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第四話 王様が化け物になるために必要なもの



 大変複雑な事情が絡み合い、一言で説明するのは無理だ。


 そして民衆が望む「簡単に説明しろオラァ」というオーダーは、『ひどく傲慢である』と明言させていただこう。


 ……複雑だって言ってるだろうが! 専門的で、政治的にも幅広い知識がいるんだよ!お前の無知を棚に上げて「で、結局なんで?」とアホみたいに聞くのはやめろ!


「どうして太陽は昇るの?」

「それは、みんなの明日を照らすためだよ」


 その程度の説明でいいなら、いくらでもしてやる。


 しかし七割がこの説明で納得しても、残りの三割が難癖をつけるのだ。そしてその自称「有識者」「俺は真実以外は信じない」「世の中バカばっかりだな(無職)」みたいな輩は、とにかく声がデカイ。声だけが、大きい。


「おいおいそうやってシビライズコントロールしかけるとか古くさいにも程があるだろ老害w いいか? ボンクラを騙して終わりって時代じゃねーんだよwww」次のスレッド「真実以外は嘘だぜ? 例えそれが自分に都合が悪くてもな。往生際が悪すぎる。二百年前の黄色いSAMURAIサムライにも劣るだろwww 腹を切れ、腹をwwww」ってな。いや最後のはリツイートがそこそこ多かったってだけで、特に意義のある内容だとは思ってないんだが。とにかくこんな感じで、ちょっと反響が多い=賛同者が多いと勘違いした……いかん。なんか八つ当たりみたいになってきたな。


 話がそれた。本題に戻ろう。


 とにかく、一言で説明するのは無理だが、出来るかぎり分かりやすく説明してやろう。自称有識者(職業:小~中学生)にも分かるように。


 まず、世間を騒がせている「すっごいウィルス」のせいで、世界は自粛(じしゅく:みんなで色々とガマンしようね!)ムードになった。人に会わない。外出しない。家でネットフリックスでも観てろ、って具合だ。


 車は走らない。工場は稼働しない。だから当然のように、オイルは売れなくなる。


 ハリウッド映画は見飽きたが、アジアの連続ドラマは面白いし、ジャパニーズのアニメはHENTAIだ。人類は「家で過ごす」生活に適応していった。ますますオイルは売れなくなった。


 先行きは完全に不明。


 一寸先は闇どころか、奈落の底にまで続いているように思えた。



 しかしながら、世の中には頭の良い人もいるんだ。


 その人達は現在の状況から未来を見通して、世界を守るために一生懸命に動き始めた。こうしましょう。ああしましょう。それはやっちゃだめですよ。絶対にこうした方がいいですよ。


 だけど、人間は傲慢で浅慮でアホだ。


 賢い人の意見を聞いたバカのせいで、戦争並みの大惨事が始まった。



油すごい売る国「需要が確実に減るから、石油の産出量を減らして今の金額を極力キープしようぜ!」


国土が広い別の国「ピンチはチャンス……! 腰抜けは引っ込んでろ。俺らは売るで。今まで以上に!」


油すごい売る国「はいカッチーン! 上等コイたなオラ? 本気ィ……見せてやんよ……これが真なる原油大国の本気じゃぁぁぁぁぁ! ここで死ねぇぇぇ!」


国土が広い別の国「はぁぁ!? 負けてられるかヨ!? おい、メンバー全員集めろ! あいつらの“息の根”ここで止めてやんよぉ!!」


 どっちもイモを引かなかった(意地を張った)


 世界中が 「 !? 」 ってなった。


 特に俺が 「 !? 」 ってなった。



 そして当然のように、売れない油を一生懸命に掘りまくって、山のように余って。管理費でみんな瀕死になった。共倒れならまだいい。しかし残念ながら、違う国で違う紙幣を扱っていたとしても、同じ世界(売り手)を相手にして、同じ商品オイルを扱っているのだ。――――俺は巻き添えを食う形で吹き飛んだ。



 もう少しだけ、詳しい話をさせてほしい。ああ、すぐに終わる。


 二代目・石油王の道を順調に進んでいた俺は、シェールオイルという商品を主に取り扱っていた。


 シェールオイル……簡単に説明すると、北米で採れる原油だ。特徴としては俺のような民間業者が扱うという点だろう。


 ただの電話番だった頃とは違い、今じゃきちんと会社全体をコントロールしている、名実共に社長様になった俺は、そのシェールオイルを売りさばく仕事をしていた。



 そして、はいっ、トラップカード発動! 【原油価格マイナス】どーーーん!! このカードはインスタントだ。マナコストではなくフィールドの状況で……いや、すまない。なんでもない。ヒマすぎてMTGってカードゲームのプロ大会動画とかずっと観てたんだ……。



