Side・3 どうか僕と一緒に居てください
二週間ぐらい経って、休日。
「今日は一緒に買い物に行くか」
「えっ……外に出ていいの?」
「お前にも欲しい物とかあるだろうしな」
淡々とそう言ったアレックス様。その表情はいつも通りだ。
「欲しい物……うーん。パッとは思い付かないけど」
「なんかあるだろ。映画とか、オモチャとか。コミックでもいいぞ。それかプレイステーション。いや、ニンテンドーの方がいいのか?」
「テレビゲームはしたことないから、よく分かんない……」
「そうか。まぁとりあえず息抜きだ。お前もそろそろ俺に慣れただろうし、出かけてみよう」
ドン、と心臓が一回高鳴る。
「アレックスに、慣れた」
「そうだ。お前、そろそろ俺が変態じゃないって理解してきただろ?」
「う、ん。ごめん。最初の三日ぐらいは怖かったけど、今は平気だよ」
「嘘つけこの野郎。何が三日だ。今だってちょっとビビってるじゃねぇか」
おや。朝から口調がフランク。休日だからテンションが上がっているのだろうか? そういうタイプには見えないけれど。
僕は慌てたふりをして取り繕った。
「いや、そういうのじゃなくて。久々に外に出るって聞いてびっくりしちゃって」
「……治安が良いとはいえ、ガキが一人でウロつくのも危ないしな。今日は休日だし、悪人も休んでるだろ」
だといいけど。
僕の記憶の中にいる悪人は、みんな休日こそ忙しそうにしていたような気がする。
「というわけで久々の設定を思い出せ。もしかしたら警官とかに職質されるかもしれんしな。まずお前は」
「僕はアレックスの、ハラチガイ? の弟。久々に会って一緒に暮らしてる。学校に行ってない理由は、イジメられたから不登校に。お母さんとは折り合いが悪い。みたいな感じでどうかな」
僕がそう答えるとポカンとした表情をアレックス様は浮かべた。
「腹違いのアクセントを繋げてるのがイヤらしいな……そこまでディテールに凝って大丈夫か? 嘘は重ねすぎると、隙も大きくなる」
「そうかな。僕は平気だけど」
「俺が大丈夫じゃないんだよ。警察の前で新設定とか口にされても、追いつける気がしない」
「アレックスなら大丈夫だと思うけど」
「ビジネスなら何とかなるが、日常はなぁ……」
渋い顔をしている。あまり乗り気ではないようだ。
「えっと、そしたら……腹違いの弟ということで。僕は警察を怖がってアレックスの背後に隠れるから、上手に説明して。そしたら僕が合わせるから」
そう答えて、僕は内心で『あ、やってしまった』と恐怖した。
合わせるから、だなんて。ちょっと上から目線すぎる。
アレックス様は僕を叩かない。僕は好感度の上げ方が分からないままだけど、下げないように徹底的に努力しているからだ。しかし実際に好感度が下がってしまえばどうなるか分からない。僕を殴ってきた人々が口にした罵倒・第一位は「生意気なガキめ」だ。
しかしそんな心配をよそに、アレックス様は柔らかく笑った。
「いいなそれ。よし、引きこもり気味の弟よ。何かあったら兄の背中に隠れるといい」
「……うん!」
セーフだったのだろうか。それともアウトなのだろうか。どちらにせよ油断しすぎだ。僕はニコニコしながら、ギュウと自分の足をつねった。
そして久々に外に――――出る前。僕とアレックスが手をつないでエレベーターから降りると、コンシェルジュの人がちらりとこちらを見た。
「……お二人でお出かけですか、アレックス様」
「ああ。弟の体調も良くなったしな。ほらエミール。ジョシュアだ。ちゃんとご挨拶して」
「……こ、こんにちは」
早速演技発動。僕は「きゃっ、恥ずかしい」という態度を見せつけてアレックス様の上着の裾を握りしめた。
「…………ふむ。可愛らしい弟さんですね。坊や、このマンションでの暮らしはどうだい?」
