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第二話 エミールの役割



 それから俺の生活は一変した。


 そりゃそうだ。家に帰ると、奴隷がいるのだから。


(エミールは奴隷、エミールは奴隷、エミールは奴隷……よし)


 家に入る前に、自己暗示を済ませる。


 でないと彼の立ち位置が分からなくなるからだ。彼は家族でもなければ友人でもない。ハウスキーパーじゃないし、保護猫でもない。エミールは奴隷なのだ。


 彼と出会ってから三ヶ月。このルーティーンは、いつの間にか自然に行えるようになってきた。


 ちなみにエミール専用のベッドはすぐに買った。空いてる部屋なんていくらでもある。




「帰ったぞエミール」


「あ! おかえりなさいアレックス!」


 無邪気な様子でエミールが駆け寄ってくる。こいつはどことなく犬っぽい所がある。俺としては猫の方が好きなのだが。


「ただいま。ほれ、土産だ」


「わっ。炒飯フライドライスだ。僕これ大好き!」


「だから買ってきたんだよ、っと」


 靴を脱いでふぅとため息をつく。


「疲れてるね?」


「そりゃ仕事してきたんだから疲れるわ。まったく、あのジジイ共は金のことしか考えてない……」


 と、言って俺は口を閉ざした。


 エミールには最初の頃に「我が名は二代目・石油王になる男アレックスなり」みたいなことを言ってしまってはいたが、それ以来具体的なことは何も喋らないようにしていた。


 エミールの無邪気な視線が嬉しいからだ。

 俺のことを、アレックスとして見てくれる視線が。


 色々な意味で、自己愛が極まっている。我ながらギーグ少年(中二病)のような精神性だな、という自覚はあるが、自分の本音を偽る必要はない。ここは俺の家なのだから。



 彼は俺のことをとんでもない金持ちだと理解はしている。


 けれど、どんなタイプの金持ちなのかはあまりよく分かっていないようだった。


 エミール。褐色の少年奴隷。スペックは超絶優秀。賢いの一言では収まらないくらいに、この子は利発だ。


 だけど同時に世間知らずな面も多々あった。


 彼は一体どういう経緯で奴隷になったのだろうか? 俺はそれをエミールに確認していない。名前と年齢。好きな食べ物。データとして俺が知っているのはそれぐらいだ。


 確かに気になるといえば気になるのだが、俺が彼の過去を知ろうとすれば、同時に彼は俺のことを知りたがるだろう。それがフェアというものだ。主人と奴隷という関係性はさておき。


 そして、俺のことを知ったら、彼もまた俺の知っているニンゲンと同じになってしまうのではないだろうか? そんなささやかな不安が、今日も俺に似たような行動を取らせる。


「今日は何をしていたんだ?」


「テレビ見て、お勉強して、運動して、掃除を終わらせて、本を読んでたよ」


 いつもと同じ返事だ。順番だけは違うけれど。


 いきなりエミールを学校に通わせたりはしない。彼は世間知らずなので、まず俺が課題を与えることにしたのだ。主に一般常識的な意味で。この国のことや、世界のことなどを。


「そうか。変わったことは無かったか」


「うーん……共用スペースのジムで運動してたら、四階に住んでいるマダム・オニールが話しかけてきたかな。いつもと同じように『まだ不登校なのね。アレックスには虐待されてない?』みたいなことを、ジョーク混じりに聞かれた」


 あはは、とエミールは笑った。


「いつも通りじゃないか。だったらいつも通りに返事をしたんだろう?」


「うん。だけど今日は、身体を触られたかな」


「――――は?」


「本当に虐待されてない? って背中とか撫でられて、それがくすぐったくてさ」


 ブッ殺してやろうかマダム・オニール。会ったことも無いが。


 俺が虐待なんてするわけないだろう。もちろん愛玩だってしてない。


「あの人、きっと良い人なんだろうね。すごく熱心に調べてくれて、僕が大丈夫だって分かったら『もし何かされたら、すぐここに電話するのよ』ってテレフォンナンバーをくれた」


 はい、とメッセージカードを渡される。


 用意周到なババアだ。電話番号しか書いてない。……俺がこれを取り上げた可能性を考慮して、情報を制限している。おのれ小癪なまねを。


「運動した後だからだろうけど、マダムが耳元ではぁはぁ言うのがちょっと気持ち悪かったかな」


 ――――お前の方が変態っぽいじゃねーかクソマダム!


