戒をしていたらしい)


 そして警備員とボディーガードは縛られて、三人の男達はその見張り。



 というわけで、俺とエミール、そして老人の三人でバーベキューをすることになった。


「なんで?」


「ビジネス的な話じゃこっちに勝ち目は無いからね。まぁ、ちょっとでも仲良くなればお友達価格でやってくれるかもしれないじゃないか」


「そんなことある?」


「皆殺しの方が手っ取り早いのは重々承知」


 エミールの言動が血生臭すぎるので、俺は黙ってトングを握りしめた。


 ちなみに先ほどの銃撃戦で死者は出なかった。何人か足を撃たれたようだが、かすり傷みたいなものだ。治療が施されて、今は安置されている。


「ところでミスター。肉が焼けてますよ。はい」


 大人しく椅子に座った老人の皿にエミールが肉を置く。


「それとも野菜の方が?」


「はん。舐めるなよ若造。バーベキューで野菜を焼くのはアジア人だけだ」


 そうは言うものの、バーベキューセットにはちゃんと野菜が添えてあった。なんの意地を張ってるんだろうこの人。


「――――それで? 何が目的だ。値引きならせんぞ」


「いや冷静に考えてくださいよ。このアレックスに2000万ドルの価値はありますか? 無いでしょう。一晩買うだけなら、200ドルだってしませんよ」


「……将来金が返ってくる算段だ。この男が自分で言っていたんだぞ。これはビジネスだと」


「なるほど。はい、次のお肉」


「……うむ」


 素直に肉を食う老人。なんか薬とか飲んでたし、食事制限とか無いんだろうか。


 エミールは先ほどまでの冷徹な表情を消しており、朗らかに笑った。


「ということは、お金さえあればいいと? それはおかしな話ですね、ミスター。貴方クラスになると、今更2000万ドルなんて欲しくないでしょう」


「蒙昧だな、エミールとやら。2000万ドル(日本円にして20億以上)だぞ? 殺してでも奪い取るような金額だ」


「確かに。桁が多すぎて何とも言えない、というのが個人的には正直な意見です。でもいります? 何に使うつもりですか、そんな大金」


「……逆に問う。なぜお前はここまでの事をしてまで、アレックスを取り戻そうとしているのだ?」


「内緒ですよ。話してしまったら、もっと吹っかけられそうだ」


「…………私が納得する内容であるのならば、値引きもやぶさかではない」


「ではとりあえず1000万で」


「カッ。いきなり半額とは恐れ入る。その金額に見合うだけの理由があればいいな?」



 こうしてエミールは、事の次第を説明しだした。


 奴隷として売られたこと。


 どんな気持ちだったのか。


 誰に買われたのか。


 ――――どれぐらい、幸せだったのかを。



 肉を焼きながら、時に同情を誘うように。時にユニークに。本当に幸せそうに。そして最後に悲しそうに。


 その話術は俺でさえ舌を巻く程だった。何が上手いって、相手の反応を瞬時に読み取って「こういう路線が好きなんだろ?」と言わんばかりに盛り上げてくる点だ。


 あと普通にフェイクもガンガン入れていた。なんだ「前の購入者にとんでもない虐待を受けていた」って。逃走防止のために足の裏に焼きごて・・・・を当てられたとか完全に嘘じゃねぇか。


 そして老人は気がついてないようだが、エミールは実に甲斐甲斐しく彼を介護していた。肉は小さめに。野菜を嫌がる老人にそれとなく小さな野菜を食べさせたり、水を用意したり。それはまるで訓練された執事のようでもあった。


「――――そんなわけで、僕とアレックスは別れた。そしてあの日からずっと探していたんだ。彼に堂々と会いに行ける方法を」


「……ふむ」


 老人はもうお腹いっぱいになったのか、皿をどけている。するとエミールは肉を焼く速度を上げて、今度は俺の皿にガンガン盛りだした。


「アレックスもたくさん食べなよ」


「いや、お前が食えよ。俺が焼くから」


「いいの、いいの」


 そんなやり取りを老人は呆然と見ている。腹が膨れて眠くなったのかな?