探る視線と、質問。
(ああ、なるほど)
僕はその問いかけが、色々な意味でテストなのだと理解した。
主題は「アレックスは本当にこの子の兄なのか?」という所だろう。
「お、お外はまだ怖いけど……お兄ちゃんが一緒なら大丈夫だよ」
「――――そうですか。兄弟で仲が良いのは素晴らしいことです」
ニッコリと、見た目が怖いコンシェルジュの人はアニメに出てくるオジサンのように笑った。
「それでは行ってらっしゃいませ」
「ああ。ありがとう」
再び僕の手を引いて歩き始めるアレックス様。彼はマンションから出る際に「っていうか、お兄ちゃんってなんだよ」と小さく笑った。
「……あの場合は、そう言った方がいいかなって」
「ちょっと試してみるかぐらいの気持ちだったが、想像以上だ。よくできました」
ぐりぐりと脳天を撫でられる。一瞬だけ身体が硬直したけど、きっとバレてないだろう。
今度こそ外。良い天気だ。いつも窓から聞いている音と違って、雑踏の生活音には細かな賑やかさがあった。色々な靴が奏でる足音。電話をしながら歩く人。気さくに挨拶する店の人。遠くからは車のクラクションが響いてきている。人々が口にする言葉が混ざり合って、言語的に聴き取れない喧噪へと変わる。
空の青。信号機の彩り。人々の服装。地面とビルのくすんだ色。
うわぁ、と。思わず声が漏れた。
想像以上に都会だ。こんなに人がたくさん歩いている所、初めて見た。
「さて。まずはどうしたものか。重たいものを後にするとして、必要な物を先に買い揃えるか。それともお前の欲しいものを先にするか」
手をつないだまま「どうする?」と聞いて来たアレックス様に、僕は正直な気持ちを口にした。
「この辺にどんなお店があるか分からないし、アレックスの好きなようにしてくれた方が僕は嬉しいかな」
「ふむ。参ったな。実はノープランなんだよ。久々のオフだし、あんまり複雑なことを考えたくなくてな」
「そしたら……うーん……実を言うと、欲しいものがあって」
「お。なんだ」
「中性洗剤」
「………………そうか」
アレックスは苦笑いを浮かべて「まぁ初めての外だしな。何でもかんでもするんじゃなくて、のんびり歩くか」と言った。
まずは見晴らしの良い公園に行った。かなり広くて、色々な子供が遊んでいる。でも僕くらいの年齢の男の子が、男性と手を繋いでいるのはとても珍しかった。母親連ればかりというか。
「この公園のホットドッグが、たいそう不味くてなぁ。たまに食べたくなるんだよ」
「……美味しくないのに食べるの?」
「バッサバサのパン。干からびたソーセージ。異様なケチャップ。ある意味芸術品だぞ。しかもクソみたいに安い」
理解不能だ。しかし贅沢は言えない。僕は何を食べても「美味しいね」とか言えないのだ。
「昼飯には早すぎるが、まぁお前も育ち盛りだ。勉強と思って一度食べてみるか?」
「うん!」
そう言いながら、僕は周囲の子供の表情を観察。
笑っている子。ぼーっとしている子。泣きながらワガママを言っている子。総合的に見て、ニコニコとしている子は少ないように思える。(広場ではしゃいでいる子は別として、誰かと一緒にいる子供はみんなそうだ)
周辺の景色は僕にとって珍しいから、キョロキョロとしてしまいがちになってしまう。しかしあんまり観察にふけっていると、目立ってしまうだろう。
というわけで、手持ちの情報から今後の方針を探る。とりあえず僕はどんな表情を浮かべるのが正解なんだろう? 難しいな。
そう思いながら、僕はアレックス様に手を引かれ続けた。その手の力はほどよく柔らかく、それなりに頼もしい。
この手を振り払って逃げたら。誰かに助けを求めたら。......たぶん僕はこのまま逃げ切れる。実は靴下に百ドルも隠してる。
だけど、なんて助けを求める?