「……これはお前が得た情報だ。そして情報とは価値があるものだ。財産とも言える。だからお前はこの情報をキープしてもいいし、俺に内緒で電話することも可能だろう。……その上でお前に問う。このメッセージカードを、お前が得た財産を、処分しても構わないか?」


「いいよ」


「そうか」


 俺はメッセージカードを真っ二つに破って、ゴミ箱にポイした。


「どうせもう覚えたし」


「まぁお前ならそうだろうな。俺がこれを捨てた理由は、不愉快だからの一言につきる。虐待の可能性を疑われている? 心外な。俺はそこまで落ちぶれちゃいない」


「アレックスは心が強いからね」


 嘘偽りのない、素直な感想に聞こえた。


 反射的にゾクゾクと背中が震える。


「当たり前だ。見ろ、この俺を。アレックス様を。奴隷であるはずのお前に様々な自由を許し、お前が望むモノを与えている」


「うん。いつもありがとう」


「だが、コレだけは覚えておけ。俺はお前に上から目線で施してなどいない。ただ、極めて普通・・のことをやっているだけだ」



 エミールは奴隷だ。


 だから本来、俺は彼をどのように扱ってもいい。彼を買った時、競売人が壇上で言っていた通りだ。殴ってもいい。傷つけてもいい。オークのように蹂躙してもいい。殺してもいい。


 だが、俺はそれをしない。


 エミールは奴隷だ。


 だが、俺は奴隷を持ちながら、他のオーナー・・・・とは違う存在でありたい。


 あのヒキガエルのように。ゴブリンのように。悪魔のように。あんな気持ちの悪いやつらと同じ人種になりたくない。


 だから俺はひっそりとヒキガエルの意思に反逆することにした。


『時にアレックスは、闇オークションというものをご存じかね』

『ああ、あれですか。奴隷を買ったことがありますよ』

『なんと。せっかく招待しようと思ったのだが、既にご存じだったか。ははは、アレックスのような若さで大したものだ。私は奴隷を×××するのが好きでねぇ』

『奇遇ですねミスター。私もです』


 そんな会話をさせるために、若造が舐められないように、化け物と対等に渡り合える化け物に育つように、ヒキガエルは俺に奴隷を買わせたのだ。


 目的は一つ。いつか自分が何もしなくても大富豪な生活が送れるようにするため。そのための布石の一つにすぎない。(こういうことは他にもたくさんある)


 俺を社長にして、自分は会長に。二代目・石油王は、先代を潤すために生き続ける。――――そんな未来のために、ヒキガエルは俺の教育に熱心だった。


 だが、バカめ。


 俺が買った奴隷をどう扱おうが、俺の勝手だろうが。


 別に本当に×××する必要はない。叩いたり、犯したり、殺したりする必要性なんて皆無だ。ただ話を合わせればいいだけだろう? だったら実際の経験なんていらない。


 あのヒキガエルは、サスペンス作家がみんな人殺しだとでも思っているのだろうか。だとしても俺を舐めすぎだと思う。


 エミールは奴隷だ。


 だが、俺は奴隷に施しを与えたりはしない。一人の人間に対して、当たり前のモノを提供するだけ。


 つまり俺は奴隷エミールを人間として扱い、彼にとって信頼たり得る人物であろうと心がけているというわけだ。


 いつか世界中の人間が俺のことを名実共に「二代目・石油王」と呼ぶことがあっても。「あいつ、ほらあいつ何だっけ。二代目の石油王」みたいに、俺の肩書きだけ覚えて本名を忘れてしまったとしても。


 彼だけは、エミールだけは肩書きのない「アレックス」を覚えてくれますように。


 そんな願いを込めて、俺は彼を奴隷と呼びながら、奴隷扱いしないのだ。



 エミールの役割。


 それは、俺をアレックスとして扱うこと。

 そして、普通を忘れさせないことだ。


 エミールと三ヶ月ほど暮らして、俺はそんな方向性を定めていた。



 だが、今夜は誤算が一つ生じた。



「だが、コレだけは覚えておけ。俺はお前に上から目線で施してなどいない。極めて普通のことをやっているだけだ」


 そう言った直後、エミールはふわりと笑って、うなずいた。


「うん。分かってる。アレックスはいつも優しいし、わざわざ帰り道とは真逆の方にあるお店の炒飯を買ってきてくれたりする。僕はそれがすごく嬉しい。……だから、本当にありがとう」