「……奴隷と、王様か」


「そうだよ。クビになったけど」


「ついでに言うと俺は王様じゃないんだが……」


「将来なるんでしょう?」


「…………まぁ」


 だがどうなのだろうか。エミールが俺を買い取るって話しだが、あまりにも金額が高すぎる。未成年のエミールが出せる金じゃ、


「いや待て。普通に肉を食ってるが待て。エミール、お前何なんだ? な、なんで銃とか持ってるんだ? あのいかついオトモダチは一体誰だ?」


「えー。それは説明したくない」


「なぜ!?」


「……どうだろうミスター? 僕の話しの続きは気になるかい?」


 強力な話術を持つエミールは、あえてそう言った。『続きが知りたければ課金してね』というネットサービスと同じ要領だ。


「――――あと三百万下げてやろう。それで全てを話せ」


「700万か。うーん、上手な金額設定だ。こちらが最初に提示した600万にはまだ届かない」


 エミールはそう言って、だけどさっきよりかは確かに「親睦を深めている」老人に対して笑顔を向けた。


「アレックスと別れた後、しばらくは普通に暮らしていたと思う。見よう見まねの普通ってだけで、常時演技しているようなものだったけど」



 それからエミールは、俺の知らないエミールを語り始めた。


 初手から「まずアレックスが雇っていた監視員にアタリを付けて、即座に接触を果たした」という点から驚いたが、続く話の全てがフィクションのようだった。


 学校に通いながら、様々な人間を観察。そして政治家の息子と、マフィアの息子と仲良くなるための友好ルートを探ったそうだ。政治家の息子にたどり着くまでに八人。マフィアの息子と仲良くなるのに三人必要だったそうだ。表の権力と、裏の権力。その入り口に彼は立った。


 エミールの人生の半分以上は「交渉」で成り立っていた。


 Strawストロー Millionaireミリオネアという、アジアのおとぎ話がある。一本のワラを皮切りに物々交換を繰り返し、最終的にはお城を手に入れる話だ。


 エミールはそれを実践したのだと言う。相手が何を望むか考え、自分のコミュニティーの中から材料を得て、それを何かと交換する。それはお金だったり、アイスクリームだったり、人脈だったり、情報だったり、信頼だったりと様々だった。


 とてもじゃないが十歳そこそこで行えることではない。


 だけど彼はそれを果たした。誰しもが彼の異様な才能を知ること無く、その手の平の中で幸せそうに踊った。


「……何故そのような生き方を選んだ?」


「友達の友達を繰り返していったら、アレックスに会えるから。どれだけ繰り返せばいいか分からないけど、そのルートは必ず存在すると考えたから」


「気が遠くなるような話しだ。普通に会いに行けば良かろう」


「それじゃ意味が無い。ただ会って挨拶するだけじゃダメだったんだ。アレックスは……アレックス様は僕の王様だ。だけど僕は捨てられてしまった。奴隷ヅラして会うわけにはいかない」


 その言葉を聞いた老人の瞳に、ほんのりと何かの感情が宿る。それは彼が見せたモノの中で唯一美しいものだった。


「ビジネスでの方向も考えた。だけど、それじゃ物足りない。オイルを売ってください、センキュー、だなんて。そんなの誰にでも出来ることだ」


「お前は、変わっているな」


「ははは。それを指摘する人は、最近じゃあんまりいないよ。気づかせないから。だけどミスター。貴方だからこそ、僕は真摯に話している。その辺をくみ取ってくれると嬉しいかな」


「ハッ。確かにユニークな話しではあったが、まだ本題には入っておらんだろう。自動小銃。荒事に手慣れている様子の部下。大金を払う覚悟。なるほど、希有なオトモダチがたくさんいれば叶うかもしれない。だが、裏オークションに参加したというような発言をしていたな? それだけはあり得ぬ。例えどんな才覚を持っていたとしても、あそこの情報を得られる者は本当に限られているのだから」