『助けてください! この人、僕にご飯を食べさせたり、洋服を買ってくれたりして、全然酷いことをしてこないんです!』
なんだこの訴え。ひかえめに言って頭がおかしい。
よし、こんなことに思考力を割いている場合じゃない。もっと建設的なことを考えよう。そうだろうエミール? 僕は優秀らしいから、その呼び名に相応しい行動を取ろうじゃないか。
ホットドッグは確かに美味しくなかった。色々と残念な味だ。しかし、吐き出すほどマズいわけじゃない。
アレックス様は「かぁ~しょうもねぇ味……たまらないな」と言って、微妙な顔をしながら口を動かしている。謎だ。
その後、堂々と歩き食いをしながら、僕たちはショッピングモールに行った。服は要らないか? と尋ねられたけど、滅多に外出しない僕にとってこれ以上の服は必要無い。
また、オモチャはどうだとも聞かれたけど、特に必要性が感じられなかった。
「ゲームは?」
「う、うーん……どうだろう……アレックスは何かやりたいの?」
僕がそう尋ねると、ちらちらとゲームショップに視線を送っていたアレックス様はシュッと背筋を伸ばした。
「ゲームはなぁ……エミールがどうしてもというのなら買ってもいいかな、って感じかな」
その態度はまるで強がりを見せる子供のようだった。
本当はゲームしたいんじゃないかな。さっきからロールプレイングゲームのコーナーをチラチラと見ているし。でもRPGかぁ……二番目の買い手の所にいた社員が、見張りの役目も果たさずに延々と巨大なドラゴンに攻撃していた様子を思い出す。
『死ねッ! 死ねッ! 死ねッ! ……だぁぁぁ! はい、クソゲー!』
アレックス様があんな感じになるとイヤだなぁ。
僕は少しだけアクションゲームに興味があったけど、色々な判断を下して微笑んだ。
「ゲームはいいかな。それよりも本が読んでみたい」
「……そうか。では本屋だな」
声のトーンが落ちたことが分かった。クールぶってる。この人、クールぶってる!
微笑ましくて思わず笑ってしまった。だけどその笑顔を見た彼は「そんなに本が好きなのか」と華麗なる勘違いをしていた。
その後、本屋に向かって、ビデオショップにも行って。最後にスーパーに寄ってお買い物は終了。ちゃんと中性洗剤も買ってもらった。
牛乳を飲め! とアレックス様は力説していたけど、実はあんまり好きじゃない。それと冷凍食品ばかりではアレなので、野菜も少し買ってもらった。ちぎってサラダにしよう。
意外と大きくなった買い物袋。僕は片手に本を、もう片方にアレックス様の手を握っていたけど、彼の反対側の手はビニールが食い込んで痛そうだった。
「……少し持とうか?」
「大丈夫だ。この程度、ジムで慣れている」
そうは言うけど、荷物が多すぎて痛々しい。赤信号で立ち止まって、僕はアレックス様の手をそっと振りほどいた。
「別に小さい子供じゃないから、転んだりしないよ。手を離しても大丈夫。両手に荷物を分けたら?」
「…………むぅ」
「……それとも、僕が走ってどこかに行きそうで怖い?」
「そりゃな」
――――やはり。
この人は、僕が逃げることを視野に入れてる。
時々隙を見せていたのはきっとわざとだったのだろう。王の名を冠する者。流石に伊達じゃない。僕の反応は観察されていたのだ。まぁ僕は優秀なのでボロは出してないけれど。
だがそれはそれとして、ビニール袋が食い込んだ手が痛そうなのだ。心配なのだ。だからどうか今だけは。
僕は誓いを口にした。
「別に、逃げたりしないよ」
だから……。
「は?」
――――アレックス様が浮かべたのは、怪訝な表情だった。
「にげる?」
「え。いや……その……」
あれ。おかしいな。リアクションが変だ。だからつられて僕の反応も歯切れが悪くなる。そんな戸惑いを示してしまうと、アレックス様はパッと目を見開いた。
「あっ。あー。あー。うん。そうだな。なるほど」
「…………」
「あのなエミール。俺が心配してるのは、ガキはすぐに走りたがるという習性だ」
「えっ」
「車が通るのもおかまいなし。あいつらは命よりもゴムボールの方が大事らしい。何度か轢いてしまいそうになった事があるぐらいだ」
「……僕、そんなに小さな子供じゃないもん」
「いやいや。お前ぐらいの年頃が一番あぶない。無駄に足が速いからな」