 色々あった。色々頑張った。死に物狂いで奮闘したし、会長職に引っ込んだ偉大な成り上がりヒキガエルにも頼りまくった。



 だけど、ダメだった。


 俺の会社は風前の灯火。


 給料をカットした。リストラした。融資を受けた。借り入れをした。ヒキガエルに本気で頭を下げた。



 だけど、ダメだった。



 季節は冬になろうとしている。世界と俺を破滅に追いやろうとしたクソ病原菌は根絶されつつあるが、俺の会社の余命はせいぜいが今月いっぱい。


 来月まで持ちこたえられたら。そうしたら、まだ勝ち目はあるのに。


 だけど――――ダメだった。



 俺はヒキガエルに呼ばれて、彼の自宅へと向かった。そして呼び鈴を鳴らして出てくるのは、長年の贅沢暮らしのせいで、ちょっと太った母さん。元気そうで何よりだ。


「まぁ、アレックス! 久しぶりね。熱はない? 咳はしてない? 疑いのある人物との濃厚接触は? ほら、これアルコールスプレー」


「家に入る前に、着替えて徹底的に除菌したから大丈夫だよ母さん」


 そう言いながら、母さんを安心させるためにもう一度アルコールを手にふりまく。


「オトウサン…………いや、会長に呼ばれて参りました。彼はどちらに?」


「外のベンチに座ってるわよ。行ってあげて。ああ、ディナーは食べていけるのよね? 母さん、あなたが好きなハンバーグを出前(ウーバーイーツ)するわ」


「いや、気にしなくていいよ。すぐに戻らないといけないんだ」


 そう答えると母さんはシュンとした。


「…………アレックス、大丈夫?」


「大丈夫だよ母さん。会社は僕が守るから」


「そうじゃなくて、あなたの顔……久しぶりに見たけど……大丈夫?」


「ははは。どうしても仕事をしているとオトウサンが会長に見えるからね。この家にも近寄りがたくって。でも世間も落ち着いてきたし、でもこれからはなるべく顔を出すようにするから」