「そうだね。まぁ色々と省略させると……そこの関係者とは元々知り合いだったから、としか」


「……?」


「天使みたいなサイコパスがいたんだよ」


 その言葉を聞いて俺は何となく理解した。確かにあの時、天使のような女の子がいたっけ。


 そして老人もそれに思い当たったのだろう。「天使……『百万ドルの笑顔』のことか」と呟いた。


「そうそれ。すごいよね彼女。入札者に微笑みかけるだけで百万ドル値段がつり上がるって、なんの冗談かと思ったよ」


「歴代でも最高額だったらしいな。あれは……いくらだったか……」


「物品じゃなくてただの人間としては最高峰。それこそ2000万ドルだったらしいよ。奇遇だね」


「ハッ。なるほど。それは奇遇だ」


 はっはっはっは、と仲良さげに笑う二人。何なんだ。いつの間にそんなに打ち解けてるんだ。


「たまに噂に聞くぞ。買い主に全てを捧げられる、魔性の天使。人ならざる者。実にファンタジックな話しだとは思っていたが、実在するのか?」


「色々な意味で噂以上だよ。アレは見た目もそうだけど、中身も人間離れし過ぎている。善良なサイコパスで最高にタチが悪い。自分からオークショニアに出向いて『売ってくれ』なんて言う人、クレイジー過ぎて近寄りたくないよね」


 そう言ったエミールはふと俺の方を見て「あ、ここにもクレイジーな人が……」と呟いた。うるせぇ。必要なことだったんだよチクショウめ。


「まぁそれはさておき。今回のミスター・トーマスを襲撃した件に関しては、ほとんど彼女のおかげと言っていい。色々借りまくった。おかげでどれだけ返済しなきゃならないか、考えるだけでゾッとするね」


「……ふむ」


「どうだい? 良かったら紹介してあげようか。近いうちに必ず破滅することになると思うけど」


「結構だ」


「賢明な判断で。実際僕も、偶然出会うまではその存在を忘れてたし、再会出来たことが幸運なのか不運なのか判断が付かない。……まぁ、アレックスを助けられたら結果オーライってくらいで」


 なんなんだ。あの天使、どんなヤツなんだ。個人的には興味があるんだが。


 そんなことを考えていると、エミールがジトッとした目でこちらを睨んだ。


「……アレックスには紹介しないからね」


「え。なんで」


「なんでも!」


「そうは言っても、お前を助けてくれたヤツなんだろう? 挨拶ぐらいしておきたい所なんだが……」


「……ん……んん……やっぱりだめ!」


 エミールが子供っぽくそう言うと、老人が笑い声をもらした。


「そうか」


「ん?」


「……そうかぁ。お前はその男が好きなのだなぁ」


「そうだよ。大好きだよ。だから何をしてでも取り返す。貴方を殺すくらいワケない」


 突然。キィンと、まるで氷のように空気が張り詰めた。


 エミールは既に武装を解除している。だが、老人は蹴り二発で死ぬ。


「――――――――ふむ」


 そして老人は、とっても素敵で汚い笑顔を浮かべた。


 はっきり言って、ゲスの顔つきだ。


「では、六百万でこの男を売ってやろう。ただし条件が一つ」


「……なにかな?」


「私の前でまぐわえ」


「…………?」

「…………」


 なんて? 交われ?


「私の趣味は知っているな?」

「まぁね」


「では、どうだろう。君の熱意に免じてこの条件を最終提案とさせてもらう」


「もし断ったら?」


「君はそんなことしないだろう」


「なるほど。やりづらい御方だ」


 エミールは意地の悪い笑みを浮かべた。俺は所在が無くなって、こんがりと焦げた肉を口に運んだ。


「だったら二択だよ。撮影無しで見るか、映像だけで見るか」


「ほっ。まだ粘るとは剛毅なことだ。逆に気に入ってきた。天使になぞ用はないが、君はどうだろう」


「なら雇われてあげるからアレックスをこのまま返してほしいな。いや、もちろん冗談だけどね。半分」


「いい引き際だ」


「アレックスはどう思う?」


 急に話しを振られたものだから、俺はとても素直な気持ちを答えた。


「やはり焦げた肉は健康によくない味がする。でも俺はよく焼いた肉が好きだから、ギリギリの線を見極めるために集中したい」


「ダメだこりゃ」


「ヒッヒッヒ! ヒッ……ゲホッ! ゲホッ!」


 笑っていた老人がむせる。俺はとっさに手を伸ばして、その背中をさすった。


「お、おいおい。大丈夫かよ」


「ああ……すまないね」


 ふと、老人と目が会う。澄んだ目をした彼は小さく笑った。


「なんだ。よく見るとアレックスには全然似ておらぬな」


「は?」


「――――私の本当の息子の話だよ」


 そして老人は、眠たそうに目をこすった。


「どうやら久しぶりに食べ過ぎたようだ。腹がふくれると判断が鈍っていかんな」



 満腹になった老人は「眠い」と言い放った。


 ついでに「面倒だからもう七百万で手を打ってやる。足りない分はアレックス。お前が支払え。それで話しは終わりだ」と言ってため息をついた。




 そんなわけで、結局俺はエミールの六百万ドルで一時的に解放されたわけだ。そして残りの百万ドルを追加で俺が将来支払う事に。超大金だ。だけど担保は求められなかった。彼は彼で、俺が必ず返済すると信じてくれたのだろう。