そう言いながらアレックス様は、荷物を両手に分けた。
「まぁお前が走らんと約束してくれるなら、俺は多少楽が出来る」
「……走らないもん」
「そうか。分かった。では信用しよう」
彼は当然のように前を向いた。信号がもうすぐ変わる。
「…………やっぱり少し持とうか?」
「ガキがいらん気を遣うな」
「じゃあ豆知識。手に大きめのコインを当てて荷物を持つと、ビニールが食い込まないから楽だよ」
そう伝えてみると、彼は驚いたような顔をした。
まさか、という顔をしながら小銭入れを取りだし、25セント硬貨を手に取った。それを指の腹に当てて、
「…………ほほぉー。なるほど。多少はマシか」
にっこりと、僕の飼い主は笑った。
「いい知恵だ。だが残念なことに、今後このネタを俺が使うことはないだろう」
「どうして?」
「これから買い物量も増えるし、エコバッグを買えば良かったと後悔しているからだ」
なるほど。
信号が変わったので僕たちは歩き始める。
僕はぴったりと彼の横に寄り添って、少し考えた後で彼のジャケットの裾をつかんだ。
「ん。どうした?」
「迷子にならないように」
「そうか」
大きなバスが僕たちの横を通り過ぎていく。
街並みは穏やか。僕は買ってもらった本を片手で握りしめて、テクテクと歩き続けた。
それからしばらくして、僕はマンション内の施設を利用することが許された。
本来ならば子供だけで利用は出来ないらしいのだが、謎のパワーが働いたようだ。それと僕が行儀の良い子だということを周囲に理解してもらえた事も理由の一つだろう。
ちなみに設定は「イジメられて不登校になったから、兄と一緒に暮らして心の平穏を取り戻そうとするシャイな少年」だ。
まさかマンションにジムやカフェ、図書室があるとは思わなかったが……とりあえずは自由に使わせてもらっている。僕はお小遣いをもらえるようになっていたので、施設内の小売り店でお菓子やジュースを買うこともあった。
少しずつ僕の居場所が拡大していく。
同年代の友達は出来そうにないけれど、親切な人はとても多かった。時々、不穏な視線を感じることもあったけど……。それでも僕のことを気に懸けてくれる優しい人の視線が、そういう気配から僕を守ってくれるようでもあった。
ただ、外出は相変わらず禁止されている。
理由は単純に「外は危ないから」だ。
そもそもマンション内を勝手に移動出来るのだから、逃げようと思えばいつでも逃げられる。だけど僕は逃走経路をなんとなく想像する程度で、実際に行動する気はもう起きなかった。
アレックス様と一緒に暮らして二ヶ月。
僕は現在の状況を、まるで天国のようだと思っていた。
しかし、相変わらずどうやって好感度を上げたらいいのか分からない。
掃除はもう無意識に出来るレベル。洗濯もする。
話題を集めようにも、どんなテレビを観たのか、ぐらいしか話題が無い。読んだ本の感想を伝えることもあったけど、一日で読み切れる薄い本は、同じぐらい話題性が薄い。
迷った挙げ句、僕は料理に手を出した。
話題作りのためと、仕事をしていますアピールだ。
未だに彼の命令は一つきり。外には(危ないから)出るな。
そして彼の願いは「俺が俺であるためのサポート。普通でいさせろ」という曖昧なものだけ。
ただ曖昧ながら、現状は維持出来ていると思う。
探り探りの毎日で、なるべく彼が楽しい時間を過ごせるように。不機嫌な時はそっと距離を取れるように。グチを吐きたそうだな、と思った時はお酒を勧めてみたり。逆に飲み過ぎを注意したり。そうかと思えば「今日はすごくモヤモヤしてる気分みたいだから、いっそ限界近くまで飲ませてあげた方いいかも」と判断する夜もあった。
日々は過ぎていく。
そして、三ヶ月目。
僕は勇気を振り絞った。
このまま曖昧な恐怖に脅かされることに、耐えられなくなったからだ。
それは彼が僕の好物をわざわざ買ってきてくれた日のこと。
相変わらず好感度の上げ方は分からない。ただ、以前よりは、その、なんというか、距離が近くなったように思える。はっきり言えば親しみがある。普通に彼のことが好きになれそうだと思っていた。
だけど自分の立ち位置が分からない、
僕は奴隷だ。だが彼は僕を奴隷扱いしない。
じゃあ僕は何だ?