「そうじゃなくて」


 母さんは、人の良さそうな顔で、困ったような表情を浮かべていた


「あなた、顔つきがずいぶん変わったわ」


「…………そうかい? まぁ、もう三十代にも突入したしね。もう子供じゃないよ」


 笑顔でそう言うと、母さんは黙って俺を抱きしめた。


「つらくない?」


「ノープロブレム。みんな大変な中、僕は恵まれてる」


「かなしくない?」


「ハハッ、破産したら悲しくもなるかな」


「さみしくは、ない……?」


「ツッ――――」


 化け物まであと一歩。感傷は、全部過去に置いてきた。


「大丈夫だよ」


 俺は母さんに再び笑顔を見せて、会長がいるという庭先に出た。



「会長。参上いたしました」


「座れ」


「ハッ」


「消毒はしたか?」


 その口調には、いくぶんからかうような音が含まれていた。

 俺はそれにのっかる。


「母さんに三ガロンぐらいぶっかけられたよ」


「…………アレックス。少し、回りくどい話をしよう」


 彼が俺のことを名前で呼ぶのは久しぶりだ。つまり話は長くなる、と。


 俺は彼に並ぶ形でベンチに腰掛けた。


「思えば、お前が一人暮らしをしてどれぐらいになるか」


「大体十二年ぐらいじゃないかな」


「そうか。ワシと一緒に暮らしたのは、何年ほどだった?」


「…………オトウサンはほとんど家に帰らなかったからね。週末。たまのディナー。おはようと声をかけたのは、とても少ない気がするよ」


「……そう、だな。そんなお前から見て、ワシはとても父親と呼べた者ではなかっただろう」


「――――感謝はしているよ」


 濁すようにそう答えると、彼は「はっ」と短く笑った。


「いい。遠慮するな。お前には黙っていたが、お前には兄も弟も妹もいるのだぞ」


「…………急に何を言い出すかと思えば」


「だがワシが結婚したのはジェーンだけだ。ワシの妻は、後にも先にも彼女だけ。多くの不義理を働いてきたが、ワシのジェーンへの愛情は神にだって否定させん」


「……そう」


 これは一体、何の話だろうか。まるで遺言だ。


「それで、会長が私を呼び出した理由はなんですか?」


「報告書を読んだ。お前の会社は、潰れる」


「――――そうならないよう、一生懸命努力している所だよ」


「ふん。シェールオイル部門を縮小して、他分野への進出か。あるいは地元企業との合併? お前等が会議してる様子を三倍速の動画で観たが、どいつもこいつも覚悟が足らぬ」


 そう言い捨てた会長は、ゴホッ、ゴホッと咳き込んだ。


「もう外は寒い時期だ。家の中に入らないかい?」


「ジェーンには決して聞かすことが出来ぬ話をする」


「…………なに、かな」


「これからワシは、会長職に就く者としてお前に問う」


「――――なんでしょうか」


「率直に聞く。いくら必要だ」


「……もうご存じだとは思いますが、色々合わせて三百万ドル」


「は。たった! たった三百万ドル! ワシが全盛期の頃だったら、二ヶ月で使い切っておったわ」


「何ぶん小さな会社ですし……それに、庶民にとっては夢のような大金ですよ」


「だが会社を生かす金額としては安すぎる。して、もしも三百万ドルがあったとして、お前はどうやって会社を再建するのだ?」


 俺はプランを簡単に説明した。


 三百万は運転資金だ。この時期を乗り越え、本格的に冬がくればオイルの消費は高まるはず。というか現在上昇傾向にある。誰しもが「来年は再興の年だ」とその準備に取りかかっている。


 そこでオイルを通常より安価で売るつもりだ。誰しもが在庫を抱えている中、その権利を抑えるために東奔西走した。一時期は「金を払うからオイルを引き取ってくれ」というヤツ等に「冗談キツいぜバカなのか?」と言わずに「時期が来たのなら必ず」と口約束を交わして、誤魔化しながら生きてきた。


 勝ち目は十分にある。


 俺は熱く、そう語った。


 だけど、俺のプランを聞いた会長は静かなままだった。


「――――それで、どんな方法で三百万ドルを集めるつもりだ?」


「グッ……」


「リストラ済み、経営縮小済み、借り入れは限界、融資なんて夢のまた夢。お前個人の私財もほとんど残っておらんだろう。で、どうやって?」


「…………それに関して、知恵をお借り出来ればと」


「遅すぎる」


 それは冷徹な声だった。


「何もかもが、遅すぎる」


「……こんな状況、誰にも分からなかったよ」


「は。少なくともワシは十年前から準備が出来ていた」


「そんな、まさか」


「ワシはジェーンと静かに余生を暮らせればそれでよいのだ。それに必要な金額は、既に抑えている」


 俺はイラついて、ベンチから立ち上がった。


「会長として話すんじゃなかったんですか。貴方のそれは、個人的な話でしょう」


「お前には家族はいるか? 恋人は? 気になる者は?」


「――――いません。それが何か?」


「それがお前の敗因だ」


「何を馬鹿なことを」


「お前の所の社員には、妻も、子供も、恋人も、年老いた親も……守るべき者がいるのだよ、アレックス」


「…………それが、なにか?」


「まだ分からぬのか。お前は突っ走りすぎたのだ。例え傷だらけになっても家族を守る……そんな感覚が、お前からは欠如している」


 何を、ほざく。


 お前がそれを、言うな。


「……さっき自分でも言ってたじゃないか。母さんに不義理を働きまくっておいて、よく言うよ」


「お前に三百万ドル稼ぐ方法を教えてやろう」


「はっ、それは有り難い。だったらその金で俺も老後の生活を守るとしよう」


「……アレックス」


「……冗談だよ……ああ、冗談さ、そんなこと……」


「お前には好きな人はいないのか?」


「いないね、そんな人」


「ただの一人も?」


「命を賭けても守りたい、が条件に含まれるのならノーだね。いない」


 会長はゆっくりと立ち上がって、庭先を歩き始めた。


「見ろアレックス。夕日だ」


「……珍しい物ではないよ」


「ワシは今から、とても醜悪な事を口にする」


「へぇ」


「気分を害したのなら、そのまま立ち去るが良い。少なくとも今から、親子の縁は切れるだろう」


 ……!?


 ゾッとした。親子の縁を切る? なぜ?