 オークショニアの取り分で20%持って行かれたりもしたが、目標金額には達成している。


 こうして俺は百万ドルの借金を老人に。


 そしてエミールに、六百万ドルの借金を背負うことになった。




「解放された」


「そうだね」


「夢かな」


「ほっぺたつねってあげようか」


 それくらい自前で出来るわ。俺は頬をつねってみると、肌がカサカサになっていることに気がついた。ここ最近のストレスのせいなのは間違いない。


 俺達はあの吸血鬼の城から一転、街の方へと戻って来ていた。


 エミールは武装こそ解除したが、懐のガンホルダーには未だ拳銃が刺さっているらしい。


 ここは真夜中の公園。明かりが煌々と灯っていて、とりあえず男性二人で過ごす分には絡まれることもないだろう。


「はぁ…………なんか、ドッと疲れた……」


「おつかれさま」


「ああ、ありがとうなエミール。っていうか本当に久しぶりだな」


 車内では他に三人の男がいたので、緊張で喋れなかったのだ。なんかプロっぽくて怖いし。


「本当に久しぶりだね。……名乗る前からエミールって呼ばれたから、実はちょっとびっくりしちゃったんだよ。あの頃とはだいぶ見た目も変わったつもりだったんだけど、よく分かったね」


「俺がお前を見間違えるはずが無いだろ」


 そんな軽口を叩きながら、隣りに座ったエミールを改めて見つめる。


 やべぇ。かっけぇ。なんだこいつ。マジでなんだこいつ。攫われたお姫様を助ける王子様にしか見えない。その場合だと俺がお姫様になってしまうが、うむ、まぁ、とりあえずこの話題はここで終わりだ。


「……とりあえず、まずはこれを言わなきゃな。エミール、助けてくれてありがとう」


「どういたしまして」


 そう答えて微笑むエミール。その姿は『王子様』なんて肩書きじゃ足りない程に強い輝きがあった。



 ――――ああ、そういえば。

 ――――――――こいつが俺の宝箱の中身だったな。


 

 ……なんだかとんでもない口説き文句チックな文面を思い浮かべてしまった俺は反射的に咳払いをして、意識を切り替えた。


「しっかし、助かる代償に七百万か……うん。頑張って返すよ。えーと、その天使とやらに借りたんだよな?」


「半分イエスで、半分ノーだよ」


「……というと?」


「アレックスが僕に大金預けてたじゃないか。あれを株とか仮想通貨でちょっとずつ増やしてたんだよ」


 個人は集団に勝てない。一億人から一ドルを巻き上げろ、でしょ? と言ってエミールは笑った。


「ほ。そりゃすごい。でも確か報告書では、お前はあのお金に手を付けてないって話しだったが……」


「僕がまっ先に行ったのは監視員の買収だよ。アレックスに伝わる情報はかなり無難でマイルドな表現にしてあったんだ」


「……どうしてそんなことを?」


「心配かけたくなかったから。普通に育ってるんだって、思ってて欲しかったから」


 普通であれ。それは俺がかつて求めていたこと。


「だけど普通じゃアレックスに追いつけない。だから、まっ先にそこから始めたんだ」


「――――どうして」


「どうしてもこうしても」


 エミールは立ち上がって、それから俺の前に跪いた。


「――――アレックス様。残念ながら私はクビになってしまいましたが、貴方様がかつて仰っていた通り、私はずっとアレックス様の奴隷だったのです。そしてそれは今もそう。私は永遠に貴方様のモノです」