彼の弟か。いや違う。
彼の息子か。全然違う。
彼の恋人? そんな馬鹿な。
彼の親戚という線は。事実に反する。
彼の友達。…………もしかしたら、一番近いのかもしれない。だけどそれは違うのだ。一緒に住んで、一緒に遊んで、色々お話しもするけれど。僕は彼に買われた者。友達なわけがない。そもそも年齢が離れすぎている。庇護されるだけの存在が友達だなんて片腹痛い。はっきり言ってしまえば、まさしく僕はペットだ。飼われている。
役割を演じることは出来る。ただ、どんな役割を求められているのかが分からない。
ペットであるのなら、ペットだと言ってほしい。そうすればもっとそれらしく振る舞える。好感度が上げられる。ひどい事をされずにすむ。
だけど確認することは怖かった。
「お前がそう言うのなら、そうしよう」なんて言われることが、現状の居心地の良さが悪い方向に変化することが、非常に恐ろしかった。
だけど。この不思議な関係がずっと続くだなんて思っていない。
僕は79万ドルで買われた少年だ。
そして少年はいつか青年になる。その時、僕の価値は一体どこにあるというんだろう。学校にも行かず、なんの社会的活動にも参加せず、ただ家にいるだけの奴隷。ゴクツブシというやつではないだろうか。
79万ドル分の仕事が出来るとは思えないが、僕はせめてアレックス様に自分を活用してほしかった。
そしてもしも、もしもだけど。
アレックス様が僕みたいな細い男の子じゃなくて。
えと、その。
なんというか。
ムキムキなマッチョが好き、なのだと、したら、えーと……。
そのために僕を育てて(?)いるのならば……もしそうなのならば……今のうちに言ってほしい。頑張ってプロテインを飲むから。
そんな覚悟を持って、だけど実際には勇気が出なくて。かつて施されたお勉強というトラウマが怖くて、僕は日和った。
『僕に優しくしてくれる理由を教えてください』
『その理由を教えてくれないのなら、せめて僕に奴隷の役割を与えてください』
『だから、どうかアレックス様。僕が奴隷として振る舞うことをお許しください』
僕はアレックス様に、僕の王様にそうお願いをした。
それはある意味で命乞いだった。
どう振る舞えば嫌わないでいてくれるのか。
それだけがどうしても知りたかった。
そして王様は困ったような顔を浮かべた後で、笑った。
『俺は、お前の主として相応しくないのだろうか?』
(まさか。最高の王様だと今は思っている)
『ならば、世界一の王である俺の奴隷よ。お前がその肩書きに相応しい者であるのなら、俺の言いたいことが分かるな?』
(え。それは分かんない)
『ほれほれ、どうした。最高な俺と共に三ヶ月もの長期間を一緒に過ごしておいて、俺の言いたいことも分からないのか? ん? 具体的に俺のどこがどう最高なのか説明してごらん? ほれ? どうなんだ? ん? 優秀だと聞いてたんだが? ん?』
ひどい。
ひどすぎる。
なんでそんな風にからかって来るんだろう。僕はとっても真面目に聞いているのに。
思わず鼻が詰まったみたいになって、僕は泣きそうになった。
「……い、いじわる」
そう呟くことしか出来ない。
どうしよう。頭の中が真っ白だ。どうしよう。どうやったら僕はちゃんとした奴隷になれるんだろう。
『俺がお前に優しくする理由?