 今までの会話の中に何かヒントはあっただろうか? いくらなんでも唐突すぎる。


「縁を切るって――――その、僕の兄さんや弟妹とやらが関係しているのか?」


「違う。縁を切るのではない。縁が、切れるのだ。お前がワシを捨てるのだ」


「何を言ってるのか理解出来ない」


「アレックス――――三百万ドルを稼ぐ方法を教えてやる」


「…………」


「かつてワシは、お前をとある場所に連れて行ったな? 闇オークションだ」


「…………」


「そこにもう一度行け」


「……? こんな時期に、今度は何を買わせるつもりだよ」


「買うのではない。売るのだ。お前自身を」





 っと、いかん、一瞬思考が飛んだ。


 なんだって?


「俺を、売る?」


「三十代にもなったお前を売ろうとするのならば、それなりの商品価値を示さなくてはならない」


「何を言ってるんだ?」


「大企業の次期社長。二代目・石油王。幸いにもお前はセルフコントロールが出来ておる。体つきは問題無いし、顔だって良い。ワシに似ずハンサムだ。だがそれだけでは足りない」


「待った。待ってくれ。本当に何を言っているのか分からない」


「プライドは粉みじんになるだろう。トラウマにもなるだろう。屈辱的なタトゥーを入れられるだろう。ケツの穴は使い物にならなくなるし、チンチンをちょん切られるかもしれぬな」


「父さん!」


「――――ああ、初めて、そう呼んでくれたな」


 俺はバッと自分の口を押さえた。


「お前にオトウサン、オトウサンと言われる度に、ワシは……どうしたらいいのか分からなくなっていたよ」


 会長は、泣いていた。


「これは試練だ、アレックス」


「…………」


「ワシも、かつてそうだった」


「……!?」


「プライドは粉みじん。トラウマで眠れない。屈辱的なタトゥーは入っているし、ケツの穴の治療にはだいぶ金がかかった。チンチンは、切られなかったが」


「何を……何を、言っている?」


「ここは想像を絶する世界だ。エデンから追い出された人間は、もはや神に愛された種族ではなく、忌むべきモンスターなのだろう」


「……分からない。あなたが何を言っているのか、全く理解できない」


 会長は振り返った。


 そこにいたのは、ボロボロの老人だった。


 涙を浮かべ、震え、今すぐ死にたいと顔に書いてあった。


「……冗談では、ないのですね」


「ワシがこの世界でのし上がれたのはな、どんな男の棒でも天国へと連れていく覚悟・・があったからだ」


「……!!」


 嘘だ。ありえない。俺を都合よく騙そうとしているだけだ。


 だけど化け物一歩手前の俺は、否定しながらも同時に……この男が口にした「覚悟」という言葉を聞いた瞬間に、彼を尊敬してしまった。


 ありえるのか? こんな下品で傲慢な男が、本当にそんなことをしてきたのか?


「思い出して吐きそう」


「ちょっ」


 駆け寄ろうとすると、会長は片手でそれを制した。


「ワシに触るな。いま、ワシはとても不安定だ。たとえお前であっても、男が近づけば心臓が止まるだろう」


 それは命乞いだった。


 この男は、ずっと本当のことを口にしていたのだ。



 俺は力尽きて、その場に座り込んだ。


 庭師が整備した芝生。ちくちくと、突き刺さる。


「……ジェーンだけだ。ジェーンだけが、こんなに醜く、汚れたワシを愛してくれた。金ではなく、ワシを愛してくれた」


「…………浮気者のくせに、よく言うよ」


「トラウマへの復讐と、治療だよ。何の言い訳にもならんが、誰かを抱くときは必ずジェーンのことを思い浮かべていた」


「嘘つけ。エロピンナップで鼻息を荒くしていたことを、俺は忘れないぞ」


「はっはっは」


 彼は力なく笑った。


「――――闇オークションの前座を務めてこい。お前は歳を取ったが、顔も身体もいいからな。そして二代目・石油王という社会的地位もある。その“プライド”には需要があろう」


「プライド。プライドねぇ……俺みたいな奴をグチャグチャにするのが好きな金持ちが、この世にいるのか?」


「いるんだよ。……おぇっ」


 彼は吐き真似ではなく、本当にちょっと吐いた。だが近寄れない。


「本来ならば裏YouTubeでヌードストリッパーをするのがせいぜいだろうが、ワシが手を回せばオークションに出品することは出来る。それに、口添えすれば『猟奇的な者の参加禁止』という条件での競売を設けることが可能だ。もしお前がこの話を受けるのであれば……紳士、淑女、誰に買われるか知らんが、全員を満足させてこい」