「ばっ、やめろ。こんな野外で」


「どうにか貴方様とお会いするために、様々な障害を乗り越えてきました。そして今夜、それは叶った。ですから一つだけお願いしたいことがあります」


「…………な、なんだよ」


 そう言うと、エミールはにっこり笑って、俺の隣りに座り直した。


「たくさん頑張ったから、いっぱいほめて?」


「…………」


 パチパチ。思わずまばたき。


「あー」


 なんと言ったらいいのか分からないので、俺はいつかのように彼の頭のなでまわした。


「俺のために頑張ってくれたのか」


「そうだよ」


「……本当にありがとうエミール。お前のおかげで妙なトラウマを背負わずにすんだ。代わりにすげぇ借金まで背負っちまったけど」


「ふふふ。そうだね」


「必ず返す。絶対だ。約束する」


 本当にありがとう。


 俺はそう言って、最後に彼を抱きしめた。



 しかし。



「アレックス様」


 エミールはそっと俺の身体を引き離した。


「なにか、勘違いされていませんか?」


「…………?」


「私はアレックス様にお金を貸した覚えはないんですよ」


「え?」


「私はミスター・トーマスから、貴方を六百万ドルで買った・・・んです」


「……んー? んんー?」



「つまり立場は完全に逆転したんですよ、アレックス様」



 エミールの目つきがヤバかった。

 なんというかこれは、なんだ。目からハイライトが消えているというか。


「…………えーと、ということは」


 俺は自分を指さした。


「つまり、今度は俺が奴隷?」


「はい」


 そうなのか。俺はしばらく唸ってから顔を上げてエミールを見つめた。


「じゃあ……旦那様とお呼びしましょうか?」


「ンフッ……フフフ……」


「笑い方が怖いんだが」


「いえ、すいません。ちょっとゾクゾクしました」


「え、エミール? ちょっと落ち着こうな?」


「長かった。非常に、ひじょ~に……長かった……ねぇアレックス様。私は貴方のいない人生を歩んでいる間に、嬉しいことが二つあったんですよ」


「お、おう……」


「一つ目は貴方の会社が傾いたと聞いた時。何かの役に立てるのではと、そちら方面の人脈をかき集めました」


 俺の会社がピンチで喜んだとな?


「そして二つ目は、貴方がオークションで身売りをするという情報を手に入れた時です」


 なるほど。――――エミールがこわいよぅ。


「貴方を買うために、私はあのサイコパスを頼りました。躊躇いは無かった。彼女は喜んで協力してくれましたよ。代償は長きに渡って返済することになりそうですが、貴方と歩む人生を買ったと考えれば、悪くない出費です」


「え、えっとだな。エミール。落ち着こう」


「アレックス様。貴方は私の王様です。生涯忠誠を誓います」


「――――。」


「だから――――同じように、お前も僕に忠誠を誓うんだ」



 なぁ、奴隷アレックス?


 そう言ったエミールの顔は、恍惚に染まっていた。




【急募】俺の飼い主からイニシアチブを奪還する方法。




 こうして俺は百万ドルの借金と、飼い主を得た。(いや六百万もちゃんと返すつもりなんだが)(なおエミールは死んでも受け取らないと言って聞かない)(お願いだから受け取ってください)


 人生は長くて突如の困難ばかりだし、これから俺が二代目・石油王になるためならもっと巨大な苦難が待ち受けているだろう。


 しかし俺の飼い主は「いや、アレックス様はお家で僕を待ってればいいんですよ」と言って聞かない。なんだこの野郎。俺をヒモに仕立て上げようとするな。



「ええい、俺は働くぞ。ようやく会社が復興する足がかりを得たんだ。邪魔するな」


「でも今日は休日だよ? だからダメ。お家にいて」


「そうは言っても、お前だって例の天使様のとこに仕事に行くんじゃねーか。ならお互い様だろうが!」


「だーめ。アレックス様――――返事は?」


「むがっ、ぐ、ぐぐぐ……」


「……ふふっ。しつけが足りないのかな?」


「…………く、ぐぐぐ……!」



 こうして俺達は、互いが互いの主人だと思い知りながら不公平なバトルを繰り広げる。


 残念ながら全敗だが、それでもいつか。


 ……まぁ、別に何が変わるわけでもないんだろうけどな。



 俺はそんな希望を持って、生きていくことにしたのであった。







これにて完結です。


ちょこっと補足エピソード書きます。





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