 むぐ。なんだよその顔。ちくしょう、やめろ。


「――――あの、一つお願いがあります」


 敬語。真面目な話のようだ。


「……なんだ」


「アレックスはいつも優しい。僕のことを大事にしてくれる。口に出さずに『欲しいなぁ』と思ったものを魔法みたいに用意してくれる。そして対価を求められたことなんて一度もない。だけど……だからこそ」


 エミールはまるで敬虔な信者のように跪いた。


「僕は、何故あなたが優しくしてくれるのかが、理解できない」


「…………」


「僕は何も返せない。何も出来ない。そもそも求められてすらいない。それが、僕をひどく不安な気持ちにさせるんです」


「ふむ……。まぁ分からんでもない」


 つまりこいつの言いたいことはこうだ。働かざる者食うべからず。なのに自分は、ただ食っているだけだと。


 理由が分からないのに与えられる物。だったら、もし俺の優しさが与える時と同じように、理由もなく消失してしまったら?


 その時自分はどうやって立ち振る舞えばいいのか分からない。


 それがエミールの抱えている不安なのだろう。


「さっきマダムのメモを捨てる時も、アレックスは僕に『それはお前の財産だ』と言ってくれました。でもそれは僕が自力で獲得した物じゃない。それこそ施された物だ。そして、そもそも奴隷の財産はイコールでご主人様のものです」


 その辺の感覚も理解は出来るが、俺には不要の考え方だ。だから俺はエミールの言葉をばっさりと遮った。


「話が長い。要点だけ押さえろ。……得意だろう?」


 その言葉は事実だ。彼は即答した。



「僕に優しくしてくれる理由を教えてください」



 ――――それを説明することは、出来ない。


『二代目・石油王と思われたくないから』それはたしかに人間的で分かりやすい動機ではあるが、これは口にすると破綻するのだ。


 賢いエミールはすぐに気がつくのだろう。その役割は自分でなくても・・・・・・・成立する・・・・のだ、ということを。


 そしてその気付きは発展する。


『ならば、もっと上手にその役割をこなせる人物が現れたら、自分は捨てられるのではないのだろうか? 道具をアップグレードさせるのは当然のことじゃないか』


 だったらこの居心地のいい生活が失われないように、このポジションを奪われないように、アレックスの望むように。そしてもっと上手に、完璧に振る舞おう、と。


 その瞬間からエミールは俺に対して演技を開始する。


 彼は二代目・石油王とは扱わないだろう。……ただ別の扱いをするだけだ。


 俺ではなく「アレックス」という役割を愛する、道化に。



 そんな推理はさておき、俺は説明はおろか、相づちをうつことさえ出来なかった。


「どうしよう」とばかり考えていた。


 そしてエミールが畳みかけてくる。



「その理由を教えてくれないのなら、せめて僕に奴隷の役割を与えてください」


「……奴隷の役割?」


「アレックスは、優しくて、親切で、時々意地悪したりイタズラしてくることもあるけど、とってもとっても素敵な人で。……アレックス様。あなたは、僕にとっての王様なんです」


 それはまるで告白のようだった。


「だから、どうかアレックス様。僕が奴隷として振る舞うことをお許しください」


 働くから捨てないで。俺の奴隷はそんなことを口にした。


 安らぎの日々。何一つ文句のない生活。彼はきっとそれを愛しく思ってくれたのだろう。だから、それが無くなってしまうことを恐れたのだ。トリガーが俺の買ってきた炒飯だということに少しだけ笑えるが。……しかしこの状況は笑えないぞ。


 もっと何も言えなくなった。


 エミールのそれは、俺が望んでいる態度ではないからだ。


 普通がいいのだ。ふつーなのが。


 頭がイカれてて、金に目がくらんでるようなヤツ等ばかり相手取ってるから、どこかで「普通成分」を摂取しないと、俺は自分を見失ってしまいそうになる。そんな自覚がある。


 だって俺は産まれながらのサラブレッドじゃない。ただのロバだ。努力してなんとか競争に食らいついてはいるが、毎朝鏡で「よし、今日もロバだ!」と思わないと、正直やってられないのだ。