「………………」


「裏オークションにはVIPしかおらん。お前のあられもない姿は、お前の記憶の中・・・・・・・にしか残らん。買い手? ああ、たまには思い出すかもな。だがその程度だ。――――どうするね? 追い詰められた社長よ」


「………………」


「無論、断っても良い。人間として生きたいのならば、むしろそちらを選べ。だが、その場合は二代目・石油王は諦めてもらおう。会社を潰した者なぞ、ワシの後継には相応しくないと大騒ぎするウジ虫は山のようにいるからな」


「………………」


「三百万ドルを個人的に貸すことなぞ造作もない。ワシの貯えはその程度ではビクともせん。……だが、しかし、これは会社を存続させて周囲を黙らせるという話では収まらない。その二代目の資格無しと、ワシが直々に発表せざるを得んな。なにせこれはほぼ個人的な融資になる。身内びいきと叩かれるだろう。こっそりやっても無駄だ。世界人口の半分はハイエナなのだから」


「………………」


「だが、もしも……もしもお前が、ワシと同じモンスターになるというのならば、ワシの全てをお前にくれてやる」


 それは悪魔の言葉だった。


「金額なぞ、正直どうでもいいのだ。お前が覚悟を示せるのならば、もしその三百万ドルが無に帰そうとも、ワシが徹底的にサポートしてやる。お前とワシは血こそ繋がっていないが、それ以上の関係にきっとなれるだろう。同じ悪夢を見る者として、かならずお前を支える」


 晩年になってもなお苦しむ男は、静かにそう言った。


「だが、まぁ、もしその覚悟があるのならば、この先で何が起きてもお前は勝利を掴めるだろう。地獄を見たものは、もう二度とあそこに戻りたくないと自動的に奮起するからだ。悪夢のバリエーションを増やさぬために」


「………………」

「………………」


「どうかね。ここで退くか? それとも、恥辱にまみれながらも王を目指すか? ――――アレックスは、どちらの道を選ぶ?」


 そんなの、そんなの決まっている。


 そこまでして会社を、社員を守る義理なんてない。だいたい俺は。


「…………別に俺は、二代目・石油王になんてなりたくなかったよ。母さんの老後は安心って分かったし、なおさらだ」


「ではそうしたまえ」


 ふぅ、と彼はどこか安心したようなため息をついた。



「――――アレックス、普通・・に生きてくれ」



 ガツンと、頭と心臓をレンガで殴られたような気分になった。


 普通。二代目・石油王にならずに、普通に生きる。


 豪勢な暮らしを捨てて、富裕層という圧倒的なステータスを捨て、将来に不安を覚え、病院に行くのもためらい、冷凍ピザを食べながら旧作のレンタルDVDを観る生活。


『アレックスのばか!』


 別に悪くない。いいじゃないか、普通で。


 身も心もグッチャグチャにされてまで固執するようなものではない。


『僕と一緒に、いてください』


 今すぐ会社を畳もう。退職金を手にして、投資でも始めよう。当たればそこそこ裕福には暮らせる。


『アレックスは本当に僕のことが好きだよね』


 ……大丈夫だよエミール。もうお前もそろそろ成人だろう? 半年ごとに報告は受けているよ。お前が何不自由なく生活していること。俺が託した口座の金をほとんど使っていないこと。幸せそうに暮らしていることを、ちゃんと知っているよ。


 お前が二次成長を迎えたぐらいから、どうしても写真を見ることが出来なくなってしまった。大きくなったな、元気そうだな、色々な感想はあったけど、見るのが辛かったんだ。……どの写真も、お前が浮かべているのが作り笑いだったから。お前が上手に隠しているはずの本音が理解出来てしまう事が、悲しかったから。