それはな、俺がお前のこと好きだからだよ』
頭の中がさらに真っ白になった。
嫌われないように、頑張ってきた。
でも好かれるような努力をした覚えはなかった。何をすれば好かれるかだなんて、見当が付かなかったから。
だけど、好きって。
アレックス様が、僕のことを好きって言ってくれた。
僕は、彼に返せるものが何もなかった。
好きだなんて、言われるはずがないと思っていた。
だから、どうしたらいいのか分からなくなった。
その日の晩。パニックを起こした僕は彼の寝室に突撃した。いや、違う。冷静な判断の元だ。僕は理路整然とした思考で、論理的かつ理論的であり哲学的に脳科学的な根拠を持って、僕は彼の寝室に突撃した。
なにもされなかった。
改めて、僕はどうしたらいいのか分からなくなった。
時々公園を一緒に歩いた。職務質問された。(複数回)
楽しそうな映画を買ってきてくれた。実はホラーだった。
ベースボールも観に行った。少しやってみたいと思った。
コミックを買ってもらった。えっちな本が紛れ込んでいた。
健康のためにサラダを作った。虫の味がするパクチーを混ぜられた。
映画館に行った。それとなくホラーを薦められたけど、アクションにした。
ネズミの王様にも会いに行った。ものすごく楽しくてはしゃぎ過ぎた僕は途中で疲れてしまい、ベンチで寝落ちしてしまった。はずかしい。
ちょっと出かけるぞ、と言われて車に乗った。まさか二百マイルも移動するとは思わなかった。ちゃんとしたハンバーガーを食べて、ものすごく感動した。
すごく驚いたのが、ハワイに連れて行ってくれた時のことだ。パスポートとかどうするんだろう? と思っていたが、アレックス様は普通に手配してくれた。なんと驚くべきことに、僕には戸籍があるらしい(名前は違うけど)。絶対違法行為だ。お金持ちってすごい。
アレックス様はハワイでも仕事があるようだったので、僕は日中の大半をホテルで過ごすことになった。だけど治安がとても良いらしく僕に許された行動範囲はけっこう広かった。ウドンという日本のヌードルが面白かった。
ハロウィンでは、手作りで仮装をした。驚かせようと思っていたのだけれども、アレックス様が金持ちパワーでドン引きするぐらい精巧なゾンビメイクをして帰って来たので僕は普通に漏らしそうになった。その様子を見たアレックス様が今まで見たこともないぐらい笑い転げていたので、僕は泣きながら彼を叩いた。初めての事だった。
本の感想を伝えると「昔流行ってたもんなぁ......面白そうだから貸してくれ」と言われたので貸した。というか図書室の本なんだけれど。彼の読むスピードはとんでもなく速くて、小一時間で読了した時には驚いた。本当に読んだのかなぁ? と疑ったけど、きちんと読み込んでいた。しかも数日後には全巻揃えられていた。わざわざ買わなくても図書室で借りられるのに。ハリーポッター。
ディズニーとかは観てもいいけど、サウスパークは刺激が強いから、ジャパニーズアニメはHENTAIだから観るなと言われた。意味はよく分からなかった。「アレックスの寝室にあるヤツは?」と尋ねると「アレはいいんだよ」と言われた。でも僕が観るのはダメらしい。更に意味が分からない。「お前の年であんなもんみたら、どぎついギークになるかもしれんからな」――――偏見では?
料理を覚えて分かったことがあるんだけど、アレックス様はけっこうカロリーの高い食事が好きだ。揚げ物とか、バターとか。だけどウェイトコントロールは社会人として必須事項だからと、色々とガマンしているようだった。なので、僕は週に一回カロリーオーバーな食事をこっそりと作ることが趣味になっていた。「これ美味ぇ……」とポロっともらすのが良いのだ。
こっそりと、彼が残したお酒を口にしてみたこともあった。びっくりするぐらい口の中が「うべぇー!」ってなって、二度とお酒なんて飲まないぞと思った。あんなのを楽しそうに飲むアレックス様は変人だ。
いつの間にか、彼に頭をなでられても、身体がビクッと震えることは無くなっていた。
……あの日以来、一緒に寝る機会が増えた。
大きなベッドを買ってくれた。
指一本触れてくれない、とは言わない。普通に抱きしめられて寝ることもあった。だけどその腕は優しくて、変な話だけど、なんだかお母さんみたいで。
僕はこっそり、彼にばれないように彼の胸元で泣いた。
……イビキをかいてる時だけだよ?
涙の理由は分からない。
僕はこの生活が終わりませんようにと、すごく久々に神様にお祈りした。
だけど生活は終わった。
僕のことを好きだと言ってくれた王様は、僕の幸せを願って、僕から去って行った。
楽しかった日々を終わらせて、消えた。
失いがたい時間を奪って、いなくなった。
自分一人で勝手に全部決めて、お願いしても聞いてくれなかった。
僕が奴隷であることを、やめようとしなかったから。
僕は命令を下された。
努力しろ。幸せになれ。
努力は分かる。今まで通りだ。
でも幸せになれという言葉の意味は、ずっと分からなかった。