成り上がりが掴んだビッグマネーで育てられたが、俺の性根は30セントの菓子で喜ぶはなたれ小僧のまま。――――だから、努力の重要性を知っている。


 俺は金持ちと貧乏人のハイブリッド。だからこそ、今の地位にしがみつける。


 傲慢さを制御できる金持ち。それはつまり謙虚であること。

 卑屈さを制御できる貧乏人。それはつまり高潔であること。


 だから、家に帰ってまで「アレキサンダー大王様」みたいな扱いを受けることは、俺のメンタルバランスが崩壊することを意味しているのであった。


(頼むから普通でいさせてくれ……)


 エミールに突きつけられた選択肢は二つ。


 優しくする理由を伝える。

 王様としての扱いを受ける。


 どっちも、似たような結末しか訪れないことを俺は理解した。


「アレックス様……」


 褐色の少年奴隷の瞳が、情けを乞うかのように潤む。


 だが違う。そんなもの求めてない。


 エミール。俺は、お前がお前のままでいてほしいんだ。


「あ」


「……?」


 閃いた。


 やはり俺は天才なのでは?


 伊達に英才教育を尋常じゃ無い速度でこなしただけのことはある。俺は才能の塊だ。


「エミール」


「はっ、はい!」


 奴隷が畏まって控えている。


「俺は、お前の主として相応しくないのだろうか?」


「――――い、いいえ! そんなことはありません! アレックス様は、僕にとって世界一の御方です!」


「ならば、世界一の王である俺の奴隷よ。お前がその肩書きに相応しい者であるのなら、俺の言いたいことが分かるな?」


「……!?」


 分かりません、とその顔に書いてあった。こいつは賢いが、バカみたいに素直なのだ。全部顔に出る。そしてそれを隠しきれていると勘違いしてるから面白い。かわいいな。


「えっと、その」


「ほれほれ、どうした。最高な俺と共に三ヶ月もの長期間を一緒に過ごしておいて、俺の言いたいことも分からないのか? ん? 具体的に俺のどこがどう最高なのか説明してごらん? ほれ? どうなんだ? ん? 優秀だと聞いてたんだが? ん?」


 煽りまくると、別の意味でエミールの瞳が揺らいだ。


「……い、いじわる」


 うおおお、背骨がかゆい。なんだこの感覚。エスか? 俺はエスなのか? サディスティック・アレックスが俺の本名なのか?