 けど、報告書の文字が嘘をついてないかぎり、お前が大丈夫だってことを知っているよ。そうさ。大丈夫だ。安心しろエミール。お前の不安は全部俺がなぎ払う。


「寒くなってきた。中に入ろうアレックス。義理の息子に史上最悪の提案をする、こんな汚れたジジイが住まう家で良ければだが」


「………………」


「それとも、やはり……いいや、すまない。どう考えても狂ってる」


 彼は両手で顔をおおい、苦悶の呻き声をあげた。


「ジェーンの息子に、自分の義息子に、ワシは何ということを......」


 その慟哭を聞いて俺は理解した。


 ああ、この人は歪んでいる。正真正銘の化け物だ。とても強くて醜悪な、欲望とオイルにまみれた王様だ。


 そして同時に、とても弱いただのヒトだった。


 ああ―――この人は単純に、不器用なだけだったんだな。



「もうワシの顔なぞ見たくもないだろうな。だがそれでいい。ジェーンには上手く言っておくから……」


「父さん」


 俺は、微笑みを浮かべた。




 あの時の覚悟を、無駄にしないために。








『さぁさぁいよいよオークションも開催間近! その前に、少しばかり皆様には余興にお付き合いいただきたく存じます。そう、とっておきの前座でございます!』


 パチパチパチと拍手が聞こえる。


『今回は特別の特別。我々が知る中でも、とりわけ上品な紳士淑女の皆様にお集まりいただきました。あ、いえ、他のお客様が下品というわけではありませんけどね? 少しばかり猟奇的な性癖をお持ちのお客様にはご遠慮していただいております――――会場に空席が目立つのはそのためです。そう、ここにいるお客様の招待状のみ、集合時間が早められていたのです』


 わざとらしく、最後の方だけ声を潜める司会。そして観客席からほのかな笑い声が聞こえる。きっと面白おかしく、身振り手振りで演説しているんだろう。


『今回の前座を務めるのは、三十代の男性。健康的な処女との一夜にございます! え、珍しくもなんともない? そうですね。私もそう思います。な・の・に! なんとスタート金額は百万ドルからとさせていただきます!』


 前座というのは場を盛り上げるためにある。だから、商品がどうこうというよりも、エンターテイメントとして成立する必要がある。司会はそれを理解しているのだろう。とても楽しそうにマイクを握っていた。


『ただの男を抱くのに百万ドルスタートとはあまりにも暴利。そうは思いませんか? そう思いますよね? しかも、下品なお客様はお断りと来ましたよ。ええ。これはもしかしたら、我々に対する侮辱なのでは……?』


 プライドを刺激するいい煽り方だ。俺はステージ脇で素直にそう思った。


『そもそも入札があるとは思えません。百戦錬磨のお客様に大して、『ただ抱くだけで百万ドルよこせ』だなんて、不躾もいいところ!』


 そうだな。全くもってその通りだ。


『不思議な話ですよねぇ。抱くだけで百万。猟奇的なのはNG。売り物のくせに注文が多い……! ですが、で・す・が! なんと驚くべきことに、今回の商品にはこんな特典が付くのです!』


 じゃん! と司会の背後に広がるスクリーンに、チープで大げさな演出が施される。そして、文字が浮かぶ。



【一夜の夢・落札特典――――その撮影権利・・・・



 シン、と場が静まり返った。


 狙い通り。司会はほくそ笑み、静かに口調を変える。




『その通りでございます、お客様。これは遊びではございません。商談・・です』




 ざわ……ざわ……と、少しずつどよめきが大きくなる。


 特典がビデオ撮影。通常であれば「は?」としか言われない内容だ。


 そんな低レベルな特典、誰が喜ぶというのだ?


 だがここはVIPが集うモンスターハウス。


 優秀な化け物だからこそ、俺の意図は正確に伝わる。


『ではこの辺で登場してもらいましょう。今宵の前座、お売りするのは処女とプライドと一夜の夢! やがてソレは彼にとって繰り返す悪夢へと変わる! 鎖で繋がれることなく、自らの意思で地獄を歩む者! アレックスです!』


 どよめきが大きくなっていく。


 俺が壇上に上がると、一気にそれは広がっていった。


 司会からマイクを受け取り、俺は震える声で名乗りを上げる。


「俺の名はアレックス。この顔に見覚えがある方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれませんね――――ただ顔は見たことなくても、こう言えば伝わると信じています。ニューヨークに住まう成り上がりの石油王。俺はその、後継者だ」

 

 ざわつきが、ますます高まる。



『二代目・石油王。その醜聞。果たしてその映像データは、将来的に・・・・いくらで売れるでしょう……?』



 大丈夫だよエミール。


 三百万ドルで会社を助けて、俺は化け物一直線だ。


 そして、きっとお金は余るだろうから、それでお前は幸せに暮らせ。








「父さん。そのオークションへの出品、お願いしていいかな」


「なっ……は!? お前、正気か?」


「父さんが持ちかけたんじゃないか」


「…………いや、すまない。悪かった。試しただけだ。お前の覚悟は確かに受け取った。会社のことは何も心配しなくていい。だから」


「俺は父さんと同じ化け物になるよ。醜くて悲しくて死にたくなるような化け物に」


「…………アレックス」


「だけど条件というか、お願いがある。こんな内容なんだけど――――」


「ふむふむ――――――――なるほど」


「……これなら、ダメージが最も少なくて、きちんと化け物だろう?」


「…………いいや、だめだアレックス。やめなさい。ワシはそれ以外の方法を知らなかったから、お前にこんな提案をしてしまっただけなんだ......ワシは間違っていた。だからどうか」


「なに、何事も経験だ。一発で済むのか輪姦されるのかは知らないけど……三時間耐えればいいだけさ。父さんが見たっていう地獄は、流石に俺も遠慮したいんでね」




 俺が提示した条件。


・一晩だけ。

・怪我や後遺症はNG

・決して口外しないこと


・撮影したデータはオークショニアが管理。たった一度きりの「脅迫カード・・・・・」として、いつでも使える。



 そう。俺は自分を投資の材料にしたのだった。


 妥協案にもほどがある。全部中途半端な決断だ。


 ケツの穴を台無しにしたくない。トラウマで薬漬けになりたくない。父さんみたいには、なりたくない。


 だから非常に中途半端に、勝負をしかけた。


 絶対に秘密が守られるというこの特異な場所で、その秘密を暴露してもいいと言うのだ。


 そしてその秘密は、売ることが出来る。


 我ながら情けない決断ではあるが、根っこが一般人な俺の、最後の悪あがきだ。



『身元は我々が保証します。この者は、間違いなく二代目・石油王です』


「――――だがその者の会社は経営危機に陥っている。先代……失礼、現在の石油王が見限らないという可能性は? もっとストレートに言うならば、この者が二代目に収まるという保証が無い」


『おや、業界に詳しいお客様がいらっしゃるようですね。然り。その懸念は当然でございましょう。――――だからこその百万ドルスタートなのですよ。これは商談か、あるいは詐欺か。分かりやすいでしょう?』


「――もう一押し、何かないのか?」


 その質問が飛んできたので、俺は司会に片手を出してマイクを寄越すように言った。


「俺はここに、覚悟を決めに来たんだ。俺が二代目・石油王になるためには、今の会社を潰すわけにはいかない。その肩書きの重みを今の俺は理解している。なんで偉大なパパに甘えなかったのかって? いつか親は死ぬんだ。その時の後継者がボンクラじゃ話しにならないだろう。――――覚悟が必要なんだ。王になるためなら全てを捨てられる、そんな覚悟が」


 シン、と。愉快なBGMに負けないぐらいの静寂が空間に広がる。


「俺は、絶対にこの映像データを買い戻す。落札額の十倍は保証してやるよ。あんたらにとっちゃはした金だろうがな」


 ここにいる化け物達を、マスク越しの彼等を全員睨み付ける。


「俺に金を出せ。そうすれば将来のお小遣いを約束しよう。そして……世界で一番滑稽なショーを見せてやるよ」


 俺はそう言って、片手をあげた。


 そして最後の切り札を切った。



「見てくれよ。手の震えが、止まらない」



 プライドを持ちながら、それを捨てたという、証拠だった。



 百五十万。二百万。二百七十。三百五十。四百。


 これは商談だ。淡々と金額が上がっていく。


 未来の石油王からいくら引っ張れるか? それが今試されている。


「五百万ドル」


 年老いた、そして静かな声が響いた。


 上品な客しかいないなんて嘘だ。


 その金額を提示した老人は、マスクなんかじゃ隠しきれない程ドロドロの情炎をたずさえて俺を見つめていた。



『……他にいませんね? 残念。みなさまは本当に賢明でいらっしゃる。アレックスは十倍を約束したというのに、たった五百万ですか』


 返答は沈黙。最後の煽りは、効果が無かったようだ。



『では、これにて落札ッ!』



 こうして俺は、買われたのであった。


 俺を買った老人は今すぐにでも死にそうな手つきで、嬉しそうに両手を叩いていた。





 

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