 ぽふ、とエミールの頭の上に手を置いた。



 意図はしてなったが、布石は三ヶ月前・・・・・から打ってある。


 俺はこいつに、嘘をついたことがないのだ。


 だからこいつは、俺の嘘を確実に信じる。



「俺がお前に優しくする理由? それはな、俺がお前のこと好きだからだよ」


「……え」


「好きなものに優しくするのは当然だろう?」


「えっ、えっ……」


「それとも何か。お前は俺が『子猫を大切に育てる理由は、大きくならないと解剖のしがいが無いから』的な変態にでも見えるのか?」


「ちがっ、絶対違う! そんなこと思ったことない! というかその発想はサイコパスすぎるよ!!」


「はっはっは」


「………………違うもん」


「ところでさぁ、いつまで俺は上着も着たまま突っ立ってないといけないわけ? おいエミール。さっさと炒飯をレンチンしてこい」


「かっ、畏まりました!」


 慌ててきびすを返すエミールに、俺は更なる煽りをブン投げる。


「おやおやおやおやおや~!?」


「はっ、はい!?」


「かしこ、まり、ましたぁ~? んんー?」


「……あ、アレックス」


「なんだよ」


「……上着は、ちゃんとハンガーにかけてね?」


「oh、分かったよエミール」


 俺はそう言って、クローゼットを目指した。背後から「ピッ」と、電子レンジがマイクロウェーブという近未来兵器で炒飯を温めるという作戦を開始した音が聞こえた。


 はっはっは。


 我ながら完璧だったな。


 これでエミールはいつも通り、俺が期待する役割を自然とこなしてくれるだろう。


 ざまぁみろヒキガエル。俺はそんじゅそこらの金持ちと違って、ちゃんと普通だ。




 だが、そこから俺の生活は一変した。


 いや一変というほど大した変化ではないと思うのだが。



 その晩、寝室にエミールが現れた。


 俺は本を読んでいたのだが、控えめなノックに応えると彼は枕を抱えてやって来たのだ。


「え、えと……あの、その、ええと」


「…………なんだ?」


「し、しょうがないから一緒に寝てあげる」


Whatなんて?」


「あ、アレックスは僕のことが好きらしいから、一緒に寝てあげる」


 なに言ってんだこいつ。


 俺が呆然としているとエミールは「あ、あれ? 間違えたかな? 変なことしてるのかな?」という焦りを見せ始めた。


 なんだかその姿がいじらしかったので、俺は布団をめくった。


「まぁたまには良かろう。お前がどうしても俺と添い寝をしたいのなら、来い」


「むー。あ、アレックスはもう少し素直になるべきだと思う」


 素直。すなお。スナオってなんだろう。ビーオーネスト?


 とりあえず時計を見ると、夜もふけている。少年には起きているのがそろそろ難しい時間帯だろう。


「ふむ」


 俺はむくりと起き上がって、ベッドを指さした。


「先に寝てろ。俺は少し野暮用をすませてくる」


「…………し、シャワーでも浴びてくるの?」


「はぁ? さっき浴びたわ」


 何言ってるんだお前。という態度でそう言いながら、俺は寝室を出た。



 俺は馬鹿じゃないので気がついている。


 あいつ、今夜俺が襲う・・・・ことを想定してる。



 馬鹿め。エミールめ。本当に馬鹿なやつだ。賢いあいつは「アレックスはとても紳士的な人間なので、自分を一方的に襲ったりはしないだろう。では、自分のことを『はいどうぞ』と捧げたら喜ぶのではないだろうか?」などと夢想し、虎に喰われる覚悟で突撃してきたのだ。マジで馬鹿じゃないかあいつ。


「そのは無い、と言ったはずだが」


 やれやれだ。俺はまだ眠くないが、エミールは眠たかろう。というかもしかしたら、寝ぼけて変な覚醒して、特攻をしかけてきたのかもしれない。面白すぎるだろエミール。


 俺は睡眠薬を用意した。青いジョニーウォーカー、つまりウィスキーだ。グラスに入れてストレートのままゴクゴクとあおる。おお、胃が熱い。


 俺にとっての適量。これぐらいの量だったら十五分で眠れるし、二日酔いもない、完璧な睡眠薬だ。


 胃がカッカして、目が冴えるような気がする。一瞬のドーピングみたいなものだ。そしてこれはすぐに収まると経験則で知っている。俺は何度か飛び跳ねて、その熱量を拡散させた。


「戻った」


「…………うん」


 なんだそのか細い声。ああそうか。眠いんだな。分かる、分かるぞエミール。


「暗くするぞー」


「うん」


 ゴソゴソとベッドに入り込む。別に狭いわけではないが、いつもと天井の位置が違うことに違和感を覚えた。


「おやすみー」


「うん……え!?」


「ああ、いびきが五月蠅かったら自分の部屋に戻れよ」


「う、うん。って、お酒の匂い?」


「俺はまだ眠くなかったんだよ。ただ、まぁ、たまには早寝もよかろう」


 そう言いながら、濃いウィスキーを一気飲みしたせいで、急性アルコール中毒にも似た症状が出始めて、世界が回り出す。


「おぉう。良い。いいぞ。気分が良いぞ」


「……そう?」


「ああ。よく眠れそうだ」


 隣にいるエミールが、そっと身体から力を抜いたのが分かった。


「……僕と一緒に寝られて、うれしい?」


「ぶっ、ぶははははは! そうだな!」


「なんでそんな笑い方になるのかなぁ……」


 そっと、エミールの手が俺の胸板に置かれた。


「………………」


「………………」


「……グッ……」


「?」


「……グッ、ググ……グー……」


「寝るの早くない?」


 夢現、そんな声を聞いた気がした。






 それからエミールは、週に二回ぐらい俺と添い寝をするようになった。


 毎回「ビビってねぇし」という意思が見えたが、それは段々と「本当に手を出してこないなぁ」という顔つきに変わっていった。


 そしてその分だけ、一緒に寝る回数は増えていった。


 俺は大きなベッドを買った。



 それから二ヶ月。


 三ヶ月。


 半年。


 クリスマス。


 誕生日。



 エミールと一緒に住むようになって、一年が過ぎた頃。


 俺はエミールを学校に行かせることにした。



 別れの日が近づいてきたからだ。





 

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